その日、アルフォドはブリジットを伴ってベネチアに来ていた。五共和国派の活動拠点からは随分と外れた街だが、彼にはある重要な目的があった。 白いベンツを運転し、市内を巡っていたアルフォドは黒のBMWが背後に付いたことに気がついた。ブリジットがダッシュボードの下で拳銃を握るがそれを制する。 彼はBMWに先を越させると、それが指示するように後ろをついて行った。 向かった先は海辺沿いに並んだ大きな別荘の一つだった。 本来ならば夏シーズンに賑わうであろうリゾート地だが、真冬に入ろうとしている今の季節では人影は無い。 アルフォドはブリジットにサブマシンガンが入ったバイオリンケースを持たせると、自身は手ぶらのまま別荘の敷地に足を踏み入れる。ここまで自分たちを誘導してきたBMWはいつの間にか消えており、別荘の中からいくつかの視線を感じた。「アシク、俺だ。そちらの要求通り彼女を連れてきたぞ」 遂に扉の前にたどり着いたアルフォドは中に向かって呼びかけを続ける。だが応答は無い。 いよいよこれはおかしいと訝しみ始めたとき、背後に気配を感じた。そしてその気配は扉に張り付いていたアルフォドにこともあろうか銃口を向けていた。 反応したのはもちろんアルフォドの盾であり剣であるブリジットだった。「っ!」 彼女は一瞬で気配に詰め寄るとバイオリンケースを振るった。義体の怪力と遠心力から生み出される威力はいとも簡単に骨を砕く。だが気配の主はそれをいとも簡単にかわしてのけ、逆にブリジットの腹につま先を叩き込んだ。「がはっ」 胃液を吐き出し、体をくの字に折り曲げる彼女だったがそこで屈するほど柔では無い。素早く体勢を入れ替え、ハイキックをお見舞いした。だがこれも膝を捕まれたのち中空に放り投げられる。 遂に地面に倒れ込んだ彼女は何とか起き上がろうとするが、先に気配の主の靴裏が彼女の胸を押さえつけた。そして再度銃口をアルフォドに突きつけられ身動きがとれなくなる。 世界の時が確かに止まり、気配の主が静かに笑った。「はっ、成る程。これが義体か。期待通りのすばらしい性能だな。社会福祉公社よ」 ブリジットが見上げた先、アルフォドが振り返った先には一人の男がいた。 やや長身でありながら引き締まった肉体をレギンスコートで隠した、彫りの深い長髪の男。 彼はアルフォドに向けていた銃を下ろしこう告げた。「久しぶりだな、ゲルマンの男よ。覚えているか、この俺を」 歯を見せて笑う男にアルフォドは返す。「ああ、忘れたくても忘れられん。クソッタレのジャコモ=ダンテ」 吐き出すように紡がれた台詞に、ジャコモに踏みつけられたままのブリジットは身震いを一つした。