「具合はどうだい――ああ、そのままで良い」
「……ハクオロ、さん」
翌朝、俺の寝床にハクオロさんがやってきた。
朝飯食ってる時に、エルルゥから連れてきても構わないかと言われて頷いたものの、まさかこんなすぐにやってくるとは思わなかった。
原作中でも感じてたけど、フットワーク軽いよなこの人。さすがキママゥ皇。
「あの時の……わたしのことを、覚えていたのかい?」
「あ、はい。覚えてます。俺を見つけてくれたのがオボロさんで、俺を運んでくれたのがアルルゥさんですよね」
「はは、その通りだ。そしてついでにもう一人紹介しておこう。こちらはテオロさん。この部屋まで君を運び治療の手伝いをしてくれた人だ」
ハクオロさんの横でどっかとあぐらを掻いているオヤジさんに、俺は当然の事ながら見覚えがあったものの、すんでのところで思いとどまり紹介される前に名前を呼ぶという失態をしでかさずにすんだ。
……俺を運んでくれたというのは本気で初耳だしな。
「ありがとうございました、ハクオロさん、テオロさん。皆さん……本当に、ありがとうございます」
「ん~だぁっははは! いいってことよ! それより俺のこたァ『親父』って呼んでくれや。テオロさん、だなんてかしこまって呼ばれると誰のことかと思っちまう」
後ろ頭をガシガシと掻きながら、豪快に笑うテオロ。
テレ屋なんだろうな。不器用で、だけどものすごく温かい雰囲気のある人だった。
「はい、親父――さん」
「おう。後でウチのカァちゃんも紹介してやるよ。困ったことがあったら何でも言いな」
なんでも、のところを強調して、ついでに右腕の力こぶまで見せてくれた。
ニカッと歯を見せて笑うその男らしさに、俺はつい笑顔になった。
そんな俺と親父さんのやりとりを微笑みながら見ていたハクオロさんだったが、「――さて」の一言で表情を改め居住まいを正し、俺の目をまっすぐに見つめて語りかけてきた。
「……君は、今この砦がどういう状況にあるかを知っているかい」
「はい。ここは元々藩城で、今はみなさんが叛乱を起こして占領しているんですよね」
「そうだ。そして君の村は、その叛乱に対する見せしめのために皇の軍によって焼き討ちにあった」
はっきりとした口調で、ハクオロさんは言った。
「――君に礼など言われる立場では、わたしは無い。詫びねばならないのは、こちらの方だ」
「ハクオロさん……」
「すまない。君が傷を負ったのも、一人になったのも、わたしたちの起こした叛乱のせいだ。謝って済むことでは無いとおもうが、ともかく、すまないと思っている」
す、と頭を下げるハクオロさんに、誰も言葉をかけられないでいる。
俺もその一人だ。
というか、感動で身動きが取れないという体験を俺は今生まれて初めてしている。
……この誠実さ、真摯さ。ハクオロさん半端ねぇな。これがカリスマってやつか……。
「やっ、あのっ……頭、頭上げて下さい!」
なにか言わなきゃと慌てて出した言葉は残念なくらいうわずっている。
うわー、俺小物っぽい……。
「ハクオロさんたちのせいなんかじゃ、ちっとも無いじゃないですか。悪いのは皇で、皆さんは俺の命の恩人です。見捨てることだってできたのに、わざわざ運んで、手当てして、飯まで食わせてくれて……」
「それは当然のことだ。救える命があるのなら、救いたいと思う」
「……俺は」
ゆっくりと頭を振りながら俺は言った。
「俺は――聞いてると思いますけど、いろんな事を忘れてます。チャヌマウという集落で俺がどんな生活をしていたのか。襲われた時になにがあったのか……思い出せません。でも馬鹿ではないつもりです。だから皆さんが俺にしてくれたことが当然のことだなんて、俺は思いません」
「君は……」
「お願いがあります」
寝床の上で、俺は手をついて頭を下げた。
「俺にも――手伝わせて下さい。もう少し傷が癒えたら、俺にできることをなにかさせて下さい。何も知らないし、足もこんなだけど……このまま皆さんのお荷物にはなりたくありません。お願いします。一緒に――」
ハクオロさんの目を強く見つめて、それから床に額が着くほど深く頭を下げる。
「一緒に、闘わせて下さい」
――これが、昨夜のあの出来事以来考えて出した、当面の方針だった。
俺の最終目標は、この体を本来の持ち主に無事に返すこと。しかしそれは、危険から逃げ回っていては到底達成できない目標でもある。
なぜならこの世界は強烈な弱肉強食。そして、天涯孤独の少年、記憶無しの上、足が不自由という俺はこれ以上ないほどの「弱者」なのだ。
障害者年金など無いし、働かなくても生活を国が保護してくれる仕組みなど概念自体存在しないだろう。
孤児院は原作にも登場していたが……あれは戦乱が収まってからの話だ。人の命より自分の髪型のほうが大事なインカラが福祉に気を遣うはずがない。いまのこのケナシコウルペという國には無いか、あっても劣悪なはず。
それに孤児院で一生養われるわけではない。成人したら出てゆかなければならない。そして俺は――この世界での成人がいくつなのか分からないが、エルルゥと同い年のヌワンギが成人していることを考えると、成人していてもおかしくない年齢のはずだ。
今の俺に何ができるかは分からない。しかしこのまま流されていてはいけない。
危険から逃げ隠れしていては、やがて「貧困」「病気」「孤独」などという逃れ得ぬ災厄が襲いかかってくるだろう。
生きているだけではいけない。
いずれこの子が体を取り戻した時、その後の生活に困らないようにしてやる責任が、俺にはあるはずだった。
それになにより、俺自身ハクオロさんの役にたちたいという思いがある。そう思わせるなにか――それをカリスマと言うのならば、この人には確かにそれがある。
俺の現状は不利な材料ばかりだが、一つ……いや二つだけ、俺には大きなアドバンテージがある。
一つは、原作知識。どこまで当てになるかは分からないけれど、将来の大きな流れがわかることは絶対的に有利だ。
そしてもう一つは、ハクオロさんに拾われて、本人が足を運んでくるほど気をかけてくれているという、この境遇。
ハクオロさん本人含め、みんなまだこの叛乱が成功するか否かを知らないが、俺は知っている。
今、俺の目の前に座っているこの青年は、程なく「皇(オゥロ)」と呼ばれるようになるということを。
その人とこの時点で関われたのは、僥倖以外のなにものでもない。
――奇貨居くべし、だ。
俺の本気が伝わったのか、ハクオロさんは言下に駄目だとは言わなかった。
ただやはり、わずかの間考えた後で
「――考えておこう」
と言った。
年齢や体のことなどがあるだけに、即答もしかねるのだろう。
予想していた反応だけに、俺も食い下がらなかった。ハクオロさんが考える時間は、俺にとっても、自分に何ができるかを探る時間となるだろう。
「ともかく今は、傷を治すことに専念するといい」
「ありがとうございます」
「うん。それと、話の順番が若干前後してしまったんだが――当面の君の扱いについて、提案がある」
「俺の、扱い……ですか」
なんのことだろう、と思って首をかしげると、ハクオロさんはかるくうなずき返してから言った。
「たとえば、君の名前だ」
「あ……あー!」
そうだった。そういや今の俺は名無しのゴンベだったか。
「やはり、思い出せないのかい」
「……みたいです」
というか、名前を忘れていることを忘れてました。
そういや昨日ノノイも言ってたっけ。良い名前もらえるといいね、とかなんとか。
どんな名前になるのかなー、好きな名前を名乗れと言われたらどんな名前にしようかなーなんて考えていたら、ハクオロさんたちは驚きの提案を持ち出してきた。
「そこで、こちらから一つ提案がある。――親ッさん」
「おう」
へ? なんでテオロさんがここで?
「坊主、お前ェ……ウチの子にならねェか?」
……な、なな
なななななななな、
なんですとぉーーーーッ!!!
※ ※ ※
あの子をウチの子にできないか、とハクオロに相談してきたのは、テオロの方からだった。
昨夜の出来事――足のことを知らされた時の少年の反応についてと、ハクオロたちの訪問を受けても問題無いというエルルゥの報告が、今朝ハクオロの部屋で行われた後のことだった。
「それは本人の意向もあるが……ソポクさんはなんと」
「ああ、それがなんだか知らねェが、カァちゃんが妙に乗り気でよ。『アンタにしちゃあ上出来な思いつきだよ』だなんて、珍しく誉められちまったぜ」
「ソポク姉さん……」
優しさへの尊敬と、容赦のなさへの嘆息が入り交じった、とても複雑なためいきをつくエルルゥだった。
「見たとこまだ元服前みてェだからよ、それまではウチの子ってことで預かってやりてェんだが、どうだいアンちゃん」
「あの子の為にも、それはとてもいい事でしょう。でも――どうして、あの子にそこまで」
「――だはッ。特にワケなんてねェよ。いうならまあ……罪滅ぼし、ってとこかな」
「罪滅ぼし……」
自分の考えを先回りされたようなテオロの言葉に、ハクオロは目を細めた。
良くも悪くも豪快な言動が持ち味のテオロだが、決して粗暴な人物ではないことをハクオロは知っていた。
辺境の男ってのは、強く、優しく、逞しくなきゃいけねェ、はテオロの口癖で、彼はそのまんまの人物だった。
(そしてこの「男」を「女」に変えるとこれはソポクの口癖であり、彼女もそのまんまの女性である)
その彼が、ずいぶんとこの少年を気にかけていたのはハクオロも知っていた。
罪滅ぼしだと言ったその表情に嘘はなかった。
しかしそれだけでもなさそうだ――そうハクオロは思ったが、追求はしなかった。
「それで、これから本人の意向を確認しに行くんだが……親代わりということで、名前も親ッさんが付けますか」
「ああ、実はもう考えてあるンだ」
ウシシと頭を掻いて笑うその照れくさそうな顔に、なんとなくいつもの豪快さが足りない気がしたのは――ハクオロの気のせいだけだっただろうか。
※ ※ ※
予想外の成り行きに驚いたけれども、俺は結局テオロさんからの申し出を受けることにした。
大きな理由は三つ。
まずはともかく、身元がはっきりしないとなにもできない、ということだ。
みなしごの未成年、のままでは、仕事をしようにも任せてはもらえないだろう。しかしテオロさんは叛乱勢力の中心部に近い人物で、信頼もある存在のはずだ。仕事探しも多少は楽になるだろう。
そして、テオロさんとソポクさんという、ハクオロさんやエルルゥら未来の要人と縁の深いこの二人の養子になるというのは、望外のチャンスのはずだ。
そしてなにより最大の理由は……断れないって、こんな申し出。
ハクオロさんといいテオロの親父さんといい、どうしてみんなこんなに優しいんだろう。こんなにいい人なんだろう。
仕事探しがなんだ、未来の皇との縁がなんだ、というのはほとんど自分への言い訳に近い。
正直に言おう。
俺はこの人の子供になりたくなったんだ。
「……それじゃあテオロさんのことは、”親父”じゃなくて、”父さん”と呼んだ方がよさそうですね」
俺がそう言うと、テオロ――父さんは一瞬きょとんとした顔になり、そのあと奥歯まで見えるほどの大笑いをした。
「親ッさんが”父さん”か。はは、意外な感じだけれど、案外似合ってるな」
「それじゃあソポク姉さんの事は”母さん”になるのかしら。……うふふ」
ハクオロさんとエルルゥも笑っている。
父さん母さんという呼び方だけでこれだけ笑いが獲れるというあたり、二人の世間のイメージがどんなものかを探る
いい材料になるな。
そして、しばし笑ったあと父さんは言った。
「そんじゃあ父親として、お前ェに名前を付けてやる。いずれ本当の名前を思い出すまで、この名前を使いな」
「はい」
「お前ェの名前は 『アオロ』 だ。――文句は受付けねぇ」
腕組みをしてそう告げた父さんに、俺は何度か口の中でその名をつぶやいた後……
「――はい!」
俺は笑顔で頷き返したのだった。