「金田城一郎、22歳。 A級アイドル如月千早の、元専属プロデューサー。 日本に五人しかいないA級プロデューサーのひとりであり、一月ほど前に、ギガスプロを退社。 現場からの評判は、概ね最高。 ファンサブからの評判は、概ね最悪。 絶対に勝てないような試合をひっくり返したり、絶対に負けないような試合を、あえて落とすような真似をしたり。 ──この男さえいなければ、如月千早のAクラス入りは、もっと早かった、というファンの評価さえある。 ただし、先日の如月千早のライブでは、アイドル本人に不調はなかったものの、プロデューサーの違いからか、如月千早のステージでしか感じられなかった熱がない、との意見も多く、金田城一朗のプロデューサーとしての手腕を見直す動きも出ている。 そういう意味では、まだ評価の出ていないのかもしれない。これから朔響との対比で、再評価が行われるであろうプロデューサーである」 椅子に腰掛けたまま、安っぽいコピー紙のページをめくる。「ふぅん。実績自体は、文句ないわけね」 新堂から挙げられた調査書を読み直す。 なぜ、この男が私とやよいを指名したのか。 如月千早のプロデューサーをやっていたほどの男が、なんの下心もなしに私とやよいをプロデュースする、とは考えにくい。 必ず、なにか裏があるはず。 ──まあ、単に私があの会場で一番輝いてたからかもしれないけど。「はぁ──」 そんなわけも、ないか。 あまり知られていないことだが、私へのプロデュースの申し込みだって、決して少なくない。 たった、年に二、三十人ぐらいだけど。おべんちゃらを言いにくる中年どもには事欠かないのだ。 けれど、そいつらが見ているのは私じゃない。 奴らが欲しいのは、私が背負っている水瀬グループの資金力。そして、それに伴う自分自身の実績。 舐められているのだ。 つまり。 小娘ひとり、簡単に言いくるめられるって。 どうせ、 今度も、その手合いなのだろう。「つまり、この報告書に書いてることを一言で纏めると、今までの実績は全部、如月千早がいたからで、この男の能力じゃあない、ってそういうことかしら?」「はい。そういうことでしょう。 ただ、プロデューサーという仕事の評価、その物差しが、どこにあるのかは、私にも存じかねますが」 背後からの声。 新堂の声は、いつも等間隔だ。 彼は、幼い頃からずっとついてくれている、私の世話役なのだが、 下手な執事よりも執事らしいのがあれだった。「こんな報告書は、参考程度にしろってことね。 なによ。結局なにもわかってないんじゃない」 私は、報告書を背後に放り投げる。 音がして、そのままゴミ箱に放り込まれたことを教えてくれる。「そうでもありませんよ。 プロデューサーとしては、わかりすぎるほどにわかりやすい戦術家タイプですね。結果よりも、ステージの内容を重視する。お嬢様とは、意外に気が合うのでは?」 どこかおもしろがっているような新堂の台詞。 考える。 部屋に閉じこもっているだけでは、なにもわからない。「仕方ないわね。直接、話してみないと、なにもわからないってわけね」 私は、自分の部屋の椅子から立ち上がる。「で、その男はどうしてるわけ?」「居間で、六時間ほど待たせてあります。今までのプロデューサーたちなら、これで──ほぼ底が計れるのですが」「怒って帰るようなら三流。 それでもなお、おべんちゃらを言えるなら二流。 いきなり私に説教をはじめるようなら、勘違いバカってトコかしら」「はい」 頷く。 楽しくなってきた。 使用人たちの間では、すでに恒例行事となっていて、お嬢様が今度は何時間で相手をやりこめるかが、賭の対象になっているらしい。 背を伸ばす。 左手にウサちゃんを抱きしめて。 今日も、私、水瀬伊織の一日がはじまる。「………………」 いきなり、面食らった。 居間では、金田城一郎とやよいが向かい合って、接待オセロをしていた。「あ、伊織ちゃん。遅かったね」「………………」 明らかに状況を把握していない、やよいの呑気な声。 周りを見回す。 パパの会社の商談にも使われる応接室は嫌な感じに活気に満ちていた。窓からは特別に作らせた日本庭園が一望でき、置かれている調度品は、一級のものがずらりと取り揃えられている。 灰皿ひとつとってもオーダーメイドで、百万は下らない。「ねぇ、新堂。最下級の部屋に通しておくように、って言ったわよね」 むろん、パパはそんなものを作るわけがない。 どこからチャンスが転がってくるのかがわからないということをモットーにしていて、どんな下請けの中小企業の社長だろうと、この応接室に通す。 私が特別に地下室を改造させて作らせた部屋は、明かりは豆電球一つ。廃棄された家具を寄せ集めて、年中蜘蛛の巣が張っていて、BGMとして子供の啜り泣く声が聞こえるという、もてなす気ゼロの特別製だった。 ──、一言で言えば、さっさと帰れということ。「はぁ、しかし、高槻様がご一緒でしたので、そういうわけにも──」「ぐっ!!」 しまった。 やよいがいた。「あふぅ。寝心地がいいよこのソファー」 星井美希が、だらけた姿勢でソファーに横になっていた。 目の前に出されたケーキとカップ、あとお茶請けが完璧に空っぽになっている。 突っ込まないことを決意する。 いちいち突っ込んでいたらキリがない。 それでも、口の端がピクピクと痙攣するのは、止めようがなかった。「ああ、来たの? 遅かったわね」 しかし、もうひとりのほうは、無視しようがない。 黒。 扇子を片手に、塗りつぶすような黒の衣装に身を包むのは、意外な客だった。「で、アンタはどうしてここにいるのよ。──春香」「ちょっとそっちのプロデューサーさんに用事があって。あと、珍しいものが見られると思って。 伊織が、グゥの根も出ないぐらい、完璧にやりこめられる光景なんて、一生に何度も見られないと思うもの」 春香は、ふるふる、と背筋を焼く快感に震えていた。 この天然超ド級サディスティック少女は、なぜだか私とやよいが知り合う前から、やよいを気にかけていた。 ──とはいえ、 知り合ってからはまだ日が浅い。 『ワークス』プロのトップアイドルでありながら、今の立場にまったく満足も、執着もしていない。 現在、如月千早に次ぐ、アイドルランク三位。 彼女には彼女だけの夢があるらしいが、私にそれを語ってくれたことはない。「あらー。伊織ちゃんって言うの。よろしくねー」「ああっ!! なんか変なのが一人増えてるしぃぃぃっ!!」 この中では、新藤を除けば最年長だろう。 おっとりした感じの女性だった。 暴力的ともいえるバストのでかさは、どこかの乳牛かと思うぐらいだった。「三浦あずさです。あずさって呼んでね。伊織ちゃん」 ──この人、が?「まさか、こんなところで。往年のSランクアイドルに会えるなんてね。私のAランク入りが、あと半年早ければ、あなたと直接対決の機会もあったのだけれど──」 驚くことに── 春香の態度に、いつもの彼女には決してありえないものが混じっていた。 曇りのない敬意。 彼女のそれが、どれだけ重いものなのかは、天海春香を知るものにしかわからないだろう。 無理もない。 三浦あずさの名前は、私だって知ってる。 歴代で、最高のトップアイドル。 引退した理由は、未だ公式なメディアの前で語られたことはない。 Aランク一位の子と、 二位の、如月千早、 三位の、天海春香、 四位の、リファ・ガーランド、 五位の、菊池真。 アイドルの頂点、ただ一組のみに与えられる、アイドルマスターの称号が、このAランク五人の誰にも与えられないのは、未だに、三浦あずさの影すら踏めていないから、だという。「──って、今はそんなことを気にしてる場合じゃないわ。やよい、どうしてこの男とそんなほのぼのとしてるわけ?」「そんなの、お前が来るのが遅いからだろ」「アンタには聞いてないわよ」「そうです。──私は、ここ。じゃあ、次はプロデューサーの番ですよ」「ああ、嫌なところに置かれたな。確定石が七つもあるじゃないか」 私のことなんて興味ないという風に。 この男とやよいの視線は、オセロの盤面に釘付けになっていた。「待って。やよい。その呼び方?」「え、この人のこと。この人が、俺のことはプロデューサーって呼べって」 なんでもないことのように、やよい。「ん、言ったな。そんなこと」「だから、ダメだよ。伊織ちゃん。これからお世話になるんだから、ちゃんと挨拶しないと。 ──って、どうしたの伊織ちゃん。 いきなり頭抱えてうずくまったりして」 ダメだ、この娘。 状況がまったく見えてない。「なんだ。挨拶もできないのか? どんな一流でも、挨拶もできないようじゃあ使い物にならないぞ」「そうだよ。伊織ちゃん。あんまりワガママ言っちゃだめだよ」「やよい。アンタこの状況に、なにか疑問とか感じないわけ?」「え、賑やかになって、楽しいよね」「そんなんじゃあなーいッ!!」 バン、と両手をテーブルに突く。 その音に反応したのか、「あふぅ。おでこちゃん。今日、なにか変だよ。嫌なことでもあった?」 星井美希が、眠い目を擦っていた。「ええ、嫌なことなら目の前に山のように積まれてるわよ。あと、おでこちゃん言うな」 私は、ずり落ちた身体を立て直す。 そして、私は、金田城一郎を相手にまっすぐに人差し指を突きつける。「とにかく、私はアンタのことをプロデューサーとして認めてないのよッ!!」「えー?」「あの、ごめん伊織ちゃん。私、すっかり納得してるものだと思って──」 やよいが、わたわたと手を振る。「やよい。問題ないぞ。ミーティングに遅刻してくるような奴に、発言権なんてないからな」 テーブルの上を見ると、なんか本格的に会議していたらしい痕跡が見えた。 曲、『GO MAY WAY』 ユニット名、『未定』 高槻やよい レフト 水瀬伊織 ライト 金田城一郎 プロデューサー 水谷絵理 助手 星井美希 スタイリスト 兼 賞品 三浦あずさ 演出、ボイストレーナー ──勝負当日、必要なスタッフは貸してくれるらしいが、なるべく自分のことは自分でやること。 元気と挨拶を忘れずに。 ──とあった。「しかし、困ったな。どうやったら、認めてくれるんだ?」「………まず、どうして私たちを選んだのか、聞かせなさいよ」「ああ、別に。 ただ、お前らとなら、いいステージができると思った。それだけじゃあ、不満か?」「不満ってわけじゃあないわ。ただ──」「困ったな。実績は足りてるだろ。もうちょっと感激に震える気はないのか?」 考える。 こうなったら、腹を割って話し合おう。 集めた情報で、気になる点もいくつかあった。「聞きたいことがあるの。 アンタ、ファンサブから、随分評判悪いわよね。なんでよ?」「………意味のある質問だとも思えないが、まあいいや。 単に、憎まれ役をやってるだけだ。 だってそうだろ。担当アイドルの調子が悪くても、プロデューサーが悪いからだ、ってなれば、アイドルの評判に傷がつかないからな」「………………」「プロデューサーなんてな。結局のところ、悪口を言われるためにいるもんだ。これが逆だったらどうなるよ? アイドルが貶められて、プロデューサーの評価ばっかりが上がっていく。 そんなの、商品価値をドブに捨てるようなものだろ? 千早だって、俺に言わせれば欠点の塊だ。 その欠点も全部、俺が悪いことにすれば、アイドルの評価はそれ以上は下がらない。 プロデューサーとしての名前をブランド化して、アイドルの価値を高めるってやり方もあるが、それはあくまで大量生産かつ使い捨てのやり方だ。 俺の流儀に反する。──とこんなところだが、納得できないって顔だな」 ──そうだ。 自分でもわからない。 決定的な、何かでなくてもいい。 この人を信じられることが、なにか一つあれば。 自分の情熱、歌への魂、やよいとの関係、それを任せられるような。 プロデューサーとアイドルとして、理想的な関係でなくていいから。やよいと居る時のような、新しい自分を迷わずに探求できるような、そんな保証が欲しい。「納得できないのも当たり前よ。 だって、問題があるのは貴方自身。 恵まれている人間に、プロデューサーとアイドルの関係なんてわからないわ」 目をつぶったままで、天海春香はそう言った。「なん、ですって? 春香。それどういう意味よ?」「アイドルが、プロデューサーへ抱く評価なんて、ふたつしかないわ。 ──最高か。 ──最低よ。 どんな無能に見えても。どんな最低の人間でも、自分を使ってくれるプロデューサーは、それだけで最高のプロデューサーなのよ。 ベテランじゃあなくて、ド新人を使うと言うことは、それだけで一つの賭けなの。伊織、貴方、どれだけ自分が特別だって思い上がっているわけ? 信頼なんて、そんなものは最初はないの。ゼロなの。誰かを信頼したいのなら、貴方がまずプロデューサーの信頼に応えなさい。 それさえできないのなら、貴方にはなにを囀る資格もないわ。やよいとユニットを組むって決めたときに、貴方はやよいに助けて貰おうとしたのかしら? やよいのことを助けたいって、この人の力になりたいって、そう思ったんじゃなくて──?」 それは、誰の言葉だろう? 春香には、春香の戦う理由がある。 今の私には、それを思い描くことすらできないけれど、それは私が思っていたものより、 ずっと重くて、 そして強くて──────「それじゃあ、春香もおにーさんにプロデュースされてみるってのはどう?」 空気を読めていない美希の言葉が、場の空気を一撃で叩き割った。 けれど、 そう思っていたのは私だけで。 Aランクアイドル『女帝』天海春香は、そんなものでは揺るぎもしない。 「愚問ね」「愚問か」「ええ、今も昔も。 そして、これからも。 この気持ちを変えるつもりはないわ。あの日からずっと、私のプロデューサーは、たったひとりだけよ」 それは、春香の決意表明。「自分を使ってくれたから、か? それだけで天海春香ほどのアイドルが、西園寺美神になびく理由がわからないな。 プロデューサーとしても、社長としても、現時点で、あの嬢ちゃんは俺よりも遙かに下だ。それはわかっているんだろう?」「──ええ。 当然でしょう。 私が憧れたのは、プロデューサーとしての西園寺美神ではなく、社長としての美神社長でもなく、アイドルとしての美神お姉ちゃんだもの」「え、ええっー。社長って、元、アイドルだったんですかーッ!」 やよいの悲鳴に近い驚き。 私も、声こそ出さなかったが、不意を突かれていた。 春香の語る言葉は、 自分の原点を確かめるようだった。「そう、メッセージを届けに来た他に、あとひとつ用事があったのよ」 春香は、はじめて、明確な敵意を向ける。 ──視線だけで、大気が軋む。 灼ききれそうな空間の中で、私はひりつく喉に、空気を送り込む。「──警告よ。 あなたが、ワークスプロダクションをどうしようが、私は別に構わない。 けれど── 美神お姉ちゃんを悲しませるようなことがあったならば──、私は全力で貴方たちを叩き潰す。 私の目的も、手段も、歌も、踊りも、魂も、すべてはそのためだけにあるの。 それは、私がこういう路線で行くと決めた時から、変わっていない。純朴な田舎娘のままだと、目的は達成できなかった。だからね。それに限っては、私はなんの後悔もない。 『それ』を守れるならば、私の身が、どれだけ穢れたとしても構わないわ。今の地位だって投げ打ってもいい。誰にどんな目で見られてもね。 さあ── ──返事を聞かせて貰えるかしら」 春香の熱情に、私は言葉を挟めなかった。 おそらくは、彼女の言葉には、一言の偽りもない。 相手が、私ややよいだって容赦はしないだろう。 三年間。 春香にとって、この三年は、ただ、それだけのためにあった。 だから、私たちにできるのは、ただ虎の尾を踏まないようにすることだけだ。 「ああ──」 金田城一郎が、口を開く。「──断る」