「それで、一体何があったんです?」
まだ固まったままの、バルクフォン卿に再起動を促すように声をかける。
「あ、ああ、びっくりした」
「お・と・う・さ・ま! 何があったのですか?」
更に追い打ちをかけるように上目遣いも加味してみる。
あら、結構面白いかも?
「おま、突然それって卑怯じゃない?」
バルクフォン卿があふれ出る冷や汗を拭くようにハンカチを取出し額を擦る。
「大体、今までそんな呼び方一度もしたことないのに、何で突然?」
「あら? そうでしたかしら、それは失礼致しました。 お・と・う・さ・ま!」
そう言えば何故かしら?
ああ、そうだわ、この呼び出しできっと明日が変わると思ったからだ。
でも教えてやらない、この色ボケ中年には。
「あー、良いや、話さなくても。 それより、突然呼び戻した理由なのだが、実は皇帝が屋敷に来たんだ」
さすが、色ボケエロ中年。
鋭いわね、それ以上突っ込んで来ない。
しかし、皇帝が屋敷にって、色ボケ…… ああもう良いわ、卿の秘密がある程度ばれたのね。
アンナはそう思いながら、バルクフォン卿の話に耳を傾けるのだった。
「お待たせ致しました」
俺は可能な限りの笑みを浮かべホールに入った。
中央にしつらえたソファには四十前の壮年の男性が腰を降ろしている。
その左手後方にはニヤニヤ笑みを浮かべたボーデ爺さん。
右手の壁ぎわには今まで話をつないでいたのだろう、グロリアが端然とした顔で立っている。
しかしながら、そのグロリアも一瞬だけこちらに向けた瞳の中には、隠しきれない不安の色が見えた。
逆にその横に立つアマンダは俺の杖を両手でしっかり握り締め、不安の色も隠しきれないまま視線を彷徨わせている。
俺は二人の対比がおもしろく、気持ちが少し楽になるようだった。
「ようこそいらっしゃいました、アルバート・コウ・バルクフォンです」
テーブルの反対側まで歩み寄り軽く頭を下げる。
同じ男爵位を持つ者なら立ち上がって挨拶を交わして来るだろう。
しかし相手は皇帝本人だ。
判ったと頷くように軽く頭が動く程度。
それどころか視線は不躾なほど俺を捕えて離さない。
「座ってもよろしいですかな?」
おおいっ!
心臓がバクバク打っている。
言ってしまってから、自分がなんと恐ろしい事を口走ったのか改めて気付くしまつ。
「あっ、ああ、ここは貴卿の屋敷だ、好きにすれば良かろう」
少しだけ眉が上がったので辛うじて驚いたように思える。
ちくせう、誰かお忍びで訪れた皇帝の対応の仕方のマニュアル分けてくれい!
な、名前を聞いた方が良いのかな?
まさかねえ、皇帝にどちら様とは言えんでせう。
「で、貴卿が大馬鹿者のバルクフォンか」」
そんな事を考えながらソファに腰を降ろそうとしている俺に罵声が飛んで来た。
「若い娘を謀り屋敷に集めて色欲三昧の生活を送っていると聞いたが、本当のようだな」
皇帝様はグロリアやアマンダ達に視線を向けながら言葉を続ける。
あ……
なんだって……
今カチンと来た。
頭の中でなんかがプツンとなった。
そう来たか……
目の前が怒りで赤く染まる。
俺を馬鹿にするのは気にしねえ!
だけど、彼女達までそんないわれもない辱めを受けるのは、ぜってー許さねえ!
俺は身体全体に力を込める。
筋肉がブルブル震え盛り上がり始める。
ブチッとシャツのボタンが飛ぶ。
ブチ、ブチ、ブチと続けてボタンが引き千切れ、俺は握り締めた両手を机の上に……
「そんな事! ありません!」
俺がそんなどこぞのハルクさんですかと言う妄想を頭の中で繰り広げていると、アマンダが皇帝に噛み付いた。
うん?
ハイ、妄想です。
そんな、あーた、目の前が怒りで真っ赤になるなんて俺に出来る訳ないでしょう。
大体魔法使いは術で勝負ですよ。
頭のすみっこでチラっとそんな事したら楽しいかなって思っただけです。
ウン、ケッシテシマセンヨ……
「わ、私達、騙されてなんかいません!」
「あっ、そりゃ、私は騙されてお屋敷に連れて来られたけど……」
ちょ、アマンダ……
「そ、そうです! ご主人さまは色欲三昧なんかじゃありません!」
「せいぜい、し、週に一二回程度です!」
アマンダ、き、君はなんて事を……
俺は頭を抱えるしかなかった。
確か同じような展開をどこかでやったような気がする。
アマンダ、君は本当に変わらないね。
後でお仕置きです!
チラっとグロリアを見ると彼女が力強く頷いてくれた。
グロリアも同じ意見なんだろう。
と言う事は……
俺は皇帝の顔を盗み見る。
やはり、必死に笑いを堪えていた。
「ワハハハハ、き、貴卿、良い娘等を抱えているな」
滅茶苦茶馬鹿にされている……
ような気がする……
何にせよ皇帝が機嫌良さそうなのはありがたい。
うん、何事もポジテブシンキング、ポジテブシンキング。
「はあ、ありがとうございます」
取り敢えずお礼を言っとこう。
「でだ、バルクフォン、貴卿は何者だ?」
笑いが納まった所で改めて皇帝が突っ込んで来る。
まあ、怒らせて反応を見るのは諦めてくれたようでありがたい。
「そうですね、何者なんでしょうね?」
皇帝が俺の事をどこまで掴んでいるのか判らない段階では迂闊な事は言えない。
だが、この回答ではまずかったようだ。
皇帝が少し驚きの表情を浮かべたのだ。
と言う事は、少なくともボーデ爺さんや何人かの選帝候、辺境伯の知っている情報は全て筒抜けと言う事だ。
俺の返答から、掴んでいる情報以外に何かあるのかと言う驚きの表情だと見た。
考えすぎかも知れない。
だがまあ、それ位覚悟しておくに越したことはないだろう。
「東方よりとある大魔導師に召喚されて、ゲルマニアにて爵位を得た魔法使いですよ」
表の素性は全部知られているとの前提で話す。
「ふむ、それは余も知っておる」
まあ、常識的な範囲まで話を落としたので幾分安心したように思える。
と言う事は、あまりやばい事までは知られていないようだ。
「だが、ただの魔法使いと言う訳ではないな」
おや、断定ですか。
それも結構プラス評価らしい。
声のトーンからそれが伺える。
「北方辺境領の小さな寒村を、瞬く間に裕福な街にしてしまった治世の才」
ありゃ、ひょっとして……
「同時に、北方及び東方辺境領の治安の改善、商業の活性化」
ありゃ、ありゃ、何か評価が滅茶苦茶よさげな話じゃないですか。
「そして、何よりもローゼンハイム伯、いや先代のローゼンベルガー公爵を助けた手腕」
おおっと、そこまで言いますか。
俺は前方に黒い雲が湧き上がるのを感じ、いやな予感に包まれる。
やはり、アマンダに止められる前に逃亡すべきだった。
「それにな、お主が見つけた銀鉱山、あれは余も感謝しておる」
やばいなあ、皇帝たるものが、善意から感謝を述べるなんてありえないだろ……
「いや、何をおっしゃいます、私如きにそんな言葉、恐れ多い事です」
ああっ、難しいなあ。
お忍びの皇帝の前ではどう言う口調が正しいのだろう。
突然無礼だとか言われかねん。
しかし、全部ばれている。
俺はチラッとボーデ爺さんを盗み見る。
さっと目を逸らす所を見ると、元凶はこの爺さんに間違いない。
いったいボーデの爺さん、皇帝にどんな弱みを押さえられたんだ。
「いやいや、卿の帝国に対する貢献は感謝してもし過ぎるものではない」
あかん、皇帝益々調子に乗り出している。
「余もそれに応えるに、宮中に招き相応の地位を授けようと思案したのだが……」
ほら、おいでなすった。
そこで言葉を止めて、思惑を隠す様子も見せない所を見せつけるなんて。
絶対、台本が出来ているな……
「しかし、ディートに止められてな」
そう言って皇帝は、後ろに控えるボーデ爺さんを仰ぎ見る。
そう言えば爺さん、ディートヘルムって名前だよな。
皇帝にそこまで気安く呼ばれるなんて、さすが豪商、侮れませんな。
「恐れ多い事です。 私は単に、この男はそのような地位も名誉も欲しがりませぬとアドバイスを差し上げただけでございましょう」
うわあ、今日は驚いてばかりだ。
ボーデ爺さんが、しおらしい口を聞いている。
こんな姿めったに見れるもんじゃないぞ。
「ああ、余も実際に会ってみてそれは理解した」
皇帝が、俺を見て頷いている。
とても、とても恐れ多い事だが、益々いやな予感しかしない。
「しかし、それでは余の感謝の気持ちが示せない」
うわあ、業とらしい。
いかにも困ったと言うように、目を閉じて首をふるなんて……
「そこで更に卿の事を尋ねると、卿は幸いにして慈善事業も行っているではないか」
これか……
俺は表情が強張るのが判った。
狙いは『ポモージュ』だった。
表向きは単なる孤児院だ。
しかしながら、アンナが差配するポモージュは、俺に関連する人々の治安監視組織として機能している。
現在は北方辺境領、ローゼンハイム伯のある東方辺境領の一部。
そして、ゼルマが差配するアルトシュタット領にまでその地域を拡大している。
それぞれの主要な街に、孤児院を設け実際に孤児の養育を行っている。
だが、同時に流動的な人々の移動の監視、イレギュラーの発見等の活動も行っている。
これにより、不審者の洗い出しに効果を発揮している。
一つ一つの情報は大した事は無い。
だが、あちらの世界に比べ遥かに流動性の少ないこの世界だと、人の移動を追いかけるのは比較的容易なのだ。
もちろん、しかるべき情報処理の仕組み、すなわちあちらの世界のPCの活用等裏で幾つかの仕掛けは必要ではある。
その辺りはアンジェリカが原案を考え、アンナとその仲間達が仕組みを試行錯誤しながらも作り上げたものだ。
人々の行動にはパターンがある。
例えば、巡回商人は新しい町に辿り着くのは大体午前中になるように移動する。
その日一日の売り上げが午後に着くのと午前に着くのでは大きく異なるのだ。
結果、毎日街の入り口を見張る者が居れば、そのパターンに合わない巡回商人は不審者の可能性が高くなる。
まあこれは極端に単純化した話だが、アンナ達はそれを更に複雑にした事を実施しているのだ。
そして、それは旨く機能しており、北方辺境領や東方辺境領に入り込もうとする不審者をあぶりだすのに役立っている。
「そこで余としても、卿に対する感謝の気持ちとして、その慈善団体に幾許かの資金援助をしようと考えているのだ」
皇帝が得意そうに、こちらを見つめる。
これでは、否とは言えまいと言う表情が現れていた。
「ふう、了解しました」
俺は諦めたように、一息吐き出す。
「陛下、無作法をお許し下さい。 元々貴族としての生まれではない為、不躾になります」
俺が態度を改めたのを、皇帝は少し眉を潜めながも、頷いてくれた。
「最初に言いましょう。 俺は男爵としての最低限の義務は果たします」
「うむ、それは当然であろう」
何を言い出すのかと言う顔で皇帝が応えてきた。
いや、そうじゃないんだが……
「しかし、それ以上の事は一切やるつもりはありませんでした」
明らかに、皇帝の顔が不快げに歪む。
ええい、こうなりゃ最後まで走り抜けてやる。
「俺は、元々ゲルマニア、否ハルケギニアの人間ではありません。
ただ、自分が快適に暮らして行く為に、ここゲルマニアにて爵位を得た人間です」
皇帝の顔が、更に苦々しげに歪む。
「しかしながら、ここゲルマニアに十年弱の間暮らして来て、守りたいものも沢山出来てしまいました」
そうなのだ五人のメイドから始まり、領地を得た為にその領地の者達、更には拡大するアウフガング組やら、ポモージュやらどんどん増えているのだ。
全く、楽しくハーレムだけ出来ればそれで良い筈なのだが、性格上そうも行かないのだ。
「俺一人ならば、陛下の話を聞いたらすぐさま逃げ出していたでしょう」
自分の為に何かするのではない。
皇帝の要望に合せて動くなんて、俺の望む事では無いのは明らかだ。
「陛下が俺に強要するならば、それ相応の態度で臨んだでしょう」
力づくや、或いはゼルマ辺りに無理強いや人質にするような対応を取られれば、俺も腹を括らねばならない。
必要であれば、八王子さん(神龍)の参戦も厭わない。
「しかしながら、どなたの助言を採用されたのか、陛下は一応俺の顔を立てて下さいました」
ビクッと皇帝の後ろでボーデ爺さんが肩を震わす。
ああ、そうだよ、あんただよ、全く……
「陛下、お教え下さい、ポモージュに何をさせたいのですか?」
「ちょっと、まって……」
アンナは思わず、バルクフォン卿の説明に止めを入れた。
「えっ、どうした?」
卿が不思議そうに応える。
「ねえ、お・と・う・さ・ま?」
アンナの声に、部屋の温度が下がるように思えた。
「それって、おとうさまが、陛下に良い顔をしたいから、私とポモージュを差し出すって事か・し・ら?」
更には、アンナの後ろに黒雲がたなびき、雷が光るのをバルクフォン卿は幻視した。
「自分が、辛い目に合わずに、義理の娘に全て丸投げって事か・し・ら?」
更に、更には、部屋の色彩がモノトーンに変わり、全ての世界を凍りつかす。
「あっ、ま、まて、あ、アンナ……」
希代の魔道師、アルバート・コウ・バルクフォン。
彼もやはり人の子であった。
怒り狂った義娘の仕置きに、逆らう事は出来ないのであった……