律子から渡された地図を片手に、俺たち三人は街中を歩いていた。 萩原雪歩の家については、律子から散々に言い含められていた。わりとあっさり教えてくれたのは意外だったが、詳細を聞いてみるとなるほどと思った。 これは手を焼く。 そして、なぜ秋月律子がこちらに情報を渡してくれたのかもわかる。わかってもどうにもならないからだ。 「もうすぐかな。 住宅街に入ったよ?」「ここらへんのはず、だな。真。お前はどうなんだ。遊びにいったこととかないのか?」「実は、一度も。雪歩は、あまり家のことについては語りたがらなかったですし」 口をへの字に引き結んで、やよいの次の対戦相手は困ったような顔をしていた。歩くだけで、道行く女性が振り返っていく。ショートカットが涼し気な見目麗しい美形アイドル。Aランクアイドル菊地真。顔は何度か合わせたことがあるし話に横入りしたことはあるが、今日までマトモに話したことはなかった。 『エッジ』の羽住社長に許可をとって、拉致同然に連れてきていた。水瀬伊織を説得するのに高槻やよいを使った(ステージ3)ように、萩原雪歩を引きずり出すのに菊地真を使わないなど考えられない。「よろしくお願いしますね。プロデューサー」 なお、俺は彼女のことを真と呼び、真は俺をプロデューサーと呼んでいる。 別に担当プロデューサーがいるのに、これはどうなるのかなと思ったが、真はまったく気にしていないようだった。本来の担当プロデューサーである羽住社長のことを、菊地真は『師匠(せんせい)』と呼んでいる。 おそらくは、比較対象が特異すぎて、担当プロデューサーというものを掴みきれていないのだろう。 まさか、担当プロデューサーというものは、すべからくグリズリーを素手で撲殺できないといけない、などとは思っていないだろうが。 羽住正栄で検索をかけると、そのほとんどがプロデューサーでも社長でも俳優としてでもなく、武闘家あるいは格闘家としての逸話説話ばかりがヒットする。どうやらアイドルプロダクションの社長は、みんなこんなものらしい。 大事なところを担当アイドルに任せ、おろおろあたふたしているアイドル社長と、俺の古巣で社長をやっていた、講演会と本の出版に余念がないエセ英国紳士のことが脳裏に浮かんだ。 「おにーさんと真くんって、仲良さそうだよね」「ああうん。美希、実はね――」「共通の趣味があってな。少女漫画で意気投合した」 日本の生み出した、素晴らしい文化のひとつである。正直、雑誌の傾向とかどこの作者からどういう風に影響を受けているのかがわからないだけで、かなり選び方がカオスになる。それ以外は、数々の少年漫画青年漫画と変わらない。 「えーと、少女漫画っていったって、いろいろとあるはずだけど」「海野つなみとか高尾滋とかそのへん」「田村由美とか竹宮恵子もいいですよね」「そこらへんはメジャーすぎだろう正直」「ううっ。ふたりの話についてけないよ」 美希がぼやいている。俺が推しているのは中堅どころだが、真が推しているのは作品名を聞けば誰でもわかるランクの作家だった。「少女漫画は、女性が描いてるせいなのか、ピークと劣化が極端すぎるんだよ。ある少女漫画を読んで最高クラスと思っても、同じ作者の他の作品を読んでみると、あまりのつまらなさにウンザリすることもある。逆も然り。それが少年漫画との一番の差だな。趣味の合う合わないの差が半端ないし、発掘するのがとても面白い」「雪歩も少女漫画とか好きだったんですけどね。いや、少年漫画もかなぁ」「どうせあっちは、アルバフィカ×マニゴルドとかで顔を赤くしてたんだろう」「いや、決めつけるのはさすがに。いえ、確かにそういうところはありましたけど」 菊地真は、ストラップやキーホルダーなど、持っている小物のほとんどをカニで飾りつけている。『高槻やよいのやよい式WEBテレビ』で、寝起きドッキリを仕掛けたときも、私物のカニスリッパ、カニ目覚まし時計、カニマグカップと、そんなセンスの悪さが垣間見えた出来事だった。 むしろ、マニゴルドよりデストールを崇めていそうである。「あ、ここだ。ついたぞ」 ――萩原組。 などという表札は当然出ていないが、その門構えは立派なものだった。どこぞの武家屋敷と思えるぐらいだ。ネズミ色にふちどられた蝶番に、重厚な木の扉はだいぶ重そうだった。錆びてはいるが、朽ちてはいない。簡素ながら細かく彫られた模様が彫られ、建物自体の格式に一役買っている。 が、これから交渉をする人たちに思いを馳せると、やはり機能的な問題がはじめに気になってしまう。カチコミを食らっても大丈夫そうだった。多分中はきっと要塞化しているだろう。火炎瓶や手榴弾を投げられても弾き返しそうだ。季節が外れているが、柿の木も植えられている。 「あ、監視カメラがついてる」 目ざとく、美希が門の右上あたりを指さす。「真は、雪歩の実家がこういう系列だって知らなかったんだよな」「はい。家に数十人ぐらい若い衆が住み込みをしているのと、親父さんがすごく厳しい人だということぐらいで」 萩原雪歩の親は、名の知れた広域指定暴力団円閥組の、幹部だということだった。 凄いことである。一次団体の幹部の地位にあり、その下で広域組織二次団体組長として一家を構えている。「で、おにーさん。どうするの。忍び込むとか?」「そんなん、アポをとったに決まってるだろう。穏便に済ませたいときにやるのは、やはり正攻法だ」 暴力団対策法が施行されて久しいが、元々ヤクザというのは、暴力ではなく交渉を生業とする。暴力は、交渉に伴う手段のひとつでしかない。連中は交渉事のみで数億から数十億の利益をあげているのである。 ヤクザの怖さというのは、実はそこにある。 弱みを利用する。相手に貸しをつくる。自分が裏切っても裏切らせない。ヤクザであることは匂わせる程度にして、あくまで近隣住民や被害者として脅しをかける。相手に恩を売り、利益だけ掠め取る。 ヤクザとは、そういうのを日常的にやっている交渉のプロだ。弁護士を立てればいいなどと思うのも甘い。このクラスの組なら、たいてい顧問の悪徳弁護士がついている。「インテリヤクザとか、そっち方面に期待するのは?」 美希は、ヤクザというのを、ドラマとかで得たイメージで話しているのだろう。「連中は金を積まないと動いてくれないからな。ならば、昔気質の親分を相手にしたほうがいい」 実は、こういう時に一番やってはいけないのは、話に噛む人間を増やすことだ。手間も増えるわマージンはとられるわ、話がちゃんと伝わらない可能性は増えるわで、いいことがなにもない。なにより、昔気質の人間は小細工を嫌う。 萩原雪歩を説得し、親の了解をとりつける。 やることはそれだけなのだから、他の人間を間に置く必要はない。俺たちは、やけに丁寧な応対を受け、屋敷の中に案内された。 ――さて、鬼が出るか蛇が出るか。