少し前までブリジットがその体を休めていたベッドには、今エルザが横になっている。 ルーム登録はブリジットのままであるが、帰ってこない主に代わってエルザが最近寝泊りしていた。 黒猫のヒルダもアルフォドの部屋にいるブリジットではなく、エルザの元に来ることが多くなってきており、ルーム登録を解かれてしまうのも時間の問題だった。 エルザは枕を抱きしめながら誰もいない部屋の天井を見つめる。トリエラは訓練に、クラエスは新しい義体パーツの試験に借り出されていた。 久しぶりに過ごす一人の午後はとても心細かった。 今思えば、いつも誰かと一緒に過ごしていた自分がいる。 それは主に自分を嫉妬と絶望の狭間から救い上げてくれたブリジットの事で、彼女の周りを腰巾着のようにうろついていた。 迷惑がられるだろうか、という心配はしたことが無い。ブリジットがそんなことを思わない優しい人であることを知っていたからだ。 ブリジットは義体の少女たちの中でも明るく振舞う、良く言えば快活、逆に言えば能天気に見えてしまう性格をしていたが、その中身は酷く大人な部分がある。 エルザはその大人のブリジットをとても尊敬していたし、また大好きでもあった。エルザがいつも甘えていたのもブリジットの大人の領域である。 だが最近その大人の部分が何者かによって食い散らかされ始めているのにエルザは気が付いている。 ブリジットの中に巣食う病魔といえばいいのだろうか。 それはピノッキオ事件の前後から顔を見せはじめ、遂にはブリジットの回りから一切の義体を排除して見せた。 勿論、排除されてしまった義体の中にエルザも入っている。 最初は自分を捨てて一人になろうとしたブリジットを憎み、そして理解できないと感じたこともある。だがエルザが持ち主の消えたベッドの下からとある物品を見つけたとき、その考えは直ぐに消え去り、代わりにブリジットに対する深い同情と愛情が押し寄せて来た。 エルザは今、ブリジットの中に巣食う何者か――言うなれば亡霊と戦おうとしている。 トリエラはブリジットのことを亡霊と評したがそれは間違いだとエルザは断言する。 亡霊はエルザが慕ったブリジットではなく、彼女の中で生きているもう一人の人間だ。 エルザが認めるブリジットは一人。 他のブリジットには何の興味も無い。 エルザは自身のため、そして自分を引き上げたブリジットを守るために得体の知れない何者かと戦うことを誓った。 たとえブリジットに拒絶されようとも。 ――たとえ、エルザの命が尽きようとも。 全ては幸せだった泡沫の日々を取り戻すために。 GUNSLINGER GIRL ブリジットという名の少女 第二期 【復讐】 早朝、担当官たちに呼び出された義体達が各々の武器を手にしながら公社の一区画に集まっていた。エルザはMP5を携えてラウーロの元に、ブリジットはレミントンの狙撃ライフルをチェロケースに入れてアルフォドの傍らに立っていた。「港で行われる武器類の密輸犯を検挙するのが今回の任務だ。実行犯には軍人も含まれる可能性があることから、こちらもそれ相応の装備で挑む」 ブリジットはエルザとパートナーを組み、狙撃班を構成することが決まっていた。検挙対象に狙撃グループが居た場合、カウンタースナイプを仕掛ける役である。 他にもトリエラビーチェは実働部隊として、リコヘンリエッタは遊撃に、アンジェリカとその他は後方支援と、ジョゼが思い描いていた通りのポジショニングになっていた。「作戦決行は本日の深夜。それまで各自フラッテロは英気を養え。最初で最後の一斉検挙のチャンスだ。何としても仕留めるぞ」 号令と共に、フラッテロは各々自由に解散して行った。 そんな中、アルフォドの傍らから動かないブリジットに近づく小さな影がある。 エルザ・デ・シーカだ。「ブリジット、久しぶりのペアね。あなたと一緒で嬉しいわ」 今日のエルザは何時もの三つ網ではなく、後頭部で髪を結わえたいわゆるポニーテールの髪型にしていた。昔、ブリジットの髪が長かった頃、ブリジット自身がよくやっていた髪型だ。「……ごめんね、エルザ」 顔のパーツを線にして、苦笑とはまた違ったぎこちない笑みをブリジットが浮かべた。それはこの前の喧嘩別れのことを言っているのか、ただ単にブリジットが卑屈になっているだけなのかエルザには判断できない。 だがエルザはそう言った理屈を抜きにして、ブリジットに微笑んでみせた。「気にしなくていいよ、ブリジット。私とあなたの仲じゃない」 その思いは果たしてブリジットに届いたのだろうか。 ブリジットは短く「ん、」と息を吐いて、エルザに手を引かれても抵抗するでも無く後をついて行った。 ここ一ヶ月ではまず見なかった、ブリジットが他の義体の少女と過ごしている珍しい光景だった。 実際のところ、ブリジットが手を引かれるままエルザについて行ったのはほんの気まぐれだった。 もし行き先にトリエラや、その担当官であるヒルシャーがいたら躊躇無くエルザの手を振り切ってアルフォドの元へ逃げただろう。 だが幸運なことに、その二人を視界に捕らえることなく、エルザはブリジットを目的の場所に連れてくることが出来た。 それはエルザがブリジットの拳銃で自殺しようとした、中庭にある広葉樹の根元だった。「あ、ここは……」 声を上げたのはブリジットだ。彼女は枝葉の間から零れる光に目を細めながら暫く上を見上げていた。 そんなブリジットにそっとエルザが抱きつく。「ねえ、ブリジット。私はこの木の下であなたと大喧嘩というか何というか、とにかく一杯怒鳴りあったよね」 照れくさそうに告げるエルザの表情はブリジットの方からは余り見えない。しかし声色からその様子は伺えた。「私はとても嬉しかった。あの時、あなたが助けに来てくれて。だから今度は私があなたを助ける番なの。あの時あなたは言ったよね。自分は一人ぼっちだって。それはあなたの身寄りが無いから? それとも、あなたの、あなたのブリジットとしての人格の居場所が無いの?」いきなり確信を突く問いにブリジットの体が強張る。だがエルザはあくまで落ち着いた声色でブリジットの体を抱きしめ続けた。「悪いと思ったのだけれど、あなたのベッドの下から見つけた日記帳に書いてあったの。『本当のところ、このブリジットとしての人格は本当に自分が認識している人格なのか』って。詳しい意味はよく分からなかった。でもあなたは自分のことを疑っている、この推測はあってるよね」 この場合、沈黙は肯定と同義だ。エルザはブリジットの返答が無くてもさらに続ける。「私は義体で、条件付けを受けた体だからあなたの為に出来ることは殆どないわ。でもね、私があなたのことを好いていて、あなたとこれからも生きていたいという気持ちは多分本当なの。これはあなたの存在を認めることにはならないのかしら」 エルザがブリジットをこちらに振り向かせた。見ればブリジットの表情は何かに怯えているようで、今にも泣き出しそうだった。エルザはブリジットの頬を両手でしっかり覆ってやり、穏やかな口調で話した。「私こと、エルザ・デ・シーカはブリジットのことを愛しています。世界で一番はまだラウーロさんだけど、その次に私はあなたのことを愛しています。……本当に感謝しているのよ、ブリジット」 ブリジットの涙腺が崩壊したのは同時だった。 彼女は一際大きく顔を歪ませると、目尻に溜めた涙を溢れさせて声を上げて泣いた。自分より頭一つ小さな身長のエルザにすがり付いて泣いてみせた。 エルザがブリジットの頭を抱き、髪を何度も撫でてやる。 うわん、うわんと中庭に少女の声が響き渡った。 二人の義体の担当官は少し離れたところでその様子を見守っている。 自棄になり、張り詰めていた精神が遂に事切れた。 エルザの腕の中で大声を上げながら、ブリジットは己が怯えていたものの正体を再確認していた。彼女が最も嫌い、そして恐れていたのは孤独だ。 ピノッキオが死に、この世界に一人で置いていかれてからブリジットは自分の居場所を、自分が世界に残した物を忘れてひたすら彷徨い続けていた。 出口の見えない迷宮の中で、心の片隅で泣きながら誰かに助けを求めていた。 最初はアルフォドに。 でもそこには義体としての盲愛が存在していて、ブリジットが求めていた救いとは掛け離れたものしかなかった。 盲愛を介さず、純粋な好意で、第三者の介入無しに得られる繋がりを持っていたのはエルザだった。 そのことはブリジットが良く理解していた筈なのに、トリエラと離別した苦い経験から自分から歩み寄ることが出来ないでいた。 だが今、エルザからブリジットに手を差し伸べられた時点で、ブリジットが抱えていた問題の一つが氷解した。 その結果がエルザの腕の中で泣くブリジットであり、そしてブリジットを抱くエルザだった。 ブリジットは完全とは言えないが、この世界で生きる意味を、そして己の居場所を、徐々に改めて見つけ出そうとしていた。 泡沫の日々の、最終日のことである。