からからと巨大な換気用のファンが回転し、西日に照らされた工場に影を落とす。 もうとっくの昔に持ち主によって打ち捨てられてしまった工場にある人影は二つ。一つは夜のように長い黒髪を揺らし、その手には余りそうな大きな拳銃を持っている少女。 もう一つは少女に撃たれたのだろうか。両の足に風穴を開けて、息も絶え絶えに這いずり回る小汚い男だった。 少女は男の背中を踏みつけると、肩越しに男の涙と鼻水に汚れた顔を覗き込んだ。そして唇の端を歪めながら言葉を発する。「あなたのお仲間、私とアルフォドさんのことを話しちゃったみたい。……約束が違いませんか?」 不気味なほどに整った容姿。大人と少女の中間体ともいうべき危うい美貌を誇る彼女は嗜虐的な色を瞳に宿している。形と発育の良い二つの丘が男の背中によってつぶされた。 本来ならば欲情してしかるべきシチュエーションでも男の心は恐怖によってのみ支配されている。 少女が持つ拳銃が男の後頭部に強く押しつけられた。「もちろんあなたたちが好き好んでゲロったとは思わないよ。なんたって相手は社会福祉公社。仕方ないよね、私だって怖いんですもの。……でもね、だからといってあなたを見逃すわけにはいかない」 少女の手が男の前髪を掴む。強制的に上を向けさせられた男の口に銃口がねじ込まれた。 引き金に掛かった指に力が込められる。「バラされただけなら私たちは大人しく逃げた。なのに貴方たちは私たちを殺そうとしたよね」 日がさらに沈み、工場内部を照らす西日の範囲が広がった。そこに映えたのは辺り一面に転がる人間の死体。 四肢が拗くれたものから眉間を撃ち抜かれたものまで殺され型は様々だが、皆一様に恐怖に顔を引き攣らせて死んでいた。 そう、まだ成人にも満たない少女に虐殺される恐怖に。「数を揃えただけで勝てるとは思わないで欲しいな。これでもあたたち以上に人も殺しているし修羅場も経験している。仲間も沢山死んだ。いい? あなたたちとはくぐってきた場数が違うの」 男が首を必死に横へ降る。それは生に対する最期の執着。だが少女は瞳に侮蔑の色を一つ浮かべただけで、まともに取り合おうとはしなかった。「じゃあな。来世はもっと堅気の仕事をしろよ」 HEAVEN HEART HEAT 全てが終わったとき、俺は骸の横に座り込んだ。義体として、担当官を守る盾として切り替わっていたスイッチが俺のものに切り替わる。 やってくるのは怖気と後悔。ここに横たわる骸達を作り出したことに対する罪の意識が芽生えてきたのだ。 それもそのはず。本来の俺は義肢・サイバネティックス試験体XA14-05という殺人サイボーグではない。至って平和な国日本で生まれ、至って平凡な人生を送っていた凡人に過ぎないのだから。 間違っても拳銃一つで二桁の人間を殺せるような人間ではなかった。 それが気がついたらこの体が自分の体になっていた。『義肢・サイバネティックス試験体XA14-05』が俺の製品名になっていた。 もちろんまともな正気など保てたことがない。 気がつけば血の海に立っていることなど日常茶飯事、自分自身が銃創をこしらえていることも間々あった。何より耐えられなかったのが『条件付け』という俺に施された洗脳。 スイッチさえ切り替われば俺でも手際よく人を殺すことが出来ることにも関係しているが、この条件付けは担当官という男に対する盲愛を強制する最悪の洗脳だった。もちろん前世で男色の気などなかった俺がそれを受け入れられる筈もない。 俺は条件付けに逆らった副作用として嘔吐物をまき散らしながら、担当官の男――――アルフォドを拒絶し続けた。 触られれば生娘のように心が温かくなる自分が許せなかった。話しかけられるだけで多幸感に包まれる自分が気持ち悪かった。 だから普段から徹底的に罵り、誹り、少しでも近づこうものなら手にしているものを手当たり次第投げつけた。 それをあの男はどう思ったのか、何一つ叱り飛ばそうとはせず、食事だけを届けては姿を殆ど見せなくなった。 この体はアルフォドに会うことを渇望し続けたが、前にいた世界のことを思い続けることによって自制した。 こんな、わけもわからない、名も知らない世界に飛ばされてしまった己の運命を呪い続けながら。「ブリジット」 廃工場内に声が響く。俺がこの工場にいた人間で生かしておいたのはただ一人だけ。つまりは俺がもっとも憎悪し、愛している男、アルフォドだった。 少し伸びた金髪と、同じ色の無精髭を蓄えた男は声が届くか届かないかの距離で俺に話しかける。「外の安全は確保した。早くここから出よう。あと二日待てばシチリア行きの船に乗れたんだが予定変更だ。私たちは陸路で逃げる」 言葉と同時、彼が担いでいた旅行鞄を投げつけられる。普通の少女ならば怪我をしかねない行為だが、この体は規格が違う。数キロに及ぶ鞄を危なげなく受け止めてみせると、手慣れた様子で中から着替えを取りだした。何故なら虐殺の過程で俺の服装は盛大に汚れているから。 来ていたワンピースとカーディガンを脱ぎ、身につけていた下着にも目を通す。白かった筈の下着も赤黒く染まり、中々グロテスクなことになっていた。 結局ワンピースとカーディガンはその場に放棄し、白シャツとパンツルックに着替え直した。組み合わせはちぐはぐだが、今はそんなことを気にしている場合ではない。 俺が手にしていた拳銃を旅行鞄に放り込む様子を見て、アルフォドは踵を返して歩き始めた。俺はその五メートルほど後ろを大人しくついていく。 体がもっと近づけとあたまに囁いてくるが、そんなもの無視を決め込むに決まっている。 脂汗が止まらなくとも、嫌な予感が止まらなくとも、俺は折れない。 何故なら、目の前を歩くこの男が憎くて憎くて仕方がないのだから。 見つけた。 声はロッソと呼ばれる男のものだった。彼は隣で狙撃ライフルを構えるキスカの肩を掴み、手にしていた資料をめくる。「戦力としては義体三体分。また課長のいつもの脅しだと思っていたけれど、あながち嘘ではないな。だってあの暴漢、公社が用意した特殊部隊員だぜ? それが本能だけで全滅させられちゃ、信じざるをえないな。……少ししくじったか」 独り言のように呟く彼の声は明るいが、眼は笑っていない。それは少女の肩を掴む手の震えからも察することが出来た。「……いいか、担当官ではなく後ろを歩く義体の方を殺せ。必ず初弾で当てろ。外せばこちらが終わりだ」 公社の義体にとって、敵の狙撃ポイントを特定するなど造作もないことだ。ならばこの狙撃で仕留めきれなければ、複数の特殊部隊員を殺害した暴力がこちらに振るわれることになる。 それだけはどうしても避けなければならない未来だった。 キスカは義体としては融通が利かない分、義体の中でも実力が高いわけではない。 それが義体三人分の戦力と畏怖されるブリジットとぶつかればどうなるか。結果は火を見るよりも明らかだ。 思わずその光景を想像してしまい、ロッソは身震いを一つする。「ああ、くそ。いいか、キスカ。必ず当てろよ」 言われて、キスカはスコープを覗き込む。 視界に写るのは酷いくらい瞳を濁らせた黒髪の少女。キスカは十字を黒髪の少女に合わせると、静かに引き金を引いた。 飛来した弾丸は確実にブリジットを狙い撃つ軌道だった。 その点に於いて、キスカのスナイピングは完璧だったと言える。だが、彼女が完璧でなかったのは、ブリジットという名の少女の実力を完全に読むことが出来なかったことだ。 こちらの発砲炎はサブレッサーの所為で殆ど見えなかったはず。ならば極小さな発砲音のみでしかブリジットは狙撃を感知できない。 しかし音速よりも遅く飛来する亜音速弾を己の致命点から逸らすことなど、彼女に取っては朝飯前の事象だったのだ。 ブリジットの左腕を貫通した弾丸が西日に照らされた地面を穿つ。鮮血をまき散らす腕を庇いながらブリジットがこちらを見た。 キスカとスコープ越しにブリジットの視線が交差する。 たったそれだけのことでキスカは身動きが取れなくなってしまった。 何故なら……、「こ、わい……」 その瞳に渦巻く確かな憎悪を一心に受けてしまったのだから。 ブリジットは狙撃犯と思われる人物が潜む、目の前に佇む倉庫の屋上を見た。左腕から血が流れ出る度に、気が遠くなりそうだ。 痛みが脳を揺さぶり、ともすればその場にへたり込みそうになる。だが、ブリジットの中に存在する『条件付け』がそれを許してくれない。 今すぐにでも下手人をバラバラにしてやれと、悪魔のように囁き続けている。そして、ブリジットはそれに対向する手段を知らなかった。 アルフォドが何かを叫ぶが、ブリジットの耳にはもう届かない。拳銃を抜きだし、地面を蹴ったブリジットの姿がぶれた。追い打ちの弾丸が飛来しても、捉えるのは彼女の影のみ。 倉庫に向かって突進するブリジットの顔は嗤っている。 痛みも常識も捨て去って、彼女は嗤った。 というわけでこの世界のブリジットは原作知識もなく、アルフォドとの仲が最悪な状態。 ただアルフォドはブリジットを連れ出しているあたり、ブリジットのことを気に掛けている。そんなパラレルワールド。あと、前のプロローグとの統合はちょっと保留。