「……かりし……、……!」
声が……
「――るぞ! おい……!」
――誰だ……
誰かの必死に呼びかける声に、水底から浮上するように意識が蘇る。
その瞬間。
「――がっ! うあ……あ……っ!!」
生皮を剥がれるような激しい痛みに全身を貫かれ、そのまま再び意識を手放しそうになる。
暴れてもがいたその手を、誰かが強く握りかえしてきた。
「あああっ……痛い……っああ……っ!」
「落ち着け! 大丈夫だ! 俺たちは味方だ!」
みか……た……?
なんなんだ……ここは、俺はいったい――
ああ……頭が……背中が……
体中が――イタ、イ……!
「生存者か」
「兄者――ああ、顔と背中に火傷。それに頭を強く打っている。このままにはしておけん! くそっ、あいつら……!」
憤りを隠しきれない声がすぐそばで聞こえる。
どうやら俺はだれかに抱き起こされているらしいのだが……
「「若様、僕たちはウォプタルを連れてきます!」」
「オボロ、今一度集落を回って他に生存者がいないか確認してくれ。――アルルゥ、すまないがこの子をムックルの背に乗せて砦まで運んでくれないか」
「――ん」
まて……今、なんて……。
「オボ、ロ……アル……ルゥ……?」
「気が付いたか。そう、お前を見つけた者の名はオボロ。そしてこの子がアルルゥ。私はハクオロだ。――お前の名前は」
「名前……なま、え……うううっ! あた、あたまが……ぐぁあ……っ!」
「もういい、しゃべるな。オボロ! 私とアルルゥは先に戻る。お前達は捜索を続けてくれ」
「分かった!」
オボロ……アルルゥ……ハクオロ……。
なんだそれは。
なんだこれは。
それじゃまるで……
「おとーさん」
「よし。早く帰ってエルルゥに見せよう。なるだけ揺らさないように走るようムックルに言ってくれ」
「ん」
不意に痛みが遠のいた。同時に全ての音が遠くなってゆく。
激痛のあまり俺の体はふたたび意識を手放すことにしたらしい。
しかしちょっと待ってくれ! 俺は最後の力を振り絞って目を開き、あたりを見渡した。
そこには、なぜかいつもより狭い視界の中、白い仮面を付けた男と黒髪の少女がうっすらと見えた。
その背景には、黒く焼け落ちた建物の残骸と幾筋も立ち上る煙……。
――なんだ。
俺はこの景色に見覚えがあるぞ。
この娘にも、この男にも見覚えがあるぞ。
しかしアレはフィクションで……しかし、しかし……
「まるで……これ、じゃ……」
そう、まるでこれじゃあ……
(『うたわれるもの』の世界じゃないか――)
俺の意識は、そこで闇に落ちた。
※ ※ ※
辺境の集落ヤマユラに住み、國を越えて人々から敬愛を集めていたある高名な老薬師の、非業の死。
それは愚皇インカラによる暴政に耐えてきた人々に、叛乱という選択をさせるに足る出来事であった。
ヤマユラの民は農具を捨て武器を執り、蔵を開いて復讐の戦いを開始した。
彼らはしばらく前から集落に住み着いていた仮面の男、ハクオロに率いられ藩主ササンテの砦を攻め、これを一夜にして落とす。
皇弟でもあったササンテは死に、息子のヌワンギは逃亡。
ろくな戦闘訓練もしていない農民達による戦にしては、考えがたいほどの大勝利であった。
しかし勝利に沸く村人たちとは対照的に、ハクオロの表情は晴れなかった。
なぜなら、勝ってしまったことで自分たちが朝廷による正式な討伐対象となってしまうであろうことが、彼には誰よりも分かっていたのである。
その上、インカラの弟であるササンテを死なせたのである。
降伏したとしても、インカラはもはや許すまい。
人々の先頭に立って、戻れぬ道を歩み始めたハクオロは、勝利に浮かれることなどできなかったのである。
自分たちが破壊した砦の修復を急ぎ、物資をかき集めつつ、ハクオロは叛乱に加わるよう近隣の集落へ働きかけることを決意する。
「戦に巻き込むのだから、自分自身が直接出向いて誠意を示さねばならない」
そう言ってハクオロがわずかな供回りだけをつれてチャヌマウの集落へ向かったのがその日の午前。
しかし、そこで彼らを待っていたのは――
※ ※ ※
「チャヌマウが……全滅!?」
夕刻、日の暮れる頃に帰還したハクオロからの報せに、砦の中は騒然となった。
「全滅って……どういうことでい! アンちゃん!」
「親ッさん。ともかく今は、この子を早く部屋に」
「この子って――うっ、ひでぇ……わかった、話は後だ。エルルゥの部屋までオレが運んでおくぜ」
一緒に行かなかったはずなのに、なぜか一緒に戻ってきたアルルゥがまたがる大きな獣――ムックルの背中から、テオロはその逞しい腕で、気を失った少年の体を抱き上げた。
年の頃は十四・五だろうか。
今は土とススでよごれてしまっているが、ムックルの背の上でうつぶせのまま投げ出されているその手足や頬は、日焼けの薄い白い肌をしている。
濃緑の衣服の背は繊維が一部炭化するほどに焦げており、破けた布地の下からはじくじくと血と体液をしみ出させている火傷のあとが覗いており、それは白い肌と相まってなんとも痛ましい眺めであった。
傷口に触れぬようその少年をうつぶせのまま抱き上げて運んだテオロは、エルルゥの指示で床に敷かれた清潔な寝台の上にその体を下ろす。
ぐったりと力の抜けた細い四肢に、苦悶に歪んだままの顔。
強面で豪快だが気の優しいテオロはその顔を見ていられずに、うつぶせに寝かせたその顔を逆の方へと向け――テオロはそこで、火傷が顔にまで及んでいたことを知ったのであった。
「こりゃあ……焼けた柱かなんかが頭に当たっちまったんだろうなぁ」
「ひどい……火傷のキズは跡が残るんです。それに、早くしないと腐っちゃう……!」
言いながらもエルルゥの手はこまごまと動き、いくつかの薬草を長持から取りだしてすりつぶし始める。
「ヒムカミ(火神)にはクスカミ(水神)。テオロさん、くみ置きじゃない冷たい水を樽いっぱいお願いします!」
「おうよ、任せとけ!」
「エルルゥ、何かあたしでも手伝えることはないかい?」
「ありがとうございますソポク姉さん。わたしは頭の傷を見ますから、このすり鉢をお願いします!」
※ ※ ※
エルルゥたちの的確で献身的な介護の甲斐あって、チャヌマウの少年は一命を取り留める。
峠を越えたとの報告がハクオロの元に届けられたのは、運び込まれた次の日。
しかし、彼はその後なかなか意識を取り戻さなかった。
――もしかしたら彼は、目覚めることを拒んでいるのではないか。
事情を知った大人達がつい、そうつぶやいてしまうほどに。