「それにしても意外と分かるものなんだな。もっと禅問答みたいなことをしなければいけないと思ってた。……そもさん」「せっぱ」「出身国まで同じみたいだな。なら一つ問うていいか?」「別にいいけど、こっちはもっと沢山聞くよ?」「構わないさ。……じゃあ聞く。君はいつからそうなった? 生まれたとき? それとも幼少時? 或いはそんな体になってから?」 月明かりの中、己の得物を抜き、異邦者たちは向かい合っている。無線機を手の中に隠し、銃を右手に構える少女と、血のような赤いジャケットを着てナイフを構える男。 「義体になってからだよ。それ以前の記憶はこの体の持ち主を含めて何も無い。強いて言えばこの世界の知識と前の世界での簡単なプロフィールか」「僕とは少し違うな。僕は前の世界での出来事はほぼ全て覚えているし、この世界の知識もそうだ。ただ君と違って生まれたときからこうだった」「原作では語られなかったピーノの半生とかあるわけ?」「ああ。人身売買される前は二人の姉がいる大きな家に住んでいたよ。まあひょんなことで没落したんだけどね」 ははは、と男が笑った。彼は工事関係のコンテナに腰掛けると手にしたナイフを弄び始める。ブリジットはその動きを目で追い続けた。「その無線機を貸してごらん。握りつぶさないように手の中に隠すのも疲れるだろう。念のために聞くけど、音は拾ってないよね」「公社で確かめてきたし、一番聞こえが悪いのを選んだ。向こうには何も聞こえてないよ」 少女がインカムを男の足元に放り投げる。男はそれを躊躇いもなく踏み潰すと、粉々になったそれを少女に蹴り返した。「返すよ」「激しくいらない」 また男が笑う。余程同胞と会えて嬉しかったのか、男は終始こんな調子だった。対する少女は不愉快そうに眉を潜め、溜息を吐いた。「じゃあ今度はこちらから聞くよ。あなたから見て、この世界は何の世界?」「GUNSLINGR GIRL」「俺は何に見える」「公社の義体。でも不思議だな。君みたいな奴はいなかった筈だ。担当官もそうなのか」「多分ね。まあ、描写されていないだけで別のところにいたのかもしれないけど」 それは少女が常日頃から考えていたことだ。原作の誰でもない、自分の知らないキャラクターを演じている不気味さはずっと意識していた。彼女がまた、この世界で自分の居場所があやふやであると嘆いているのもそれが大きな理由である。 彼女は本当に自分が何者なのか、何も知らない。「難儀だな。僕は行動の指針が示されているからね。ここまでの人生とても楽だった。同情するよ」「ありがと」 思ってもいないことを口にし、少女は中腰の姿勢から完全に床へ腰掛けた。もともと人の殺意に敏感な義体の体だから、男から発せられる感情が排他的でないと判断しての行動だった。「あなたは自分がこの世界に来たメカニズムとか知ってる?」「いや。余り深く考えてこなかったからさっぱりだね。でも君みたいな同胞がいるということは何かしらの条件でもあるのかな」「条件?」「詳しいことは何も分からないよ。少なくとも僕たち二人は前の世界で死亡したからこの世界に来れた。けれど生まれたときからこの世界を生きている僕と、義体になってからこの世界に生きている君とでは決定的に違う。だから互いに前世の状況の刷り合わせをしても恐らく役には立たない」 男の投げ遣りな声に少女はあからさまに落胆した。少なからず情報が集まると思っていただけに、尚更だ。「じゃあ最後に一つだけ聞くけど、あなたは私の敵? 味方?」 少女が切り出した質問に男が微笑んだ。そしてそっと恋人に語りかけるようにこう呟く。「味方なわけ、ないだろ?」 月が雲に隠れて、辺りが暗くなる。少女は再び中腰の姿勢に戻り、そっと銃の劇鉄を起こした。引き金に指を掛けて、男の胸元を見つめる。「僕はさ、別に人間らしく生きたいとは思ってないし、自分に自由意志があるとも思っていない。 折角この嘘みたいな世界に生まれ変わったのだから、物語の人物らしくシナリオに沿って生きて死のうと考えているんだ。今回の待ち伏せも君を待っていた。 君は言うなれば原作を勝手に書き換えてしまう編集者みたいなものなんだよ。それは僕に――シナリオを覚えている役者にとって邪魔で仕方が無い」 初撃をかわせたのは奇跡みたいなものだ。飛んできたナイフを空中で掴んで止め、もう片方の手にある銃で二発発砲する。だが二発ともジャケットの弛んだ部分に穴を開けただけで、奴の神がかりなスピードについていけなかった。 二本目の投擲ナイフが、銃を吹き飛ばし橋脚の下――暗い海へ落ちていく。 ピーノの顔が必勝に染まり、大型の軍用ナイフを持って突進してきた。 俺は一歩後退し、反撃の糸口を掴む。「銃声!?」 ブリジットの潜む橋脚から確かにその音は聞こえた。けれどライフルの発砲音ではない。彼女の持つSIGの発砲音だ。「エルザ、見てあれ」 隣にいたビーチェが指をさす。するとそこには月明かりの中、ナイフを構えて突進する男と、背後に置かれたライフルを取り上げ、今まさに引き金を引こうとするブリジットの姿が見えた。 男がブリジットに肉薄する。「吹き飛べ!」 予め薬室に弾を送り込み、引き金を引くだけにしておいたライフルが役に立った。 ピノッキオは完全に虚を突かれて動きが鈍っている。ライフルの銃口は彼の頭に固定されていて、俺の勝利は揺らがない。 なのに。「甘いよ」 俺の放った弾丸は虚空を切り裂くだけで、ピーノに如何なるダメージも与えることが出来なかった。 俺は奴の身体能力を侮りすぎていた。 そうだ。もし目の前の男が忠実にピノッキオを演じているのなら、義体とサシでやりあうなど朝飯前なのだ。 まさに、バケモノ。「くそっ!」 人間業とは思えない体の捻りで必殺の弾丸を交わされた俺は焦っていた。ナイフによる斬撃をライフルのストックで何とかいなし、反撃の隙を伺う。だが、如何せん相手の手数が多すぎて有効な一打が撃てないでいた。 じりじりと後退させられ、遂に橋脚の端に追い詰められる。「よく頑張ったな。大したものだよ」「右手しか使えないくせに……チートも大概にしろ」 ボロボロになったライフルを捨ててナイフを抜く。白兵戦で勝てるなんて毛ほども思っていないが、それでも一度見切られたライフルよりは幾分かマシな筈だ。「僕からしたら君達の方がよっぽどチートなんだけどな。まあとり合えずご苦労さん」 奴が繰り出したナイフを受け止めると、あっさり弾かれてさっきの拳銃のように海のそこに落とされてしまった。ピノッキオが俺の襟首を掴みそのまま持ち上げる。「本当はここで殺してやりたいけど、今回は同郷のよしみで見逃してあげるよ。ただしトリエラが僕を殺しにくるまではもう僕たちに関わるな。次は容赦しない」 一歩、また一歩とピノッキオが歩いた所為で、俺の真下が海になる。俺は奴に突き落される前に声を振り絞って有りっ丈の疑問をぶつけてみた。「お前はそれでいいのか!? 折角この世界で生きているのに、そんな人形みたいな生き方で!?」「無論さ」 手が離され、どうしようもない浮遊感が俺を支配する。 視界一面に仄暗い海面が見えたかと思うと、全身を打ちつけたような衝撃がやって来て俺は意識を失った。 VSピノッキオ。 結果はどうしようも無いほど完敗で、 また奴とは何一つ分かりあえることが無かった。「ブリジット!」 応援に向かおうと急いで橋脚を上ろうとした私の脇を、彼女は真っ逆さまに落ちて行った。大きな水飛沫を上げて、海面に沈み込んだその体は中々浮き上がってこない。「助けないと!」 肩にかけていた銃を捨て、私も海に飛び込む。 まだ冬の気候のメッシーナ海峡の海水は冷たく、義体の私たちでも長時間の遊泳は命取りになる。 私は真っ黒な水の中で沈みかけている、白い腕を思い切り引き上げた。「エルザ! こっちだ!」 ブリジットの担当官のアルフォドさんが橋の下に隠してあったボートから叫んだ。私は意識の無いブリジットを抱いたままボートに泳いでいく。「水を飲んだのか息をしていません!」 私の泣き声にも似た叫びを聞いて、アルフォドさんがボートに引き上げたブリジットの服を引き千切った。両手でブリジットの白い胸元を押し、息を吹き込んで人工呼吸を繰り返す。「外傷は無いんだ。必ず蘇生させてみせるさ」 アルフォドさんが再び息を吹き込み、ブリジットの胸が大きく膨れた。すると器官に詰まっていた水が出てきたのかブリジットが激しく咳き込んで息を取り戻した。「げほっ、あ、アルフォドさん?」 空ろな瞳をさ迷わせたブリジットは目の前にいる担当官の名前を呼んだ。アルフォドさんは自身が着ていたコートをブリジットに被せると無線で上にいるラウーロさんとベルナルドさんに連絡を取った。「こちらアルフォド。ブリジットは無事だ。下手人はどうした?」「はいはい、こちらベルナルド。橋脚の上は物抜けの空です。ただ薬莢三つと幾つかの血痕を見つけました」 多分それはブリジットのものだ。彼女の手の平を見れば大きく切り裂かれていて、血がどくどくと溢れていた。「本部に応援を要請。救急車両も一つ。あと課長に繋いでくれ」 ボートが橋脚の登り場に着き、アルフォドさんに負ぶわれてブリジットが上っていく。 私もその後を追って、橋の上の道路に出た。 海峡の肌寒い風が、濡れた体に響く。ラウーロさんから新しいジャケットを借りて、私は横たえられたブリジットの隣に腰掛けた。 海水で濡れた彼女の肌は白いを通り越してとても青白く、まるで死人のようだった。