「タトコリが関守、ベナウィに告ぐ。疾く開門せよ! ハクオロ皇のお出ましである!
いざ、武器を捨て門を開け、新しき皇(オゥロ)を迎えよ――!」
戦鼓の轟きが消えたあとに残った静寂を、ふれ係の朗々たる美声が貫いて響く。
開門せよと求めるそれが、事実上の降伏勧告であることは誰の耳にも明らかだった。
「新しき――皇(オゥロ)だとォ?!」
「農民どもがなにを……」
兵達の間からは困惑の声に混じって失笑が聞こえる。
もとからこの國の兵たちは、民のほとんどを占める農民を軽く見る傾向にあった。
彼らにとって農民とは、租(税)という名の乳を搾り取るために存在する無抵抗な牛(ネウ)のようなものであったのだ。
そんな奴らが皇を名乗るとは!
……しかしその一方で、彼らは違和感に戸惑ってもいた。
農民が考えることにしては、皇を名乗るというのは”大きすぎる”のだ。
過去インカラの治世で叛乱が起きたことが無いわけではない。しかしそのどれもが、怒りと不満のエネルギーだけで爆発したような無計画なもので、
事実そのほとんどが具体的な要求も目標も無いためにすぐに最初の勢いを失い、自壊するように鎮圧されていったのだ。
新しい皇を名乗った者などいなかった。あくまで、ケナシコウルペという國の中での出来事であったのだ。
しかし、いまこの門の前に集まった奴らはどうだ。
皇を名乗る男のもとに、実に統率がとれている。払暁とはいえ見張りに気付かれることなくこの距離までこの軍勢を移動させている。
しかも先ほどの戦鼓を使った演出はどうだ。読み書きもろくにできないはずの農民達が考えつくことではない。
そして今のふれ声――形式といい声の張り方といい、あれはまるで本物の皇の使者が上げるような堂々としたものだったではないか!
兵達の間から漏れる侮りの声も嘲る笑いも、どこか弱含みで、自身の不安を振り払うための強がりのような響きが否めずにいる。
一方、ベナウィとクロウははじめから彼ら叛乱民を侮ってはいない。とはいえ彼らも驚愕と無縁でいられたわけではなかった。
そして二人を驚かせたのも、字面だけ見れば配下の兵達とかわらない理由であった。
(皇……!)
クロウは焼け落ちた集落――二人にとって因縁の場所でもあるチャヌマウで対峙した、白い仮面をはめた不思議な男の相貌を脳裏に描いた。
手前で威勢良く吠えていたあの細い若造とは違う、落ち着いた眼差し。穏やかな声。劣勢に立たされながらも堂々とした振る舞い……。
会ったのも、言葉を交わしたのもただそれだけである。
なのにいまだあのときの全てをクロウははっきりと覚えている。忘れられないのだ。
それは彼の大将であるベナウィも同様であった。
クロウは副長として常にベナウィの言動を側で見てきたから、誰よりも、もしかするとベナウィ当人よりも確信もってそのことを断言できる。
ベナウィは、あのハクオロという男に強く惹かれている。その存在と言葉を常に意識している。
これはクロウの目から見れば極めて明らかなことだった。
昨夜彼ら二人は関破りを見逃した。捕らえた青年に「行きなさい」と命じて峠の向こう側――ハクオロらの支配地域へ去らせたベナウィの決定は
彼のハクオロへの期待の大きさを示すなによりも明白な証拠であった。
その期待にたがわず、ハクオロとその一派はすかさず行動を起こしてきた。しかし昨日の今日でこれほど早く攻め寄せてくるとはと感心はするが、
攻めて来たことそれ自体は不思議でも何でもない。予定通りと言っても良い。ベナウィとクロウがこのタトコリにいるのも、反乱軍をここで封じ込め
るためだったのだから。
しかし――皇を名乗るとは!
細作らを用いて集めさせた反乱軍の情報のなかに、彼らが新しい国家を名乗ったとか、皇を立てたなどという情報はなかった。
だとすれば――
クロウは武者震いに奥歯を鳴らし、先んじて門へウォプタルを進め始めたベナウィの後を追う。
「大将――!」
鞍を並ばせ声を掛けようとしてその横顔を見たクロウは、その表情に言葉を呑んだ。
否……表情は常と変わらず内心を伺わせない冷めた白皙だが、その全身からクロウでさえ一瞬たじろぐほどの闘気が放射されている。
――まるで一國の存亡を賭けた決戦へ赴く時のように。
クロウは驚きに満ちた表情で馬の足を緩め、話しかけられたことにも気がつかぬ様子で歩み去るベナウィの後ろ姿をつかの間見送り……
「――オオオッシャアア! 行くぜお前ら!」
「「 応!! 」」
自身でも出所のよく分からない高揚と歓喜に心満たされ、兵達に向かってそう吠えるのであった。
※ ※ ※
「……遅い!」
一方、門の外では気の短いオボロが焦れていた。
開門を迫ってすでに四半刻が経っている。眼前にそびえる関壁の向こうからは兵が動く気配や掛け声が伝わってくるので、こちらに無反応という
訳ではないのは確かではあるが、返事はいまだ返ってこない。かといって門を開いて突撃してくるでも弓合戦を仕掛けてくるでもない。
四半刻といえば一刻の半分の半分。自室でくつろいでいれば気も付かぬうちに過ぎ去るほどの時間ではあるが、戦は時の長さを引き延ばす。
オボロだけでなく、周囲の面々も焦れ始めている。さもなくば、緊張し続けることに疲れ始めている。
(見事だ、ベナウィ)
ハクオロはそれをベナウィの策であると読んだ。
なにも相手の士気がもっとも高まっているときに相手をする必要はないのだ。
こちらの手勢の大半はただの農民。付け焼き刃の訓練を施したとはいえ、戦場慣れするほどの経験には遠く及んでいないのが実情だ。
あちらは人数で劣るとはいえ正規の訓練を受けた國軍兵。名将ベナウィに率いられており、その上陣地にこもって構えている。
時間はベナウィたちの味方であった。
(しかし……まだだ)
今は、まだ。
ハクオロは吹き付ける風にわずかに眼を細めながら今少し待つことを決めた。
無策なのではない。敵がこのままだんまりを続けるようであればハクオロにも策がある。敵を否応なく戦いに呼び込む手立てがある。
しかし――
(試されている。そして……自分を観察している!)
すでに戦いは始まっているのだ。
刃を交えずとも、矢を射交わさずとも。
ハクオロはオボロに眼をやり、まだ待て、油断するなと無言で伝える。
オボロは狼のような鋭い眼をしながらも頷き、腰の得物をいつでも抜き撃てる構えで城門を再び睨み付けた。
オボロも成長している。以前であれば「行かせてくれ兄者!」と騒ぐところだっただろう。ハクオロはその様を一瞬想像し、こんな状況である
にも関わらず少し可笑しくなった。
奇妙な経緯で兄弟と呼び合うようになったこの火の玉のような男がなにやら可愛いやら頼もしいやらで、ハクオロはほんの少し口元を緩め――
――ギンッッッ!!
突如飛来した稲妻の如き強弓が、ハクオロの眼前で火花を散らし叩き落とされた。
ぱさり、と存外軽い音を立てて真っ二つに切り落とされた矢が足下に落ちる。それと前後して、闇の中を飛ぶ矢を一刀のもとに切り防ぐという
離れ業をやってのけたオボロが足音も立てずに着地し、今こそ狼そのものの声と顔で門の真上にある櫓を睨み上げおそろしい声で吠えた。
「貴様アアッ!!!」
「へぇ……今のを防ぐたあ、なかなかいい目をしてるじゃねえか。ちっとは見直したぜ」
姿を現したのはチャヌマウでベナウィと共にいた、顔に傷のある大男だった。
ハクオロは顔の前で開いていた鉄扇をぱちりと閉じて、ざわめき出す周囲の仲間を右手一本で制する。
ハクオロは黙っている。
櫓の上の男を見つめながらも、語りかけることはしない。
――相手が違うのだ。
ハクオロが何故ここにきたのか。
そして何故夜襲という選択肢を捨て、こんな回りくどいことをしているのか。
そう、全ては……
「――皇の名を騙ることがどれほどの重罪か、貴方は知っているのですか。ハクオロ」
「皇の名の下に國を蝕むことがどれほどの罪か、知らないお前ではないだろう――ベナウィ!」
――この男と、対峙するためなのだから。
※22.10.26 誤字、誤表現修正
※22.11.03 誤表現修正(ご指摘感謝!)