首を絞められる。 息が出来ない。中を彷徨う手には爪がなく、赤爛れた傷跡が残る。 醜い男根が少女の秘部を蹂躙し、汚辱を刻みつける。「ふっ、ふっ、ふっ、」 少女を組み敷く男の息が小刻みになっていく。やがて一つの長い息が歪んだ口元から漏れたかと思うと、男は少女から離れた。「……これで暫くは大人しくなるだろ」 男はまっぱだった下半身に下着とズボンを身につけ、少女に背を向ける。 彼の顔は一人の人間をとことん犯し尽くした喜びに震えていた。 少女は―――ヒルダは濁った瞳でその背中を見た。「うあっ」 首絞めから解放されても声は出ない。 ただ股の間だから流れ出る血液と精液が、薄汚れていた床をさらに汚していった。 義体は赤い少女の悪夢を見るか。 悪夢。 そう形容するしかない夢の内容にブリジットはベッドの上で震えた。男に嬲られ、組み敷かれ、尊厳を踏みにじられる。 この世界に来て性別が逆転している彼女だからこそ、その屈辱と嫌悪感は尚更だった。「うえ」 口元を押さえ、慌ててトイレに駆け込む。白い便器の向こう側に口を持って行けば後は何もする必要がなかった。彼女の意思とは裏腹に、黄色い吐瀉物が止まらなくなった。 遂に胃液以外何も出てこなくなったとき、彼女は備え付けられていた洗面台で顔を洗った。 そして涙で濡れた目尻を拭って鏡を睨む。「フライングはなしだよ、ヒルダさん」 これから己が立ち向かわなければならない運命。 それに抗う術は今のところ見つかっていない。 日ごとに自分という境界を失っていくブリジットは、多大なストレスを感じながらヒルダとして過ごしていた。行動や思考はヒルダが勝手に行ってくれる。だがブリジットとしての意識を持つ彼女はそういった経験が増える度に自分が自分でなくなる恐怖に耐え続けなければならなかった。 ブリジットとして朝の広場で一人泣いても、それで気が晴れる程彼女は強くなかった。 だからこそ、目の前でこちらを睨み付ける父親を見ても現実感が沸くことはない。「……聞いているのか。ヒルダ」 威圧するように口を開くのはヒルダの父親だ。彼は政治家で現内閣のアキレス腱とも揶揄されるほどの、黒い噂の絶えない人だった。 ここ最近、政敵を追い詰めた違法な手段の数々をマスコミに追い詰められて気が立っている。「ええ、お父様」 目線をそっと伏せ、ブリジットは愁傷に答えた。中のブリジットはヒルダの父親に睨まれたぐらいで怖じ気づくことはないが、外を構成しているヒルダがそうさせた。「ならば今すぐ何処の馬の骨ともわからん輩の下へ通うのは止めろ。これは命令だ」 かちん、と気に障ったのがわかる。 先ほど見せた愁傷な返答は何処へやら、今度は打って変わってヒルダが父親に噛みついた。「あの人を悪くは言わないでください。少なくとも、卑劣な手段で政敵を蹴落としたお父様よりか清純な男です」「ふん、ほざくな。その卑劣な男の庇護なしではまともに食事にもありつけん癖に。そういうことは一人前になってから吐け」 ゲロならしこたま吐いたわ、とブリジットが内心毒づく。だがヒルダはそんなブリジットを置いてけぼりにしてこう続けた。「それでも、私はあの人が不当に貶められるのは耐えられません」 下がれ、と父親が一言告げる。 これ以上無意味と悟ったのか、ヒルダはもう何も言わなかった。 そこは酒場と言うには余りにも薄暗い空間だった。 堅気の人間は決して近づかないような、そんな場所で二人の男が酒を傾けている。「で、クローチェの方は順調なのかフェデリコ」「ああ、当日の防弾処理車に爆弾を括り付ける案は頓挫したが、ルートは手に入れた。あのジャコモって男、中々侮れん」 フェデリコと呼ばれた長髪の男がウィスキーを傾ける。その隣で黒髪に髭面の男が嘆息した。「その点我々は何も進展していない。奴を揺すってもあの厚顔無恥さだ。マスコミを買収して事態を納めようとしている」「……しばらく見ない間にこの国の構造も大分変わったようだ。政治家を糾弾すべきマスコミが界隈と化している」「奴は我々のボスの敵だ。あいつは自分が助かるためにボスをマフィアに売り渡した。唯一死体が見つからなかったお坊ちゃまの足取りも掴めていない」「政治思想を取るか義理を取るか。忙しいなベネチア活動家は。だがそんなお前達に朗報だ。ニッコロ」 何だ? と髭面の男―――ニッコロが問う。「奴の娘がどうやらしがない清掃員にお熱らしい。だがこの清掃員、もとを辿れば俺たちと同じヤクザ者だ。これを出汁に奴を揺すってみろ」 それは名案だとニッコロは喜色の色を浮かべる。 一政治家の娘が堅気ではない人間と交際しているとあれば、それこそアキレス腱になりかねない。マスコミとゴシップ好きの国民の格好の餌になるのだ。 どうしても攻めあぐねていたニッコロは手放しに喜んだ。「だがそんな情報を何処から? あの男の事だ。必ず外部に漏れる前に握りつぶすはず」「ああ、それなんだがな」 フェデリコが周囲を警戒するかのように目線を配らせた。そしてこちらに注目がないことを確認して……「社会福祉公社って知ってるか? そこがな、奴の娘に興味をもっているんだよ」 悪魔の一言を口にした。「清掃のバイト?」 カフェテリアでも駅前の公園でもなく、ユーリのアパートでヒルダはたむろしていた。父親の監視が強くなり、外へ出ることが難しくなってもこうして会いに来ることは日常と化していた。 今彼女は、ユーリに少しでも喜んで貰うためトマトソースのパスタを茹でていた。 エプロン姿のヒルダの背中に、純粋な少年のような声色でユーリが笑った。「ああ、本職は店じまい。食べていくためにゴミ清掃のバイトを始めた。筋は良いらしいぜ」 もとは軍警察のエリート。 でも人間らしい挫折の仕方でヒットマンに身を落とし、今はこうして堅気の仕事に就こうとするユーリがヒルダは眩しかった。 自身とは正反対の生き方をする彼を見て、一瞬だけ表情を曇らせるも直ぐに笑顔を取り繕う。「そう、それは良かった」 茹で上がったパスタを皿に盛りつけ食卓に運んだ。するとユーリはそれを掻き込むように食べ始める。 彼が南部出身と聞いて南部料理を覚えた甲斐があったと思える瞬間だった。「ところでヒルダ。明日の予定なんだがな」 徐にユーリが口を開く。フォークを手にしたまま彼が言葉を発するのを待っていると、次のようなことを告げてきた。「俺の仕事……もちろん清掃のバイトだけど午前で終われそうなんだ。午後から少しいいか?」「良いも何も今日みたいにここで帰ってくるのを待っているわ。明日は何が食べたい?」「あ、いや。そうじゃなくてだな……、その、あれだ。明日の昼から何処かに遊びに行かないか。君を映画あたりに連れて行ってやりたい」 不意に涙が零れそうになった。 もうすぐ破滅だと知っているのに、彼がこちらのことを気に掛けてくれるのが嬉しかった。 照れ臭そうに頬を掻くユーリの姿がとても愛おしい。 アルフォドに愛を誓っているはずのブリジットでさえ、内心はユーリに対する愛情があった。 夢の終わりが近づいてくる。 ヒルダが見せたかった夢がもう直ぐ終わる。 ブリジットはユーリに笑顔を見せながら、終焉に思いを馳せた。 その日、ヒルダが屋敷に帰ることはなかった。 翌日の新聞記事には右派過激派のグループに誘拐されてたと報道された。 だが真相は違う。 彼女は実の父親が雇ったマフィアに誘拐されたのだった。 父親であるアルベルト・フォン・ゲーテンバルトはマフィア達にこう告げたという。 出来るだけ嬲って殺せ。 彼女は娘を殺された悲劇の政治家を演じるための道具にされたのだった。