「ピーノ!」 通りを歩いていた少年が振り返る。彼は気だるそうに声の主がこちらへ走ってくるのを待った。 端正な顔たちをした、十分美人と言える少年だった。 少年は声の主の名を呼んだ。「アウローラ……」 アウローラと呼ばれた少女が嬉しそうに笑う。彼女は御使いにでも出ていたのか、食材の入った紙袋を抱えていた。「今帰りなの?」 少年は「うん」と一つ頷き、そのまま通りを歩き始めた。アウローラはその後ろをとてとてとついていく。「うちのお母さんがね、ピーノがそろそろ帰ってくるだろうってお肉を沢山買い込んでいたよ」「近所に住んでいるだけだから、そんなのことしなくてもいいって言っているのに……」 面倒くさそうに応対する少年の事は少しも気にならないのか、アウローラは相変わらずにこにこと笑ったまま続けた。「ピーノがかっこいいからだよ。かっこよければそれだけで人生得するのよ」「かっこいいか、まあこの容姿が役に立つところに生まれれば良かったのかな」 少年は通りの十字路でアウローラと別れた。そしてその後、とくに何をするでもなく彼女の姿が見えなくなるまでその背中を見守っていた。 少女が消えた後、少年は静かにタバコへ火をつける。 それは四日前の出来事だった。 セーフハウスに帰ってきた僕は偶然その男に出くわした。出で立ちはいかにも空き巣風だったけど、躊躇無く特殊警防で殴りかかってきたから多分警察か何かの工作員だろう。 殺した男の死体をいろいろ弄ってみるけれど、流石に身元が割れるようなものは何も携帯していなかった。 僕は夏が近いということも考慮して、死体を冷蔵庫で保管することにした。「身元はわからないけれど、このイベント自体はおそらく公社との接触か……。不味いな、近日中にトリエラがこいつを探しに来るぞ」 何も考えずに殺してしまったことを悔やみながら、僕は死体を残してセーフハウスを変える方法を模索していた。 このままここにいるとフランカフランコを迎えた上で公社の襲撃に会うことはわかっている。 けれども叔父さんにセーフハウスを変える良い言い訳が見つからない。死体を作ってしまったと言ってもあの人のことだ。きっと始末屋か誰かを呼んで処理するように命じてくるに違いない。 結局襲撃に会ってからでしか、セーフハウスを変えるきっかけが見つからなかった。「はー、最近何も考えずに過ごしすぎたか」 タバコを咥えながら、僕は冷蔵庫の前に腰掛けた。前の世界――日本じゃ到底考えられなかったけれど、死体に慣れてしまった今じゃそれ程嫌悪感も湧かない。 僕は天井を見上げため息をつく。 そして思わずこう口走った。「この世界――GUNSLINGERGIRLの世界じゃ仕方無いのかな」 言って、現実感がまったく湧かないことに苦笑を禁じえなかった。 袖口やポケットの中に幾つものナイフを忍ばせているけれども、それは僕の知っているピノッキオという人物をなぞったからで必要に駆られてやったわけではない。 僕は、ある意味でこれからの生き方を見失っている。「ピノッキオ?」「ああ、クリスティアーノが飼っている凄腕の殺し屋らしい。木の人形じゃないぞ」 オープンカーに乗り込んだ男女二人はモンタルチーノを目指していた。 彼らの雇い主であるミラノの名士、クリスティアーノが紹介した殺し屋はそこに居を構えているらしい。「どんな男なのか気になるわね」「ああ」 特に思い入れもないのか、気のない返事しか返さない男を女はサングラス越しに睨んだ。「相変わらず張り合いのない男ね」 それは一本の電話だった。「久しぶりだな」 死体を背に、転寝をこいていたら電話が鳴った。慌てて出てみると予想通り叔父さんだった。正直この呼び方は余り好きじゃないけれど、僕の知っているピノッキオはこう呼んでいるのだから仕方がない。 僕は燃え尽きたタバコを拾い上げて、電話口へ耳を傾けた。「ブルーノから連絡があった。リヴォルノではご苦労だったな」「いえ、楽な仕事でした。……ところで叔父さんはフィレンツェで大変だったようですね。僕がいれば良かったのに」「そうだな。数が増えても質が落ちてきている。それで立続けにすまんがまた仕事を頼まれてくれないか」 来た、と思った。僕は襤褸を出さないよう、叔父さんが言うことを黙って聞きことにした。「これからプロの活動家がお前のところを尋ねる。名はフランカとフランコだ。暫く面倒を見てやってくれ」「わかりました。任せてください。それと……一つだけいいですか?」「何だ」 僕は叔父さんに死体のことを話した。自分の周りが嗅ぎまわれていて、思わず下手人を殺してしまったこと。死体は処理せず保管していること。 それとなくセーフハウスを変えるように仕向けたつもりだけど、フランカフランコが向かっている最中だからそれは出来ないと断られた。 そして予想通り、始末屋のブルーノが死体を取りに来ることになった。「しかしその場所が割れているとなれば、早いとこ引き払うに越したことはないな。この仕事が終わったら新しい場所を設けよう」 どうやら話を聞く限り、フランカフランコと合流すれば別にこのセーフハウスにこだわる必要はないらしい。叔父さんに礼を一つ言うと、僕はそのまま電話を切った。 今度は死体の入った冷蔵庫ではなく、ちゃんとしたソファーに腰掛ける。 新しいタバコに火をつけて窓の外を徐に眺めた。 原作通りならもう直ぐそこまでフランカフランコが来ている筈だ。 もう暫くだけ、このまま窓を眺めて過ごそうと思った。