「スタジオのみなさーん。こんばんはー。 今、ミキたちがいるのは、都内一等地にある最高級ホテルの廊下だよ。あふぅ。えーとね、いまは明け方の五時だから、ちょっと眠いの。 おでこちゃん、早すぎるよ。あと三時間ぐらい遅くてもいいんじゃないかな?」「いいわけあるか。それじゃあ、寝起きドッキリにならないでしょうが」「ううん。じゃあもう少しがんばる。ここは帝国ホテルサンスイート57階。一泊6万円からだって、ミキこんなところに泊まったことないよ」 ふわわわあああああっ、と美希が拳を突っ込めそうなぐらいの大きなアクビをしながら、やる気なさげにカンペを読み上げ始めた。 さっきも壁に激突していたり、緊張感がないことはなはだしい。なお、寝起きドッキリのお約束として、これまでの会話はすべて小声で行われている。 映像の中だけの茶番とはいえ、最低限の緊張感は維持する必要があるのだが、別の理由もあった。「っていっても、ここクラブフロアよ。最高級スイートはこの十倍はするわ。残念ね、最高級スイートのほうなら案内できたんだけど」「ってことは、おでこちゃん。ここ泊まったことあるんだよね」「当然じゃない。最高級ホテルなんて看板、出すのは設備さえあればできるけど、ここは値段とサービスが釣り合っている東京では珍しいホテルね。まあ、こんな格好で歩くことになるとは思ってなかったけど」 高層ビルの五十階で、黒いレオタードに悪魔の羽根を生やして、二本角のカチューシャをつけて、小悪魔ルックなんて格好をしている私と美希は、人に見つからないようにこそこそと隠れながら廊下を歩いていた。 張り詰めるような異様な緊張感は、その格好のせいだ。 朝の五時とはいえ、いつ人が出てこないとは限らない。ホテル側には、ドッキリをやるとしか話を通していない以上、誰に見つかっても問題になりかねない。早めに、やよいの部屋にまでたどり着きたいところだった。 使用方法のわからない杖を手にしながら、気配を消しつつ、前方を確保した。後ろからは、美希に続いて、照明とカメラマンがついてきていた。「ところで、私たちが持ってるこの杖ってなによ。邪魔だから捨てたいんだけど」 形状は、むしろ杖というより高枝切りバサミに似ている。柄のほうにボタンがあったりするが、バカバカしくて押す気にもならない。「ええと、おにーさ、じゃなくて、プロデューサーが言うにはマジックハンドらしいよ。そういえば、使用説明書があるはずだよ。ええと、たしかこのポケットに」 溶けたチョコレート。張り付いたガム。使い終わった切符。美希がそういうものの中からとりだしたのは、くしゃくしゃになったプロデューサーからの指示書らしい。「えーと、今回の指令は、やよいの腹についた肉の調査に使用。目盛りつきマジックハンドで、ちょっとつまむだけで、アイドルのメタボ度が計れる優れものだって」「あの男、頭の中になにが詰まっているわけ?」「むしろ、なにも詰まってないんじゃないかな?」 ひどい言い草である。 できるのなら、解剖に回したいところだった。 指示書は無駄に凝っていた。墨と筆で書かれた指示書をゴミ箱に捨てながら、ようやく私たちはやよいが泊まっている一室にまでたどり着く。 あらかじめ支給された部屋のドアに、IDカードを差し込む。ドッキリは、できるだけ視聴者に対してもったいぶるのが大事だと聞いている。カメラがズームして、私の手元を映しこむ。カードを差し込むと、電子音とともにボルトが解除されてカギが廻りきった。 最小限のランプの明かりだけが室内を照らしていた。朝とはいえ太陽は出ているので、何も見えないというわけではない。 「なんか、スイートに比べると内装がショボイわね」「十分広いし豪華だと思うんだけど」 インテリアひとつひとつにおいて、こだわりぬいた広いその一室。18世紀のイギリス風ジョージアンスタイルで統一されている。明らかにベッドには人の膨らみがあった。メインディッシュに箸をつけるのは最後にして、まずは外から手をつけていく。「まず、最初にやることはアニメティの調査からだって」 美希が、プロデューサーの指示書、その2を読み上げる。 美希は間違っているが、正しくはアメニティだろう。ホテル備え付けの、一日使い捨ての備品のことである。私は洗面所や、テーブルの上をひととおりチェックしてみた。「案の定、ごっそりなくなってるわね。いや、最初から料金に含まれてるし、持ってかえって構わないんだけど、ハブラシは当然として、紅茶のティーパックからカミソリからなにまで」「おでこちゃん。なんかイキイキしてるよね。まるで自分の部屋に帰ってきたみたい」「当然でしょう。最高級ホテルはね、たいてい自分の家みたいにくつろげる空間を提供しているのよ。だったら、自分の家みたいに手足を伸ばしてなんの問題があるのよ」「わぁ、おでこちゃんすごい。明らかに間違ってるのに、そこまで自信満々に言われると信じちゃうかも」 お約束の小道具チェックも終わり、めぼしい場所を漁り終わって、あとはやよいの処遇だけだった。 カメラ位置に、指示を出す。そろりそろりと、足音を殺しながら膨らんだベッドに忍び寄った。ベッドの膨らみに手をかける。 あとはやよいを起こすだけ。それを邪魔するものはだれもいない。「ん?」 違和感。 そこにあるべき体温を感じない。「あれ、なにこれ?」 カメラがアップになる。ズームしていく『間』を十分にとってから、私は布団を引き剥がした。「やよいが、いない」 ベッドのふくらみは、タオルを丸めたものだった。たしかに部屋に人の気配はあるし、ベッドに乱れもある。やよいがここにいることは間違いないはずだった。「う、空蝉の術なのっ。やよいがフェイントをっ!!」「いやあのね。やよいのことだから、もっと心の底からどうでもいい理由だと思うわよ」「ううっ、なんの騒ぎですかー?」 もぞっ、と部屋の端にあったなにかが動いた。ライトの光源が届かなくて、そこまで目が届かなかったが、もぞもぞと動く物体がひとつ。 毛布にくるまって、やよいが目をしぱしぱとさせていた。 「あれ? 伊織ちゃんが、グレた?」 いまいち状況のつかめないらしいやよいは、こっちの格好のことを言っているらしい。たしかに、黒のレオタードに悪魔の羽と尻尾と角なんて、そうとられてもしかたないかもしれない。「こっちはこっちでいろいろあるのよ。それより、やよい。なんで部屋の端で寝てるのよ」「そこのベッド、ふかふかすぎて落ち着かないんだよ。ここって、お化けが出そうで怖いんだもん」「そういうものよ。慣れなさい」「それより伊織ちゃん。ここって、ご飯どうやって食べるの? ルームサービスっていうの頼もうと思ったんだけど、そんなのなかったよ?」「わかったわよ。クラブフロアの使い方を教えてあげるわ。朝食は、たしか7時からだったわね」「はーい」 というわけで、私はやよいに近づいていく。 そのまま差し出された手をスルーし、私は後ろからまだ動きの鈍いやよいを羽交い絞めにした。「その前に」「あれ?」 布団とかなにやらで拘束されて、やよいが目を白黒とさせている。「認めたくないけど、これって任務なんだよね」 美希が、両手で持ったマジックハンドをわきわきとさせながら、やよいのお腹に照準を定めた。というか、このままだと番組の尺があまって仕方ない。 風船、氷、おしゃぶり、霧吹き、足の裏に文字を書くためのサインペン。あとは添い寝させるために使う美希など、小道具はいろいろと持ってきていたが、まあドッキリの醍醐味というのはここからだった。「お腹の肉を測らせなさい」「え?」「大丈夫よ。痛くなんてないし、減るものもないわよ。人として大切な尊厳とかが減るかもしれないけど、些細なことよ」「あの、伊織ちゃん。美希さん? 目が笑ってないんですけどー」「やよい。すぐ終わるから大丈夫。痛くしないから」 ばたばたと動くやよいを、私は体重で動けなくしている。そろりと近づいてくる美希は、やよいにとってぱたぱたと悪魔の羽をそよがせる子悪魔そのものだろう。「じょ、冗談ですよね?」「そう思うなら、そう思っていればいいわ。ああ、かわいそうなやよい」「やよい。駄目だよ好き嫌いは。好き嫌いすると大きくなれないんだよ」「あ、あれぇ。な、なにか間違ってますー」 以下、写してはいけないものが映っていますので、ここからは音声のみでお楽しみください。そういうテロップが画面にはいり、全体にモザイクがかかる。「ふぅ、堪能したわ」 周りに散乱する割れた風船、足の裏に落書き、おしゃぶりをくわえさせられ、首元に氷を垂らされ、自分の曲を大音量で流され、どっきりで考えられる限りの辱めを受けたやよいは、ボロボロにされて布団のなかに突っ伏していた。「ふたりとも、ひどい」「尊い犠牲だったの」「やよいは犠牲になったのね」「なんで他人事なんですかー」 やよいの悲鳴が響き渡り、今日もまた一日がはじまる。 ドッキリ大成功のテロップが流れて、画面が暗転した。