タトコリ攻めの凱旋から、明けて翌日。
ハクオロは民を藩城の広場に集め、本殿二階の露台から語りかけた。
トゥスクル建国と自身の皇位就任について農民たちにも理解できるように平明な言葉で語られたそれは、文書化されインカラの横暴に苦しむ
全土の民へと届けられることとなっており、同時に農民達が口伝いに広めていくこととなった。
――『トゥスクル建国宣旨』
後にこの國の基本法(憲法)の原案となったこの有名な演説が、もともとは無学で貧しい農民達への語りかけであったことは注目に値する。
以下は、その抜粋である。
※ ※ ※
「(前略) 新しい國を造り、私がその皇になるということに驚き、疑いや不安を感じる者もいるだろう。それは当然のことだと思う。
なぜなら、皆はあまりにも長い間、國や皇というものに裏切られ、奪われ、殺されてきたからだ。
インカラが私に、ケナシコウルペがトゥスクルに変わるだけで、結局は同じ事が始まるのではないかと思う者がいることも承知している。
しかし、このことは覚えて欲しい。
トゥスクルは、私たち農民が作り上げた國だということを。
皇はヤマユラという、辺境の山奥から来たのだと言うことを。
辺境の苦しい暮らしを、私は知っている。
痩せた土地を耕し、ようやく作り上げたモロロを根こそぎ巻き上げられる悔しさを知っている。
収穫前の畑をキママゥの大群に襲われ、糞を投げつけられたことだって何度もある。
病、災害、難民、飢え、戦……私も、私の家族も、そのつらさ、悲しさ、悔しさを、この身をもって知っている。
インカラは果たして知っているのだろうか。 それでも私とインカラは同じだと思われるだろうか。
私は知っている。
森の恵み、太陽の恵みに感謝して日々を送る、農民たちの美しさを。
苦しいときは助け合い、お互い様だと言って惜しみなく分け合う皆の優しさを。
たわわに実った作物を籠いっぱいに収穫する喜びと、精一杯働いた一日の夕餉に友と酌み交わす酒の旨さを――私は、知っている。
新しい國の名に、私はトゥスクルさんの名を頂いた。
この事は、トゥスクルさんの家族も、ヤマユラの皆も同意してくれた。
皆も知っての通り、私たちは村長でもあり命の恩人でもあったトゥスクルさんを、ササンテの兵に殺された怒りでこの乱を始めた。
しかし、トゥスクルさんの名を國の名に掲げたのはその怒り、憎しみを忘れまいとしてのことではない。
彼女の生き方――そう、死に様ではなく、その生き方を、忘れないで欲しいからだ。
彼女は誰からも尊敬される、立派な薬師だった。多くの人の病を癒し、苦しみから救い、進んで助けた。
決して万能の超人というわけではなかったが、誰かを助けるため自分に出来ることがあるなら何でもしようと決めていて、その通りにしていた。
私はこの國を、そういう國にしたいと思う。その願いを、祈りを、彼女の名に託して國の名に掲げさせてもらった。
私たちはこれからインカラを倒し、ケナシコウルペという國を終わらせる戦いを始める。
しかしそれは手段であって、目的ではない。怒りや憎しみが激しく強い力を生むのは確かだが、怒りや憎しみを基に作られた國はやはり再び
怒りや憎しみを生み出すだろう。
そういうものは、もういらない。新しい國はトゥスクル――助け合い、支え合う、あの老薬師のような國になるのだ。
國あっての民ではなく、民あっての國。
新しい國を、皆と共に作りたい。
どうか、力を貸して欲しい――」
※ ※ ※
ハクオロの演説を、農民達は耳を澄ませて聞いていた。
実のところ今のこの話の内容は、一昨日の夜タトコリに出撃する時に城門前で兵たちにハクオロが語った内容を整理し、膨らませたものであった。
なのでテオロたちのような兵たちにとっては聞き覚えの有る内容ではあったのだが、彼らの目もまた、初めて聞く者達と同じように輝いていた。
居丈高なところがなく、優しく理解を促すように語りかけるハクオロの姿は旧来の支配者像からは大きく違っていたからだ。
とはいえ、それに威厳の不足などを感じたりしたわけではない。
ただ単に、親近感を覚える皇などという者に、彼らは初めて出会ったのだ。
語るハクオロの背後に、オボロやテオロなど、乱に参加した勢力の主立った者達が並んでいるのも大きかった。
チクカパ村の村長や、タトコリの向こう側から同様に招いた代表者など、見慣れない顔も並んでいる。
そして何より、ハクオロのすぐ側――ハクオロを挟んでオボロの反対側に立つ男、ベナウィの存在感はただならぬものがあった。
タトコリ峠におけるベナウィとハクオロの一騎打ちの様子は、すでに昨夜のうちに帰還した兵たちの口から幾度となく熱っぽく語られ、もはや
知らぬ者など無いほど知れ渡っている。
所詮インカラの手下ではないか、仇ではないか、という声が無かった訳ではない。しかしベナウィは焼き討ちをして居らず、むしろすぐさま止め
るように幾度も諫言していた事実が知れ渡ると、それもやがて止んだ。
もともとベナウィの率いていた直属部隊は比較的素行の良いことで知られており、盗賊退治や国境警備などでベナウィに助けられた民も多かった
のである。一晩経った今では、頼もしい仲間であると多くの人が思うようになっていた。
一部の女性陣はむしろ、その端正な顔立ちに熱心な支持を表明しているようであったのだが。
ともあれこうして公式に建国が宣言され、「インカラによる非道を早期に終結させる」ことを当面の目的とすることが告げられた。
この演説はあくまで仮のもので、正式な建国の儀式はその後に成されることも告げられた。
なにしろ現状、儀式を行う社もオンカミヤムカイの僧もいないのである。
単なる大規模な叛乱から新国家による革命へと変化したこの戦いに、人々は意気を新たにするのだった。
夜、ハクオロは主立ったものたちを一室に集め軍議を行った。
チクカパ村の村長から、改めて救援への感謝が告げられ、同時に國中部の惨状が生々しく語られた。
命がけでやってきた青年フマロからある程度聞いていたとはいえ、村長が涙さえ流さずに淡々と語るインカラの非道に、座のあちこちからはうめき
のような声が度々漏れた。その者達は自分自身の経験と、あるいは重ね合わせているのかもしれなかった。
彼は最後にこう言った。
「ハクオロさま、今こうしているこの時も、山の向こう、峠の向こうではどこかの村が焼かれ、民が殺されております。
どうか、どうか、お救いください。わたしもわたしの一族も、皇に全てを捧げます。ですからどうか……!」
ひれ伏す村長に、ハクオロは言った。
「わたしはそのために皇となった。
頭を上げてくれ。そして一緒に考えて欲しい」
地図が広げられ、敵味方を表す駒と砦や陣地を表す駒が並べられた。
険峻な峠で遮られたこの国土、ハクオロたち東部や北部の民は、中部西部の地理に明るくない。
そこでまずチクカパ村の村長をはじめとする中部の代表者たちからの説明を受ける。それからベナウィが朝廷の軍の配置などを示し、およそ信頼
できる図面ができあがった。
意見を求められ、ベナウィが口を開く。
「いまだ兵力、装備、共にあちらが優勢です。甘く見てかかることは出来ません――が」
「なにか考えがあるのか」
「はい。ここはあえて、兵を二つに分けましょう」
ベナウィの主張する作戦はこうである。
タトコリを抜け、この國有数の穀倉地帯であるハヌ盆地に出ると街道は二つに分かれる。
皇都へ向かう北街道と、南部國境へ通じる南街道である。
街道に面する主な町、村の総人口が多いのは北街道であるが、独立の気風が強い南部はもとよりインカラへ友好的ではなく、為に現在焼き討ちの主な
標的になっている可能性が高い。それを救えば、味方につけることは難しくないだろうとの予想である。
また、インカラ勢は兵数は多いものの、実態としてインカラに忠誠を誓っているのはごく少数であり、農民出身の兵たちの間には焼き討ち命令への
動揺が広がっていることなどが告げられた。
「通常の戦をしてはいけません。これは一人でも多くの民を救うための戦であるはず。ならば、目標は二つだけです」
虐殺の命令者であるインカラと、実行者であるヌワンギ。
「――彼らを斃せば、この戦は終わりです」
表情一つ変えずにそう言い切ったベナウィの言葉に、座に着く面々はつくづくこの男が味方になってくれて良かったと思うのであった。
この作戦案は満場一致で受け入れられたが、問題はその後であった。
誰が、別働隊を率いるか、である。
「兄者! 今度こそ俺にやらせてくれ!」
「皇よ、我らがコロトプの騎馬隊をお忘れ無く」
「ヤッカもいるぞ! 森の民の力を見せつけてやる!」
方々からあがる勇ましい声を受けながら、ハクオロは隣に控えるベナウィの涼しい顔を見た。
ベナウィは何も言わず、ただ皇の御心のままにとでも言うような表情で見返してくるだけである。
それで、ハクオロは心を決めた。
「ベナウィ」
「はっ」
「お前はワッカイ、コロトプ、エクド、その他二千を率い北街道を進み、速やかに皇城を落とせ」
「――はっ」
「私は本隊を率いて南部へ行きヌワンギを討つ。オボロ、付いてこい」
これには場が騒然となった。
「ちょ、ちょっと待ってくれ兄者! こいつにいきなり二千を渡して別働隊を――しかも皇城をだと!?」
「なにか問題があるのか」
「ある! 危険だ、兄者。そのままその二千を率いてインカラへ降らんとも限らないじゃないか!」
「オボロ」
短く名を呼ばれると、オボロはびくっとして口をつぐんだ。
しかしハクオロは叱らず、諭すように語るのであった。
「考えろ、オボロ。その二千のほとんどはベナウィの兵ではなく、東部の部族の民たちだとわからんか」
「………」
「それに、お前の言うとおりベナウィに未だインカラへの忠心があったとして、ならばお前はそんなベナウィと私を二人にできるのか。インカラ側
からすればこの戦、私の首を取れば終わりなのだぞ」
「……ぐっ」
「今はインカラを討つことを何より優先する。それには不要の戦を避けて皇都へ急行し、皇城へ乗り込まねばならない。それには、騎馬隊(ラクシャライ)
を組織でき、地理に明るく、皇城の構造にも精通しているベナウィが適任だ。一方南部では軍を率いるヌワンギと決戦があるかもしれぬ。そのような
戦こそオボロ、お前とお前の一族の力の見せ所ではないか」
こうしてハクオロの決定に全員が納得し、その後いくつかの確認がなされて軍議は終了となった。
明日一日は準備に充てられ、中央への進軍は明後日早朝と決められた。
三々五々散っていく代表者の中で、ハクオロはベナウィを呼び止めた。
「聖上、なにか御用でしょうか」
「その聖上というのは――いや、なんでもない。それより、お前に会わせたい者がいる」
「私に……?」
わずかに眉をひそめ怪訝な顔をするベナウィは、直後、その表情を固いものに変えた。
「そうだ。――エルルゥ、すまないがアオロを呼んできてくれないか」
「はぁい」
アオロ。
その名は昨日、城門上でユナルを弾いている姿をみてハクオロがつぶやいた、あの少年の名前であるに違いなかった――。