内務省が以前から接触していた五共和国派の派閥から接触があったのは十三日の深夜だった。内容はクリスティアーノの所在地と屋敷の間取りを詳細に記した地図が送られてきた。 そして見返りとして、国に拘束されている活動家数名の解放を要求してきた。 要求に応じた内務省は、すぐさま公社にクリスティアーノの拘束を依頼。そして平行して進められるクリスティアーノの子飼いの暗殺者殺害作戦も立案されることとなった。 アルフォドら担当官に届けられた書類はそれら作戦の分担内容のみを書かれたシンプルなものだった。 対ピノッキオの切り札として鍛え上げられてきたブリジットの担当官であるアルフォドに届いた文面にはこう書かれている。 屋敷に突入次第、暗殺者を捜索。早期に殺害すること。尚、トリエラとは二手に別れ、接触した方に応援するものとする。 IL TEATRINO 【ピノッキオとしての生き方】 僕が屋敷に到着したのは十四日の夕方だった。襲撃があるのは明日のこの時間当たりだ。 屋敷は使用人が皆叔父さんに追い出されているからとても静かだった。 僕は大きな鉄門を見上げながら、中へ通されるのを待つ。 アレッシオという使用人の男がクリスティアーノにこう告げた。「旦那様、下にピノッキオが来ています」 自分の仕事机に腰掛、意味もなく新聞を読んでいたクリスティアーノの目が見開かれる。その表情には様々な感情が写されていた。「何故だ。私は明日のことを奴には話していないし、そもそもフランカの所で大人しくしていろと命じたはずだ。奴が私の命令に背くはずなどありえない」「ですが実際にこちらへ来ています。お通ししましょうか?」 クリスティアーノはまるで言葉を失ったかのように口を閉ざした。そして暫く思巡したあと、ようやっと搾り出した。「……ここへ連れてこい」「どうしてここに来た」 僕に向けられた言葉は辛辣なものだった。原作ではここまで厳しく問われていない。やはりズレが生じているのかと、僕は半ば諦めながら予め用意された台詞を答えた。「叔父さんを助けに来たんだ」 ここで返される台詞はよく覚えている。助けは要らないと言われて、それでも僕ことピノッキオは「おじさんが好きだから」と引き下がらない場面だ。 後は適当に押し問答を繰り返して、この屋敷に明日まで居座ればいい。 だが、「今すぐフランカのところへ帰れ。ピノッキオ。ここにいればお前は殺されてしまう」 叔父さんから帰ってきたのは僕が予想だにしない台詞だった。 僕は数秒何を言われたのかわからなかった。だから問う。「……どういうこと? 何で僕が殺されるの?」 自分でも馬鹿な質問だと思った。殺されに来たのにこんな問いを僕は発していた。それだけ、叔父さんの告げたことの意味が理解できなかった。「お前は知らないだろうが私の拘束と同時にお前の暗殺も計画されている。だから今すぐにフランカの元へ返れ。今ならまだ間に合う」 しまった――と僕は思わず唇を噛んだ。 ここに来てズレの意味がようやくわかった。それは僕がトリエラばかりか、ブリジットという義体まで退けてしまったことから生じたミスだ。原作ではさほど目を付けられなかった僕が、今この世界では公社の目の仇にされていてもおかしくない。 つまりトリエラではなく、公社そのものが僕を殺すつもりなんだ。 でも、ここで引き下がってしまっては今日までやって来た意味がまるで無い。「……僕は叔父さんに生きていて貰いたいから。だから帰れないよ」 僕は叔父さんを見据える。もうここからどういう展開になるのか予想するのは難しい。ならせめて、原作に出来るだけ近づける努力をすべきだ。 けれど、「何故……、何故こんな時にお前は私に逆らうんだ!」 僕の努力は呆気なく崩壊してしまった。 頬に衝撃が走った。たたらを踏んで、口の中に鉄の味がしたとき、僕は叔父さんに殴られたということに初めて気が付いた。「どうして……」それは全くの本心だ。頬を押さえたまま、僕は放心したように立ち尽くす。叔父さんは怒りに満ちた目で僕を睨むとこう続けた。「お前が、私の息子だからだ」 僕は一瞬、何を言われたのかわからなかった。「お前は本来、あの一家の生き残りとして正々堂々とこの世を生きていく筈だった。だが我々の身勝手な都合でこちらへ連れてきてしまった。だから私はせめてもの償いとしてお前の父親になろうとした。……結果はどうであれそこに嘘偽りは無い」 それだけを言い放って、叔父さんは僕の前から立ち去った。 何かが、僕の中で壊れていく。 ●「あいつを学校にも行かせてやれなかったし、あまつさえあいつの好意に甘えて殺し屋に育ててしまった。私はこのミラノで名士として市民を守っていると思っていた。だが実際はどうだ、私は幼子だったあいつの未来を閉ざしてしまったのだ」 執務室に篭ったクリスティアーノはアレッシオにピノッキオの境遇を語っていた。「ピノッキオという名も、あいつが本当の名を語れるまでの仮名みたいなものだった。だからこそあいつは私の元を離れて元の名を名乗れるように生きて欲しい。私が死ねば、そこへ少しでも近づくことが出来るだろう」「なのにあいつは私を助けるという。父親になり損ね、殺人鬼に仕立てた私をだ。私はどうすればいいのだろうな」 クリスティアーノの嘆きに、アレッシオは静かに答えた。「なら旦那様。大変差し出がましいようですが、お二人でやり直すことは出来ないのでしょうか。もし旦那様がピノッキオに何もしてやれなかったと言うのなら、これからその分をあの悲しき青年に与えてやれば良いのです。まだ時間はあります」 クリスティアーノは瞳を伏せ、椅子にもたれかった。彼の瞳にはまだ、自分の目の前に現れた息子の姿が映っている。 そもそもクリスティアーノがピノッキオの父親になろうとしたのは、罪悪感でも義務感でもなくただの気紛れだった。 彼は早くに妻に先立たれ、子がいなかった。 チンピラの中でも、下手に位の高い地位にいた為に、家族へ省みるという経験を一度もしないまま、彼は家族を失っていた。 そこに舞い込んできたのは、身寄りを無くし自分と同じ孤独を生きなければならない少年だった。 クリスティアーノはそんな少年を見て、よく言えば極普通に、悪く言えば気紛れで父親役を演じてみようと思ったのだ。 ただ彼の誤算だったのは、 少年の中身がこの世に現実を求められない悲しき人形であったことである。 そんな人形は屋敷の廊下の隅で膝を抱えていた。 ピノッキオの頭の中では未だにクリスティアーノの台詞が渦巻いている。「お前が、私の息子だからだ」 ピノッキオは、何処で自分が間違えたのかひたすら考えていた。 両親と二人の姉が死に、 この世界が作りものの世界であると気が付いた時から、彼はこの世界から一線を引いていた。 だからだろうか。 いくら悩み、頭を抱えても、クリスティアーノの台詞の意味はわかる筈もなかった。 夜が更け、一五日がやって来た。 今日で死んでしまうという体なのに、冷えた廊下は身体に堪えた。