「やっぱり、ミハエル先生、焼き芋食べないね」 ミキ、と名乗った少女が、水筒に入れたはちみつレモンを啜っていた。 都心から外れた森林公園には、昼休みのOLや近所の老人やその孫たちが放し飼いにされている。駅からの利便性もよく、俺たちがいるのはUFOの着陸地点のような芝生部分だった。 「まあ、熱いのが悪いんだろ。猫舌って言葉があるぐらいだし」「そうだね。はふっ、はふぅっ」 俺の言葉に、彼女が相槌を打っている。 星井美希。 14歳ということだった。 奔放で、つかみどころがない。 いくつか言葉を交わした印象は、そんな感じだった。 この年頃の中学生なら、アイドルに憧れてもおかしくはないと思うのだが、彼女にはそんな気もないらしい。本人に聞くところによると、アイドルなんてよくわからないし、めんどくさいから、ということだった。 ふむ。 天才肌というやつだろう。 このタイプは波長が合うかどうかで、扱いやすさがまったく違う。しかしながら、ええと──「ええい、ボロボロとこぼすな。せっかくの服が台無しになるだろう」「だって。おいしくて。いつ食べても、焼き芋はサイコーだよね」 ああ、ただ飲み物にはちみつレモンは邪道だと思うが。 ──というわけで、俺はコンビニの紙パック牛乳を啜っているわけだった。「それで、学校はどうしたんだ? 高校、って、──ああ、中学校だったか。 ここらへん、学校無いだろう」 まあ、言っても仕方ないことでもあった。 俺だって、サボらせる方の人間だから。 『ギガス』プロは、社長の方針で、アイドルにはなるべく学校に行かせることを基本とはしているにしろ、皆勤遅刻無しとはいかない。 巷にいるアイドルすべてが、俺の隣にいるひきこもりみたいな環境にいるわけではないから。「にゃーにゃーにゃーにゃー」「なうー、なうー、なううなうー」 絵理とミハエル先生は、猫語で会話していた。 言うまでもなく通じていないのだろうが、なぜか意思疎通できているような気がしてくるから不思議である。 「学校なら、今日は創立記念日でお休み。 お姉ちゃんがお弁当忘れていったから、届けにきたの」「お弁当って、コレか? 俺が今食べてるやつ」 付属の箸で、それを指し示す。 ピンク色の弁当箱に詰まったおかずとご飯は、もう半分近くなくなっていた。「うんそれ。 って、あれ? なんでおにーさんがそれ食べてるのかな?」「さっきお前がくれたんだろうが。 焼き芋のお礼。 お腹空いてるならあげるって」「…………あれ?」 彼女の動きが止まった。 締まりのない顔だったのが、眉間に一本、二本と皺が増えていく。 綺麗な顔が、顎の方からスッゥ──と、蒼くなり始めていった。ガクガクガク、と震度一ぐらいで揺れている。 「あれ、じゃないだろ」「ど、どうしよう。お姉ちゃんに怒られちゃうっ!!」「どうしようって、謝るしかないだろう。まさか、食べかけを渡すわけにもいかないし」 ──ちなみに、俺は好物を先に食べる派だった。 よって、半分といっても、残りは白飯とかたくあんとか、ハンバーグの付け合せのスパゲッティとか、食べかけのニンジンとか、残りはそんなのばっかりで、とても弁当としての体を成してはいない。 しかし、 そんな正論で彼女は納得するはずもなく。「だめーっ!! ミキがお姉ちゃんにお尻ペンペンされちゃうよー。 わかってる? お弁当なんだよ。代わりなんてないんだよ。 かえしてよー。かえしてー。プライスレスーっ!!」「いや、代わりがないっていうか。 そもそもこれ。全部冷凍食品だろ? コンビニ弁当のがマシな上に、毎日食っとるわっ!!」 俺に圧し掛かって来る彼女に、必死で抵抗する。 胸が押し付けられて、息ができない。 やわらかい肉感が、顔全体を覆っていた。ぼよんぼよんでたゆんたゆんでひどいことになっている。 やばい。 このままだと、おっぱいに挟まれて死ぬ。 他人から見ればうらやましいのかもしれないが、自分がその立場におかれてみればただ情けないだけだった。「むー、怒っちゃやっ!!」 というか、もうすでに弁当のことなど意識の端にも上らない。 目の前の凶悪な胸にばかり意識が集中して、ぽかぽかと殴られて(痛くもないが)、これ、本人も自分がなにをしたいのかがわかってないんじゃないだろうか? あの弁当の中身なら、コンビニ弁当を買ってきて、中身だけ移し替えても誰も気づかないはず。そこらへんの妥協点を出そうとしたのだが、あと一歩遅かったらしい。 「え? 美希」「あれ? お姉ちゃん」 太陽の光が遮断されるように、影が差した。 聞き覚えのない第三者の声は、そのお姉ちゃんとやら、だろう。 ちなみに、俺といえば、すでに兵器として通用するような妹の方の胸に遮られて、そちらを伺えない。というか、今の俺は、他人から見てどう見えているんだろう? 犯罪者一歩手前、 ということぐらいは自分でもわかる。「ええと、美希。なにやってるの?」「う、うん。お姉ちゃん。大変っ!! この人に、お姉ちゃんのお弁当食べられちゃったの」「は?」 呆然とする姉。 うん、気持ちはわかる。 ──あと事実とちょっと違う。「あの、どちら様でしょう?」 どうやら、姉のほうは常識人らしい。 ようやく開けた視界で、困惑している姉を観察する。 ──たしかに、ミキと呼ばれた少女が、成長するとこうなるのだろう。 はじめに、細い脚線美に目が吸い寄せられる。 ヒップラインを通り、そのまま目線を上げていく。 少女という時期を過ぎ、女性への過渡期へと移行している最中なのだろう。 歳は20歳を越えたあたりか、体にぴっちりと合ったスーツを着こなしている様は、いっぱしの社会人に見えた。「──ふむ」 彼女は、上から下までねぶりまわすようなこちらの視線に、ブルッと、悪寒のようなものを感じたのか、自分の体を抱きしめていた。「惜しいな。せめて、あと五歳若ければ──」 ──ガスッ!!「げふっ!!」 ──十分に、一級のアイドルとして通用するのに。 という呟きは、最後までも言わせてもらえなかった。 ──蹴られた。 ハイヒールのカカトで。「へぶっ。へぶっへぶっ!!」 ──ガスッ!! ──ガスガスッ!! ──ガスガスガスッ!! ──しかも、連続で。 視界が、右へ左へと弾けた。 やたらと細く美しい脚が、そのまま凶器に変わる。「ちょ、ちょっと菜緒お姉ちゃん。そのへんで止めないと、その人死んじゃうよ!!」「え、ええ。そうね」「う、うん。わかってくれればいいの」「そうね。 ──今すぐ止めを刺さないと。 ところで美希。そこらへんに手ごろなボーリング球ぐらいの大きさの石とか落ちてないかしら」「お、お姉ちゃんが、お姉ちゃんがコワれちゃった」「心配ないわ。ぜんぜん心配ないのよ。美希」 声が、なにかに取り憑かれたようだった。「な、なにが?」「ちょっと考えてみなさい。平日から仕事もせずに、公園に出没したあげく、女子中学生に変態行為をはたらこうとするようなような人間、死んでもだれも悲しまないわ」「ひでぇ言いようだな、おい」「ね。見てわかるでしょう? 手に職もなければ、常識もない。勉強もできなければ、友達も少なくて、死んでも嘆いてくれる人もいないに決まっているわ」「そ、そうなの?」「そう、美希も、勉強しないと最後にはこんな風になっちゃうかもしれないのよ」「悪かったな。こんな風で」「凄絶な学歴社会。 その厳しさは、とても美希のような娘が耐えられるような生やさしい場所ではなかったの。 美希は、ダンボールを毛布にして、橋の下で子猫のように震えているの。──助けてお姉ちゃん、という言葉は、誰にも届かずに世間の風に押し流されていくのよ。 ……そして、誰にも看取られずに、やがて美希は………………いやああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああっっっ!!」 美希のお姉ちゃんは、わけのわからないことを叫んだ後で、自分の妄想にのたうちまわっていた。「なぁ、この姉ちゃんいつもこんな風なのか?」「そう、だね」 美希の方をみると、たしかに珍しくもないのか、醒めた目で姉を見ていた。 ──乾いた瞳に、驚くほど酷薄な光の色をたたえている。それは、かすかな諦め、だろうか?「というわけで、外は危険がいっぱいだから、もう帰るわよ」「菜緒お姉ちゃん。お仕事は?」「早退するわ」「いいのか、それで」「部外者は口を出さないで。あと、その弁当箱はもう使えないから捨てておいて」「ああ、わかった。それで、最後にひとつ聞きたいんだが……」「なによ」「いや、そっちの妹の方にな。 これ貰ったの、どういう経緯だ?」 俺が右手にひらひらさせているのは、ワークスプロの招待状。 さっき、密着された際に彼女のポケットから抜き取っておいたものだった。「それ? 『ワークスプロダクション』の創立三周年記念パーティーがあるから、よければきてくれって。 ミキは行く気ないけどね。めんどくさそうだし」「へえ、じゃあ、俺にくれるか。この招待状?」「いいけど。 あれ? でも、あの人が誰にも渡しちゃダメって言ったから、やっぱりダメなのかな」「ああ、それなら問題ない」 ──本人ごと連れて行けば、約束を破ったことにはならないだろう。「──さて。 そろそろ再開してみるか」 顔を上げる。「え、焼き芋おかわりするの? なら、ミキも呼んでね」「そんなわけないでしょうが」「……いや、似たようなもんだよ。 焼き芋じゃあないけども。 そろそろ、沈んでいるのも飽きたしな。 今もどこかで、誰かの音楽が流れている。いつまでも俺だけが止まってもいられない。正直、なにか確信があるわけじゃあないが、 ──火中の栗を、拾いにいってみるか」「へえ、そう。勝手にすればいいじゃない」 菜緒、と呼ばれたお姉ちゃんは、勝手に、パックに入っている干し芋を炙っていた。 うん、やっぱり姉妹なようだった。 ワークスプロダクションは、系列という経営システムをとっている。 むしろ、こちらがアイドル業界における スタンダードなシステムといっていい。 ──ワークスプロダクションの抱えるアイドルの在籍人数は、たった八人である。ギガスプロの五百人と比べれば、雲泥の差だった。 それで何故、業界最大の人数を誇るギガスプロと互角にやっていけるかというと、実は不思議でもなんでもない。 ワークスプロダクションの下に、数十ものプロダクションが『系列』として入っているからだった。 分かりにくければ、『傘下』、でもいい。 つまり、事実上ワークスプロダクションとは、この何十ものプロダクションをひとつとして纏めた言葉である。「あふぅ。なんでそんなめんどくさいことやってるの?」「便利なんだよ。いろいろと。 赤字になったら、そこだけ切り捨てればいいし。なにより、買収したプロダクションを直接傘下に加えられるというのが一番大きい。 いちいちアイドルを引き抜いてきても、新しい雰囲気の事務所の雰囲気に馴染めなくて辞めていく例なんて、珍しくもなんともないからな。系列という方式なら、そのリスクも最小限にできる。まあ、欠点もいろいろとあるが」 まあ、それ以上に大きいのが、数々の特権だった。 これこれのオーディションは、この放送局で独占放送をしている。よって、そこと普段、仲のよいプロダクション系列が、そのオーディションに合格しても、仕方ないで済まされる。「──というわけでだ。こういう会社は、権威が落ちることを嫌って、定期的にこのようなパーティーを開催する。まあ、会社が儲かっているからこそできることでもあるが。 ここでは知らない人間が九割以上であり、どこの馬の骨が潜り込んでいても、誰も不審に思う奴なんていないはずだ」「……もしかして、それが言いたかったの?」「ああ、系列は縦社会だからな。ヤクザの親子関係みたいなもので、直系でもない限り、上に行くことはできない。今日のところは、会長や社長の顔を見るだけでよしとするさ」「ところで、絵理ちゃんは?」「あのヒキコモリが、こんな人だらけのところに出てこれるわけないだろ」「タイヘンそうだね」 スクエアビルの三階、鳳凰の間では、長ったらしい会長の挨拶が続いている。「やっぱり招待状がないと入れないな。まあ、今はどこもそんな時代だしな」「えー、どうするの?」「どこかで、招待状をもうひとり分調達できればいいんだが」 言った先から、カメラを持った眼鏡とロン毛のバンダナのコンビが、目の前で警備員に連行されていく。「まあ、ヤフオクで売りさばかれたようなのは、当然弾かれる、か──」「いるんだね。ああいう人」「ああ、A級アイドルを目の前でみるチャンスだからな。──ああいうのがいるから、警備が厳しくなるともいえるが」 ──今思えば、あずささんに連絡をとってみればよかったかもしれない。 元、A級アイドルなら、招待状ぐらいは届いていただろう。いや、名前と顔写真を照合される以上、意味もないか。「むー。おにーさんが、おもしろいものを見せてくれるっていうから、ミキ、眠いのをがまんしてここまで来たんだよ。ミキだけ中に入っても、きっとつまんないよ」「まったくだ。 俺も、このまま引き上げるつもりはない」 ──つまりは、正面突破。 それしかなかった。 美希を伴い、入り口へ向けて、踏み出す。「お客様。招待状を」「はい、これ」 美希が招待状を渡す。 門番の顔色が、わずかに変わった。 おそらく、なにか招待客に気づかれないよう、細工がしてあるのだろう。招待状ごとに、その客がどのぐらいの重要度かがわかるような。 横柄な門番の態度が、目に見えてへりぐだったところをみると、星井美希という少女は最高に近いランクだったらしい。 ──なるほど。 西園寺美神は、よほどこの少女にご執心らしいな。 なら、その分こっちも動きやすい。「そちらの方は?」「付き添いの近所のお兄さんだ」 まあ、嘘はついていない。 俺の変装のためのサングラスが、なんともいえない怪しさを醸し出している。服装フリーなパーティーであるため、各自格好はフリーダムだった。これよりひどい服装をしている出席者はいくらでもいる。「招待状がなければ、お通しすることはできません」 が、 門番役の黒服は、強情だった。「なにぃ。14歳のコドモを、こんな得体の知れないパーティーに一人で参加させろなんて、あんたら常識ないんじゃないのか!?」「いえ、そのために我々が警備しているので──」「おにーちゃん。サービス悪いよねここ。 社長さん直々に言われて来たんだけど、もういいや。帰ろっか。別に、ここじゃなくっても、『エッジ』とか『ギガス』とかがあるわけだし」 美希が、わざとらしく空っとぼける。 ──こいつ、こういう状況で、妙に頭の周りが早いな。「少々お待ちください。今、上に確認しますので」 慌ただしくなった。 当然だ。スカウト対象が、他プロダクションにみすみす取られるなど、看過できないだろう。 ──さて、このまま、抜けるか?「ああ」 思った以上に、門番の動きが鈍い。 俺たちの理屈は、それなりの筋が通っている。この程度なら、すぐにカタがつくと思っていたのだが。 それが通らないとなると、思った以上に、この門番たちには権限が与えられていない──のか?「仕方ないな」 美希の右手に目を落とす。 西園寺美神に電話して、それを認めさせる。(美希が) 社長本人に電話すれば、気づかれる確率も上がるし、そうなれば追い出されるだろう、なぁ。 けれど── 背に腹は代えられない。 敵の本拠地まで出向いてきた以上、入れませんでした、では済まされない。「入れてあげればいいじゃない」 ──助け船は、意外なところから訪れた。「み、水瀬様?」「アイドルだろうとファンだろうとスパイだろうと、別にどうでもいいでしょ。入り口で押し問答されてたら、私が中に入れないじゃないの」「はっ」 偉そうに門番役に命令を下すのは、美希と同じぐらいの歳の少女だった。 動作のひとつひとつに、なんともいえない気品がある。 まっすぐに意志の通った瞳が、彼女の輝きを体現していた。身につけたパーティー用のドレスと、煌びやかなアクセサリは、総額1000万は下るまい。 見ただけで、わかる。 ──間違いなく、このパーティーの主賓のひとりだ。 美希と共通するのは、人を惹き付ける先天的なものを備えている、ということだった。「携帯電話や、撮影器具をお持ちでしたら、お出しください。帰る際に、返却致します」「ああ」 マスコミ対策だろう。 これに対しては、後ろ暗いことはなにもないので、素直に門番役の指示に従う。代わりに、番号札を貰う。「ありがとう。おでこちゃん。ミキ、感動しちゃった」「いいわ。私も新堂を連れてるもの。……っていうか、おでこちゃんって私のことかコラ」 新堂と呼ばれた、執事らしき人物を傍らに、少女は会場に入っていった。「あの娘は、誰だ?」「この会社の大株主である、水瀬重蔵様の孫、水瀬伊織様です。今年で、たしか14歳だったはずです」「ふぅん。本人はアイドルってわけじゃないのか」 ということは、どのプロデューサーの手垢もついていない、ということだ。 今日のところは── 人間観察が、最重要の目的である。 彼女を追っかけ回してみるのも、いいかもしれない。それはそれで、人間観察という目的に適う。 中に入れば、特有の華やかな雰囲気に圧倒される。 あくまで身内のパーティーだという括りはあるものの、その顔ぶれは多岐に渡る。 知っている顔も、決して少なくはない。 皆、グラスを手に、思い思いに談笑していた。「ねえ、ミキ。とりあえずなにをすればいいのかな」「とりあえず、しばらくはおとなしくテーブルのご馳走を食べていてくれるか?」「む、はむはむ」「聞いたそばから食ってるのかよ」「むぐむぐ、なにかむぐむぐ、ミキ、悪いことしてる?」「いや、別に。食べながらしゃべるな、というぐらいか。とりあえずは」 料理は、ビュッフェ方式だった。 そんなことを言われても、わからない………という人もいると思うので説明すると、つまりセルフサービスのバイキングだった。多数の並べられた料理から、用意された皿に適量を取る、一番馴染みの深い立食パーティーの方式である。 北欧から日本に流れてきた方式であり、北欧といえば日本人が一番に連想するのがバイキングだ、ということで、この立食パーティー方式に、バイキングという名前がついた、という経緯がある。 豆知識だが。「食べられない量を取るな、残すのはマナー違反だな」「あ、ミキそれぐらいは知ってるよ。でも、ついついいっぱい取っちゃうんだよね。これも食べたいし、あれも食べたいし」「あと、一度使った皿は再利用しないで、新しい皿を使う。これがマナーだ」「え、逆じゃないの?」「そういうマナーなんだ。使った皿が多ければ多いほど、マナーが良いとされる場合もある。まあ、日本では一般的じゃあないが」「ふーん」「とはいえ、パーティーも後半だし、ロクなもの残ってないけどな。どこでも、寿司とかは一番に無くなるもんだ」「ミキは、おにぎりがあるから別にいいけど」「なお、こういったパーティーやら、芸能人の開くホームパーティーは、旬を過ぎたアイドルとかテレビから消えたお笑い芸人とかが出没してたりする。 ああ、懐かしいなぁ。 俺たちが『ギガス』で、駆け出しのペーペーだったころは、あずささんの営業で、ヒルズ族とかのホームパーティーとかに招かれたりしてたな。俺と朔で、いろいろと食いまくったもんだ。連中、気前がよくて、寿司職人そのものを呼んでたりしたなぁ、あそこは上客だったなぁ」「思ったんだけど、おにーさんって、貧乏くさいよね」「やかましいわ」 客だし、うるさいことは言われないはずだ。 それほどにかたくるしいようなパーティーではない。 そもそも、今時の十代のアイドルに、そんな常識を期待するのは困難だった。 大抵のアイドルが、料理を片手にグループを作って、学校やスクールでの内輪話に興じている。 そこらの紳士然としたおじさんに頼まれて、バク転をしているアイドルまでいた。テーブルの料理を持参したタッパーに詰め込んでいるアイドルも。「ていうか、最後ちょっと待て」 がしっと、見えた少女の首根っこを掴む。「はうっ。な、なにがご用ですかー」 タッパーに料理を詰めている少女が、小動物のようにふるえた。美希よりもさらに年下だろう。 小学生と中学生の境目ぐらいか。 「それ、行儀悪いよ」 美希が、ぽろぽろと料理をこぼしながら言う。 ──とりあえず、お前が言うな。「み、みのがしてくださいー。家では弟たちがお腹をすかせてふるえているんですー」「ベタな嘘だな」「さすがに、ミキでも騙されないよ、それ」「うわーん。信じてくださいー」 と、真実味がないでもないが、身につけているドレスの値段が矛盾を引き起こしている。 さっきの水瀬伊織ほどではないが、彼女の身につけているドレスは、レンタルでも十万はするぞ。「まあ、いいや──」 キャッチ、 アンド、 リリース。 「なかなか、変なのがいるなぁ」「そういえば、おでこちゃんはどこ行ったのかな」「ああ、水瀬伊織か。っておい、その呼び方定着したのか」 あたりを見る。 そう離れていない位置に、いた。 さすが主賓。 多くの人垣に囲まれている。 その多くが、同年代のアイドルたちだった。 一目で、その上下関係がわかる。 あれは、 仲間と言うよりは──「取り巻き、か」 よほど、周りに持ち上げられているのだろう。 印象は、挫折を知らないお嬢様。 そんな感じか。「あ、ねぇおにーさん。あそこに、西園寺さんがいるよ」「ん?」 西園寺美神。 視線だけで、人を凍死させるような雰囲気は相変わらずだった。美人は美人なのだが、しばらく見ないうちに、さらにかわいげが無くなっている。 まるで、限界までに張り詰めた弓のよう。 彼女の周りだけ、これがパーティーだということを忘れさせるような雰囲気を作り出している。 「そこのあなた、なにをしているの?」 こちらへの問いかけではない。 さっきの、タッパーに食べ物を詰めている少女に向けての言葉。「あ、社長。え、ええと、あの──ごめんなさい。家には、お腹をすかせた弟たちが……」「そんなことを聞いていないわ。なにをしているの?」「………あうぅ」「答えられないの? 所属と、名前を言いなさい」「Fランクの、高槻やよいです。そ、それで──」「Fランク? そう、まあそうね。私が総括している部署にあなたのような常識知らずがいるはずもないものね。 そもそも、Dランク以上のアイドルしか参加できないパーティーに、どうしてあなたがいるの?」 彼女の口から出る一言一言が、ナイフのように突き刺さっている「きついな」 あれはひどい。 わざと、答えられないような質問ばかりを浴びせている。 正直、三年前に千早と話が合った理由が、ようやくわかった気がする。 あれほどロジカルに物を考えられるなら、そりゃあ千早と話は合うだろう。「うう、やっぱりミキ、このプロダクション。あまり好きじゃないかも」「でも、美希は特別扱いされる方なんじゃないか?」「こんなトコロで特別扱いされても、ミキ、嬉しくないよ?」「ん、そうだな」「ところで、やよいのこと。助けないの?」 隣の、美希の声。「目立てないからな。今のところ。 というかな、今のはどう考えてもあの娘が悪い。ビュッフェ方式で、ああやって料理を持ち帰ろうとするのは、明確なマナー違反だ。──やると普通に怒られる」「でも──このままで、いいの?」 さて──どうする?「西園寺社長。社長就任おめでとうございます」 水瀬伊織が、頭を下げる。 非の打ち所のない、完璧な礼儀作法だった。「水瀬さん?」「Fランクアイドルになんて構ってないで、こちらの話に加わってくれません? やっぱり、主役がいないと話が締まらなくて」「え、ええ、そうね」 水瀬伊織が引き連れてきたのは、二十人にも及ぶ集団だった。まさか、この人数の前で身内の恥をさらすわけにもいかない、という判断だろう。 集団が、やよいの前から去っていく。 その取り巻きの中のひとりが、肩を落として、とぼとぼと歩くやよいの進行方向に、脚を突き出した。「あっ」 ばしゃり、とグラスが宙を舞う。 中に入っていた紺色の液体は、そのまま放物線を描く間もなく、ドレスを汚す。「ごめーん。ちいさくって見えなかったー。ほんとごめんねぇー(笑)」「う、うん。いいんです。私、平気だから」 やよいは、倒れたままで、笑顔をつくろうとする。「うん。そうだよね(笑)。だって、Fランクなのに、平気な顔してここにいられるぐらいだもん。こんなことぐらい、どうってことないわよね(笑)」「あ、あはは………」 彼女は、剥き出しの悪意に対して、乾いた笑いを返すしかない。「洗わないと。落ちなくなっちゃう」 やよいは、ふらふらと会場を出て、トイレに向かう。 くすくすと、背中に嘲笑がふりかかっていた。「やよい。大丈夫?」「あ、伊織ちゃん」 やよいが女子トイレにこもって、数分もしないうちに、伊織が飛び込んできていた。「伊織ちゃん。パーティーはいいの?」「化粧が崩れたからって言って、抜け出してきたわ」 おそらくは、そこでのやよいの悪口に耐えられなくなった、という理由もあるのだろう。「助けて、くれたんだよね」「まあね。しっかし、慣れない敬語なんて使うもんじゃないわね。どっと疲れたわ」 伊織が、肩をすくめる。「ごめんなさい。やよいちゃん。借りたドレス、台無しにしちゃって。私のお給料で、払えるかな」「そんなのどうでもいいわよ。クリーニングに出せば落ちるわ。まあ、クリーニング代は請求するけどね。540円よ」「あ、あう。私のお小遣い三ヶ月分ですー」 演技でもなく、やよいがあわてた。「それより、転んだんでしょ。ケガないわけ」「へーき。下が、絨毯だったもの。ごめんね、伊織ちゃんに、迷惑かけちゃって」「なに言ってるの。友達じゃない」 本心だろう。 彼女は、続けた。「あんな連中より、今はやよいの方が大事よ」 肩を抱いて、やよいを立ち上がらせる。「ほら、笑って。 みんなを、笑顔にするアイドルになるんでしょ。 アンタが笑ってないと、誰も笑顔になんてなれないわよ」「え、えへへ。これで、いいかな」「うん。カワイクなったわよ。 まあ、私ほどじゃあないけどね」「伊織………ちゃん」「私もね、もうすぐお爺さまのお許しが出そうなの。そうなったら、一緒にデビューするって、前から約束してるじゃない。そうなったら、もう無敵よ」「うん。そう……だよね」「いい笑顔になったじゃない。 それでこそ、やよいよ。 私の可愛さと、やよいの笑顔があれば、Aランクなんてすぐね。 だから── 負けちゃダメよ。 あんな連中。相手にすることないわ。 そのうち、正々堂々とステージの上で叩きつぶしてあげればいいわ」「う、うんっ!」「やよいは、もう帰った方がいいわね。新堂に言っておくわ」「あ、あの。伊織ちゃん?」 やよいが、赤面する。「ん?」「お願いが、あるんだけど──」「……ああ、残り物ね。 タッパー貸しなさい。今は無理だけど、パーティーが終わった後で、いろいろ貰ってきてあげるわよ」「ありがとう。伊織ちゃん。大好き」「まったく、どうしてやよいはこうなのかしら」 声が遠ざかっていく。「………………………」「………………………」 人影がなくなったところで、俺と美希は、清掃用ロッカーから這い出てきた。 すし詰め状態になってずいぶんと不自由な思いをしたが、それだけの価値はあった。「あれだな。いい話だな、すごく」「ううっ! すごくいい話だね。ミキ、感動しちゃったかも」 高槻やよいと呼ばれた少女を、慰めるために隠れていたのだが、俺たちの出番など、まったくなかった。 それどころか、途中であまりにいい話すぎて、出るにでられなくなってしまっていた。「でも、おにーさん。口先だけだよね。さっきから、おにーさんなにもしてないよ」「正面から進むのだけが、戦いじゃないからな。 ブランドに胡座をかいている相手を、相手の想像もしない方法で、死角から撃ち殺すのが俺の流儀だ。 しかし、心配だなあのふたり。心配だ心配だ。とても心配すぎる」「──ええと、なにが?」「今時珍しいぐらいに真っ直ぐなふたりだが、どこぞの悪徳プロデューサーに喰いモノにされないとも限らないしな。この業界、そんな連中がたくさんいるから、例えば──俺みたいな」「………………」 美希の視線が冷たくなっていた。 呆れてモノが言えないという、そんな感じだった。「しかし、あのふたりのおかげで、いい感じに情報も集まった。 喜べ。 ここから、この会場にいる全員の度肝を抜いてやる。 さて、高槻やよいがこの会場から出る前に仕掛けを打つぞ。俺の言い値で、喧嘩を買わせてやるとしよう」「あくまだー。せんせー、ここにあくまがいるよー」 美希はもう、反論する気力も起きないようだった。 それでも、事態を楽しんでいるのは伝わってくる。「じゃあ、行くぞ美希。──奴らを、丸裸にしてやる」「おにーさん。それはいいけど。なんか、言ってることがいちいちヘンタイっぽいよ」 ………あと、女子トイレで言う台詞でもないよね。 と、美希が付け足した。 まあ、もっともだ。 ──とりあえず俺は、水瀬伊織と高槻やよいを手にいれ、それと同時に、ワークスプロダクションに楔を打ち立てる方法について、美希に説明をはじめた。