金が唸る、という表現がある。 言うまでもなく、有り余るほどの金を持っている、という意味の慣用句だ。 これはひとつの例えではあるのだが、たしかに金というのは唸るのだ。有効に使えば利子がつくし、大きくギャンブルに張って、札束を積み上げていくこともできる。 そして、アイドルの仕事も、それと似たようなものだった。ひとつ階級が上がってしまえば、認知度が認知度を呼び、あきらかにそれは給与明細にあらわれる。ファンの認知度が増えると、CDや細かい営業だけでなく、関連グッズが増産されてアイドルとして上昇気流に乗ることができる。 金が金を呼び、知名度が人気を生む。 稼いだ金を宣伝費に還元し、そうなればアイドル本人だけでなく、事務所自体の評価を押し上げることもできるはずだった。 今、テーブルの上に並べられているのは、高槻やよいのアイドルグッズの数々だった。 数々の試作品は、主に『ゲロゲロキッチン』のもので、三匹のカエルキーホルダーに、SDサイズになった高槻やよいがポーズを決めている。これが、一番の売れ筋らしい。「どこからどこまでがやよいグッズになるのかという線引きとか、なんか微妙なんだよな」 プロデューサーの話だと、プラチナリーグでプラチナムポイントに還元されるアイドルグッズは、おおまかに規定されているという。 生写真や、キーホルダーにポストカード。カレンダーやポスター。トレーディングカードやバスタオルなどはきちんと売れば売れただけポイントになる。ステッカーや文房具などが売れ筋らしい。意外なところでは、コスチュームやライブのパンフレットなどもポイントが入る。「どういう風に規定されてるのよ?」「プラチナリーグの提携店とウェブサイト、あとは音楽DLサイトとかがあって、そこで取り扱ってるものなら、基本なんでも入る。まあ、つまりはそこで取り扱ってもらえるのなら、なんでもいいってことでもあるな」「なにその一社寡占。独占禁止法とかにひっかからないわけ?」「かからない。うまい方法ではあるしなぁ。マイルサービスとか某電気店のポイントでは、ポイントの不正取得が問題になったけども。電気店の来店時、一日一回ってくくりがあるとして、それだとひとりで複数枚のカードを所有されると防ぐ方法がない。それでスロットサービスが廃止になったし。応援するアイドルにとって価値はあっても、実質本人にとって価値が生じないプラチナムポイントってサービスは、実はすごくよく考えられていたりする」「なるほど」 私は生返事でプロデューサーから視線を移す。やよいのフィギュアは、じつによくできていた。肌の質感、ロールのかかった髪の造詣、全体のバランス、500円の出来としては、破格といっていいはずだ。「ファンからすると、どういう立ち位置のグッズなのかしらこれ。ファンが一番気にする場所とかどこなの?」「うむ。一番大事なのは、やっぱり再現度かなぁ。二次元に落としこんでいるわけだから、造形的な問題があったんだが、そこは『ゲロゲロキッチン』で使われているやよいのSDアニメからもってきて、違和感なく二次元化に成功している。ああ、無限に量産される二次嫁たちに駆逐されていく、幾多の三次アイドルフィギュアの屍たちの歴史は、涙なくしては語れないほどだ。実際のアイドルがこうしてフィギュア化されるという、超超レアケース。『アニメ版SD高槻やよい』は、アイドル業界に新風を巻き起こすだろう」「地味にすごいことやってるのね。実は」「マックスゴールドファクトリー製だ。頼み込むのに苦労したんだぞ。あと、パンツの柄まで再現する、といわれてるフィギュア会社だからな。パンツの指定まで入ったりして、いろいろと大変だった。やよいにそれを履かせるのが一番苦労したといっていい」「ちょっと待ちなさい」 今、聞き逃せないセクハラ発言が飛び出た気がする。「やよいにこれを履け、といった瞬間がヤマだった。目を見開いて、次に俺の顔を見て、それから泣かれたからなぁ。泣き止ませるのと、ちゃんと納得させるのに苦労したものだ」「私の目の届かないところで、なにやってるのよアンタ」 しみじみと述懐するようなプロデューサーの顔を、横から全力でぶん殴りたい衝動にかられた。落ち着け、まだ早い。いつか代償を体で支払わせるとして、今ブタ箱にぶちこんだりしたら、せっかくやよいにきているいい流れが止まってしまう。「一度ぐらい、留置場で一晩すごしたほうがいいんじゃないの?」「ああ、通報されたことはけっこうあるが、それは流石にないかなぁ。ブタ箱じゃなくて、トラ箱なら何回かあるけれど」「どう違うのよそれ」 こんなのが日常会話になっているあたり、私自身、朱に染まってしまっている気がする。私がプロデューサーに求めるべき能力は、有能さ勤勉さより、まず殴ってもへこまない耐久性なので、そこは文句がなかったりするのだが。 プロデューサーは、それなりに忙しそうだった。ほとんどやよいにかかりっきりになっている。昔のコネを使って営業をかけたり、普通のプロデューサーなら人任せにしてもいい類の仕事まで、自分でやらないと気がすまないらしい。クセみたいなものだと思うのだが、見ていて頼もしさというより、バランスを崩しそうな危なっかしさのほうが先にくる。 他人というか、専門の人に任せたほうがむしろ安定する、というのは本人もわかっているみたいだし、これは本人の拭えない悪癖みたいなものだろうか。「で、やよいの次の仕事が決まったらしいわね」「ああ、これから話す。本人がきたらな」 やよいはスーパーのタイムサービスに出かけている。時間差を置いて繰り広げられる半額惣菜の争奪戦にでも参戦しているのだろう。 高槻やよいは、中学生、弟妹たちの母親代わり、売り出し中のアイドルと、三足のワラジを履きこなしている。ひとつでもキツいのに、値をあげないのは素直に凄いと思えた。 私や美希より一足先に、アイドルとして安定域に入っている。 とはいえ、やよいの仕事が途切れないのは、社長のプッシュがあってのことだった。選り好みできるほどではないが、スケジュールの合わない仕事を、断るぐらいのことはできているみたいだった。「また西園寺社長からの紹介?」「ああ、そういうことになってる」「すごい手のひら返しじゃない? なにか裏がないか勘ぐりたくなるんだけど」 プロデューサーは、手元の作業を中断すると、んー、とつぶやいたあと。「単に、ちゃんとした主力アイドルが欲しいんだろう。ワークスは四大プロダクションのなかで、一番へちょいからな。事務所の看板を張れるアイドルが、天海春香と小早川瑞樹しかいない。主力アイドルのラインナップがギガスにもエッジにもブルーラインにも、相当見劣りするというのが現実だったりするし」「やよいが、ねえ。そう上手くいくのかしらね」「やよいに無理なら、他には無理だろう。伊織、お前の後ろについてるコバンザメっぽい連中に期待するわけにもいかないからな」「まあ、そうだけど」 なにげに、プロデューサーのやよいに対する評価は高い。 それはいいことだ。 あとは本人が、期待に応えられるだけのものを、もってこれるか、だろう。 窓の枠から、夕日が差し込んでくる時間になっている。時計の針が五時を示し、これから眠りに就こうとしている街並み。ばたばたとせわしなく階段をかけあがる足音が、本人そのものを主張していた。「あ、プロデューサー。おはようございまーす。伊織ちゃんもおはよう」「ええ、おはようやよい」「うむ、やよいはいつも元気でいいなぁ」 高槻家八人が一週間食いつなげるだけの食料を、三つのエコバックに詰めて、やよいはふらふらしながら事務所のドアを開けて入ってきた。「プロデューサー。メールが入ってましたけど、新しい仕事の説明があるんですよね?」「まあ、座れ。今から説明するから」 やよいがソファーに腰を下ろす。 企画書は、概要が紙一枚にまとめられていた。 この間のパチンコの企画書は、十枚以上はあったのだが、本来テレビ用の企画書というのはこんなものらしい。この間のあれはプロデューサー相手のプレゼン用として、しっかりと作ってあったのだろう。「やよいにオファーがあったのは、『ジョニー須々木のイッツアサクセス』って番組だな。週一でやってる番組なんだが、高槻やよいを一回きりのゲストではなく、レギュラーとして使いたいそうだ」「ええと、名前はきいたことありますけど」 見たことはない、と。 私も番組欄で見たことがあるぐらいだ。たしか深夜番組のはず。ならやよいが一度も見たことがないというのもうなずける。やよいなら、九時過ぎには、すでに布団にくるまっていそうだ。「今回はジュニアB(プラチナリーグ専門衛星チャンネル)だ。ケーブルテレビから、一歩前進したともいえる。その分、激戦区だがな」「でも、これで有名になるアイドルっている?」「いない、な。残念ながら。たいした問題じゃない。やよいがまず、最初のひとりになればいい」「じゃあ、たいした有名な番組ではないわけね」「ああ。二流タレントが司会を務める二流アイドルが闊歩する、二流番組ではあるな」「じゃあ、今現在は二流アイドルのやよいには、ちょうどいいところね」「伊織ちゃん。それ褒められてるのかわかりづらいんだけど」 やよいは困ったように眉を寄せていた。「あふぅ。おはようなの」 ふあああぁぁぁっ、と魂が飛んでいきそうな欠伸をかみ殺しながら、星井美希が事務所の扉を開いた。「ん?」 けだるげな表情は、いつもの調子と少し違う。印象的な金髪が、汗で肌に張り付いている。心なしか、息が弾んでいる。生半可な全力疾走ではこうはならないと思う。ダンストレーニングで、数時間レッスンを終えたぐらいの疲労度。まるで精も根も使い果たしたようだった。「なんだそれ。美希、なんでそんなに疲れてるんだ?」「あのね。ストリートバスケやってたの。真くんから助っ人頼まれて」「ほう」「三回戦で負けちゃった。さすがにキツかったの。二チームいた優勝候補が一回戦でどっちも負けちゃったし、いろいろ混沌として面白かったよ。おにーさん連れてくればよかったかなって思ったし」「ふぅん。そういう番狂わせが起こるってことは、一回戦から相当高いレベルだったんだよな」「うん。SOMECITY優勝チームとか実業団チームとか米国基地チームとか、いっぱいいたし。すごくアツかったよ。結局、外人基地チームに負けちゃった。あっちずるいんだよ。選手全員黒人で揃えてるし、185センチ以下がひとりもいなかったし。結局、真くんと羽住社長ぐらいしか太刀打ちできなかったの」「なんか知らんが、すさまじいレベルで試合してたってことはわかった」「ところで、やよいの仕事の話なの?」 美希は、今気づいたようで、ふむふむとテーブルの上の企画書に目を走らせていた。「ああ、そうだ。美希。この番組知ってるか?」「えーと、一応気になって『第三シーズン』だけは見てたよー。まだやってたのこれ? もう番組なくなったって思ってた」 番組の企画書を見て、美希が言ったのはそんな言葉だった。 美希のその口ぶりだと、ろくに面白くもなかったけれど続き物だったので一応最後まで見て、最後まで結局おもしろくならなかったという微妙なパターンだったんだと思う。「ああ、やよいが出演する予定なのが、新しく始まる『第七シーズン』だな」「そのシーズンがどうのって、いったいなんなのよ」「いや、あまり気にする必要はない。最初はアイドルの登竜門的な番組で、新しいスターを発掘しようって番組だったんだ。それが『第四シーズン』あたりから路線変更したらしい」「え、ええと。それ、どうしてですか?」 なにか、プロデューサーの口ぶりからきなくさいものを嗅ぎ取ったのか、やよいが疑問の声をあげる。「売り出すはずのアイドルたちが、全員討死にしたせいで、企画変更を余儀なくされたわけだ。今では初回視聴率の半分を稼ぐのにも苦労する有様らしい。アイドル売り出しの路線をきっぱりと捨てて、この『第七シーズン』は、はじめてのおつかいみたいな内容になるみたいだな」「迷走してるよねそれ」「さすがに、おもしろくなる予感がまったくしないんだけど」「ううっ」 美希と私の言葉に、やよいがぶるっと身を震わせる。 言い過ぎたかもしれない。たしかに、オファーを受けた本人としては、あまりいい気持ちはしないだろう。「あの、プロデューサー。おつかいって、なにか買ってくるとかそんなのですか?」「いや、売るほうだ。在庫を抱えた中小企業の看板娘となって、溢れた在庫をひとつひとつ手売りしていくらしい」「聞くだけなら、いくらでもおもしろくできそうではあるけど」 起死回生の策、としてはまず上々ではないだろうか? それに、この『仕事』はやよいにとっては天職ともいえるだろう。多分、というよりも、絶対に、高槻やよいというアイドルの魅力を、十全に引き出すことができる仕事だ。これは、プロデューサーの腕なのか、やよいの『運』なのか、気になるところではある。「ふーん、アイドル同士で、いくら売れたか競うわけだよね?」「そういうことだな。四人で競って一位になったアイドルに、専属の曲とプロモーションの権利をくれるようだ。それで、ここからが本題だが、その四人のなかで、最下位を請け負ってくれるアイドルが欲しいらしい」「ん?」 私は眉を寄せた。 この男がまともな仕事をとってくるとは思わなかったが、案の定話の方向が怪しくなってきた。「ちょっと待って。あれって」「ええっ、あれって出来レースだったの!?」 私の声を掻き消して、悲鳴をあげたのは美希だった。 どうやら、これからより、これまでの放送が嘘だったというのが、一番本人にとってショックだったようだ。「うむ。全部じゃあないけど、七割は台本だな、これを見ると」「アンタ的に、そういうのって許容できるの? テレビ番組なんて、ほとんど仕込みだなんてわかってはいるけど」「ある程度の方向性は必要だろう。あまり陰湿になりすぎても困るし、ライバル同士で結託されるのも困る。それに、やよいにトップをとるチャンスがないわけじゃない。一番売れにくいものを渡されるだけで、トップをとってはいけないだなんて、どこからも言われてはいない」「そうじゃなくて、倫理的に、なんとか思わないの?」「伊織の言う倫理的責任というのがよくわからないが、特になんとも思わないな。ドキュメンタリーならいざ知らず、バラエティにそんな倫理的責任はない。大切なのは、自分に割り振られた仕事をきちんとこなすことだ。それにな」 プロデューサーは、にっこりと精神がガリガリと削れそうな笑みを見せると、やよいをまっすぐに見た。「オファーを出した偉いひとは、きちんとやよいを評価してくれている。どんなときにでも笑顔を忘れない。自分の置かれた境遇を呪ったり、諦めたりしない。高槻やよいには順位なんて関係なく、自分のきらめきを表に出すことができる。そんなの誰にでもできることじゃないだろう?」 どうする? プロデューサーは、目線でそう語っていた。 それに対するやよいの答えは、もう決まっているはずだった。 そうして、私たちは、ダンボールの箱の前で頭を抱えることになる。 聞いたことがあるだろう。バレンタインデーにジャニーズ事務所に届く大量のチョコレートの存在を。今の状況は、おそらくそれと似ている。次々と事務所宛てで届くダンボールのすべてが、やよいに対する救援物資だった。「で、なんなのこれ?」「うむ。放送が効果的すぎたな、きっと」 第一回の放送から数日、『ジョニー須々木のイッツアサクセス』の効力は、なにやら絶大だった。放送する方も破れかぶれなのか、初回二時間拡大スペシャルで始まったこの放送は、『第一シーズン』一回目の放送と同クラスの視聴率をたたき出したらしい。下げ止まらなかった視聴率の低下を食い止められて、関係者一同がほっとしていた矢先である。 第一回目は、やよいを含め、登場するアイドルたちの紹介と、手売りする商品が割り振られるところまでで終わった。 割り振られた商品は、以下のようである。 鏡スズネ(シングルCD 1200円) 鮎川ななみ(特製おにぎり 300円) 鈴鹿千歳(本人のブックレット 1000円) 高槻やよい(本人の仏像フィギュア 39800円) これを見るに、 やよいが、一番不利なのは言うまでもない。「材料費が一切計算に入ってないからな。食い物で材料費を一切考えなくていいのは強すぎる。番組としては、鮎川ななみを一位にするためのアングルを描いてたんだろうけれども」「なんていうか、放送見てみると、やよいが全部もってっちゃってるのよね。値段を聞いて『あわわわわわわわっ』と慌ててるところとか、積み上がった在庫の山を前にして、呆然としているところなんて、タネがわかっていても大丈夫かと言いたくなるぐらいだったわよ」「で、この注文の数か」 プロデューサーは、注文数をエクセルで出力した報告書を見つめた。 どう見ても、途方にくれているようだった。 簡単に増産できるほかの売り物はまだしも、仏像フィギュアは簡単に増産がかけられないために、番組の最後に注文先を載せたのが、この事態のはじまりだった。「まさか、注文が六百件くるとはなぁ」 プロデューサーは、やよい仏像フィギュア(39800円)を両手で持ち上げた。バレーボールぐらいの大きさはある。つまりは、マックスゴールドファクトリー製、『アニメ版SD高槻やよい』をそのまま材質を変えて巨大化させた形になる。最高級の楠材を使い、衣装は金糸で織り上げた逸品だった。一流の仏師に頼んで隅々まで趣向を凝らしたこれは、39800円で売るのは安すぎるぐらいなのだが。 それでも、売れすぎだと言える。 関係者は、五体も売れれば上出来だと考えていたらしい。うん、その判断に間違いはないはずだ。私でもそう判断する。プロデューサーは、二十体は売ってやるぞと息巻いていたが、この男でさえ、予測と実売に限りなく大きな隔たりをつくってしまっている。 この騒動は、ネットで小規模な祭りになっていた。 まとめサイトができて、購入者を募ったり、逆に値段の高さに批判が集まったり、番組の迷走を嘆いていたり、匿名掲示板ではスレッドの勢いが即日で一位になってしまっていた。瞬間的ではあるが、ブームになったといえないこともない。「もやし応援キャンペーンだと。ふざけんな。俺は認めないぞ。こんなゴミが売れてどうするっ」「今回、これ企画したの自分じゃないからって、言いたい放題だよね」 美希は、置き場所のないダンボールの海に揉まれて、居心地が悪そうにしていた。「ところが、このもやし応援キャンペーン、そんな大事になってないんだよな。ホームページでカウントされているのは、まだ38件だし」「ちょっと、注文がきたのは600件なんでしょ? 残りの500件超はどこにいったのよ?」「ふつーに、そういうのに縁のないふつーの人が、やよいの心意気に打たれて、受話器をとった結果、だろうな。実際、ネット販売と電話での応対とふたつ窓口があったんだが、八割が電話で注文されている。なんつーか、『ゲロゲロキッチン』のお客がそのまま流れてるんみたいなんだよなぁ。熱烈なやよいファンがけっこうな数発生しているらしい。やよいだけ目当てで、欲しいと思って買ってくれているみたいだ。ここまで売れるとやよいのランクアップは硬いが」「ううっ。問題は番組のほう、ですよね?」 やよいはぐらぐらと安定性のないダンボールを支えながら、埋もれて小さくなっていた。人の善意にあてられて困惑している、ようには見えない。「私、最下位の約束だったのに、これだと番組の趣旨が、めちゃくちゃになっちゃうんじゃあ」「やよい。心配するところはそこじゃない。たしかに踏み台に乗せすぎて、重さは崩壊したみたいな感じだが」「ううっ」「実際、スタッフの士気は上がってる。毎回改変期には打ち切りのうわさが出て、続いているのが不思議だとか言われてた番組だしな。『第八シーズン』が確約されたようなものだし。ライバルのアイドルたちも、むしろ今回の騒動で注目度が上がったぐらいだ」 プロデューサーは、だから、と続けた。「なにげに、困っている人間なんて、誰もいない。だから、やよい。お前はなにも気負う必要はない。ここで澄み切った気持ちで、買ってくれた人に感謝の気持ちを述べるのが、お前の責任だ」「は、はい」 やよいの目に、気持ちが戻ってきた。 一見まともそうなプロデューサーの言動に、いちいち左右されるのがやよいの長所でもあると思う。「ところで、アンタ、今回なにもしてないのよね?」「してないな。俺だって24時間悪巧みしてるわけじゃない。しようとはしてたけどな」「ううん、売れるときって、こんなものなのかしら。他人事だからなおさらだけど、いまいち実感がないのよね」「本人だってないよ。伊織ちゃん」「そんなこと言ったって、まったく予期しないヒットなんてこんなもんだぞ。苦し紛れの手が、たまたま相手のテンプルを打ち抜くラッキーヒットだったりするんだ」 ん、とそこでプロデューサーは、なにかに気づいたようだった。「でも、こういうのやよいらしいって思うな。考えてみると、こういう上り詰め方以外、考えられないぐらい」 美希のやよい評は、多分的確だった。 挑むんじゃなく、だれかが自然とやよいのために手を差しのべたくなる。たしかに、本物のアイドルというのは、そういうものなのかもしれない。 誰かの差し伸べてくれた手が、そのまま誰かの願いを叶えるための力にする。これがやよいのスタイルなんだろう。「すべてを吸い寄せる、やよいらしいヒットの仕方っていえばいいのかしら」「うむ、なんかいた気がするなぁ。こんなヒットをしたアイドルとか」 特徴的なイントロ。 プロデューサーが多機能ケータイ(スモールフォン)を耳に当てた。しばし、渋い顔になって、回線の向こうの人との話が続く。プロデューサーのからかうような口調からして、多分、うちの西園寺社長だろうとアタリをつける。「なんてことだ。やよいのグッズとCD。すべてに追加発注がかかりやがった。ふざけんな。なんだこのヒットの仕方。俺はどうすればいいんだ?」 プロデューサーは、この世の終わりのように天を仰いだ。「だから、なんでアンタが慌ててるのよ」「だって、今回おにーさん、まったくなにもしてないし」「いいことじゃない。無闇に敵も増えないし、私たちも無駄に苦労を込まずに済むわけだし」「なんだとこのやろう。これがどういうことか、お前らにわかるのか」 プロデューサーが逆ギレした。 話の流れからして、たいした問題じゃないとは想像がついたが、まあもう少しだけ話につきあってあげてもいいだろう。「俺がこの一週間ぐらい夜たっぷり寝て、昼寝する時間を削って考えた、やよいを売り出すためのパーフェクトプランが使えなくなるってことだぞ」「それ、マトモに考えてないよね」「なんていうか。二時間ドラマの終盤で犯人が自白するみたいなカーネーションですよね」 やよいは、多分シチュエーションといいたいのだろう。 いちいち誰もつっこまないが。いや、やよいの例え自体は、たしかに的を射ているような気がする。「で? そのパーフェクトプランってどんなのよ?」「決まってるだろう。西園寺社長をいつものごとく言葉巧みに騙くらかし、このシーズンの宣伝費をすべてやよいひとりに注ぎ込む。まあ、ここまではいいな」「その説明で誰が、『いい』なんて答えるのよ」「なにか四ステップぐらい省略されたような気がしますけど」「でもおにーさん、多分、本気でやっちゃうと思うよ」「否定できないのが嫌ね。というより、最初の前提からしてツッコミ待ちだと思うんだけど」「そうなると、あまりの不公平感にほかのアイドルのファンたちが、すべてやよいのアンチと化す。きっと、ファンたちの間で小競り合いが起こったり衝突が起きたりと、とても楽しいことになると思うんだ。きっと、やよいのサイン会に乱入して警察沙汰にしてやるというファンとかがでてきてすごく胸アツだ」「へえ――」「あ、あわわわわわ」 やよいがひとり。 極悪非道なプロデューサーの計画に、全身を震わせていた。「そんなうまくいくのかな?」「うむ。いい質問だ。プラチナリーグはファンが順位を決めるというファンの矜持があるからな。不自然なプッシュとかに、ファンがアレルギーを示す傾向がある。『血の8月事件』とかひどかった。当時人気ユニットのセンターに、まったく無名のアイドルが座るという事件が起きて、事務所側の火消しがまずかったせいで、大問題に発展したという歴史がある」 そこを皮切りに、プロデューサーの演説が二分ほど続いた。 自粛すべきイベントと、そこからの復活劇。ワークスプロダクション全体を巻き込み、ゼロからの出発をかかげた一大叙事詩は、もうこの男、ラノベでも書いてデビューしてみればいいのにと思うぐらいスペクタクル溢れるものだった。 ああ、当然ながらもう誰もマジメに聞いていない。私は半分以上右から左に聞き流しているし、やよいは三転四転するえげつない話にぐるぐると目を回していた。やよいにとっては、主役が自分だというのが笑えもしないところだろう。「さらにそこに最後に、やよいに100万の懸賞金をかけ、ゴキブリホイホイのごとく集まったアイドルとファンとアンチどもを『スマイル体操』で一斉掃射するという俺の遠大かつパーフェクトなプランだ。それがなんだ。このままやよいがメジャーになってしまったら、俺のこの『プロジェクトリトルプリンセス』が、お蔵入りになるということなんだぞ。伊織。どう思うこれについて」「――死ねゲス」 一応、最後まで聞いてみたが、たいした計画じゃなかった。「それより、ここからどう立ち回るべきなのか、話し合うのはそこでしょう?」「うむ、そうなんだがどうしようもない。ここまでヒット理由が不透明だと、消費者の顔が見えないせいで、次の手が打ちにくい。ヒットする道筋なんて、そのアイドルの数ほどあるからな」「ふぅん。でも、さっきおにーさん言ってたよね。こんなヒットをしたアイドルが昔、いたって」「ああ、いたな。参考になるのかわからないが」「番組からステップアップしたっていうのなら、モーニング娘じゃないの? ピンクレディーとかも」「いや、そういうのじゃない。むかし、とある番組で、ひとりの青年歌手をデビューさせようという企画が立った。司会が上手くしゃべれるわけでもないし、その番組ゆえのチープさと企画自体の安っぽさと、誰もやらないことをやったといえば聞こえはいいけど、それ単に迷走してただけだろ、という行き当たりばったりの、他番組の後追い企画だったんだがな」 プロデューサーは、言いにくそうに言葉を切った。 「なに? 番組が大ヒットでもしたの?」「いいや、その番組は看板キャストがでられないとかで、さっぱり盛り上がらなくて、一年ほどで打ち切られたが、番組終了後に、歌手だけがヒットした。その当時、まったく時代にかみ合ってなくて、絶滅寸前だった『演歌』というジャンルを、完全に復活さえた異端児がいたろ。あれは今思い返しても、奇跡みたいなものだったと思うんだ「名前は?」「氷川きよし」「は――?」「結果的に、あそこまで成り上がるなんて、誰一人予想していなかっただろう。天と地と人を、結果的に完璧に掴んだ末の結果だな。まあ、苦し紛れの奇手が、神懸かりな鬼手へと変貌するような、実に特異なヒットの仕方だったが」「なる、ほ――ど」「とにかく、計算してみた。これがすべて通れば、やよいは仏像の売上だけで、Aランクに必要な昇格点の半分を稼げることになる。そうなったら新曲はもうできてるからな。『キラメキラリ』を投入して、この追い風を存分に利用したいところだ。まあ、これが通りさえ、すればの話だが」 プロデューサーは、なにかを思案するように天を仰いでいた。 不吉だ。 なにかある。 そう確信させる、プロデューサーの物言い。 「なによ。まだなにかあるみたいじゃない?」「わからないか? さっき散々、俺に説明させたろ?」「なんのことよ? 私が聞いたのなんて、アイドルグッズの説明と、プラチナムポイントがどう入るかで――」 どくん、と心臓が脈打った。「――あれ?」 グッズ販売の際に、プラチナムポイントが入るのは、その提携店で販売したときのみ。だったら、こんな個人販売の際に、ランクアップに必要なポイントが、割り振られるものなのか?「ちょっと、このケースって、プラチナムポイントに、換算されるの?」「されない、だろう。なにせおにぎりが入ってる。食いものなんて認めたらホントになんでもアリになるぞ」「まあ、まだ予約段階だからなぁ。交渉次第でどうにでもなる。というか、どうにかしないといけないだろうな。いろいろとめんどくさいけれど」 あとは、面子やそれぞれの利害の話になる、とプロデューサーはまとめた。 これ以上は、汚い大人の話で、アイドルが触れるべき話題ではない、ということだろうl。私が踏み出して介入できることなんて、すでに遥か遠くに飛んどいってしまっている。「さっきの電話で、社長に話はつけておいた。ここからは、あの社長の頑張り次第だ。なにせ、ワークスプロダクション二人目のAランクアイドルが誕生するかどうかの瀬戸際なんだ。ちゃんと働いてもらわないといけない。な、やよい」「うん」 やよいは、棒立ちになったまま、生返事を返すだけだ。 遠いはずの夢が、目の前に降ってきて、なにをすればいいのかわからずに凍りついている。行く先もわからない切符を渡されて、ひとりっきりで戸惑っているように見えた。 考える。 私は、やよいが、このままのランクでいること。 Aランクアイドルに昇り詰めること。 ――どちらを望んでいるのだろう。 そして、その日から三日ののちに、私たちの想いは一欠片の考慮すらされずに、結論は出た。「おめでとう」 祝福の、言葉。 なにが? ――いったい、なにが? 西園寺社長のやさしげにすら聞こえた言葉が、よりいっそう私の不安を煽った。プロデューサーは、不本意らしい。背後で、しきりに床に靴のつま先をぶつけている。「高槻やよいさんは、次のシーズンを待って、Aランクアイドルに、昇格となります」 心からの喜びの言葉。社長にそれにあてられて、やよいはなんとか笑みのようなものを返したようだった。喜ぶべきだ。そう考えることはできても、自分の気持ちが思うとおりにならない。 嫉妬? 違う、そんなんじゃない。 一歩先んじられたら、並べばいいことだ。そんなことで、今更私は心を動かされたりはしない。 果たしてそれは、らちもないひとつの杞憂だったのだろうか? Aランクへの昇格。 直に聞いた社長のその言葉は、私にとって、 世界の終わりを宣告される、黒くへばりつく呪いのように聞こえた。