「お前には失望した」 ジャコモはたった一言、アンチマテリアルライフルの銃口を下げてブリジットにそう告げた。 リコの血肉を浴び、言葉を失ったブリジットを軽蔑してそう言った。「お前も俺と同じ闘争に生きる人間だと思っていたのだがな、所詮は担当官のために死を選ぶ人形だったか」 ジャコモがこちらに近づいてくる。ブリジットは凍り付いたリコの体を抱き留めたまま動くことが出来ない。目の前で起こった出来事が理解できない。 何故自分ではなく、リコが動かなくなっているのか。 ジャコモが拳銃を取り出し、ブリジットに突きつけた。「立て、ブリジット。それか死ね」 どうして、どうして、と頭の中に渦巻く。アルフォドと生きる為に、そしてアルフォドの為に死のうと、沢山の人を殺し、踏み台にしてきた。 だからリコが撃たれたくらいで動揺する筈などない。悲しくなるはずないのに……、「う、あ……」 やっと絞り出した台詞は声にならない音。 真っ白になった頭と、朦朧とする意識の所為で突きつけられた銃口にも反応を返すことが出来ない。 ブリジットは夢遊病の患者のように、何も考えられないまま動かなくなったリコの体を抱きしめた。「ふん、」 つまらなそうに、とてもつまらなさそうにジャコモが引き金を引く。 乾いた銃声の音は、原発内で繰り広げられる戦火の中に消えてなくなった。 ジャンはアルフォドを追う途中、リコとの通信が取れなくなったことに気がついた。 だが彼女は所詮道具だと言い聞かせながら、通信機に呼びかけることを止める。心の中に出来たしこりにも気がつかないフリをした。 ブリジットはかつて公社最強と謳われた義体だ。いくら寿命が間近に迫り、動きが鈍くなっていたとしても不覚をとることは充分あり得る。 ただ、こうして逃げるアルフォドを追いかけていても、一向にブリジットが現れないことを鑑みれば、もしかしたらブリジットと相打ちになったのかもしれない。「俺は、俺の復讐を完遂する!」 逃げ続けるアルフォドに銃口を向けながらジャンは叫び声を上げた。 まずはジャコモに協力した憎い同僚をこの手で屠るため。 一度アルフォドに抱いた殺意は決して消えることがない。 撃たれた脇腹を庇いながら、リコに呼びかけを続けるジャンを振り返った。 だがここまで来てもリコが現れないことを考慮すれば、ブリジットが押さえてくれているのか、それとも最悪相打ちか……。 アルフォドは一瞬脳裏に浮かんだ最悪の結末を、首を振ることで払拭しながら前へ進む。 もうブリジットは助からない。空港から撤退する最中、多量の吐血をしたことはクリスティアーノが雇っている医者から聞かされた。意識がああやって復活したのも半ば奇跡みたいな物だとも言っていた。 公社にいたビアンキも、とっくの昔にくたばっていてもおかしくないと驚いていた。 アルフォドは神を信じない。信じるのは神の業ではなく、人の業だけだ。 こうしてイタリアが分裂の、内戦の危機に陥っているのも人の業だ。 ジャコモがジョゼとジャンの家族を殺したときから、兄弟は復讐の中に身を堕とし、民間人に銃を向け続ける人生に耐えきれなくなったからアルフォドは軍から抜け出した。 今更思い起こされるのはブリジットとの出会いだ。 ベッドから起き上がった彼女を初めて見たときから、彼女と共に生きようと誓った。 担当官と義体という垣根を越え、愛する者同士となった今でもそれは変わらない。ブリジットが死ぬときこそが自身の命日だとアルフォドは決めている。「だがな、ジャン。まだあの子が生きている以上、俺は死ねない。俺はあの子をこの腕の中で死なせてやりたい」 ブリジットが自分の為に死のうとしていることは薄々と気がついている。 彼女がこの戦場に現れた時からそれは確信に変わった。 だがそれを許してやれるほど、アルフォドはブリジットに優しくない。 例えブリジットが自分の為に死ぬことを、そして彼女を踏み台にして生きることを望んでいたとしても、その願いを叶えてやるわけにはいかない。「死ぬときは一緒だ、ブリジット」 通路に転がっている死体からアサルトライフルを拾い上げる。そして逃げ込んだタービン室の影に飛び込み、追いかけてきたジャンに向かって発砲する。 軍警察時代に培った戦闘勘をフル動員しながらこの場を切り抜ける策を手探りで見つけ出そうとする。「裏切り者め!」 ジャンから罵られてもだからどうした、と笑った。 人として真っ当な道など、担当官となったその日から捨てた。人様に顔向けできる正義など、生まれてこの方持ち合わせてなどいない。 あるのはブリジットに向ける愛情だけ。あの子が辛く悲しむ世界など滅んでしまえば良い。あの子を泣かせる人間などみな死んでしまえば良い。 もちろんあの子を地獄に落とした己も例外ではない。「さあ、こいジャン! 俺はまだまだ死なんぞ!」 だがブリジットがその命を燃やし尽くすその時まで死ぬことはない。アルフォドは影からジャンに飛びかかり拳を振るった。 切れよく飛んでいった拳はジャンの頬を殴りつけ、血を飛ばした。「糞!」 ジャンが反撃の拳をアルフォドの腹部に撃ち込む。そして追撃の銃撃も。だがそれはアルフォドが逆にジャンに掴み掛かることで命中には至らなかった。「お前がジャコモに抱く気持ちはよく分かる。だが俺は公社がブリジットにしたことが許せなかった!」 ジャンの首を締め上げ、アルフォドは血反吐が混じった叫び声を上げた。無精髭を生やしながらも、その整った顔立ちを怒りに歪めながら叫んだ。 だが顔立ちを歪めているのはジャンも同じだった。「だからどうした! アルファルド! 義体は所詮は道具だ! お前は道具に入れ込みすぎて破滅したただの愚か者だ!」「彼女達を道具にしたのは誰だ!」 ジャンの拳がアルファルドの鼻っ面に叩き込まれる。たまらずよろめいたアルフォドの胸に、ジャンの蹴りが突き刺さった。「人の業を俺は背負おうとは思わない。俺はただジャコモを殺す。そのためだけに生きてきた。他に何もいらない」「なら俺は俺の業を背負おう。そしてブリジット以外は必要ない。そのために立ち塞がる敵は誰であろうと許さない」 アルフォドが立ち上がる。ジャンも立ち上がる。そして二人が拳銃を構えたのは同時だった。 ジャンは己の装備品であるベレッタを。アルフォドはブリジットから借用したSIGを。 狙いは一瞬、二つの銃弾が交差し、互いの胸を貫いていった。 重なった銃声は消えることがなく、タービン室の高い高い天井に何処までも響いていった。 ブリジットの視界に映ったのは天に向かって伸ばされた白い腕だった。ジャコモが放った弾丸はリコの炭素フレームで出来た骨によって止められていた。「ほう……」 ジャコモが楽しそうに、いや嬉しそうに笑う。それは闘争の中に生きる悦びを見つけた男の歪んだ笑みだった。「ブリジット……」 腕の中でリコが身じろぎをする。言葉を発する度に鮮血を口から吹き出し、ブリジットの体を汚していった。 ブリジットはいつのまにか目尻に涙を溜ながら、リコの言葉を待つ。「ねえ、ブリジット。私の代わりにジャコモを殺して。ジャコモはジャンさんの仇だから」 リコの懇願にブリジットは頭をハンマーで殴られたような衝撃を受けた。そうだ、これは義体の願い。義体となることで救われ、幸せを手に入れたリコの願い。 リコは義体として生きることで幸せを感じていた。 それは本質的にはブリジットと変わらなかった。 自身が幸せと感じることのために命を燃やす。それはたぶんきっと、この世で一番人らしい行い。 ブリジットが立ち上がる。 朦朧とする意識に発破を掛け、見えない視界は全身で感じる気配で補完する。 戦って死ぬ、と宣言したブリジットが蘇る。そうだ、最後くらい、原作のラスボスとやり合うのも悪くはない。 アルフォドに向かって、笑顔で死ぬためにも後顧の憂いを絶たなくてはいけないのだ。「ジャコモ」 ただ一言、たった一言だけブリジットが呟いた。だがそれは万の言葉にも勝る威圧を持っていた。ジャコモは背筋を駆け上がっていく悪寒に歓喜する。 そして手にしていた無線機に向かってこう唱えた。「さあ、戦え五共和国派よ! さあ憎しみあえ! 公社の人間よ! 敵は、仇は、討つべき敵は――――、目の前にいるぞ!」 立ち上がったブリジットにジャコモはただ笑った。「早く来いブリジット。お前はまだ戦える。俺に見せろ、お前の闘いを」 ブリジットが全身のバネを使ってジャコモに突進した。 今まで無視し続けていた、義体として心にやどる闘争心を剥き出しにしてジャコモに突進した。 この時ばかりはアルフォドのことを忘れよう。 けれど、この闘いが終わったら、リコのことを救ったらあの人の腕の中で思いっきり泣こう。 そして抱きしめて貰って死ぬんだ。「ジャコモオオオオオオオオオオオオオッ!!」 最後の戦いが始まる。 ブリジットにとって長い長い最後の戦いが。