目の前を歩く私より頭一つ小さな女の子は、強そうに見えて弱い。 や、別に彼女の実力にケチをつけてるわけじゃないんです。 何度か彼女と共同で仕事をこなして、彼女がいかにプロフェッショナルか嫌という程思い知らされました。 さっきまで隣を歩いていたと思ったら、何時の間にかテロリストの首をへし折っているし、ナイフの扱いにも秀でていて私なんかが彼女に格闘戦なんか挑んだら最後、片手で捻られると思う。 だからといって銃器の扱いで彼女に勝てるのかといったら、それこそ比べること事態がナンセンスです。 一度、百キロ近くで走っているフェラーリを建物の屋上から狙撃したのを見て、違う次元に生きている子だとしみじみと思ったものだから。 近接の銃器を使った戦闘にも迷いがなく、アレッサンドロ曰く「あれは最早才能の一種で、義体になるために生まれてきたようなものだ』とのこと。 でも公社最強とも謳われるエリート少女を弱いと私が感じるのは、アレッサンドロ直伝の人の見極めを彼女に試したときでした。 まず背景が見えません。 その人がどんな人生を送ってきたか、どのようなポリシーを抱いて生きているのか、そういったものが全く見えないんです。 まあこれにかんしては、義体の子の殆どがそうなので特に気にしませんでした。 私が気になったのはその表情でした。 今更ですが、彼女の顔の右半分は医療用眼帯に覆われていて殆ど見えません。 それでも、残された左半分からそうとうの美人であることは用意に想像が付きました。 けれども、その美人顔にはどうしても言葉に表すことが出来ない暗い影がチラついていました。 私はそれがとても不気味で、彼女のことが苦手でした。 彼女の名はブリジットと言います。 廃棄されたアパートの中を赤毛の女が疾走していた。デニムのジーンズに黒いシャツ姿で、片手にはベレッタを持っている。 女は男を追っていた。男はとても素早く、強化された女の脚力を持ってしても中々追いつけない。 女の名はペトリューシュカ。体の殆どを人工物に置き換えられた義体だった。「待て!」 威嚇に何発か発砲するが、男は怯むことなく外へ飛び出す。丁度アパートの中庭は給水棟が連なっていて、男はその陰に隠れた。 ぺトラは男を取り押さえようと給水棟に駆け寄るが、男の手にするサブマシンガンの応射でそれも適わなかった。「大丈夫か、ぺトラ」 無線で担当官のアレッサンドロが安否を気遣う。被弾こそしていないので、ぺトラは大丈夫だと律儀に返した。「ですがこのままでは近寄れません。どうします? サンドロ」 顔を覗かせるたびに鉛玉が飛んでくるようでは、いくら高性能の義体と雖も用意に近寄ることは出来ない。 だがぺトラのそんな心配を他所に、アレッサンドロはやや能天気な声でこう告げた。「あー、それなんだがもう直ぐ上からお姫様が降ってくるぞ」 サンドロの言葉にぺトラは一瞬その形の良い眉根を顰める。だが直ぐに意味を理解した彼女は思わず大声を上げて抗議した。「そんな! 無茶です! 折角ここまで無傷で逃がしたのに!」 男の悲鳴が聞こえたのはそれと同時だった。 ブリジットは少しだけ伸びた髪をなびかせ、アパートの屋上から下を覗き込んだ。見ればテロリストが給水棟の影に立てこもって、相方のぺトラが釘付けにされている。 彼女は担当官のアルフォドに一言告げると、躊躇うことなく屋上から飛び降りた。 取り押さえられた男を後ろ手に縛って、ブリジットが尋問を始めた。ペトラはそれを一歩離れたところで見学している。「仲間は何処?」 知らない! と叫ぶ男に拳が振り落とされる。真っ赤に染まった彼女の手の甲には男の前歯が刺さっていた。「あの爆弾は何処で手に入れたの?」 男がまたもや知らないと叫んだ。ぺトラからするとそれは到底演技には見えず、少しだけ男に同情した。 ブリジットが男の手を握り潰した。 尋問を通り越して拷問になりつつある取調べに、ぺトラは気分が悪くなりこれ以上の暴力を止めようとブリジットの肩に手を置いた。 ブリジットが徐に振り返り、返り血を浴びた顔で「何?」と冷淡に問う。「いや、あのさ、そろそろ止めないと死んじゃうから後はサンドロとかアルフォドさんに任せよう?」 出来るだけ言葉を選び、はははと笑いながらブリジットを止めようとした。 だがブリジットはこちらから確認できる左目を少し歪めただけで、こう言った。「別に? 死ねばいいじゃない。こんな奴」 拳が再び振り下ろされる。男はもう何も言わず、時折手足を痙攣させるだけになった。ペトラはそれ以上関わるのが怖くて、ブリジットから離れた。 結局その尋問はアルフォドたち担当官が到着するまで続けられた。 撤収準備を続ける車の中で、ぺトラは窓の外にいるブリジットとアルフォドのフラテッロを見た。「アルフォドさん、ブリジットのことを叱らないんですね。結局男を殺しちゃったのに」「ああ、まあここだけの話、ブリジットが出てきた時点で生け捕りは諦めてたよ。上はこうなることがわかっていた」 アレッサンドロの言葉にペトラが疑問符を浮かべる。 アレッサンドロはこう続けた。「あの子はな、今では腫れ物のような扱いを受けている。常日頃から暴走状態みたいなものだからな。アルフォドの言うことしか聞かないし、顔も合わせない。まだ無視されないだけお前は好かれてるほうさ」「それがどうして男を殺すことに繋がるんですか」 ぽりぽりとアレッサンドロが頭を掻き、車の天井を見上げた。ブリジットのフラテッロを見れば、既に男の死体を警察に引き渡し、別の車に乗り込もうとしているときだった。「復讐だよ。あの子は義体なのにこの国のテロリストを心底憎んでいる。テロリストを殺すのが生きている意味だよ」 ペトラはますますアレッサンドロの言っていることがわからなくなった。 確かに公社の義体は不慮の事故を覗けば、犯罪被害者の女の子が数多く素体に使われている。だが皆一様に記憶を消されていて、自発的な復讐心は抱いていないはずなのだ。「殺されたんだとよ、五共和国派に友達を。名前は言えないけど仲が良かったそうだ」「本当、クソったれな職場だ。大人だけじゃなくあんな子供までも、怒りの矛先を見失っている」 廻る舞台から約四ヶ月。 夏が本格的に始まり、世間はバカンスに沸いていたころ。 ブリジットという名の少女は自身の復讐のため、公社の狗になることを良しとしていた。 その瞳には、今だ光が戻らない。 GUNSLINGER GIRL ブリジットという名の少女 第二章 第 話 アフターマス 了