ビュッフェ方式では、知らない人とテーブルを囲むこともままある。 披露宴のようにあらかじめ席が決められているわけではなく、好きな料理を皿に盛って、たまたま同じテーブルを囲んだ人と談笑したりするわけである。 アイドル業界は、まだ蘇って三年、という若いジャンルである。以前に繁栄していたころまで遡るとすれば、ピンクレディーや山口百恵、それに日高舞の時代まで巻き戻ることになる。 アイドル業界は、 ──音楽業界とは明確な線引きがされており、音楽業界の作曲家やプロデューサーが、アイドル業界に関わることを、『都落ち』や、『格落ち』といったりする。 零落していく音楽業界の横で、倍々に成長していくアイドル業界を、羨む気持ちがあったかもしれない。 それでも、 基本的にその侮蔑は、ある意味で正鵠を射ていた。 人気先行で、歌も踊りも上手くもない。 いわゆる、『一発ネタ芸人』と同じような扱い。 どうやって、このレベルでテレビに出られたのかいう、『一発ネタ芸人』ならぬ、通称『(社長と)一発寝たアイドル』が大量に排出されていった。 よって、アイドル業界そのものが、『イロモノ』という評価に甘んじていた。(というか、千早がさんざんアイドルになることを嫌がっていた理由は、ここにある) ──ここで登場するのが、如月千早だった。 彗星のごとく現れた、初の本格派アイドル。 当時、十五歳ながら、本格派歌手にも劣らない歌唱力と、燦然とした経歴は、業界自体の評価を、力ずくでひっくり返した。 それから三年。 次々と現れる綺羅星のようなアイドルたちに支えられ、政治やビジネス、ファンの思いや、さまざまなしがらみを巻き込みながら、業界自体が肥大化を続けている。 しかし、 アイドル業界に籍を置くプロデューサーならば、もう一度、業界自体をひっくり返すようなアイドルの出現を心待ちにしているはず。 エンターテイメントならば、そろそろ──観客は、次の展開を期待する。 もう一度、アイドル業界に楔を打ち立てる。 ──そこで、星井美希だった。 如月千早とは、まったく別の輝きがある。磨き上げれば、千早を超えるアイドルに成長する可能性もある原石。 それが、──西園寺美神の美希への評価なのだろう。 で、本人だが── 美希といえば、さっきから鴨肉を切り分けることに余念がなく、すでに周りの状況など目にも入っていない。「せめて、聞いてやれ。頼むから」 美希の頭を引き寄せる。 正面には、西園寺美神の姿。 美希がいると知った彼女の喜びは、相当なものだった。三年前に、トンビ(俺)に油揚げ(千早)をさらわれたことが、ずいぶんとトラウマになっているらしい。 俺としては、ターゲットが目の前にきてくれているわけで、理想的な展開といえる。「ええと、引率のお兄さんだったかしら?」 美希を落とすのは諦めたのか、こちらに矛先を向けてくる。「ええ、近所に住んでます。 まあ、美希もこんなですからね。これだけの器量があって、なににも生かさないのはもったいないと思って。 ──でも、こういう業界は怖いっていうから、僕もついてきたわけです」 我ながら、よくもまあこうペラペラと嘘が出てくる物だと思う。「ありがたいわ。お眼鏡に叶ったかしら?」「ええ、まさかここまで大きいとは」 こういった業界において、ブランドというのは絶大な力を発揮する。 中小のプロダクションでトップの地位に昇りつめたアイドルがいるとする。数多の幸運と汗に支えられて手にいれた位置があるとしよう。しかし、大手プロダクションの恵まれたアイドルからすれば、そんなもの、ほぼスタートラインと同じようなもの。 そんな例は、いくらでも聞く。 それは、急激に成長していったプラチナリーグが生み出した歪みのひとつ。「何度も使える手ではないけれど、社長である私の推薦があれば、最短でCランクから始められるわ」「なるほど」 俺は、食後のコーヒーに粉砂糖をぶちこむ。 ──いい見立てだ。 俺が彼女の立場ならば、同じことをするだろう。 星井美希は、泥の払われていない宝石に等しい。 ──ただ、輝きの次元が、他のアイドルとは違う。 ボイストレーニングひとつ行っていない時点で、Cランク程度の実力はあるという判断か。 この業界のアイドルの総数は5000人近く。 アイドルグループの総数は、1200程度。 Cランクまでにどれぐらいのグループが辿り着けるかというと、100あって、20か、30は到達できる。 ほんの一シーズンだけ、ならば。 けれど、Cランクを維持できるアイドルとなると、5か、6がせいぜいだった。 そして、社長の推薦は、一シーズンにたった一度しか使えない。 ──破格の好待遇だった。 どうやら、惚れ込んだ才能には、努力を惜しまないタイプらしい。 「美希さんの才能は、私が見てきたアイドルの中でトップクラスよ。輝かしい才能を、このまま埋もれさせてはならない。私は、そう思うの」「ご演説、堪能しました。それでは、次は僕の話を聞いていただけますか?」「え、ええ──」 こちらの意図が掴めないのか、彼女が首を傾げる。「ええと、美希にわかるように説明するとなると──」 俺は、少し考え込む。「うん、美希。これ、なんだかわかるか?」 財布から、一枚のカードを取り出す。「ふぐ。レンタルビデオの会員カードだよね」「ん。そうだな。──ところで、これって、とあるコンビニやガソリンスタンドでもポイントを貯められるって、知ってるか?」「え、そうなの? 不思議だね」 上手く興味を引けたらしい。 とりあえず、付け合わせのソースで汚れた唇を、ナプキンで拭いてやる。「うん。じゃあ、美希。なんでそんなことができるか知ってるか? ああ、西園寺さんは答えないでくださいよ」「むー。わかんない」「じゃあ、そこの。ええと、おでこちゃんは知ってるか?」 後ろにいた水瀬伊織を呼び止める。「おでこちゃん言うなっ!! ──そのカードを使えるように提携してるから。 っていうかね、ぶっちゃければ全部同じ会社が経営してるトコだからでしょ」「ああ、正解だ。じゃあ、これを知ってるか?」「プラチナカード。『ギガス』プロの?」 答えたのは、西園寺さんだった。「その通り」 一言で言えば、用途の広い『ギガス』プロのファン専用のメンバーカードだった。(詳しい説明は、二話前) もちろん、無駄に高性能で、 名瀬姉さんの開発したサーバーシステム、プロメテウスシリーズ、『NEBURA(ネーブラ)』によって、顧客の名前、住所、電話番号、信望しているアイドルグループ、今まで購入した全グッズのリストが、どんどん記録されていく。「それで、このプラチナカードを、さっきのレンタルカードみたいな用途に使おうって話が出てるんだ。『ギガス』プロダクション的に」「なっ──」 西園寺美神は、さすがに一瞬でその重要性に気づいたらしい。「どういうことよ。それ?」 水瀬伊織の問いかけ。「つまりだ。このプラチナカードで、飛行機に乗ったり、レンタルビデオを借りられたり、コンビニでポイントを貯められたりするわけだ」「いいことじゃない」 伊織が言う。「ええ、絵に描いたような好循環だと思うわ。 提携企業は、今までになかった客層を開拓できる。『ギガス』プロは、大会社の庇護を受けられる。その提携先の企業の看板として、アイドルを派遣することもできるし、いいことずくめね」 やはり、そう考えるか。 ──朔も、同意見だった。 だからこそ、この一点でのみ、意見が対立したわけだが。「本当に、そうか?」「え?」「俺は、絵に描いたような悪循環だと思うけどな。 実際あったんだよ。三年前の業界の黎明期に。 あのころは業界全体のパイが小さくてな。たったひとりのファンが、アイドルのグッズやCDに100万も注ぎ込めば、確実に目当てのアイドルをランクアップさせることができた。 提携先の企業には、消費者金融も入っているし、いろいろな企業がこのカードに、クレジットカードとしての機能を求めるだろうな」「それが、悪循環なの?」 さっきから黙っていたので心配だったが、美希はなんとか話についてきているらしい。「その案が実行されれば、『ギガス』プロダクションは完全に子会社化する。それで親会社が『ギガス』プロに求めるのは、おそらくは単純にアイドルを使って、ひとりでもカードの加入者数を増やすこと。 ──それだけだろう。 親会社の重役が、いちいち一アイドルを気にかけるなんて思えない。おそらくは、そのアイドルのファンたちから、いくら金を搾り取れるかを考え出すはずだ。 ヘビーなファンから先につぶれていく。 そんな方針は、確実にアイドル業界自体の寿命を縮めることになる。 あとに残るのは、草一本も生えなくなった荒れ地と、打ち捨てられた数多くの多重債務者だけだ」 反吐が出るような未来。 それは、絵空事ではなく、すぐそばまで迫った未来のはずだった。「あなた──」 さすがに、気づくか。 西園寺美神の瞳が、剣呑な光を帯びている。「むしろ、今までクレジットカード機能がなかったわけ? 個人的には、そっちが不思議だったわよ」 と、伊織。「初期案には、そんなのもあったが、俺が却下した。そのときは、プラチナムポイントのインフレを防ぐためだったがな」 西園寺美神の、片眉が跳ねた。 ようやく、俺が誰なのか、完全に確信をもったらしい。「不覚だったわ」 彼女が、奥歯を噛みしめる。「まったくだ。あまりに気づかれないから、自分でネタ晴らししちまったじゃないか。 お前さん。これが舞台(ステージ)の上だったら、俺に三回は殺されてるぞ」「忠告は、有り難く受け取っておくわよ」「さて──最後に確認しておくことがある。 西園寺美神、お前さんは── ──俺の敵か?」 野暮ったいサングラスを外すと、視界がようやくクリアになった。 彼女は、 呪いを含むような眼差しで、「ずいぶんと間抜けな質問をするのね。──金田、城一郎ッ!!」 ──俺の名を、呼んだ。「あ、そんな名前なんだ」 美希が、言わんでもいいことを言う。 西園寺さんは、美希に一瞬、視線をはしらせると、「なにが、目的かしら」「いや。今いったばっかりの理由ですべてだよ。業界全体を自沈させる前に、『ギガス』プロダクションを叩きつぶす。つーわけで、権力がいるんだ。今までに握っていた以上の──」「ふぅん」「ぶっちゃけて言えば、ここが一番人材がスカスカそうだったからな」「──お断りするわ。この会社は、あなたの玩具じゃないの」 にべもない。 まあ、正常な神経があれば、そうだろう。 彼女が、俺が『ギガス』プロダクションで、副社長の朔に並ぶ権力を得ていたことを知っているはず。 ならば、俺が必要としているのは、それ以上。 ──社長クラスの権限。 どこの馬の骨に、そんなものを渡すものか。 ここまでは、予定通りだ。 俺は構わず話を続ける。「俺は、地位がほしい。あんたは、星井美希を手に入れたい。 お互いにほしい物を握りあっているわけだ。 なら、正々堂々と、舞台(ステージ)の上で決着をつけようじゃないか。あんたにまだプロデューサーとしての魂が残っているのなら、この話を受けるはずだ。アイドルが自分を語れるのが舞台の上だけのように、俺たちも、自分を語れるのは舞台の上でだけのはず」 ──千早を説得した時を思い出す。 相変わらず、安い挑発という奴だ。 けれど、もうそんなことは問題じゃない。 彼女の脳裏には、三年前に千早を掠め取られた光景が、延々とリピートしているはず。「話にならないわね。どれだけ有望だろうと、たかが新人ひとりと、重役の座ひとつ。まるで釣り合っていないわ」 言葉ではそう言っていても、射殺すような視線が、彼女の心中を代弁してくれていた。 ──あと、一押しか。「じゃあ、その分のハンデがあればいいわけだな。リスクを釣り合うようにしてやるよ。あんたはCランクアイドルを使っていい。俺はFランクでいいや」「なに言っているの。さっき言ったはずよ。星井美希は、現時点でCランク程度の実力はあると──」「あんたこそ、なにを言ってる。 美希は賞品だぞ。使えるわけないだろう。あんたが適当に選んでくれ。『ワークス』のFランクアイドルの中から。──俺は誰でもいい」「なっ──」 俺の傲慢さを、付けいる隙ととったのか、 彼女はしばらく考え込む。「さっき。高槻やよいって子が、会場にいたわよね。探して、連れてきなさい」 周りの、取り巻きに命じる。 さて、辺りがざわついてきた。 おお、釣れた釣れた。 俺は、俺の描いた設計図通りに進んでいることに、内心拍手喝采だった。 当然だ。 彼女の選択は、高槻やよい一択。 俺がいちいち誘導してやるまでもない。 いつもなら、フォーシング(相手に選ばせているように見せて、目当てのカードを相手に押しつけるテクニック)ぐらいは駆使するのだが、それさえも必要なかった。 そもそもは、このパーティーが、Dランク以上のアイドルしか入れないものであること。 この会場のいるFランクアイドルは、高槻やよいしかいない。ならば、八割方これで決まりだ。 そして、他のFランクアイドルを挙げる可能性。 これも、実はありえない。 さっきのやりとりから察するに、西園寺美神は、Fランクアイドルの名前など、ただのひとりも覚えていないからだ。「私は、『ミラーズ』を使うわ。それでいいのね」「ああ──」 さっきの、伊織の取り巻きの中にいたな。 そんなのが。 たしか、CランクとBランクを行き来している、16歳の双子のコンビだったか。「あなたたちも、それでいい?」「ええ」「任せてください。社長」 芦川高菜と、 芦川雪菜。 伊織の取り巻きなんだから、そりゃあ後ろにはいるだろう。 ふむ。 倒れたやよいにジュースをぶっかけたのが、その片割れだったはずだ。「ああ、俺はそれでいい」「………………でも」 あまりの、こちらの余裕っぷりが、彼女の疑心を煽っているらしい。 西園寺美神が考え込む。「高槻やよいが、スパイの可能性、まさか──」 本当に、その可能性を疑っているわけではない。 とりあえず、彼女の中で、考えがごちゃごちゃしてまとまらないのだろう。 ここまでは九割九分上手くいっているが。、念のためにトドメを指しておくことにするか。「おやぁ。反応がないなぁ。 ──ああ、そうかぁ。まだハンデが足りないって言うつもりなんだな。 仕方ないなぁ。そうまでしないと、俺に勝てないっていうのなら、さらにハンデをつけてやるよ。 そっちが二人組でこっちが一人だと、バランスも悪いし。でも、ここでさらにFランクを増やしても、ハンデにならないしな。 ──じゃあ、そこのド素人を加えよう。 これで、二対二。 高槻やよいがスパイだとか何とか疑ってるようだが、こいつが裏切ることだけはありえないだろ」 ──というわけで、 俺はその『ド素人』の頭をむんずと掴む。「えっ」「なっ」「おでこ、ちゃん?」 俺が二人目として選んだ少女は、水瀬伊織。 もちろん、アイドルでさえない。完全な、ド素人だった。「ちょ、ちょっと。アンタなに勝手に決めてるわけっ!!」 釣られたまま、伊織が脚をばたばたとさせる。 本人にとっては寝耳に水だろう。 そりゃあそうだ。 言ってないんだから。 そこへ、入ってきたのは、高槻やよいだった。 私服に着替えて、会場の約半分近くの視線を一身に受けて、身を縮こまらせていた。 さあ、主役が揃った。「水瀬さん。高槻やよいのことは?」「知らないわよ。こんな子」 伊織がそっぽを向く。 事情さえ知っていれば、伊織がやよいを巻き込まないために庇っているシーンだとわかっただろう。 あくまで、事情さえ知っていればの話だが。 結局は、そのやりとりが決め手になったらしい。「──受けるわ。その勝負。 せめての慈悲に、日時と時間はあなたに決めさせてあげる」「なんだ。プロデューサーの魂って奴が、欠片ぐらいは残ってたらしいな。 じゃあ、だいたい一週間後で。詳しくは、後で連絡をする」「ええ」「美希、高槻やよいを連れてきてくれ」「う、うん」 事態を飲み込めていないやよいを、美希が手を引く。 俺は、まだ暴れている伊織を脇に抱えこんだ。 ──さて、あとはボロが出ないうちに退散するとするか。 まだ騒然としている会場と、殺意のこもった瞳で睨んでいる西園寺美神の視線を受け流しながら、俺は出口へと歩みを進める。 心地よい高揚感があった。 今日はよく眠れるだろう。 けれど── 会場から、出る寸前に、「──この、大嘘つき」 全身の背筋を総毛立たせるようにして、耳に割り込んできた声。 壁に背を預けているのは、旗袍(チャイナドレス)を着こなした少女だった。 群衆の中で、ひときわ目を惹く赤が、彼女を特異な存在として成り立たせている。 ドレスの生地に写し取られた、綺羅びやかな金色の竜が、今にも噛みついてきそうだった。 そして、意志の見通せない瞳。 全身から立ち上る覇気。 これで16歳ということだが、すでに王者としての風格すら感じさせる。 ──ああ、こいつがいたか。 『ワークスプロダクション』の、五百人近くいるアイドルたちの頂点。 Aランクアイドルの一角。「──天海、春香か」「おもしろそうなことをやっているようね。当日には、是非私も審査員として出席させていただくわ」「ああ、お願いするよ」「じゃあ、がんばってね。やよい」「はい、春香さん。あの、さっきからなにが起こっているのか、さっぱりなんですけどー」「後で説明したげるわよ」 伊織が、俺に抱えられたままで言った。 生涯不敗。 天海春香を、四文字で形容すると、そうなるだろう。 なにせ、プラチナリーグで56戦56勝という、常識知らずの戦績をたたき出している。 如月千早ですら、四戦挑んで、すべて負けている。(ちなみに、千早は79戦71勝)。 本能的に、力の差を嗅ぎ取ったのだろう。 美希が怯えていた。 まるで、野生動物が、より上位の生物に平服するように。「なに、あの人」 春香の後ろ姿を見送りながら、美希が呟く。「頂点だよ。 俺たちが、目指すべき頂のひとつだ」