背後の四面に据えつけられた、発色鮮やかな大型LEDスクリーンのそれぞれに、オープニング映像が映し出される。 光の雪片が吹き抜けていく。 撮りだめられた映像が流され、集まった観客に『高槻やよいVS天海春香』の対決への期待を否応なく盛り上げてくれる。 『高槻やよいのやよい式WEBテレビ』のオープニングだった。タイトルバックの右上に小さく『出張版』と銘打たれていた。 一度暗転したライトが、ぱっと明るくなってやよい、美希、伊織の姿を映し出す。 カメラクルーが、撮影を続けている。 三人とも、セットのテーブルに向き合って、観客に笑顔を振りまいていた。いつもはチケット抽選で、四十人ほどの公開観覧だった。ケタが二つあがってどうなるのか心配だったが、いまのところ目だった問題は起きていない。「伊織ちゃん。美希さん。新しいお客さんが来てくれるらしいよ」 天海春香のことである。 浮き立っているやよいに、伊織と美希が追随した。「なにかお茶請けとか必要よね」「麻酔弾とか、猛獣捕獲用のペイントボールとか、回復剤とか強壮剤とかだよね」「ええと、美希はなにを剥ぎ取るつもりなわけ?」 そんなやりとりを続けて、スタジオに天海春香の登場曲が流れる。観客の歓声が動く。あらかじめ観客の死角に出待ちをしていた天海春香が、姿を現した。 背後に流れるのはクラシックだった。ヨハン・シュトラウス。兄弟の合作だったらしい。 地鳴りに近い歓声が、アリーナに負荷をかける。 すでに戦闘衣装に身を包んでいた。漆黒のパンキッシュゴシック。Aランクアイドルの貫禄なのか。姿を見せるだけで、自在にファンの気圧を変化させていた。「本日は、お招きいただき感謝するわ」 やよいは喜色満面な笑顔を見せた。 美希は椅子を動かして春香の分のスペースを作った。 伊織は目を合わせようともしない。 実のところ、初ライブというものは難しい。それはライブを観る観客にとってもだ。楽しむべき要素を見つけられないうちに、二時間を過ごさなければならないときもある。このライブは、やよいのメンバー紹介からはじまった。「まず、伊織ちゃん」「まあ、やよいを前々から知ってる人たちにはお馴染みよね」 ぱちぱちとまばらな拍手。 一部熱狂的めいたファンが、「伊織様ー」だとか「踏んでくれー」だとか言っている。「それと、美希さん」「美希だよー。よろしくねー」 歓声があがった。 続けて、美希は自分のグラビアDVDの宣伝に入っている。弾丸とか弾奏とかいう名前の週間少年雑誌で表紙を飾ったことのある美希は、メインの成人男性たちに知名度が高い。『愚民』の連中のなかでも、美希を知っている割合は高いはずだ。 この紹介は、美希伊織を知らない人々に印象づけるという意味もあるが、あまり深い意味はない。メンバー紹介みたいなものは、どこのライブでもやることだ。「それでは、ライブをはじめるわ。最初に『ベリーベリー』と『クロムハート』のライブからね」 司会のおねえさんを兼任している伊織が、ライブの始まりを告げた。 Aランクアイドル同士の公式戦では、途中の幕間に所属アイドルのライブが入るのがお約束だった。 自分たちのプロダクションからBランクアイドルやCランクアイドルを出す。そういうお披露目の場を用意してあげるのも、Aランクアイドルとしての責務である。 Aランクアイドル同士の戦いというのは、すなわち所属プロダクション同士の戦争と置き換えられるのだが、今回はいささか趣きを異にしていた。 高槻やよいと天海春香は、どちらも同じワークスプロダクション。 よって、幕間を彩るアイドルのラインナップも、すべてワークスから選出されることになっている。やよいの方は伊織の派閥から、天海春香の方は、自分の派閥から選出していた。小早川瑞樹と組んである派閥は、そこに参加していない。 一ユニットぐらいなら、こっちで引き受けるとか伊織は言っていたが、小早川瑞樹はにべもなく断っていた。 理由は、本人のプライドからくるものだろう。無理もない。伊織だって、逆の立場だったら小早川瑞樹と同じ態度をとるだろうから。 ともあれ、これはパフォーマンスとしても随分と有効だった。 伊織は同じプロダクションにいるアイドルたちを、実力で捻じ伏せた形になる。こうした形を見せておく限り、『ハニーキャッツ』について、後ろから撃たれるようなことはないはずだった。「大晦日ということで、今年もおしまいね」「なに? 来年にむけての抱負でも語れとでもいうのかしら」「それ、年が明けてからでいいんじゃない? 進行表には、この一年を振り返って適当なコメントでも話しとけとか書いてあるけど」 『ベリーベリー』と『クロムハーツ』のライブが終わったあとで、伊織と天海春香が、いつもと変わらない様子で話を進めている。「なんてゆーか、VTRを用意してるらしいよ」「わー、楽しみです。えーと、今年の最大ニュース。この番組であった三つの最大ニュースをVTRで紹介しちゃいまーす」 やよいが、カンペをそのまま読んでいた。 四基あるLEDスクリーンが、編集されたニュースベスト3を流す。『三位、高槻やよい。Aランクアイドルに』、『二位、『キラメキラリ』発売』、『一位、高槻やよい。まさかの紅白出場辞退』となっていた。 ざわざわと観客がどよめいている。 一位の紅白出場辞退は、ほとんどのファンが初耳らしい。コアなファンですら噂話としていくらか話題になっただけ。信憑性もなく、裏づけもとれなかったために、すぐに泡みたいに消えていった噂のひとつだった。 こういう噂話に対し、ダイレクトに反応を返せることが、個人番組における最大の利点だった。ときには、レギュラー番組の収録の裏話もする。絶対にここでしか話せない話。そういう話を、ファンが喜ぶ。 「そういえば、あったわよね。こんなこと」「紅白出場辞退か。たしか、やよいが泣いてプロデューサーに直訴したんだよね」「社長なんて、卒倒して病院に担ぎ込まれていったわよ」「ああ、不憫な社長」「かわいそうなおねえちゃん」 天海春香は、はらはらと涙を流していた。 おそらく本気で悲しんでいるあたりに、彼女の狂気が感じ取れる。「それで、やよいが紅白の出場を断った理由だけど」「NHKは敵。NHKは敵。NHKは敵」 一点を見つめながら、やよいがぶつぶつと一つのことを呟いている。 やよいが全身をぷるぷると震えさせながら、悪罵に近い感情を投げつけていた。やよいがここまでなにかに嫌悪感を抱いている事例は、もしかしたら初めてなんじゃないだろうか?「ああ、やよいの気持ちはわからないでもないわ。連中、どこにでも現れるものね」 おそらく、やよいが剥き出しにしている感情の一厘も理解できないだろう伊織の代わりに、天海春香はやよいに同意を示した。「ことあるごとに、ヘンな機械にキャッシュカードを通そうとさせてくるんだよ。あの☆〇$@㌣どもっ!!」 やよいは、ほぼ聞き取れないぐらい汚い言葉で、権力の犬とかなんたらの豚とか、日々の鬱憤をぶちまけていた。「あのね、やよい。アイドルに相応しくないから、そういうはしたない言葉はやめなさいよ」 そして、プラチナリーグ公式戦は幕を開けた。 互いに曲をぶつけ合い、三戦し先に二勝したほうが勝ちになる。それ以外は、この間のドリームフェスタと変わらない。リアルタイムで投票結果は、背後のLEDスクリーンに反映されることになる。「エキシビジョンマッチでもやりましょうか」 天海春香からの提案があった。 むろん、これは台本通りである。 勝敗に関連しない。 『ハニーキャッツ』にはAランクアイドルの勝負に介入する権利はない。ゆえに、勝敗に関係ないところでエキシビジョンマッチなんていう理由付けが必要になる。「あら、ずいぶんと親切なのね。自分の入る墓穴ぐらい、自分で掘りたいとかそんな理由かしら」「誤解しないでほしいわ。ただの個人的な興味よ。私は見たいだけ。高槻やよいを剥ぎ取られて、水瀬伊織がどんな醜態を晒してくれるのか」 あくまでやよいと天海春香の対決のために、設えられた舞台だ。観客の半分は、未だにざわついている。あとの半分は、好意的に出し物のひとつだと解釈してくれたらしい。 俺はステージの下手の舞台裏からステージの様子を確認していた。 最初に、スクリーンにそれぞれの選曲が発表される。 『ハニーキャッツ』は、『READY!!』。 そして、『天海春香』が選んだ選曲に、俺の背筋が突っ張った。観客の水面に雫を落とすみたいに、整然とした混乱。同心円状に、ざわつきが広まっていく。 彼女の選曲は、観客のほとんどに衝撃を与えていた。 このエキシビジョンマッチに、天海春香が投入するのは、『洗脳、搾取、虎の巻』。いちいち確認するまでもない。必敵必殺の、彼女のエース曲だった。 ここで天海春香がエース曲を投入するということは、そのあとのやよいとの決戦で、この曲を使わないということを意味する。正直、俺も驚いていた。十分な打ち合わせを重ねていたのだが、敵は敵である。情報のすべてを渡せというわけにもいかない。 しかし、勝つのは蜘蛛の糸を昇るようなものだと思っていたが、やはり無謀だった。一パーセントの勝機すらない。 ステージ上のセットが、一旦撤去される。 影絵のように、ステージに三人が降り立つ。 スピーカーからメロディーが流れ出し、すべての準備は整う。賽は投げられた。 美希、伊織、やよいの三人のステージは、担当プロデューサーの俺の贔屓目を引いても、素晴らしいものだった。ありとあらゆる不利を、会場の歓声が洗い流していく。 『READY!!』 三人の新曲だった。激しい動きを必要としないやよい個人の歌と違って、身のこなしが違っていた。 人が増えれば、カラーも違う。 あらゆる人の気持ちが舞い込む怒涛のライブだった。自由自在に飛び跳ねるやよいは、新鮮さと驚きを伴って、概ね好意的にファンに受け入れられたらしい。引き、寄せ、生き物のように押し寄せる歓声ひとつひとつを逃さずに、会場の熱へと変換していく。 そのライブは、終盤に頂点に達した。 伊織と美希はこの五分にすべてを賭けて、やよいもこれをエキシビジョンだとは思ってもいない。この後の本番を前にして、すべての力を使い果たすつもりで歌っている。舞台演出も加わって、三人は膨大な熱量をそのまま制御していた。降り注ぐ銀の紙片が、ライトを乱反射して、幻想的な光の粒に変化している。 三人の魅力を、完全に出し切ったステージ。 やよい個人のステージと、なにひとつ見劣りしない。 万来の拍手が、それを証明している。 これで手札を、完全に使い切った。 勝敗は関係ない。もちろん勝つに越したことはないが、これで観客の心を動かせないのなら、三人でユニットを組んでいく意味は、ひとつとしてないということになる。 美希と伊織に残ったのは、やりきったという感触だけだった。 これで、結果がどうなっても後悔はない。ふたりに残るのは、そういう自分の魂の極限まで燃やしきったという心地よい痺れだけ。 やよいは、これからが本番だとばかりに両目を見開いていた。俺の目に映ったのは、奥歯に力を入れて、運命に抵抗しようとするたったひとりの少女の姿だ。 LEDスクリーンにロゴが浮かぶ。光の洪水とともに、『HARUKA AMAMI』のアルファベットが横に走った。 前の主の匂いも感触も、彼女が降り立った途端に、払拭される。 漆黒のステージ衣装に、ビーズの反射材がライトの光を弾く。ステージ前面で、火に炙られ、狂ったように踊り狂うバックダンサーたち。 贄。 それは彼女のために捧げられた贄そのものだった。赤いバックライトが流血階段に見立てられる。赤色のムービングライトが出鱈目に降り注ぎ、見る人の心をざわめき立たせてくる。 人ならざるものの降臨。 天海春香は、なにもしていない。ただそこにいるという存在感だけで、アリーナすべてにいる人々の意識を拘束していた。 片手をあげた。 魔術にかかったように、目が離せない。 肌が粟立った。たったひとりの少女に、5000人の観客が息を呑んでいた。 「みんなーっ。いっくよー。『洗脳、搾取、虎の巻』ッ!!」 ウオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッ!!!! 束ねられた観客たちの声。 数千の兵隊の咆哮は、まさに爆発に等しい。 天海春香のステージ以外ではありえない数の、観客の獅子咆が観る者の魂を消し飛ばした。人としての尊厳もプライドも、彼女を崇めるために必要なもの以外、ありとあらゆるものが奪い取られる。 天海春香のステージである限り、ライブとは、感動を与えるものではありえない。 掠奪。 群衆そのものが、天海春香を敬い、崇め奉るためだけの存在に造りかえられている。 天海春香の『洗脳、搾取、虎の巻』に合わせて、3000人の群集が動いていた。五分で光を失う高輝度サイリウムを腕がちぎれるような勢いで振りながら、3000人の群集は、そのものがひとつの生き物になった。呼吸すら一体化してしまう。アリーナにあるすべてを自分のステージに組み込みながら、天海春香はその中心にいた。 目の前で繰り広げられるすべての光景を目にして、伊織は呆然としていた。 知識はあっただろう。本人なりに覆すイメージもあっただろう。 彼女を打ちのめしたのは、畏怖でも恐怖でもない。 事前に映像として見るのとでは、纏う空気も質感も違う。天海春香のもたらすカリスマが、一糸も乱れず成立した時にのみ現れる、圧倒的なまでの美しさだった。 そう、伊織を打ちのめしたのは、目の前に広がる美しさという概念だった。夕焼けから宵闇に変わる一瞬の、どこまでも吸い込まれそうな高い空。七色の光を注がれたステンドグラスの移り変わる光の彩り。 そのような美しさの極地と、まったく同質のもの。 天海春香という素材そのものが、美しさという概念の、その到達点のひとつであるとすら思えた。 一生懸命にひとつの対象に願いをかける姿と、人生でこれほどまでに腹の底から声を張り上げて、観客のひとりひとりが華の咲き誇るような笑顔を見せる ひとつの対象にすべてを賭けるさまが、これほどに美しいとは。 シュウ酸ジフェニルと過酸化水素が混合されたウルトラオレンジの光に祝福されて、ステージ全体が煌きを作っている。 人の域を超えたカリスマ。 彼女だけに与えられた、天与の才。 整然と行われる美しく清らかな暴虐。祈るような鏖殺。 四基あるLEDスクリーンのすべてが、黒く塗りつぶされる。 得票差は、3対97で終わりを迎える。 虐殺。 天海春香は慈悲も許容もなくハニーキャッツを大差で下した。