公社に追い詰められるかたちとなったテロリスト達の生き残りは、ジャコモとアシク、そして核爆弾が持ち込まれている制御室を目指していた。 だがその道のりは決して楽な道ではない。死兵に近い義体達が獲物を狩る獣のように迫ってきていたからだ。「くそ! これ以上の組織戦闘は無理だ!」 一人、又一人と撃ち倒されていく現状に、誰かが悲鳴を上げた。床を埋め尽くすのは戦いに敗れた骸達。 彼らの屍を超える者はいても、拾う者はいない。「トリエラ! 側面だ!」「わかりました! ペトラ手伝って!」 ペトラがスペクトラを掃射し援護射撃する。トリエラはその弾幕と共にテロリストに掴み掛かった。彼女が短剣を振るう度に血飛沫が舞い、活路が開かれていく。 距離がある敵にはウィンチェスターをお見舞いし、近すぎる敵には得意の格闘術を叩き込んでいく。全てはブリジットと共に鍛えたトリエラの生きる術。 サブマシンガン、スペクトラを放つペトラのそれも、ブリジットと共に培った技術だ。 そして彼女達はたどり着く。不自然に静かな、いや銃声達は皆無でも少女の泣き声が木霊するフロアへ。 床に広がった血溜まりの先に、声を挙げて泣くリコがいた。「リコ!」 風穴が空いた脇腹を見て、血相を変えたトリエラが近寄る。だがリコが涙を止めることはない。何故なら彼女は痛みで泣いているわけではないのだから。 ペトラが応急セットを取り出し、治療を施していく。「リコ、ジャンさんは?」 リコを抱き上げたトリエラがジャンの所在を問う。本来なら決して離れることのない担当官の姿が見えないことは、とても見逃すことが出来る問題ではなかった。 そしてリコの口から語られた事実はその場にいた人間にとって衝撃的なものだった。「ジャ、ジャンさん、は……わ、私をおいてジャコモのところに、」 さらに、「ブリジットもジャコモに連れて行かれた……」 そこまで告げて、いよいよリコの涙腺は崩壊した。己が最も守らなければならない担当官が一人死地に赴いたことも、折角再会したブリジットが連れて行かれたことも、彼女に取って一人で受け止めるにはあまりにも思い出来事だった。トリエラの胸に縋りながらリコは泣く。「お願い、助けてトリエラ! ジャンさんを助けて! ブリジットを取り戻して!」 リコの願いは在りし日の幸せを取り戻そうとするもの。もう二度と戻らない日々、人だということは知っていても彼女は抗うことを止めない。 その命が続く限り、誰かに言葉が届く限り。 そしてそれはトリエラも同じだった。「わかったよ、リコ。私たちがジャンさんを助ける。ブリジットも取り戻す。……ブリジットはこの先にいるんだね?」 リコは小さく頷く。「うん……」「そうか、ありがとう」 トリエラが立ち上がる。ペトラもそれに続き、それぞれ手にしていた武器に弾を込める。最後の戦いが近い今、残された武器は少ない。もちろん寿命も。だが二人はこの先に友人がいることを知って覚悟を決めた。「行こう、ペトラ。ヒルシャーさん、リコをお願いします」 ヒルシャーが何かを返す前にトリエラは歩みを進めた。 そして彼女は声を挙げる。「待っててなさい、気まぐれ黒猫。今度こそ捕まえてみせる。もう、あなたを離さない」 中央制御室、西側通路 ブリジットとロベルタ、そしてアシクを残しジャコモは数人の部下を連れて中央制御室に繋がる西側通路に陣取っていた。 最後の戦いを前にして各々の表情が硬いなか、ジャコモだけは笑っていた。 そしてその笑みはゆっくりとした足取りで現れたジャンによってさらに深める。「ようやく来たか。公社の狗の飼い主よ」 ジャンは答えない。ただ通路から覗く配管が張り巡らされたフロアに身を潜めた。一対多数の今、彼に勝ち目はない。ここまで来て、仇に届かない己の力にジャンは血に塗れた唇を噛んだ。「ソフィア……」 ジャコモによって殺された恋人の名を呼ぶ。己を変えてくれる、いや、変える筈だった人はもうこの世にはいない。だがもう少し、もう少しでそこに行けるとジャンは笑った。 もう失うものは何もない。全てを捨て、復讐のためだけに生きてきた。 ならば復讐のために死ぬのが踏み台にしてきた全てに対する道理。 ジャンは言うことを聞かない体にムチ入れながら、手にしたたった一つの拳銃を構えながら、通路に躍り出た。「力をくれ! ソフィア!」 狙いを付ける余裕はない。ジャコモが従える数人の部下が放つ弾丸が体を貫いていく。 それでもジャンは止まらない。引き金を引くことに己の全てを注ぎ込む。「ジャコモォオオオオッ!!」 螺旋を描く弾丸は果たしてジャコモに届いたのか。 その行方を見定めるまもなくジャンは床に倒れ伏す。そして彼は前のめりに、仇敵であるジャコモに向かって倒れ込んだまま動きを止めた。「今、そこに……」 最後に見えた光景が何だったのか、それはジャンにしか分からない。だが少なくとも彼は、片腕を押さえて立ち尽くすジャコモを見ずに死ぬことが出来た。 その後に続く地獄のような笑い声も。「そうか! 俺はまだ死なないのか! まだ生きているか小娘!」 扉越しにジャコモの笑い声が聞こえる。ブリジットは荒い息で天井を見上げたまま、目頭をそっと押さえた。「ごめんよ、リコ」 謝罪は誰にも届かない。だが動く者はいた。 核の起動スイッチの近くに待機していたアシクは床に転がされたブリジットに近づく。咄嗟にロベルタがそれを庇うも、拘束された状態ではそれも適わない。「ブリジット、お前はまだ戦いたいのか」 アシクの真っ直ぐな瞳がブリジットを射貫く。ブリジットは一瞬自分が何を言われたのかわからなかった。しかしその言葉の意味を理解したとき、彼女の答えは一つ。「ジャコモを喜ばすのは癪だけどね」 返答はそれで充分だった。アシクは床に転がされていたアサルトライフルを掴み取ると、マガジンを抜き、簡易ドライバーでストックを外した。そしてそれを失われたブリジットの左足にくくりつける。「歩けるのも、立ち上がれるのも一瞬だ。その時をよく考えろ」 アシクの言葉の意味は理解した。ブリジットは一言「ありがとう」と告げると、続けてこう言った。「結構、あなたのことは好きだよ」「……新手か」 防弾盾を構えながら二つの影が西側通路に突入してきた。戦闘の収束を予感したジャコモは踵を返し、制御室に戻る。 背後では赤と金色の髪をした少女達が残された部下達を血祭りに上げていた。「ジャコモ!」 ようやくこちらの存在に気がついた金髪の少女が叫びを上げる。だが捨て身で防衛網をはる部下達がその進路を阻んだ。五共和国派としての、イタリアのために戦う者としての意地だけが彼らを動かしていた。 赤髪の少女が男に組み付かれながらも、スペクトラをジャコモに構える。 その所為で男が取り出したナイフに胸を刺されようと、彼女は構えを解かなかった。 だが断続的に放たれた弾丸は寸前のところでジャコモが閉じた防弾扉に阻まれる。ジャコモは度重なる小さな勝利に歯を見せて笑った。そして制御室の中、アサルトライフルを義足代わりにして立つブリジットを見たときも。「まだ来るか、小娘」「…………」 返事はない。ただブリジットの姿が一瞬だけぶれた。ジャコモが抜いたナイフをすり抜け、ブリジットはジャコモの懐に飛び込んでいく。 ジャコモは怖いくらいにゆっくりとした世界の中、ブリジットの瞳を見た。 夜のように黒い瞳には、彼が追い求め続けた闘争の炎が宿っていた。「……なんだ、こんなところにあったのか」 台詞はそれだけ。 掴み掛かったブリジットの小さな口がジャコモの喉仏を食い破り、制御室に血の噴水を巻き上げる。ロベルタは悲鳴を上げ、アシクは静かにその様子を見つめていた。 ブリジットと共にジャコモは床に倒れる。「ごふっ」 血泡を吹き出したジャコモは己の上にのし掛かったブリジットを横に寝かせた。彼女は瞳を閉じたまま、血で真っ赤になった口を笑顔に染めていた。「 」 ジャコモの台詞は声にならない声。だがブリジットには届いていた。 ブリジットは小さく、小さく笑う。「最後の最後にブリジットって呼ぶな。クソッタレのジャコモ・ダンテ」 傷ついたトリエラとペトラが防弾扉を蹴破り、制御室の床下スペースからアレッサンドロが飛び出してきたのは完全に同時だった。 両者に囲まれたアシクは抵抗を一切見せず、ただジャコモ亡骸の傍らに横たわるブリジットを指さした。「そこにいる彼女を助けてくれ」 言われて三人が見たのは最早虫の息のブリジット。足にアサルトライフを括り付けていた彼女は眠ったように動かない。 トリエラは手にしていたウィンチェスターも、体中に刻まれた傷も忘れてブリジットに駆け寄った。「ブリジット!」 空港で出会ったときよりも遙かに弱り切った彼女に視界が真っ暗になりそうになる。同じ義体だからわかる。ブリジットの寿命はもうとっくの昔に過ぎている。ならば今生きているのは奇跡みたいなものだ。 なのに、ブリジットを抱きしめるべき人間はこの場にいない。「目を覚まして、ブリジット!」 無駄だと分かっていても、呼びかけは止まらない。ペトラもいつかのようにブリジットの頭を抱き体を揺さぶる。「駄目よブリジット、眠っちゃ駄目!」 応答を全く返さないブリジットに焦りだけが増えていく。 猫のように笑い、全ての義体に好かれていた彼女は今まさに死のうとしていた。死に場所を探し続けて、亡霊のように生きていたブリジットという名の少女が。「起きなさい! ブリジット! あなたはまだ死んじゃ駄目なの!」 ブリジットの胸が下がり、中々上に上がらない。トリエラはブリジットの口周りに着いたジャコモの血液を拭い、そのまま口づけた。 そしてまるで己の命を分け与えるかのように、息を吹き込んでいく。「死なないで、死なないで、死なないで!」 心臓を押し、弱々しい息を補うために人工呼吸を続ける。思い返すのはブリジットと共に戦い続けた日々、ブリジットと共に生きてきた日常。「もう離さないって決めたの! もう逃がさないって誓った!」 夢の中のブリジットの手を掴めたことは終ぞない。だが今は夢ではない。ブリジットは現実でそこにいる。ならば今掴むしかない。 今離してしまえば、もう二度と掴むことが出来なくなる。「お願い、ブリジット!」 ペトラもブリジットの冷たくなった手を握る。薬の後遺症に悩み、発作を起こした彼女を救うことは適わなかった。だからこそ、今度こそ助けてみせるとブリジットの名を叫ぶ。「まだ終わりなんて信じないんだから!」「そうだな、まだ終わりには早いかもしれない」 蹴破られた防弾扉に男が一人現れた。トリエラとペトラの叫びが止まる。 現れた男は脇腹と胸を押さえながら、瞳を閉じ続けるブリジットに近づいた。そして赤く彩られた手で彼女を抱き上げる。「ごめん、遅れた。許してくれ、ブリジット」 ブリジットはアルフォドの腕の中、そっと瞳を開いた。 次回、ブリジットという名の少女 最終回