ケナシコウルペ皇およびケナシ族族長として名乗りをあげるため、戦場へ向かう――
俺のその発言にクロウが呆けたような顔をしたのは一瞬で、すぐに牙を剥くようなどう猛な笑みを返してきた。
こんな時に変かもしれないが、それを見て俺はとてもクロウらしい顔つきだと思い嬉しくなった。
やはり、クロウはこういう不敵な笑みを浮かべている方がいい。
だからゲームでもアニメでも好きだったんだ。
「……アワンクル様、それがどういう意味か分かって……ハッ、分かって言ってるんでしょうな。今のあんたなら」
「しゃべり方に地が出ましたね。いいですよ、そっちのほうがクロウ様らしくて好きです」
「――本当に、大将の言ったとおりだぜ、こりゃ」
つぶやくように言ったので最後のには返事をしなかったけれど、ベナウィさん俺について何て言ったんだろ。
まあ、だいたい想像はつくけど。
「ったく、だから俺ァこういうの苦手なんだ……。なら、お言葉に甘えて”前の通り”坊ちゃんと呼ばせてもらいやすがね」
「では私もクロウさん、とお呼びしても?」
「……好きに呼んでくだせぇ。で、だ。坊ちゃん、あんた何を考えてなさるんで。そんなこと聞いたら俺はあんたを――」
そこでクロウはチラリとおれの周囲を見た。そこにはソポク母さんとノノイがいる。
「……俺が何をするつもりか、分かってるんでしょうに」
「そっちこそおかしなことを聞きますね。クロウさんだって分かっていたんでしょう? 私がそのつもりで戦場に同行することを願っているって。だってさっきクロウさん自身がおっしゃいましたよ。血筋を否定しては私にはなにもできないって」
「そりゃあそうですがね。多少はごまかすとか、それらしい理由を言うとかするんじゃねえかと思ったんですわ」
あまりにあけすけな物言いに、俺は思わず笑いそうになった。
さっきまで様つけで御身とか主筋とか言ってたのが、たがが外れたとたんこれだ。
でも、それがいい。
クロウと――俺が大好きなうたわれるもののあの副長と、差し向かいで男の話し合いができている。そのことがたまらなく嬉しい。
そんな密やかな喜びを胸の奥に隠しつつ、俺も殺されたくないのでそろそろ説明する事にした。
「ごまかす? そんな必要がどこにあるんですか。私がケナシコウルペ皇として名乗りを上げる事は、むしろこの戦をもっとも犠牲少なく収める方法だからこそ、危険を冒してまで戦場に行くんです」
「悪いが俺にはさっぱりわからねえ。坊ちゃん、あんたさっき確か俺にこう言いなすった。俺たちは”ハクオロ様を皇として頂く仲間”だってな。……なのに今、あんたはインカラの後にケナシコウルペ皇になろうって言う。しかもそれが戦を丸く収める方法? どういうこったか、納得のいく説明を聞かせてもらいやしょうか」
ごまかしを嫌う、武人らしいすがすがしいほど真っ直ぐな言葉遣いと理屈立てで、俺に向かい合って視線をぶつけてくるクロウ。
その背後に、俺はこの人を遣わしたベナウィの影を見る思いだった。
そして、ハクオロさんのあの優しい眼差しをも思い出す。
――なんて優しい人たちなんだろう。
俺は、一つ誤ったらきっと俺を殺すつもりの人物を目の前にしているというのに、どうしてもそう思えて仕方がなかった。
「簡単な理由ですよ――だって、持ってもいないものを人にあげることはできないじゃありませんか」
きっとこの人たちは優しすぎるがゆえに、俺という少年の人としての幸福を願うがゆえに――思いつきもしなかったか、思いついても実行しようとしなかったのだ。
「私がケナシコウルペ皇になれば、ハクオロ様に皇位を譲ることができます。私がケナシ族族長となれば、新しい國トゥスクル、そしてその皇ハクオロ様は、ケナシ族とウルブ族という旧い國の皇族に支持され皇位につくことになります」
「――!」
「このまま何もせずに戦を進めても、きっとトゥスクルは勝ち、ケナシコウルペは滅びるでしょう。ヌワンギは負け、父テオロはおそらく彼を殺すでしょう――でも、それではだめなんです」
俺は知っている。
原作の世界では、ハクオロさん達の勢力はケナシコウルペを力で滅ぼし、ヌワンギを放逐し、ケナシ族をさんざんに打ち破って流族化させた。そのことでハクオロさんの治世に大きな乱れが生まれたわけではなかったが、周辺諸国からの警戒を余分に呼び、さらにはケナシコウルペ残党による襲撃が多発し民の生活を後々まで脅かしたのだ。
ゲームでは、それはたんなるイベントでしかなく、兵を鍛える手段の一環となっていた。
しかし俺の目に映るこの世界はゲームではない。
戦はイベントではなく、戦いで失った手足は二度と戻らず、死ねば生き返る事はなく、大きな悲嘆が残された家族を包むのだ。
それを――その予測される悲劇を防ぐ、完璧に防げなくとも小さくする力がこの俺にあるのであれば。
そしてそれが、この体の持ち主であった少年の立場をより安定させ、身を守る力を得る事がかなう手段であるのならば。
俺はためらわない――昨夜、月夜の下で俺はそう決めたのだ。
「ハクオロ様は、私の血筋を知ったとき、私をそのような政治的な道具に使えるとすぐに気がついたと思います。そしてそうすればより簡単に、安全に、合法的に、この戦を終わらせ、戦が終わった後の國の統治を円滑に行えるという事も――。あの方は真の王器をお持ちの方です。気がつかないはずがありません。……なのに、そうしなかった。なぜでしょうか」
答えを求めず、俺は目の前の巨漢に首を振って語りかけた。
「ハクオロ様が、とてもとても優しい方だからです。血筋故に全てを喪い孤児となった私に、再び血筋ゆえの業を背負わせて自らの覇業の糧とすることを、ハクオロ様の男気が拒まれたのだと私は思うのです。思い上がりでしょうか。私を護るために、ハクオロ様は私を置いて戦場へ行かれたのだと考える事は」
本当に、心の底からの感謝と共に思う。
ハクオロさんは、呆れるほど優しいひとだ。
血のつながりも何もない一人の子供のために、あっけなく、当然のように、これっぽっちも恩を着せることなく、最善の選択を捨ててくれたのだ。
だからこそ――俺はそれを甘んじて受け入れる訳にはいかない。
「本当にありがたいことです。本当にうれしいことです。あのような素晴らしい方が、今この時代に我らと共にいて下さる事をウィツァルネミテアに百万回感謝いたします。――しかし、だからこそ私は、なおさら戦場に行かなければならないのです。私は私の意志で、この血筋で手に入れられるものを手に入れるために、戦場へ行くのです」
じっと、クロウの厳しい目を見つめ返す。
さきほどからずっと黙って俺の話を聞いてくれているクロウに、俺の心の内が伝わるようにと願いながら。
「私はもう、誰かに護られるだけの子供でいたくないのです。自分の事は自分で護れるように、そして、周囲の人が困っていたら助けてあげたり護ってあげたりできるような力が欲しいのです。とはいえそれは、まもなく滅ぶ腐った國の皇座がもたらす力ではありません。しかし、その権利者としてそれを手に入れそれを譲り渡すことでハクオロ様の治世の礎となる、それが巡り巡って私の力となる。――綺麗事を抜かして言えばそう思ったからこそ私は戦場へ行くのです。……クロウさん、貴方が連れて行ってくれるのなら、ですが」
俺はそこで口を閉ざした。
話すべきことはすべて話したからだ。
考えていることの全てを話したわけではないが、省いた部分は要点ではない、おまけのようなものだ。
クロウはしばらくそのまま、俺の言葉を吟味するように黙り……
しばらく後に、俺の目を見ながら、小さな声でこう質問してきた。
「……一体何者だ?」
どういう意図の質問か分からなかったけれど、俺は少し考えて、つまりは今の長い話を要約しろと言ってるのだと思いこう答えた。
「前皇ナラガンの子アワンクルとして戦場へ行き、テオロの息子アオロとして戻ってくる予定の者、です」
すると、クロウは本日二度目の呆けたような顔になり、前のめりだった姿勢が崩れ、そして全身に張り詰めさせていた緊張感を綺麗さっぱり消し去ってしまった。
くっ、と小さな声と共に肩が震え、心配して見つめる俺をみてさらに肩が震え……
「くっくっく……あーっはっはァ! 何だそりゃあ!」
「あ、ひどいですよクロウさん。そんなに笑うなんて! 本気なんですからね!」
「だからですぜまったく! 坊ちゃん……くっくっく。さすがの大将もここまでとは思って……いや、大将なら……」
笑っていたかと思うと、急に考え込み出したクロウに、俺もノノイも母さんも首をかしげている。
なんだか妙な事になり始めた場の空気を破ったのは、俺のすぐ後ろから進み出たソポク母さんだった。
「な、なんだかこ難しい話してなすったけどさ。結局隊長様、うちの子を連れて行ってくれる件はどうなったんでしょう?」
「あー、お袋さん。心配させて申し訳ねぇ。約束通り、傷一つなくハクオロ皇の元までお届けさせていただきやすぜ」
「本当かい! ありがとうございます隊長様。ほらアオロ、あんたもちゃんとお礼言いな」
「クロウ様、ありがとうございます! よろしくお願い致します!」
「……本当に、何者だよ……」
聞こえてるぞ、本音が。
しかしまあ、これでようやく出発か。
――と思われたその時。待っていたかのようにエルルゥが「失礼します」と部屋に戻ってきた。
その手には、焦げ茶色の一本の細い帯が持たれている。
「すまないね、エルルゥにまで手数かけちまって」
「いえ。もうほとんどできていましたから」
「そうかい。ノノイが頑張ってくれたおかげだね。ありがとうねぇノノイ」
「……ちょこっとだけだし」
そんな話を交わしながら、母さんはその帯をエルルゥから受け取る。
そして、俺の横に歩み寄って俺を立たせ、逆に母さんは膝立ちになって俺に話しかけてきた。
「アオロ。アンタは昨日の夜、あたしにこう言ったね。この戦が終わっても、アオロと名乗ってもいいかって」
「……うん」
「そしてさっき、アンタはこうも言った。アワンクルとして戦場に行き、アオロとして帰ってくるって」
「うん」
「……なら、アンタはこれからもウチの子だ。あたし達にとっちゃあ偉いどこぞの皇様の御落胤なんかじゃなく、あたしとうちの宿六の子供だ。そういうことで、いいんだね?」
俺はふと、先ほどエルルゥから聞かされた「アオロ」という名の持つ意味を思い出した。
「うん。それがいい」
「――そうかい」
母さんは、俺の言葉にふんわりと優しく微笑み。
それから、きっと口元を引き結んで俺に告げた。
「それなら、戦場へ向かうアンタを子供のままにはしておけないね。親の責任として、アンタを元服(コポロ)させてやらなゃいけない」
俺はそこではっとした。
元服(コポロ)、そして帯(トゥパイ)。
これはこの世界で、一人前の男として社会に認められるための儀式と証しであったはず。
「本当は僧をお呼びして家長が立ち会って行うもんなんだけど、今この國に僧はいないし、宿六は戦に行っちまってるからね。――隊長さん、申し訳ないけど、この子の元服の立会人になってやっちゃくれませんかね?」
「俺で良いんですかい? 喜んで、勤めさせていただきやしょう」
「エルルゥ、ノノイ。あんた達もいいかい?」
「はい」
「立ってるだけでいいの? ……なら、うん」
俺を置き去りにとんとん拍子に話がまとまり。
「――命たるイェ、ネアラオンカミ、アニクシエテ、ヤティケル
絆たるマゥ、クビラオンカミ、ハタクエトゥイ、コポロクッカム
カティム カティム アオロ ミサップ
クエセ、ソポク、ポトゥム、ソトゥカイ」
母さんが、よく分からない言葉で、祝詞らしきものを上げ。
「――クエセ、エルルゥ、ポトゥム、ソトゥカイ」
「えっと――クエセ、ノノイ、ポトゥム、ソトゥカイ」
エルルゥとノノイが神妙な顔でそれに和し。
「――クエセ、クロウ、ポトゥム、ソトゥカイ」
クロウもまた、目を閉じて真面目な表情で祈りを捧げた。
そして最期に、母さんが目線で「今だよ!」と合図をくれたので、さっき教えられたばかりの言葉を、俺も跪いて恭しく申し述べるのだった。
「――ケラン、クエセ、アオロ、ポトゥム、ソトゥカイ」
――こうして俺は。
戦場に向かう直前の早朝、藩城の片隅の一室で。
蔀から差し込む白い光の中あわただしく元服を行い、大人となったのだった。
※ ※ ※
「――ケラン、クエセ、アオロ、ポトゥム、ソトゥカイ」
クロウは、目の前で元服の祝詞をたどたどしく読み上げる少年の姿を、目に焼き付けるように見つめている。
ついさっきまで、大人顔負けの理屈と言葉で熱く思いをぶつけてきた少年と、ソポクというこの母親に子供扱いされてちょっと嬉しそうな男の子は、果たして同一人物なのだろうか。
なにより、クロウが知っているあのチャヌマウの「アワンクル」とは……
クロウは、自分の任務が失敗した事を悟った。
見定めろ、とベナウィから命じられていたが、クロウは素直にそれが失敗した事を認めた。
わからないのだ。
クロウも、荒くれどもを長年鍛え率いてきた強者だ。軍にはいろんな奴が来る。
性格であったり背景であったり能力であったり、さまざまだ。中には男女を偽って入ってきた者もいた。
その中で磨いてきた人を見る目に、クロウはいささかならず自信を持っていた。
嘘をついているか、本気なのか、悪意があるのか、覚悟があるのか……その嗅覚はクロウをこれまでずっと助けてきた。
細かい事までは分からずとも、大事な事は気がついた。
それは今でもそうだ。
クロウの嗅覚は、アオロの言葉を「本心からのもので、覚悟もある、本気の本音だ」と判断した。
それに間違いはないだろう。
ハクオロ皇とトゥスクルというこの國に害をなす気は一切無く、むしろ差し出すために戦場に行くと言っている。
インカラが死んだらヌワンギを抑えてケナシコウルペの皇位を名乗り、ハクオロ皇に禅譲する。
少年が語った計画は、実に合理的なものだった。それによって生まれる利点は、自分のような政治に疎いものでもなんとなく想像が付く。クロウは少年の言葉のどこにも、ごまかしの気配を感じなかった。
……だからこそ。
クロウはもっとも大事なことがわからなくなるのだ。
『この子供は、一体何者なのか?』
しかし、つい口からこぼれたその深甚なる問いを聞いたこの少年は、とぼけたようにこう言ったのだ。
「アワンクルとして行き、アオロとして帰る者」 と。
その言葉もまた本心であるとわかる。だが、クロウが知りたいのはそういうことではない。
いまさっき言葉を交わした少年は、間違いなくあのチャヌマウにいた少年である。
しかしあの少年とは、あまりに魂のありようが異なるのだ。
あの、いつもおびえたような顔で人の顔色をうかがい、泣かない代わりに笑いもしない、たまにしゃべったと思えば小声で挨拶をするだけで、痛みさえ伴うような必死の表情で楽器の扱いを母親から仕込まれていた――うつむいた顔しか思い出せないあの少年とは。
……とはいえ、この少年にこれ以上問うても答えが得られるとは思えなかった。
――なあに、まだまだ時間はある。
先行する本隊に追いつくには一両日ほどもかかるだろう。その間に言葉を交わせば今少し理解も進むだろう。
クロウはそう思って、再び少年を見やる。
今まで巻いていた紐帯を外した少年は、新しい帯を母親の手によって結ばれくすぐったそうな顔をしている。
年の近い少女ふたりに祝いの言葉をかけられたり、からかわれたりして、照れたり言い返して笑ったりしている。
クロウはふと、これはこれでいいのではないか――そんな思いを抱いた。
そういえばこの少年が子供らしい無邪気な顔で笑っているのを、クロウは初めて見たのだ。
(戦場なんぞに行かなくても、穏やかに生きていこうと思えばできるだろうに……『護られるだけの子供ではいたくない』……かよ。チッ、いけねぇ。情が沸いちゃあ目が濁っちまうってもんだぜ)
「そんじゃあ、いいかい。だいぶ端折っちまったけど、これで元服の儀は終わりさね。 最期の手拍子、いいかい?」
「はい」
「はーい!」
「へいへい! 待ってやしたぜ!」
「えっ、ちょ、ちょっと待って、もう一回教えて!」
「あーもう、鈍くさい子だね。いいかい最後だよ? パパパンパン パパパンパン――」
――クロウはとりあえず、結論を急ぐ事をやめることにして。
今は、手拍子が覚えられずに首をかしげる少年を指さして大笑いしてやることにした。
2015/11/01 投稿
2015/11/03 誤字修正