ヒルダに餌をやっていたら、アルフォドがやって来た。 彼は私を部屋から連れ出して、仕事の予定が入ったことを伝えた。「ヘンリエッタ、ジョゼ組から応援の要請だ。リコ達は既に現地入りしているから、俺たちはトリエラ組と共にローマに向かう」 アルフォドの説明を聞いて、俺は原作の2巻まで話が進んだことを理解した。確か頭の悪い爆弾魔を生け捕りにする任務だ。この任務イベントが発生したということは、フランカ、フランコのコンビが本格的に活動を始めたということか。「今回は屋内の近接戦が想定される。MP5ではなく、MP5K(クルツ)で行くぞ」 クルツと言われて、俺は値札貼り機の出来そこない見たいな銃を思い浮かべた。確かにあれは室内で振り回すのには勝手が良い。 俺は直ぐに着替えるとアルフォドに告げ、部屋に戻った。クラエスの膝の上で餌を食べていたヒルダが、俺の足元に寄ってくる。 前の世界では猫なんか飼ったことが無かったので、俺はこの小さな黒猫を大層可愛がっていた。「ごめんね、ヒルダ。今から仕事だから明日遊ぼう」 ヒルダは俺の言ったことを分かっているのか分かっていないのか、機嫌が良さそうに「にゃー」と鳴く。 俺はヒルダを蹴飛ばさないように注意しながら、クローゼットから動きやすい服装としてジーンズを取りだした。「あら、ブリジットそんな服を持ってたの?」 以外にも食いついてきたのはクラエスだ。確かに彼女の前ではスカートが多かったからズボンを履かない人間だと思われていても不思議ではない。 実際、最近の任務ではスカートでいることが多かったのだが、俺が撃たれたり、エルザを負傷させたりと良いことが無いので改善しなければならないと思っていた。 ジーンズを手早く履き、黒のセータを被って俺はヒルダを抱きかかえる。クラエスに世話をしておいてくれと頼むと、テーブルの上に置いてあった拳銃を持って部屋を出た。 確かコートはアルフォドの車の中に置いたままだから、このまま飛び出ても問題あるまい。 そう考えながら、アルフォドと共に公社の裏手にある駐車場へ向かって行った。 フランカとフランコ、テロリストの間では有名な爆弾製作のプロフェッショナルだ。 彼らの作る爆弾は解体不可能と言われ、公社も重要人物としてマークし続けている。ただ、未だに尻尾の一つも掴めないのは公社が無能なのか、彼女たちの立ち回りが上手かったのか原作では判断できなかった。 まあどの道、クリスティアーノを捉えるときに嫌でも関りを持つことになるだろうから、今からどうこう言っても仕方が無い。「遅かったね、ブリジット」 クルツの予備マガジンを腰に下げ拳銃のスライドを引いていると、トリエラが合流して来た。 俺たちは今、テロリストたちが潜伏していると思われるテ―ヴェレ川の中州にある屋敷の裏手にいる。ここから塀を越えて中に侵入するのだ。「急に呼び出されたからね。準備に手間取ったわけじゃないけど、時間が掛った」 その場で2、3回飛び、準備運動のような物をする。邪魔にならないようクルツを背中に回した。「あら、よっと」 トリエラと二人で壁に向かって飛びつく。一度壁を垂直方向に蹴りあげて塀に手を掛ける。後は腕の力だけでよじ登るだけだ。 それは日本で生きていた時には絶対に出来なかったこと。「アルフォドさん」 塀の上からロープを下に落とす。私とトリエラがそれを掴んで屋敷の敷地内に飛び降りた。私たち二人の体重で大人の男一人分の体重を支える。「君たちには、敵わないなっ」 アルフォドのヒルシャーがロープをよじ登って次々と敷地に飛び降りて来る。俺たちは邪魔にならないよう素早くその場を離れた。「おそらく見張りがいる筈だ。先にそれを始末してくれ」 ヒルシャーの台詞に了解と示すと、俺とトリエラはナイフを抜いて、屋敷の敷地を駆けだした。「エンリコ、どうして勝手にローマに入ったの?」 風呂上りなのか、バスローブ姿の女性が受話器を耳に当て眉を顰めていた。彼女こそがフランカ。フランコフランカコンビの片割れだ。「ブツはオスティアで引き渡す約束。それにローマって言ったら『公社』とやらのお膝元じゃない」「悪いなフランカ、どうしても現場の下見を済ませて置きたかったんだ」 電話口からエンリコと呼ばれた男が答える。「何、昼間誰かに尾けられたが直ぐに撒いてやったさ。奴ら今頃は博物館の騒ぎで手一杯だろう」「でも結局爆弾は回収されてテロは成功しなかった。ロレンツォがクリスマスに殺された今、計画自体が『公社』の手の中にあると考えた方が良いわ」 そう、少し前にはロレンツォという信頼のある運び屋がいた。だが彼はクリスマスのその日に何者かに刺殺され、クリスティアーノと言うミラノの名士に届けられる筈だった書類は、何者かに奪われたままなのだ。「だから計画には大幅な修正を加えたさ。日付も変えたし、場所もスペイン広場に変更した」「スペイン広場?」 エンリコが告げた地名にフランカの眉根がますます厳しくなった。「とにかく明日の朝一で届けてくれ。悪いな」 フランカが何かを言う前にエンリコは電話を切った。フランカがそのまま無言の電話を見つめていると、背後から一人の男が声をかける。「困った奴だな」 フランカが振り向いた先にいる男はフランコ。二人組のもう片方だ。 主に爆弾の製造は彼が担っている。「馬鹿につける薬は無いわ」 フランカは不快感を隠そうとすることもなくフランカに語りかける。一般人を無差別テロに巻き込むことを良しとしない彼女はエンリコのことを忌々しく感じていた。「上の指示だから手を貸したけど、早くあんな奴には消えて貰いたいわ」 手元にのコーヒーをを啜りながらフランカは身をソファーに沈めた。そして電話をおざなりに放り投げる。「場所は何処だって?」「スペイン広場って言ってた」「……いいのか?」 フランコがアタッシュケースを取り出してフランカに見せる。赤いリボンが取っ手に巻いてあるそれは正真正銘の本物だ。 だがエンリコを嫌っている彼女の為に、青いリボンを巻いたダミーも用意してある。「もし本気だったら――偽物でも渡してやればいいわ」 エンリコは部下を数人引き連れて、テーヴェレ川の中州に事構えていた。明日のテロ実行までここに潜伏するのだ。 彼はフランカとの電話を切って部下に計画の進行状況を伝えた。「爆弾の手配が出来た。予定通り明日決行するぞ」 エンリコは計画の進行具合に満足したのか、一人部屋に備え付けられていた椅子に座る。そこへ彼の部下が窓の外を見ながらこう言った。「エンリコさん、外の様子が変です。さっきから誰も橋を渡ってきません」 部下が伝えた異変に、エンリコも窓に近寄る。確かに中州から陸へ繋がる橋は異様に静かで人っ子一人いない。「事故でもあったか? 取りあえずシモーネに確認させろ」 部下がシモーネと呼ばれた男に無線で指示を伝える。エンリコは窓からそっと離れ、今度は隠れるように椅子に座った。 計画は万事順調――それなのに何故か嫌な予感が拭いされなかった。 見張りの男が無線で何か連絡を受けている。どうやら橋の向こう側で車両の通行規制をしているのが感づかれたようだ。 俺はナイフを構え、素早く男の背後に近寄った。「むぐっ!」 男の口元を手で押さえ、首の後ろにナイフを当てる。それをそのまま押し込むと、延髄が貫かれた男は何一つ抵抗することなく絶命した。 男が取りこぼした無線機はトリエラが回収してヒルシャーに手渡している。「向こうも始まったな」 断続的な銃声を聞いてアルフォドが呟いた。どうやらヘンリエッタとジョゼ組が正面から突入を開始したらしい。 俺とトリエラは顔を見合わせ一つ頷くと、屋敷の窓の下に駆け寄った。 トリエラが手で踏み台を作り、俺がその上に飛び乗る。トリエラが思い切り組んだ両手を振り上げると俺は中に浮いた。「いつ見ても凄いな……」 アルフォドが下で感嘆したのと同時、俺は屋敷の窓に飛びついて窓を蹴り破った。原作ではこの部屋にエンリコが隠れていた筈だが、今回は違うらしい。「今ロープを落とします!」 部屋に飛び込んだ俺は手近にあったベッドにロープを結んで窓から落とした。 トリエラがそのロープを使って登って来るのを確認して、俺は廊下に飛び出した。 すると目に入ったのは物音を聞いてやって来たのか、拳銃で武装した男だ。「くそ! 公社の犬か!」 男が悪態をつきながら拳銃を構えるが、義体相手ではその挙動は遅すぎる。クルツの9ミリ弾のシャワーを男に浴びせてやると、男は呆気なく崩れ落ちた。「キスカ!」 今しがた始末した男の名前を叫んで新手が三人俺に拳銃を構える。クルツの掃射で片づけてやっても良かったのだが、ここは後ろにいるお姫様に華を持たすことにしよう。「ブリジット伏せて!」 トリエラの突き出したウィンチェスター――ショットガンが火を噴く。バラバラに飛び散った散弾は男たちに多数の穴を穿った。 いつ見ても中々グロテスクな光景である。「ありがと、助かった!」 男達の屍を越えて、階下に続く階段に駆け寄った。下から上がってこようとする数人をクルツで射殺する。「ヒルシャーさん、ターゲットは何処ですか!?」 俺と一緒に階下へ発砲していたトリエラが無線でヒルシャーに問うた。ヒルシャーのよれば二階の東側の角部屋らしい。 空になったマガジンを交換しているとトリエラに肩を掴まれた。「ヘンリエッタが正面から突入するから私たちは外から挟撃しよう」 俺はトリエラの提案に一つ頷くと、階下に留めの掃射をした。 正面から銀色のシグを構えたボブカットの少女が突っ込んできた。 俺はせめてもの抵抗に手榴弾を取り出してピンを抜こうとする。 だが神は俺のことが嫌いだったらしい。 背後の二枚のガラス窓が派手な音を立てて割れたかと思うと、ショットガンを構えた少女、クルツを構えた少女がそこにいた。「参ったな、これは」 手榴弾を懐に戻し、降伏の手を上げる。 皮肉なことに、神様に嫌われたほうが命拾はしたようだ。 翌日、青のリボンをつけたアタッシュケースを持ってテレーヴェ川の中州に行ってみると、検問が敷かれ一般人は立ち入り禁止になっていた。 私はそれだけで、エンリコの奴がしょっ引かれたことを悟る。「スペイン広場は命拾いしたらしいな」 フランコの呟きに私は同意する。どうやらこのダミーは無用の長物のようだ。「ねえフランコ」 歩きだした私にフランコが着いて来る。私はサングラスを越しに彼の瞳を見るとこう言った。「ちょっとスペイン広場に行かない?」 ジェラートは食べないけど。 私の悪戯心溢れた提案に彼は殆ど表情を変えなかったが、それでも少しだけ楽しそうに同意した。 さて不詳私めはスペイン広場にやって来ております。 本来ならヘンリエッタが任務を頑張ったご褒美に発生するスペイン広場でジェラートイベント。何故かそれと並行して俺もアルフォドと一緒に広場へやって来ているのだ。 まあ、ジェラートを食べてその辺を歩いていると、フランカにニアミスイベントが発生しかねないのでジェラートは遠慮しているが。「本当にジェラートはいらないのか」 露店で買ったポップコーンを食べている俺にアルフォドはさっきからずっとこんな感じだ。 これは俺にただ純粋にジェラートを食べさせたいだけなのか、それとも下心を持って俺に食べさせたいのか判断はつかない。 因みにスペイン広場でジェラートというのは、かの有名な『ローマの休日』で出てきたシチュエーションで恋愛がらみのイベントだ。さらに如何でもいい事を追加すると、現在のスペイン広場は法律で飲食が禁止されている筈だが、ガンスリのこの世界では別に構わないらしい。 原作でもヘンリエッタが普通に食べていたから不思議に思ったけど、良く似た並行世界のイタリアと捉えれば納得が出来る。 俺の話に戻そう。 いい加減、アルフォドの勧めが鬱陶しくなって来た俺はポップコーンを引っ掴むとそれをアルフォドの口に突っ込んでやった。 そして、目を白黒させている彼にこう言ってやる。「アルフォドさん、ここでのジェラートは恋人が出来た時に取っておいてください」 自分で言って少しだけ後悔した。これは何だかんだ言って物凄く恥ずかしい。 なお且つもっと恥ずかしいのはアルフォドの反応で……、「はは、俺は君と食べたかったんだけどな」 ああ、義体の暗示が無ければきっとこの担当官を思い切り蹴飛ばしていた。そんな台詞は慎み深い元日本人の俺には素面で到底言えない。 俺は顔が自分でも赤くなってると感じながら、無心でポップコーンを食べ続けた。 公社に戻ったら、ヒルダとエルザを思い切り可愛がって今日の事は忘れよう。 そう自分に言い聞かせ続けた日だった。 ボブカットの育ちの良さそうな女の子を見送った後、私は広場の真中でポップコーンを食べ続ける少女と、そんな少女を優しく見守っている男を見つけた。 容姿は髪の色が違って余り似ていないが、恋人というより兄妹に見える。「スペイン広場が無事でよかったな」 私の視線の先に気がついたのか、フランコがそう言った。 私はサングラスを外して一つ笑う。「そうね、私たち五共和国派が守るべきものはああ言った子たちだもの」 五共和国派――パダーニャと呼ばれる彼らは程度の差こそあれ、北部の幸せを願っている。