コートを着た彼女の背中は大きそうに見えて、意外と小さい。 流れるような金のツインテールがひょこひょこ動いていて、思わず手を伸ばして触りたくなる。 これが平時の時ならその健康そうな褐色の肌とあわせてご堪能していた所なんだけど、如何せん今はタイミングが最悪だった。 何故なら……、「くそっ! 公社の悪魔共だ! あいつらもう嗅ぎつけやがった!」 銃声と怒声がが前から聞こえた。俺も手にしていたMP5を構え戦闘準備を整える。けれど、出番はなかなかやってこない。 旧式のショットガンを振り回すツインテールの少女を見て、自分があまり役に立っていないことに気がついた。「あーあ、早くクリスマス(ナターレ)にならないかなあ」 俺のやる気のない嘆きは、銃声にかき消されて誰の耳にも届かなかった。「トリエラ、その壁の向こう……そうその壁。それをウィンチェスターで撃ち抜いて見て。面白いことになるよ」 俺はMP5を片手で持ちながら先行していたトリエラにこう言った。彼女はこちら側を一瞬だけ見ると、意図を察したのか何のためらいもなく引き金を引く。 モルタル材が弾けとび、複数の鉛球が壁を貫いていった。「ああああああああ!」 聞こえたのは断末魔。散弾の雨を壁越しに浴びた哀れな男が扉を突き破って出てきた。全身血塗れで所々が欠損しているがまだ息はあるらしく、鬼のような形相で俺達を睨みつけてきた。 俺はトリエラを後ろに下がらせると、MP5を構えてその男の眉間に照準を合わせる。「そこのおじさん? 何か言い残したいことはある?」 男が拳銃を構える気力もない事を知って、俺は飄々とした口調で言いのけた。我ながら中々外道だと思う。だけれども少しの慈悲は含んでいるので、男の遺言を素直に聞いてやろうとしているのも事実だ。 ただ、男の一言は遺言などという生易しいものじゃなくて、俺達に対する呪詛の言葉だった。「この、悪魔どもがっ!」「そう……」 血と共に吐き出された言葉に、俺は引き金を引くことで答えた。男の眉間が吹き飛び、脳漿を撒き散らしながら倒れこむ。盛大に返り血を浴びた俺は、トリエラに小突かれて移動を促されるまで銃を構えたまま固まっていた。「ちょっと大丈夫? 顔色悪いよ」「いつもの事だよ。ああいうのを聞くとどうしても体が言うことをきかなくなる」 俺は心配そうに顔を覗き込んでくるトリエラを制して、襟元に取り付けたピンマイクを手に取った。簡易無線機に繋がったそれは外界と連絡をとる唯一の手段だ。「もしもし? アルフォドさん? 二階の掃討が終わりました。アルバニア人はいません。どうやら外れのようです」 返答は耳に取り付けられたイヤホンから聞こえる。向こうから聞こえる声は条件付けされた俺の心を安心させ、ある一定の充足感を与えた。「あー、あー、こちらアルフォドだ。良くやったな、ブリジット。お手柄だ」「いえ、頑張ったのはトリエラです。私は止めを刺しただけです」「はは、ならトリエラも褒めないといけないな。……ほらヒルシャー、労いの言葉でも送ってやれ」 見ればトリエラも俺と同じように耳元のイヤホンから音声を聞いていた。あの様子ならヒルシャーから何か言われて、どう反発しようか考えているのだろう。 この時点では後のベタ惚れが嘘のようにドライだから当然といえば当然か。「で、ブリジット。息のある奴はいるか? 出来れば正しいアジトの答えを聞きたいんだが」 トリエラ観察に水をさしたのはアルフォドだ。この担当官は中々に優秀だと思うのだが、少しばかり配慮というものが掛けている。褒められて直ぐに仕事の話をされるとどうしても白けてしまうのだ。 だが、担当官の質問を義体の俺が無視できるはずもなく、強制的に応対させられてしまう。まあ別に構いやしないが。「一人手足を切りつけて縛り上げた奴がいます。そいつに聞いてみましょう」「ああ頼むよ。俺達も直ぐ上がる。少し待ってなさい」 無線が切られたのを確認して、俺はMP5を背負った。皮手袋を着けた拳をぱきぽきと鳴らし、縛り上げた男のいる部屋に向かう。「さて、精精あの二人が引くぐらいにボコりあげますか」 声にならない悲鳴、もちろん噛まされた猿轡の所為だが、男が何とか逃れようともがき倒す。俺はその男を床に引き倒し馬乗りになった。 そして拳を振り下ろす。 いつの間にか暴力を行使することに何ら違和感を覚えることがなくなっていた。しかしこの世界、この時間軸、この立場ではそれは当たり前のことだと、ここのところ割り切り始めている。 だってそれもその筈、「GUNSLINGERGIRLの世界じゃ仕方ないよなあ」 再度の呟き兼嘆きを聞いたのは、何度も顔面に鉄拳を打ち付けられている哀れな男だけだった。 数ヶ月前。「拉致監禁の上での自殺未遂ですか?」「はい、どうやら犯人グループによる性的暴行と虐待を日常的に受けていたようで…… 隙を見て四階から飛び降りたそうです」 「いいとこのお嬢さんなのに残念だ」「全くです。で、この娘はお宅の――公社が引き取るんですか?」「ええ。此方の社会復帰プログラムで回復させます。勿論国のお墨付きですよ」「それは心強い! 彼女の将来に関して我々は最早無力です。どうか彼女を助けてやってください」 アルフォドは任せてください、と言い掛けてその口を噤んだ。 どれだけ唇を動かそうとしてもその一言が出てくることはない。 クリスマスの翌日、良く冷えた雪の日のことだった。 自分の死因なんて覚えていない。 オタで引きこもりだった自分のことだから不摂生が祟って病死でもしたか、火事に巻き込まれたか、それとも家に押し入ってきた強盗に殺されたか―― どちらにしろ碌な最後じゃなかったと思う。だから神様が用意してくれた次の人生だとその時は思った。 ふと意識すれば、長い間感じることのなかった四肢の感触が蘇り、血の巡りが体を支配する。 目を開けるまでは一瞬だった。気だるい感触と肌寒い気がしてついでに吐き気のトリプルパンチ。頭のどこかでは蘇るのってとても辛いことなんだなとか、間抜けなことを考えていた。 医者なのだろうか? 白衣を着た眼鏡の男が俺の顔を覗き込み、今度は白衣すら着ていない優男風の外国人が俺の前に立った。「ブリジット、どんな気分だい?」 医者じゃないほうの男が問う。当たり前だが現代日本で引きこもっていた男の俺が、そんな滑稽な外人さんの名前なわけがなく、暫く誰のことかわからなかった。 だが何となく俺に聞いているんだな、と判断した俺はごく自然に今の気分を答えた。「さいあく」 ベッドで眠り続ける裸の少女は、前に見たときとは別人そのものだった。身長はそのままだが夕焼けの様な赤毛は、夜空のような美しい黒に変わり顔立ち事態が幾分か大人びた雰囲気になった。 ここまで変わってしまってはいくら近親者でも、もう彼女を彼女だと識別できることはないだろう。 彼女は自殺未遂の少女から公社の犬としてテロリストどもを狩りとっていく義体と呼ばれる少女となった。 正直俺はこの少女の担当官になることは乗り気じゃなかった。 理由は単純明快だ。 彼女に対して、どう足掻いても同情の念しか沸いてこないからだ。裕福な家庭に生まれて教養を持って育ち、幸せなこれからを約束されていたのに、身代金欲しさに外道に走った誘拐犯に拉致され強姦されて、自殺しようとしてもそれすら適わなくて、汚された、汚れたといって家族からも見捨てられて、 挙句の果てには死ぬまで誰かを殺し続けなくてはいけない義体に知らないうちに改造されて、 涙腺の脆い俺は彼女の生い立ちとこれからを考えるとどうしても涙ぐんでしまう。医師の話によれば義体になる前の記憶は洗脳によって消去されているらしいが、全てを知っている俺としては彼女にかける言葉が見つからない。 ふと、視界の端で彼女の睫が震えた。 近くに待機していた医師が慌てて立ち上がり、彼女の脈を取る。どうやら覚醒が近いようで彼女の顔を覗き込んで何か声をかけた。 俺は彼女のベッドの前に立ち、彼女が目覚めるのを待つ。 そっと、長い睫が開かれた。 虚空を映す黒い双眸はまるで故郷のシュバルツバルトの森のようだった。 俺は彼女の名を添えて、一つだけ質問をした。「ブリジット、どんな気分だい?」 ブリジットはまだ意識がはっきりしないのか、ぼおっと俺の顔を見つめていた。やがて口を開く元気が出たのか、形の良いピンクの唇がわずかに開かれた。「さいあく」 突然のことに面食らう。そして、自然と笑いがこみ上げて来た。なんということだ。これまで義体の覚醒の瞬間に立ち会ってきた担当官は何人もいるが、最悪と罵られたのは俺が初めてだろう。「さむい」 裸の体を隠すようにして身を捩るブリジットを見たとき、俺は何か可愛らしい服を買ってやらないといけないなと思った。 俺がGUNSLINGERGIRLの世界に転生したと気がつくのにそれ程の時間はかからなかった。義体という単語と、ここがイタリアであることだけでも十分な証拠になるのに、公社の宿泊施設でのルームメイトがトリエラで、初めての模擬戦闘の相手がリコだったことからそれは言い逃れようのない事実だった。 原作にはいない(知らないところにいたかもしれないが)ブリジットという少女の体。 そして頭の中にいつの間にか叩き込まれている戦闘に関する知識云々。何より蹴り上げたリコの体が吹っ飛んでいくこの怪力――、 改めて、悲劇の物語の登場人物になったことを痛感し苦悩する。 これから沢山の人を殺していかなくてはならない。 これから沢山の人が死んでいくのを見ていかなければならない。 これからの行動方針を考えるほど、頭に余裕がない。 それでも折角始まった第二の人生だから、少しだけ頑張って見ようと思う。 今日もアルフォドという俺の担当官から貰った薬と菓子を口に詰め込んで一日を過ごす。 冬も開けて春が見え始めたミラノは大変過ごしやすかった。