昼食を終えて、コーエンが残したメモに載っていた住宅の聞き込みをしていた。 するとちょうどその家の前で、バスケットを持ったまま立ち尽くしている少女を見つけた。これは絶好のカモと見た私は声を掛けてみることにした。「ねえ、貴方はこの家の子?」 驚いた少女が一歩身を引いた。私はこれ以上警戒されぬよう出来るだけ笑顔を取り繕って彼女に続ける。「それともこの家にお使い?」 少女がこくりと頷いた。私は尻ポケットに収めていた盗聴器を手に取る。「へえ、偉いね。ところでさ、マッシーモという人を探しているんだけどこの住所はここであっているよね」 少女に調べた住所のメモを見せ、口から出任せの名を言ってカマを駆けてみた。 これで恐らくこの家に住んでいる人間の正しい名が割れる。「住所はここであってるけど……この人は知らない」「じゃあ誰が住んでるの?」「ピーノ」 ビンゴ、と内心手を叩いた。 私は女の子に礼を一つ告げて彼女の肩に手を置く。ちょうどフードで隠れるように盗聴器を仕掛けた。これで彼女がこの家を訪ねるものなら詳しい内情が探れるはずだ。「わかったわ。いろいろありがとう」 女の子に手を振って私はヒルシャーさんの待機する宿屋で小走りで向かった。 笑顔で去っていた女の人はとても美人だった。 ああいう人を見るたび、美人は人生得していると思う。「私もあんな風に美人なら、少しはピーノに相手してもらえるのかな」「ヒルシャーさん、やっぱりあの家は怪しそうです」 望遠鏡で家の様子を伺っているヒルシャーさんがこちらに振り返る。「誰が住んでいるのかわかったか?」「近所の子と思われる女の子はピーノと呼んでいました。どうやらあの家に用があるようなので盗聴器を仕掛けましたが」「ピーノ……わかりやすい名前だな」 コーエンが調査していた男の名前は「ピノッキオ」 なる程、「ピーノ」とはとてもわかりやすい。「いよいよ二人じゃ厳しくなってきたな……。フィレンツェ支部の応援は数時間かかるぞ」「早く決めないと女の子が危険では?」 自分で盗聴器を仕掛けておきながら随分な言い草だが、それでも心配しないよりはマシだと思う。 私は早い突入を提案したがヒルシャーさんに却下された。「中に何人いるかまだわからないんだ。もう少し様子を見よう」 アウローラは意を決してピーノの自宅に入り込んだ。 知らない女性に話しかけられて不安になっていたのと、引越しする前にぜひもう一度話しておきたいという乙女心からだった。 玄関の鍵は開いていて、容易に中に進むことが出来たが辺りを見回しても人影らしきものは見当たらなかった。「ピーノ?」 名前を呼んでも返事はない。 ふと玄関から入って左手を見ると、ドアの隙間から地下に続いているらしい階段が見えた。 もしかしたら下にいるのかもしれないと、アウローラは恐る恐る階段を下っていった。 予想通り地下室はあった。けれどもピーノの姿は見えない。 少しがっかりしたアウローラは手にしていたバスケットをテーブルの上に置いて辺りを見渡した。すると同じテーブルの上でそれを見つけた。「鉄砲?」 手に取ってみると黒光りするそれはとても重たくて、玩具には見えなかった。 何だか怖くなったアウローラは慌ててそれを元の場所に置こうとするが、その動きを遮るように怒鳴り声が聞こえた。 少女の殺し屋の噂は前から聞いていた。 だからふと地下室を覗き込んでその姿を見たとき、フランカは銃を構えこう叫んでいた。「銃を下に置け! 噂の公社の殺し屋か!?」 咄嗟に怒鳴られてアウローラは体が固まった。 そして金髪の女の人が自分に向けている銃を見て思わず悲鳴を上げた。 その間が命取りだった。 背後から伸びてきた大きな腕が彼女の右手を掴んだかと思うと、そのまま捻られる。痛みで銃を取り落とし、彼女は地面へ打ち付けられた。横目で何事か、と状況を伺うと見知らぬ男が自分を締め上げていた。「こいつは誰だ?」 男が女に問う。女が知らないと答えている間にもアウローラは出来る限りの抵抗を見せた。だが如何せん子供の腕力では到底適わなかった。「いや! 話して!」 アウローラは混乱していた。ピーノにパイを届けに来ただけなのに、何時の間にか見知らぬ男女に拘束されて床に転がされてしまっているのだ。 遂には泣き出してしまい、今度はその場にいた男女が困惑し始めた。「これが公社の殺し屋か?」「わからないわ。今はとにかく縛っておきましょう」 男がアウローラの着ていたパーカーを剥ぎ取り、そのまま腕を縛り上げた。女がポケットからハンカチを取り出すと、近くに転がっていたロープを使って猿轡代わりにする。「んー! んー!」 少女が声にならない叫びで助けを求めた。 男が床に転がったスコーピオンを拾い上げ、女が少女の持ってきたバスケットの中身を覗く。 そんな時、少女の救世主と言うべき声が階段のほうから聞こえた。「何をしているんだ」 アウローラは表を上げ、その声の主に縋るように呻いた。男女が振り返り男の名を呼ぶ。「どうして僕の言うことを聞かなかったんだ? アウローラ」 しかし彼は非難染みた視線を向けただけで、一向に助けようとする素振りを見せなかった。 「どういうことピノッキオ? 説明しなさい」「ただの近所の子さ」 縛り上げたアウローラを覗き込みながら僕は答える。フードを少し捲ってやると、原作と同じで盗聴器が仕掛けられていた。 これで半ば僕の目論見は成功したことになる。 もちろんフランカフランコに気づかれぬよう、そっと裾を戻した。「幸いかどうかわからないけれど公社の殺し屋じゃないのね」 問題はここからだ。恐らくフランカはこのままアウローラをどう扱うのか問うてくるだろう。原作で僕は殺すと答え、盗聴しているトリエラを煽る形になっていた。 結果的にはフランカの反対で何もしないのだけれど、少なくともこの会話がトリエラ襲撃イベントの発動キーになっていることは間違いない。 そして原作通り、フランカはアウローラの処遇について話し出した。「で、この子は如何するの?」 これは選択のときだと思う。確かにこのまま殺すといえば、僕の信情である原作再現を達成できるだろう。始めは少なからずトリエラ襲撃イベントに怯えていたものの、公社側の人間に会ってみたいという欲望も無視できないし、何より原作を見ていればこの時点でトリエラに負けるはずがなかった。 盗聴器の向こう側でトリエラが息を呑んだような錯覚を覚える。 彼女は全てを聞いているのだ。「顔を見られたから殺す。それだけだ」 ナイフを抜き、アウローラの首元に押し付けた。これで後戻りは出来なくなる。 フランカが殺すのはやりすぎだと言って、僕の意見を否定する。 出会いのときは着々とカウントダウンが刻まれていた。 突入は半ば強行に主張した。 最後のほうは雑音が酷くて会話がよく聞き取れなかったけど、女の子が捕まってしまったことだけははっきりしている。 私が突入を頑なに提案した理由は二つ。 一つ目はやはりこちらの都合で利用した女の子の安全を必ず確保したかったこと。 そして二つ目は……「トリエラ、どこか側面の窓から入って暖炉のある部屋を目指せ」 煙突から煙が出ているのを見てヒルシャーさんがそう指示する。恐らく証拠の隠滅でも図っているのだろう。「僕は女の子を捜す」 ヒルシャーさんと別れ、裏手の窓に回った。中を注意深く覗くが人影はない。 そのまま中に踏み込んで、一つ息を吐く。 ブリジットは気づいていないようだけれど、彼女が現場でよくやる癖だ。 最近私の中は彼女の影が支配している。「……行こう」 私が突入を提案した二つ目の理由はこれだ。 私は彼女ならこの場合どう行動するかを考え、その通りに振舞ってみたのだ。 先程の彼女からの電話のお陰だと思う。 私は遠くで年少の子達の面倒を見ているであろう彼女を思い、目的の部屋を目指した。 証拠の書類やCDROMを燃やす火を、僕は眺めていた。 もう後数分もしないうちにここへトリエラがやってくるだろう。けれども不思議と緊張というものが湧かなかった。 暖炉を操作するフランコは「フランカに従うのが俺の流儀」だと話していた。 僕はタバコを咥え、何かがここへ近づいてくる気配を感じていた。その時は近い。「動くな! パダーニャ!」 この震えは歓喜かそれとも恐れなのか。 待ちに待った声が聞こえたとき、僕は思わず笑みが零れそうになった。ナイフを構え、その姿を見定めたとき彼女の凛々しさと美しさに驚嘆した。 ウィンチェスターの銃口がこちらへ向けられ、トリエラが武器を捨てろと吼える。 僕はナイフを少し離れた床に突き刺し、ことの成り行きを楽しもうと思った。 武器を捨てさせ、次は床に伏せろ、と命令したとき若い方の男が動いた。 一段高いところにいる私から死角になるように、壁に向かって走ったのだ。床に刺さっていたナイフを掬い上げる男に、私はウィンチェスターを向けるが、壁の角に阻まれて射角が足りなかった。 男がナイフを投擲する。咄嗟にウィンチェスターでガードするが更なる男の接近を許してしまった。「先に逃げろ、後から行く!」 もう一人の男が背中を見せたので慌ててそちらを見やるが、ナイフ男の所為でそれは適わない。 彼は私のウィンチェスターを蹴り上げ、ナイフを突き出してきた。「くそ!」 何とかそれをかわし、私も拳銃を構え応戦しようとした。短剣を抜く暇がないと判断してのことだったが、しかしこれは致命的なミスだった。 早い! 男が瞬きをする間もなく懐へ飛び込んでくる。銃の完全な死角だ。 私はノーガードもいい所だった。 でもその様子を確認したとき、冷静になった頭で先程の電話が思い出された。 ブリジットは何と言っていた? 前へ前へ、と向かっていた体が自然と後退する。そしてブリジットが言ったとおり私は出来る限り大股で体を引いた。 ちょうど鼻っ面の先を男の掌低が通過していく。「!?」 初めて男の顔が驚愕に歪んだ。 ざまあ見ろと、私は笑みを浮かべていた。