義体達によって制圧されていくトラックを見つめる人影が二つ。彼女らはクレーンのフレームに腰掛けたまま、ライフルスコープ越しに現場を観察していた。 時折、思い出したようにエルザがブリジットに指示を飛ばし、ブリジットは残された弾丸を使って狙撃支援をする。「……ならあなたの意識体は元の体にあったものを改ざんしたのではなく、何処か外から持ち込まれたものなの?」 しかし指示を飛ばすよりも、エルザはブリジットの出自を聞くほうに精神を傾けていた。「私は――俺はそう信じている。ちょっと最近自信が持てなくなってきたけど」 あと一発、とブリジットが人差し指と親指でライフル弾を摘んでいた。直接薬室からそれを叩き込んで装てんを済ます。「不思議なこともあるのね。夢みたい」「俺もこんなことを担当官以外に打ち明ける日が来るとは思わなかった。ちょっと失敗したかな」 一度スコープから目を外し、ブリジットがエルザを見る。エルザは視線に気が付いたのか、同じようにブリジットを見た。「どうして失敗したの?」「いや、嫌われたかなって。不確かで、確かめる方法も無いけど、俺は男だったのかもしれないよ」 自嘲気味に笑うブリジットだったが、言葉の端々からエルザに拒絶されることに対する怯えのようなものが見え隠れしていた。エルザはそれを敏感に感じ取っている。 でもエルザは何ら特別なことをするでもなく、極普通の調子で言った。「あら、結構好きよ。男の人は。ラウーロさんの性別を考えてよ」 拍子抜けしたのはブリジットだったか。 ライフルストックに巻かれた頬当てに額を乗せ、「一本取られた……」と零す。エルザはそんなブリジットに身を寄せて、肩に頭を置いた。「ねえ、ブリジット」「なにかな」 見上げたブリジットの瞳にエルザが映りこんでいる。今思えば、初めて出会った時からエルザはブリジットの瞳にいた。あの時と違うのはエルザの瞳にもブリジットが映っていることだ。 一拍、二人は見つめあう。 二人を襲っていた突風はもう完全に鳴りを潜めていて、静かな聞こえの良い風の音が世界に満ちている。遠くのほうで港の、コンテナ港の明かりが煌き、光の水平線を形成していた。 キスしてみようか、とエルザが言う。 ブリジットもうん、と答えてエルザの手を取った。 さっきみたいに瞳を閉じることはもう無い。 二人ともしっかりと相手を見定めて、決してその視線から零れてしまう事の無い様に、口を少しだけ開いて、歯と歯がぶつからない様に顔を近づけていく。 引くにはもうここしかない。 でも、二人でこんな事が出来るのも今しかないと思う。 禁忌に魅せられたわけではない、それでも今はこうして相手の事を自分に刻みたくて、二人は唇を重ねる。 とろ、っとブリジットの舌が甘味を感じ取った。 今まで気づかなかったが、エルザはどうやらアメを舐めていたらしい。ブリジットはそんなエルザが酷く愛おしくて、そして何だか懐かしくて、思わず目尻に涙を浮かべた。 時間にして、本の数秒。 でも二人が口を離した跡には銀色の筋が通っていて、それを見つけたエルザが顔を真っ赤にさせた。自分から誘っておいて狼狽しているエルザをブリジットは同じような赤い顔で笑った。「そろそろ、降りようか」 降下用ロープを手に取り、ブリジットが問う。 エルザはまだ少しだけ頬を高揚させたまま、するすると先に下りていった。フレームに括り付けられていたブリジットとは違って、エルザは最初から命綱――降下用ロープを兼ねるを結んでいたので行動が早い。 ブリジットも手早く準備を終えるとライフルをその場に残して、飛び降りるように真下へ広がる暗闇に降りていった。 あらかた制圧が完了し、三台のトラックが押収された。万が一のため、爆薬の専門家の立会いの元トリエラたちがトラックの荷台を開ける。「……やられたな」 声を漏らしたのはヒルシャーだった。 彼が照らす懐中電灯の明かりの向こう、中に積み込まれていたのはコンクリートブロックの山だった。「恐らくここを守っていた奴らは中身については知らされていなかったな。クソ! こんな初歩的なダミーに引っかかるとは」 悪態をついたアルフォドが無線を使ってブリジットに交信しようとする。しかし応答は無い。ラウーロもエルザに連絡を取るが、ブリジットと同様だった。「とりあえず本部にこのことを連絡。港からの道路網を全て検問で塞げ。船の出入りも見逃すな」 焦りの滲んだ表情でアルフォドが命令を飛ばす。 だがその時、彼の背後――約二百メートル離れた対岸のコンテナの群れから突然光が舞い上がった。 辺りに轟音が響き、黒い煙に紛れて赤く高熱を帯びた空気が雄たけびを上げる。 爆発だ! と誰かが叫ぶ。 トラックを囲んでいた一同は、呆然と燦燦と輝く業火を見上げていた。 かつん、と足音がした。 足音の主は、酷くやつれた薄汚い浮浪者風の男だった。 彼は古ぼけ錆付いたコンテナの前に腰掛、懐からタバコを取り出した。 そんな彼の前に、一人の少女が立つ。「あなた、ただの根無し草とは違うよね」 少女は黒い髪と黒い瞳を持っていた。髪は肩口まで伸びていて、夜風で揺れている。防寒具にも似た青いジャケットを羽織っていて、手には拳銃を収めている。「……噂の、政府の殺し屋か」 男の台詞に少女は形の整った眉を歪める。されど手にした拳銃の銃口が鈍ることは無かった。「私たちはさ、不正に密輸入されている武器や爆薬を取り締まりに来たの。本当はここから北に行ったところの載積場が取引現場の筈なんだけどどうしてかな。どうしてあなたの後ろにあるコンテナからこんなに火薬の匂いがぷんぷんするの?」 男は少女が告げた内容に少しだけ驚きの声を見せて、でも直ぐ納得したように笑った。「聡いな。だから我々は敵わなかったのか」 かつん、ともう一つ足音がした。 男の背後にあるコンテナの上に別の少女が現れる。彼女もサブマシンガンを構えていた。黒髪の少女とは打って変わってプラチナブロンドの髪をしていた。「本当、計画通りだ」 男は自分を見下ろす少女を見上げて、そう言った。 ブリジットとエルザは降下を終えた後、サイドアームズに切り替えてアルフォドたちに合流しようとしていた。ブリジットがその匂いを感じ取ったのは幸運なことに彼女たちが風下を歩いていたからだ。 僅かに感じた火薬の匂いは、トリエラたちが交戦している場所とは正反対の場所から漂っていた。 回収した無線機は粉々に砕けていたため、二人は連絡をいれるよりも先に様子だけでも伺おうと件の場所に足を向けた。 そこで浮浪者のように小汚い男と、静かに狂気を孕んだ古ぼけたコンテナを見つけたのである。「いつからそこに運び込んでいたの?」 ブリジットが引き金に指を掛けた。男はさも興味が無さそうに淡々と事実を告げていく。「彼是一週間前からだ。君たちが荷物の移動を制限したお陰で、ここにそれだけの期間放置していても怪しまれることは無かった」「……中身は?」「TNT。元はエジプト陸軍がムスリムに横流ししたものだ。量は覚えていない」 ぎりっ、とブリジットが唇を噛む。恐らく公社が追っていた入手経路不明の爆薬はこうして港に隠されながら取引されていたのだろう。 もしそれが本当ならば、トリエラたちが取り押さえているトラックは偽者である可能性が高い。「……大人しくコンテナから離れて、手を頭の上に置け。妙な真似をしたら殺す。――エルザ! 向こうへ連絡する手段は?」「今は無いけど……直ぐにこちらに気が付くと思う。男を拘束して、少し待ちましょう」 コンテナから飛び降り、エルザが男を引き倒した。ブリジットはコンテナに注意深く近寄り、そっと観音開きの扉を開ける。 そして懐中電灯で中を照らした。 ぽつり、と男が言った。「それは、お前たち社会福祉公社への手向けだ」 ブリジットがドアから離れ、何かを叫んだ。 「私は仲間を全てお前たちに殺された。お前たちに復讐するため、密輸現場の猿芝居もこなして見せた」 男を引き倒していたエルザを小脇に抱え、一歩目を踏む。「お前たち二人しか仕留められないのは残念だが、今はそれで良い」 空気が膨張する。 「吹き飛べ、悪魔ども」 コンテナの前に投げ捨てられた懐中電灯は、相変わらず胡乱な暗闇を照らしている。 赤くLEDライトが点滅し、幾つかのコードと乱雑に巻かれたビニールテープが見える。 地獄の底にも似た、その悪夢のような光景からブリジットは一刻も早く離れようとする。 音は轟音というより、何かの破裂音だ。 一瞬で視界が上下逆さまになり、重力を無視して身体が浮遊する。 辛くも爆風から逃れた体は、右半身に多数の破片を浴びた。 地面を滑るように転がって、全身の感じた痛みの所為で意識が何度もホワイトアウトする。 ブリジットが見たのはただの爆薬ではなく、いつでも爆破できるように用意された爆弾だった。 男が起爆させたそれは、男自身を吹き飛ばし、二人の義体を巻き込んだ。 ブリジットは浅い呼吸を繰り返しながら、やっと静止した自分の体を認識した。 焼け付くような痛みと、朝日のような光が視界を塗りつぶしていて、どくどくと流れる血が止まることは遂に無かった。 彼女は苦悶に負け、か細い声でその名を呼ぶ。「える、ざ……」 見えなくなった右目を抑え、ブリジットは天に手を伸ばす。 彼女の黒髪は、燃え盛る炎と真っ赤な粘りのある血の所為で、赤々と輝いていた。