強面の連中が、最前列に陣取っている。 七人ほどだ。親子連れと女性ファンがたちが客層のほとんどを占める中で、明らかにそこだけ異様な雰囲気になっていた。 萩原雪歩の実家で見た顔だった。むろん中央には連中を束ねる雪歩のオヤジさんがいる。いや、それはいい。揉め事には強いだろう。こちらとしても、不要な数の警備員を雇わずにすむのはありがたい。 だが、どうやってとったんだアレ? AランクアイドルのS席チケットは、だいたいファンクラブを通して売りに出される。天海春香の最前列チケットなど、『愚民』同士の凄惨な競り合いの末、10万オーバーの値がつくことも珍しくない。つまりあれか。俺があの武家屋敷にお邪魔したときに、なんで上から数えたほうがいいような連中ばっかりがお出迎えにきていたのかと思ったら、あれは親父さんの指示でもなんでもなく、あそこにいた連中はみんな萩原雪歩、あるいは菊地真のファンだったというオチなのか。「菊地真と高槻やよいでは、アイドルとしての格が違いすぎる。これをどうやって覆すのか、お手並みを拝見させていただきます」 とか言ってきたのは、雪歩の親父の部屋でで門番をしていた右側のほうだった。ビジネススーツに身を固めている。荒事には弱そうだったが、交渉事を得意にしているのだろう。どこぞの評論家のようなことを言っている。いわゆるインテリヤクザという奴である。 そんな人が、年季の入ったアイドルオタクのようなことを言うのがおかしくて仕方ない。 もしかして萩原雪歩は親にアイドル活動を猛反対されていたりするのかと思ったが、どうやらそういうわけではないらしい。 なお、蛇足な気がするが、この人の年収は八千万ほどだろう。多分。 ともあれ、東京ビューイングアリーナは今日も満員御礼だった。萩原雪歩に伝えたのは、当日のスケジュールだけだった。ゆえに、リハーサルもなにもない。ぶっつけ本番でステージに立つ必要があった。 そもそも、萩原雪歩はまだ会場にいない。来るのかもわかっていない。もとより、俺が勝手に頼んだことだ。萩原雪歩が来なくても、彼女の責められる道理は一切ない。菊地真は高槻やよいに摺り潰され、トゥルーホワイトの名前もなにもかも、知る人がその記憶のなかで止められておくだけの存在になる。ただ、それだけだ。 やよいと伊織、それに美希に対するミーティングは、すでに終わらせてある。二回目ともなれば、要領や段取りもわかっているためにあまり時間をかけずにすんだ。油断するなという士気高揚の演説をひとつ打って、俺は菊地真の控え室で、『対高槻やよい』をどう打倒するか説明を始めている。 本来の担当プロデューサーを蔑ろにする、本来恐ろしい暴挙なのだが、本人はさっぱり気にしていない。この人はもっと自分の担当アイドルを大事にするべきだと思う。「羽住社長」「私はトゥルーホワイト時代を知らない。だから、いつもの真とは別物だろうふたりにアドバイスなんてできないからな。舵取りもなにもかも、君に任せよう」 鋼の入った筋肉は特注のスタッフジャケットに覆われて着膨れしたクマのようになっている。羽住正栄はそんなことを言っていた。「君を、私の後継者のひとりとして認めよう」 とか言って、ブタの被り物を渡された。 あ、隅に小さく『ヤキニクマン四世』と書かれている。 この人、特撮に被れすぎて、後継者とか引継ぎとか仕事の基本を根本的に誤解しているように見える。 この人大物なのでもなんでもなく、ただ適当なだけに思えてきた。あと、烏丸棗(ブルーラインプロダクション)がなんでよくリファ・ガーランドのプロデュースをやっているのかもだいたい想像がついた。あと『ヤキニクマン三世』が誰なのかも。 俺はともかく、A級プロデューサーである烏丸棗なんて時間単価が凄まじいことになっているだろうに、それを『ヤキニクマン三世』として、タダでこき使っているのだから、もしかしてこの人社長としては一級なのかもしれない。 「あの師匠、プロデューサー。ミーティングを始めるんじゃないんですか?」「そうだったな。悪い」「ああもう、真くん。かっこいいの」 美希はテーブルに頬杖をついて、ステージ姿の真に見惚れていた。きっちりと決めた黒のスーツだった。銀と白のストライブになったネクタイがよく似合っている。これから舞踏会でお姫様と一曲踊りそうな格好である。 ――いや、それよりも。「おいこら」 美希はなんでここにいる。 やよいと伊織の様子を見張っておけと言ったはずなのだが。「真くんかっこいいし。やよいとおでこちゃんは、いつも通りだったよ?」「ああそう」 人選を間違えた。 絵理か天海春香でも貼り付けておくべきだった。「それはそうと、第二戦、『高槻やよいVSトゥルーホワイト(菊地真)』のミーティングを始めよう。本来、どの順番で曲を出してくるのかは完全なトップシークレットだったりするが、まあ当然俺が決めたから俺には筒抜けだ。やよいの本日の献立はこうなっている」 一曲目。『キラメキラリ』 予想戦闘力 100 二曲目。『ゲンキトリッパー』 予想戦闘力 30 三曲目。『スマイル体操』 予想戦闘力 75 「で、どうするの?」「こちらと相手が同格という仮定で、さらに歌う曲の順番がわかっている場合にだけ通用する、プラチナリーグでの必勝法というものがある。それを使う」「へえ」「まずあちらの一番強い曲に、こちらの一番弱い曲をぶつける。次に、あちらの一番弱い曲に、こちらの二番目に強い曲をぶつける。あと、仕上げにあちらの二番目に強い曲に、こちらの最強の曲をぶつければいい。実力が同等であるなら、これで二勝一敗となるわけだ。どうだ。斬新でカッコよくて壮大な、天才軍師である俺の名にふさわしい作戦だろう」「なるほど。目からウロコがぼろぼろ落ちました」「あ、そっか。すごい作戦だと思う」「………………」 ああ、賞賛ばかりでツッコミがないのが寂しい。 おそらく伊織なら、なにが新しいのよこんなカビの生えた作戦、とか言ってくれるだろうに。「真くんは、工夫していることってあるの?」「師匠からは、エース曲にエース曲をぶつけるな、とは言われたけどね」「なんで?」「格付けがはっきりしすぎるし、エース曲ってのはアイドルの命そのものだからな。出せば必ず勝つ、という絶対性がなければエース曲たりえない。よって、エース曲同士をぶつけるのは、ただの不毛な削りあいだ。誰も得なんてしない」 ここらへんは、暗黙の了解というやつだった。 相手によってはエース曲を出さないなんて戦略もありうる。前回の天海春香戦は、それとは少しパターンが違ってはいたが。如月千早のように、事実上全曲がエース曲なんて例もあったりする。 「それで、真。できたか?」「はい。これが、今日のボクの、ボクたちの曲順です」「――へえ、なるほど。っておい」 話を聞いていなかったのか? 思わず、そんな疑問が先にきた。渡された紙に書かれていたのは、今までの話を根底から覆すようなモノ。 菊地真の一曲目は、『迷走Mind』だった。 「おい、人の話を聞いていたか? 高槻やよいが一曲目に出してくるのは、エース曲である『キラメキラリ』だぞ」「はい。これが、ボクの一番弱い曲ですから」 一曲目『迷走Mind』 予想戦闘力 55 二曲目『Tear』 予想戦闘力 20 三曲目、『Inferno』 予想戦闘力 25「勝負は、二曲目と三曲目か」「はい」 二曲目と三曲目は、トゥルーホワイト時代の曲だった。 つまり、ふたりいなければ、半分の実力も発揮できない。 これからのことを、まったく考えていない。背水の陣を張っている。ただ、彼女は『トゥルーホワイト』としての将来だけを考えていた。「わかった。これでいこう。一戦目を捨てて、二戦目と三戦目で勝つ。やるからには、全力で叩く。高槻やよいを叩きのめすぞ」