折れた腕は全治何週間というレベルだった。幸いだったのは複雑骨折でなかったことと、利き腕とは逆だったことか。 僕は今、潜伏先の田舎のワイン畑で腕の治療に勤しんでいる。片手で格闘は出来るには出来るけど、それでも義体とサシでやれるかと言われれば微妙なところだ。 フランカフランコは捕り物に襲撃されたというのに、まだメッシーナ海峡に掛かる橋の爆破を諦めていない。それどころかここ数日は仕掛ける爆弾製作にお熱で姿を滅多に見せなくなっていた。 僕は大きなクヌギの木の下でタバコを咥えながら田舎の雰囲気を楽しんでいた。 これだけ何も考えずに一日を過ごすのは久しぶりだった。「ピーノ!」 声はフランカが所有するワイン畑で働いている爺さんのものだ。トラクターから手を振っている爺さんの下にいくと、本館でフランカが待っているという。「何でも火急の用事で早く来て下さりたいそうだ。乗せて行ってやるから荷台に乗りな」 荷台に乗り込んで爺さんの言った丘の上にある本館を見る。 これだけ立派なお屋敷を所有するほどお金持ちなのに、テロ活動を止めないという事はその復讐は余程深いところにあるのだろう。 如何せん、僕には理解できない話だ。「橋の爆破は橋脚の一つに済ませるわ。実際に壊さなくても示威行動だからそれで十分ね。計画は三日後よ」 屋敷の一番広い部屋に招かれた僕はテーブルに載せられた計画書に目を通していた。原作では有耶無耶になったままのテロ計画が遂行されるあたりズレは大きなものになっている。「シチリア島からボートに乗って橋に近づく。爆破自体は俺とフランカでやって、お前はその護衛だが……出来るか?」 フランコが僕の折れた腕を見て言う。僕は即答せずに、少し時間をくれと言った。それは以前から温めていたプランを実行するかどうか決めるためのものだ。「君たちを守ること自体は吝かでないんだが、一つ試したいことがある」 僕の提案に「何だ?」とフランコが食いついてきた。この男の警戒心もあの襲撃の日から大分薄れてきたように思う。 結局僕は、その以前から温めていたプラントやらを話すことにした。「この計画はもう一つ別のグループが政府に対して脅しを掛けるんだろ? ならこの前の襲撃を見ての通り、そのグループは政府に目を付けられている可能性が非常に高い。要するに俺たちが爆破しようがしまいが計画の日程は割れていると考えたほうが良い」「心配はいらないわ。向こうに連絡して日程を変えたのが三日後よ。本当は八日後だった」「なら計画を八日後に戻してくれ。僕がやりたいのは計画の是非ではない。もっと違うことだ」「どういうこと?」 フランカフランコには悪いけど、僕は橋の爆破にはてんで興味が無い。叔父さんの進退が掛かっている計画でもあるけど、原作のピノッキオ程忠誠心を抱いているわけではないのだ。「噂の公社の殺し屋を罠に嵌めるんだ。僕は護衛ではなく、鼠捕りの捕り器になる。君たちが計画を遂行しようとすれば間違いなく出てくるだろう。君たちは公社の情報が少しでも欲しい筈だ。ならこちらから手に入れてやろうじゃないか」「つまり私たちを囮に公社の人間を捕まえるなり拷問して情報を得ようというの? 馬鹿馬鹿しい。リスキー過ぎるわ」 そう言われるのは予想済みだ。だから僕は最後のカードを切る。「どの道八日後にずらしても多分バレるよ。こっちの組織も一筋縄ではいかなくてね。叔父さんの敵は多い。叔父さんの行動は公社に筒抜けだ」「公社と繋がっている人間がいると言うの?」「ほぼ間違いなくね。目立った行動を起こしていないのに僕は公社にマークされていた。叔父さんの失脚を狙った奴が情報を流したんだ。幸い、ここの潜伏先を知っているのは叔父さんだけだから、まだ公社は把握していないと思う。叔父さんは今回のことに懲りて周りには話していないそうだから。で、さっきの話に戻るけど、僕たちがどう足掻いても計画は何処かしらか公社に流れる。下手をすればこちらが全滅するだろう。それならまだ気が付かない振りをして公社を待ち伏せするほうが建設的だと思うんだ」 最終的に僕の提案は受け入れられた。ただし計画は三日後から変更しないという条件付で。フランカはもう一つのグループを態々見捨てるような真似はしたくないらしい。 復讐の根は深い割りに、彼女は他人に優しすぎると思う。 それが僕たち三人の破滅に、やがて繋がるんだけど、僕は敢えて何も言わずにいた。「先日公社が逮捕した活動家の持っていた資料から、メッシーナ海峡大橋の爆破計画の日程が判明した。三日後の深夜だ」 担当官が集まった会議室。ジャンがホワイトボードに書類を貼り付けながら概要を説明する。「我々に活動の計画をリークしている人物からの情報とも一致する。よって政府から出動が命じられた」「ちょっと待ってくれ、ジョゼ。この資料を見る限り、出動する義体がブリジット、エルザ、ベアトリーチェとなっているが幾らなんでも少なすぎないか? GISにも応援を」「内閣は今回の爆破計画を通じて戦う内閣を演じたがっている。ある程度は好きに躍らせるつもりだ。それに軍内部からの五共和国派への武器密輸の取り締まりも同時に行われる。多くの人員はそちらに割きたい」 アルフォドの疑問にジョゼが答える。アルフォドは悪態を吐きながらもこれといった反論材料がないのか、渋々と椅子に腰掛けた。「ブリジットは狙撃能力を活かして橋脚塔の屋上から狙撃待機。ベアトリーチェは爆弾の発見に、エルザは遊撃に回っても貰う」 各員解散が命じられて、メッシーナ海峡大橋護衛班、武器密輸取締班に分かれていった。 アルフォドは何とも人の少ない護衛班を見て、溜息も隠そうとはしなかった。「それにしても政治演目に利用されるとはついてませんね」 ベアトリーチェ 通称 ビーチェの担当官であるベナルドがその独特の軽い雰囲気で笑って見せた。それに対照的なのは目に隈をこさえたエルザの担当官、ラウーロとブリジットの担当官、アルフォドだ。「まあカラビニエリ(軍警察)時代から利用されるのは慣れてるよ。唯、あの子たちまで巻き込むのは忍びない」 そう言ったアルフォドの視線の先には、今回任務を共にすることとなった三人の義体たちが合同訓練を行っている。エルザとビーチェの射撃訓練にブリジットが付き合っている感じだ。「アルフォド、ブリジットが持っているのはM14か?」「ああ。MP5じゃ威力不足だろうということになってな。MP7を注文したからそれが届くまではあれを使ってもらうよ」「万能なんだな。お前の少女は。エルザにも見習わせたい」「エルザも頑張ってるさ。安定してるんだろ? 最近は」 エルザを背後から抱きすくめ、ブリジットが射撃の指導をしていた。最近はよく見られる光景だ。「ブリジットに懐いてるからな。事あるごとに彼女の後ろについてるよ」 射撃訓練場での合同訓練。以外にもこれがビーチェとの初邂逅である。 ビーチェは赤い髪を切りそろえた可愛らしい義体で、鼻がよく利き特に火薬類を見つけるのが上手い。担当官はベルナルドという少し変わったオッサンで、他の担当官とは大分違う雰囲気を持っていた。「ブリジット、撃ち終わったわ」 因みにこのビーチェ、口数の少なさではエルザといい勝負で、必要なときしか声を発しない。訓練場でもベルナルドが一方的に喋って、ビーチェは聞いているか聞いていないのかよく分からない反応を示していた。「ああ、うん。よく出来てる。凄いよ」 原作では余り目立たなかった(一部除く)彼女だが、地味にそのポテンシャルは俺の知っている義体でもトップクラスにあるように思う。射撃も遠距離でなければ俺と異色無いし、格闘では多分俺が適わない。「ブリジットは今回狙撃を担当するのでしょう? 訓練しないの?」 ビーチェに問われて俺はアルフォドに振り返った。俺の意図を察したのか、他の担当官と談笑していた彼はここまで乗り合わせてきた車から大きなガンケースを持ってきた。あの様子だと、周りが帰った後にこっそりと訓練しようと考えていたのかもしれない。「本当は君にプレッシャーを与えたくないから、人目のつかない所でやらして上げたかったんだけどな」 アルフォドからガンケースを受け取り、中から狙撃銃を出す。アルフォドはレミントンと言っていた。 エルザがひとっ走りして、500m先に水を入れたペットボトルを五個置いてきた。風の強さを考えても中々やり応えのある的当てである。「ブリジット、やりなさい」 アルフォドの号令を受け、マガジンを差し込みボルトを引く。ライフルを構えて寝そべり、スコープを覗き込んだ。「一つ目、クリア」 引き金を引きペットボトルが弾けたのを見て、再びボルトを操作する。空薬莢が排出され、次弾が発射可能になった。「二つ目、クリア」 後はそれを四回繰り返すだけだ。風の流れとコリオリの力を弾道計算に入れて引き金を引いていく。今の俺に求められるのは命中することも勿論だが、何よりスピードだ。「凄げえ。何だこれ」 俺が五回目の挙動を終えたとき、ベルナルドが漏らした。見慣れたアルフォドとラウーロ、エルザは何も言わないが、ベルナルドビーチェ組は素直に驚いている。「GISでもこんなスナイパーいねえよ。何処で覚えさせたんだ?」「彼女の才能だ。余り詮索するな」 興奮するベルナルドを押しのけて、アルフォドが面倒くさそうに応対していた。俺はライフルからマガジンを引き抜いて、薬莢を排出していた。久しぶりで少し心配だったが、無事に狙撃を終えることが出来た。「格好良かったよ、ブリジット」 エルザが抱きついてきたので、そのまま抱きかかえてやる。 ただメッシーナ海峡に先ず現れるだろう奴のことを考えていると、そう喜んでもいられなかった。 三日後、深夜。メッシーナ海峡大橋、橋脚上。 灰色の迷彩シートを被り、工事備品の隙間から俺は橋脚を見張っていた。ライフルをハイポッドの補助で構え続け既に三時間が経過している。ここからなら橋の上の道路に止められた工事車両の陰で警戒を続けるエルザとビーチェの様子がよく見えた。 動きがあったのは二十四回目のアルフォドへの提示報告を終えた辺りだ。俺は背後の気配を確認し、静かに襟元のインカムを握った。これなら多少話しても声は向こうへ届かない。 奴は月明かりの中、血のような色のジャケットを着ていた。「驚いたな。もっと反撃されると思った。いつから気づいてたの?」奴の声は何処か楽しそうな声色を含んでいる。そしてそれに返す俺も多分そのような声色なのだろう。「ここに来たときから。ブルーシートの中で三時間も待機とかMなの? あなた」 俺はライフルを床に置き、懐から拳銃を取り出した。奴も襟元からナイフを取り出しこちらへ見せ付ける。「正直さ、トリエラの様子でおかしいと思ったんだ。元の彼女を知っているのならこの違和感は直ぐに気がつく」「私もあなたが骨を折られたと聞いて同じ事を思った。この世界のトリエラは前に比べると弱体化している。それなのにあなたは不覚を取り左腕を失った。ならこの世界のピノッキオはイレギュラーだと考えるべき」「僕はヒルシャー辺りがおかしいと思ったんだけどな。でも今日ここで君を見て確信したよ」「私も確信した」「君は」「あなたは」「「俺と同類だ」」 冬があけても肌寒いメッシーナ海峡で、俺は彼に出会った。