服を破られ、男にのし掛かられる。ヒルダの感じていた恐怖がブリジットの脳髄を焼き尽くし、同じ絶望を追体験させる。 頭にちらつくのはユーリの事。 何度もごめんなさいと謝りながら、涙をこぼす。 痛みに息を吐き、憎悪に身を焦がす。 それでも、義体ではない生身の肉体では何も抵抗が出来ない。 ブリジットは知る。 今まで義体の身体に慣れきっていた自分がいたことに。 この身体は不便だ。痛覚遮断も、怪力で男を絞め殺すことも出来ない。 生きると決めたのに。 殺して生きると決めたのに。 折角の決意が嵐のように押し寄せる様々な感覚の所為で、ノイズが走ったみたいにわけがわからなくなる。 男の動きが止まった。内臓を蹂躙される痛みが終わる。股の間だから何かが零れて、こちらを見下ろした男の顔が酷く歪んで笑った。 そこにあるのは女を犯して見せたという、とても不気味な独りよがりの喜びだけ。 ブリジットは止まらない涙を床に落としながら、男の顔から目を背けた。 脳のロックを外す。 それは端的に言えば、催眠解除の催眠を掛けるようなものだった。幸いクリスティアーノの財力とコネはまだ海外ルートを通して生きている。 EU圏ならではの国越えのし易さが今回はプラスに働いていた。「施術自体は終了しました。あとは目が覚めるのを待つだけです」 クリスティアーノが雇った医者が残していったとおり、ブリジットは再び眠りについている。もう起きている時間よりも眠っている時間の方が長くなってしまった彼女を見て、アルフォドは息を一つ吐く。 ジャコモはあれから、アシクを連れて何処かに出て行った。 何か計画を練っているという話だから、暫くは戻ってこないだろう。 今この隠れ家にいるのはクリスティアーノ、フランカ、フランコ、そしてアルフォドとブリジットの五人。 しかし互いに会話は少なく、ただ共に暮らしているだけという体たらくだった。「まだお姫様は目が覚めないのね」 眠り続けるブリジットの傍らにいたアルフォドに声が掛けられる。それが余りにも珍しいことだったので、彼は一瞬反応が遅れてしまった。「私の名前は知ってるかしら」「……偽名なら」 アルフォドは彼女を知っている。公社が爆弾魔のテロリストとしてマークし続けていた女だ。クリスティアーノ邸を襲撃したときから行方不明とされていたが、まんまと逃げおおせていたようだ。「そう。ならピノッキオのことも知っているのね」 ぴくり、とアルフォドの肩が動く。彼は思い出す。数ヶ月前、ブリジットと死闘を演じた殺し家の少年。何故かブリジットは彼に異常な執着を持ち、彼女が破滅への道を歩み始めたのも、彼を殺してからだった。 フランカは続ける。「クリスティアーノはピノッキオを我が子のように可愛がっていたわ。だから驚いたのよ。彼の仇であるはずのあなたたちをすんなりと仲間に引き入れたことが。それは何故だかあなたは知ってる?」 シラを切ろうかとも考えた。 だがフランカの声色はどこか確信めいていて、自分が何かしら理由を知っているとアタリをつけているようだった。だから観念したように口を開く。「……俺に公社から抜けるように指示したのがジャコモだ。ブリジットが壊されてから数日経ったとき、奴が現れた」「あら、随分とタイミングが良かったのね」「公社も決して一枚岩ではない。中では足の引っ張り合いだらけだ」 実際、社会福祉後者は義体の運用部とその他特殊部隊との仲は決して良くはなかった。 それは私情関係無しに、互いの利害がぶつかり合っているためでもある。もともと軍警察出身のアルフォドはそういった組織の政治的関係にも精通していた。「クリスティアーノが俺を引き入れた理由はジャコモに諭されたからだろう。おおかたピノッキオに変わる戦力が手に入る、とな」「彼女の保護者としてあなたはそれでいいの?」「さあな。実を言うと、今俺は自分が何をしているのかよくわかっていない。決してこれが正しい選択だとは思わないし、思いたくもない。ただのあてのない逃避行だよ」 そう、とフランカが部屋の隅に腰掛ける。アルフォドはこちらを見ない。「でもあなたの逃避行、多分間違ってはいないわ」「はっ、何をバカなことを」「だってそうよ。この世に正義と悪が存在しないように、人の選択に間違いなんてありはしないわ。だってその選択の意味は誰にも決められないのだから」 「あなたが彼女の人生の意味を決める必要は何も無いわ。責任を負うこともいらない。ただあなたは彼女が自分の人生に何か意味を持たせてあげられるよう、手助けしてあげればいいの。だってあなたたちはフラテッロ」「兄妹、なんでしょ。助け合えない人間関係なんて、それは家族とはいわないわ」 家族、ってなんだろう。 ブリジットはいろいろなことを考える。 男に犯されている間も、面白半分に拷問を重ねられている間も。 ブリジットはヒルダの記憶を追体験して、とても彼女と同化できるとは思えなかった。 だってそう、この記憶はあくまでヒルダの物であって、これを知ったところで自分はまだブリジットにはなれない。 ブリジットになるためにはヒルダの記憶の中で、自分なりの答えを見つけなければならないのだ。 それは問題すら提示されていない、不可視の答え。 だからブリジットはいろいろ考える。今まで忘れていたことも、あえて無視してきたことも。 答えが、わかるまで。 向けられたのは憎悪。人は憎む。 何か酷く自分を傷つけられると人は誰かを恨む。 リコが突きつけてきた銃口の答え。 ブリジットは後悔する。自分の手で彼女の何かを摘み取ってしまったことに。 助けた女の子は本当に幸せだったのだろうか。 自分勝手に助けて、本当はあそこで死ぬはずだったのに。 でもその女の子は結局死んでしまった。 自分を守るために。 ブリジットは後悔する。自分の手で彼女の運命を狂わせてしまったことに。 撃ち抜いた相手は過去の自分が愛した男だった。 ライフルスコープ越しに交わした視線は今でも忘れない。 彼を殺してしまった罪は一生消えない。 ブリジットは後悔する。しばらく、彼のことを忘れていたことに。 殺し合った青年は、死ぬ間際に人間になれた。 羨ましいと思った。一人にしないでくれと恨みを吐いた。 でも彼は確か言った。 もう少しだけ生きてみろと。 ブリジットは後悔する。彼の言ったとおり、果たして自分は生きてきたのかと。 一番愛した男の人は今頃どうしているのだろう。 きっとあの人のことだ。いらない苦労を背負ったり、自分のことに責任を感じて 悲しんだりしているのだろう。 でも彼にはこう言ってあげたい。 自分は最後まであなたの味方だと。 あなたと共に生きていきたいと。 ブリジットはもう後悔はしない。振り返ることはあっても足は止めない。 そっと瞳を開ける。自分にのし掛かっている男が見える。 拘束バンドに力を込める。ぎちぎちと、少しずつ、少しずつ引き裂かれていく。 そして……、 ブリジットの拳が男の顔にめり込んだ。 頭身が少し縮み、赤毛が黒髪に変化していく。今まで普通の少女だった肉体が、彼がこの世界に生まれ落ちたときのように義体へと変化していく。「ああ、ヒルダ。俺、やっとわかったよ」 呻く男の首を持つ。そして今まで何度もやってきたように、首の骨を砕く。「君の悪夢はもう悪夢じゃない。だって俺はもうヒルダなんかじゃない。俺なんかじゃない」 騒ぎを聞きつけた男達が部屋に入ってくる。ブリジットは返り血を浴びたままそちらを振り返った。「俺は、いや、」 掴み掛かってくる男をぶん投げた。ナイフで切りつけてくる男を床に沈め、銃を取り出した男を壁に頭から突っ込ませる。 そして、高らかに声をあげた。「私はブリジットという名の少女なんだから」