目が霞んでいる。 ビタミンとかベータカロチンとかが不足しているのだと思うが、せめて果物だけでもなにか買ってくるべきか。 俺が古巣である『ギガス』プロダクションを飛び出して、すでに一ヶ月以上が経過していた。 限界だった。 さすがにカップラーメンやら即席メニューだらけの食生活は、すさまじく健康に悪いようだった。 千早の手料理が恋しい。 あずささんの補給物資だけでは、まったく追いつかない。ただでさえ、うちには手のかかるのがひとり余計にいるのに。「むぅ、トマトはそのままマルカジリできるよな」 一日一日やせ細っていく俺の様子に、マンションの管理人さんが見るに見かねたのか、実家から送られてきたらしい産地直送野菜を届けてくれた。まだ根っこに土がついている。しかし、冷蔵庫につっこんでおいても腹は膨れない。 これを、どう調理するのかが問題だった。「さあ、助手。料理をはじめろ」 ひとまず、丸投げしてみる。「無理?」「いきなり諦めるな。この現代っ子め」 助手は、即答で『否』を返してきた。「わたし、料理したことない」「お前、小説書いたり、絵を発表したり、動画制作したりしてるだろう。製作については天才的なんだから、料理ぐらいできるはずだ。というか、仕事ないんだからそれぐらいやれ」「金田さん、ヨーグルト食べる?」「腹は膨れなさそうだな」 といいつつも、助手からソースのかかったヨーグルトを受け取る。「コラボが絶妙?」「うん。まあいける。というよりは、絵理。お前はどーなんだ。偏った食生活でよく平気だな」「わたし、電波と合成着色料とお菓子で生きてるから?」「このジャンクフードマニアめ」 水谷絵理。 15歳。ひきこもりネットアイドル。 動画製作が趣味の、バレル・タイターや『ギガス』の名瀬姉さんと肩を並べるウィザード級ハッカーだった。 というか、このマンションの大家さんの娘さんであり、その腕を見込んで、俺がバイトとしてこき使っている。 高校には通っていない。 対人恐怖症。 ネットアイドルとしては、その容姿の高さもあって、かなりのアクセス数を稼いでいるらしい。 クリエイティブな能力はマルチ的に相当高い。 今も、歌音(うたね)ミケというボーカロイドソフトを立ち上げて、シーケンスソフトの画面を開いて、曲と歌詞を入力しているところだった。さらに、彼女は作詞作曲のみならず、3Dの人物モーションを組み上げ、自分で使いやすいように非公式の追加ライブラリを組んだりもしている。 まあ、彼女について羅列すると、こんなところか。「なんの話してるんデスか? アタシも混ぜてくださいよー」 そして、二人しかいない部屋に、三人目の少女の声が響いた。 部屋の巨大スクリーンに投影されたムービーチャットに、まるで黄金の髪を両房にして垂らした、妖精のような少女が映し出されている。 撮影場所は自宅らしい。 背景の部屋は、年頃の少女が好むようなぬいぐるみで飾り立てられている。彼女が身につけている黒のゴスロリ衣装は、着こなすのが限りなく難しい。 こういった衣装は、着る側がよほどの容姿を保っていないと、中身が外側の衣装に負けるからだ。 サイネリア。 絵理の友人。 本名、年齢、生息地、すべて不明の、カリスマネットアイドルだった。「ああ、サイゼリアか」「サ イ ネ リ アッ!! サイバスターでもなければ、サイサリスでもサルーインでもサルモネラでもサイリウムでもサイエンスでもサドンデスでもないっ」「ああ、冗談だ。わかってるって、サイバイマン」「戦闘力1200でもナーイッ!!」 容姿だけは妖精そのものな少女が、大口をあけてツッコミを入れてきた。 相変わらず、からかうとおもしろいなぁこいつ。「それはそうと、カネゴンッ!!」「おい、その常に小銭を食べていないと死んでしまうコイン怪獣みたいな呼び方をやめろ」「ナンですか。ココはアタシと絵理センパイのラブラブ空間のはずデスよっ。はっ、さてはカネゴンは、アタシと絵理センパイの間に立ったトゥルーエンドフラグをへし折るためにいるんデスね」「ああ、うん。そんなルートはない」 俺がキッパリと否定すると、サイネリアはムキーッ、と奇声をあげた。 そこで、ずっとパソコンの画面を見ていた絵理の視線が、サイネリアを向いた。彼女は、じっと投影されたサイネリアの虚像を見つめていた。「あのね。サイネリア」「は、はいっ。なんデスカっ。センパイッ」「作業中だから、静かにしてて」「だ、そうだ。残念だったな」 俺はそのまま、ムービーチャットの音声をミュートに切り替えた。 サイネリアの口元の映像に、大きなバツマークがついて、あちらからの声の一切がシャットダウンされる。 そのあとでもサイネリアが、ギャーギャーとわめいている様子が、動画を通して伝わってくる。ただし、なにをわめいているかはまったく聞こえないし、絵理はもうサイネリアを一瞥だにしない。 ああ、家に平和が戻った。 どっか遠くで、わめいているのがひとりいるが、あまりに気にしないことにしよう。 が。 しかし、『フッフッフー。ちょっと音声をミュートにしたぐらいで、アタシを止められると思ったら大間違いデスよ?』 ムービーチャットに、直接文字が書き込まれていた。 サイネリアの全身像の上から白地で、会話文が横に流れていく。 『そうwwwこうやってwww文字で送ってしまえばwwwwうはwwwおwwkwwwwwwwwwwほらほら、くやしいですかwwwwwwwwwwwwwwwねえねえwwwwいまどんな気持ちwwwwいまどんな気持ちデスかwwwwwwwwwwwwwww ホラホラww意地悪なカネゴンには、ネトア(ネットアイドル)・ワールドの妖精wwwwテラカワユスなサイネリア独占ドアップを好きなだけプレゼントデスwwwwwwプギャーwwwwwwwwww』 うっわ。 こいつ、うぜえ。「絵理、なにか返信してやれ」「でも、わたし、草は生やさない派?」 俺の言葉に、絵理は不思議な顔で、こてんと首をかしげた。 ちょうど、絵理のおなかがグーッと鳴る。「おいも食べたい」 それはおそらく、絵理のひとりごとだったのだが。 俺はそれに電撃を直撃したような衝撃を受けた。 そうだ、イモだ。 イモなら、蒸すだけで食べられる。「イモ。サツマイモだ。どこでも育つせいで、戦記物ではこれを手にした陣営に勝利フラグをもたらすといわれるチート作物。そうだな、ジャガイモとサツマイモがあるぞ。うん、絵理、ジャガイモは、塩とマヨネーズどっちにする?」「わたし、塩派?」「よし、行くぞ絵理」「うん」『ちょ、ちょっと、ワタシを無視しないでくださいよー』「なんだ、ああ、サイネリア。一緒に行くか?」『ワ、ワタシが画面から出てこれないのを知っててー。セ、センパーイ。カムバーックッ!!』「おいもおいもおいもおいも食べたい」『ああっ、センパイが遠い世界のヒトにっ、ううっ、アタシはもうダメデス。先に行ってください。アタシは所詮、二次元の妖精。二次元と三次元の間には、遠く遥かな壁がアルのデス』「あ、電源切らないと」 絵理が、ノートパソコンを閉じると、スリープに移行。 それと同時に、ムービーチャットも休止に入り、なんか聞こえた気がするサイネリアの悲鳴とともに、彼女の姿は部屋から掻き消えた。「季節ハズレの焼き芋はちょっとあれだな。燃やすものがなくて困る」 山のような不採用通知が、くすぶるような煙を上げていた。 公園である。 絵理はネット上の通販サイトで、よく気に入ったものをポチッているが、大半がダンボールに包まれたまま、開かずに終わる。そのなかから出てきたのが、石がセットでついた焼き芋用のナベだった。 不採用通知を種火に、火力ををあげて、石に熱を通しているところだった。 俺はついでのついでということで、この一月の結晶を灰に還していた。新卒気分で、あちこちの放送業界の面接にあたっていたのだが、結果はごらんのありさまだった。 就職活動は、全滅。 実のところ、お手上げの状態だった。 放送業界のような閉じた業界で、『ギガス』プロのような大手に睨まれれば、再就職も難しい。 優秀なプロデューサーは、どこのプロダクションでも不足しており、まるっきり買い手市場なのだが、さすがに、朔の手腕は見事というほかない。 見事に、先手をうたれた。 『ギガス』プロほどの大手となれば、テレビ局にも絶大な影響力があり、そこからテレビ局を利用して、他のプロダクションへ圧力をかけるということも可能だった。 『ギガス』、 『ワークス』、 『ブルーライン』、 『エッジ』。 アイドル業界は、この四つのプロダクション系列だけで、市場の六割を占有する。よって、中小プロダクションのパイは驚くほど小さい。発言権などないに等しい。断ったり、でしゃばった真似をすれば、ただ単に仕事が廻されてこなくなるだけ。 ならば、他の手段としては、 『ギガス』と同格の、ほかの三つのプロダクションならば、朔の手腕も及ばない。 及ばない。 及ばない、のだが。 それはそれで、本末転倒だった。 『ブルーライン』と『ワークス』は、『系列』というシステム上、外様が上に上りつめるのは不可能に近い。 すると、『エッジ』になるわけだが、そもそも俺としては『ギガス』で、最終的に朔と対立し、自分の意見を通せなかったことが、退職の第一理由だった。 自らの会社の実質的なナンバー3という役職についていてなお、そのワガママが通らなかったなら、他の会社で、そのワガママが通るはずもないのだった。 難しい。「やっぱり、自分で会社を立ち上げるしか、ないか」 気が進まない。 俺は、総指揮者(プロデューサー)であって、経営者ではない。ノウハウを学ぶだけで、一年やそこらはあっという間に、過ぎ去るだろう。 自分に向いているとも思わない。 というか、経営者が必要なら、金を払っていい人材を呼び寄せるほうが、まだいい。 と、 俺が思考の回廊に、ぐるぐると閉じ込められていると。 にゃーう、と猫が喉をならしていた。 いつの間に近くにいたのか、でっぷりと太った物体が、すぐ横のベンチの上に鎮座している。「あれ、ミハエル先生。どこ行ったの?」 そのあとで、茂みから飛び出してきたのは、「でっかい毛虫か?」「あ、なんか失礼な人」 どこの茂みを通ってきたのか、葉っぱやら木の枝やらが、服についていた。 私服の少女だった。 思わず、目を惹きつけられるような、華やかさがある。「ふぅん」 容姿を見るだけで、その輝きの桁が違うことがわかる。 スタイルと、容姿、共に文句のつけようがない。 おそらく、学校にひとりいるかいないか、というレベルの美少女だった。 改めて、俺は助手と見比べてみる。 絵理は近所の公園ということで、赤と紺のジャージ姿だった。ええと、比べる対象が悪すぎるにしても、もうちょっと頑張ってもらいたいところである。「なんだ、ミハエル先生って?」「ミハエル先生はミハエル先生だよ。ミキが尊敬する先生で、将来こんな風になれたらなって思ってるの」「だって、猫だろ?」 ミハエル先生を見た。「ぬっこぬこー。ぬこぬこぬこぬこぬこ。もこもこでふわふわー♪」 絵理が、ミハエル先生を抱きしめていた。 リズムをとって、自作の曲にのせて、ぬこを讃える歌を口ずさんでいた。ミハエル先生本人(?)は、こちらの会話には興味なさげに、絵理に抱きしめらるのを窮屈そうにしながらも、優雅に毛づくろいをしていた。「ミハエル先生はね。学校に行かなくていいし、ごはんも家の人に食べさせてもらえるし、最高だよね」「ああ、そうか」 なんかミハエル先生は誰かを思い起こすと思っていたら。 絵理とねこに、そんな共通点が。「なぁ、そこの女子高生。猫って焼き芋食べると思うか?」「わかんない。でも、ミキは大好きだよ。あと、ミキは女子中学生」「は?」「よく間違われるんだよね。なんでだろ」「そりゃあ、なぁ」 その細さと若さで、あずささん並の胸は反則だろう。 整った顔立ちに、文句のつけようのないスタイル。ある意味で、アイドルの理想型そのものだった。少なくとも、今の時点で、俺が手を入れる部分が、どこにもない。 お手つき済みだな、これは。(他のプロデューサーの) あからさますぎる。 こんな原石がほいほい落ちているわけがない。 というか、いくらあるんだ、あの胸? Eか。 Fか。 といいつつ、なにか読めないところもあるのは事実だった。 自分が気に入ったものを身に着けている、といった趣きはあるのだが、アイドルなら誰もが心に留める、いつ誰かに、自分を見られるかもしれない、という危機感のようなものが、彼女にはない。 とはいえ、 誰のプロデューサーの手も入っていない、と仮定するには、彼女のスタイルは洗練されすぎている。「むやみやたらに組み合わせがいいな、その服。メーカーや値段もばらばらなのに、イヤにマッチしてる。誰の仕事だ?」「あ、最初にそこに目がいくんだ。前に来たプロデューサーの女の人も、最初に同じようなことを聞いてきたけど。ってことは、あなたも、プロデューサーさん?」「志望、だよ。今のところは」 と、俺はまだ燃え続けている不採用通知の山を指差す。 内心、俺は舌を巻いていた。 頭の回転も早い。 それから、千早のときは、倍率が40倍ぐらいあったが、彼女の倍率だって、決して低くないだろう。「やっぱり、お手つきだったか」「うん、断っちゃったけど」「へえ」「でも、その人が他のスカウトさんたちに話をつけてくれたらしくて、途中からその人しかこなくなったよ」 囲い込み、か。 しかし、そのプロデューサーは、女の人だと言った。 他のプロダクションに睨みをきかせられて、スカウトの代わりにプロデューサーとして出張ってくるほどに優秀で。その上で、性別が女。 思い当たるとすれば、ひとりしかいない。「名刺、もらってるだろ。見せてくれないか?」「あ、うん。ええと。どこやったかな?」 チョコレートの包み紙と一緒に、名刺が出てきた。「むしろ、なんだこの名刺。金ぴかだな」「こっちの方が、目立つからって」 なるほど。 悪くはない。 スカウトが数人くれば、普通の人間は顔と名前が一致しない。 しかし、こんな高級そうな名刺をもらえば、別である。 スカウトの基本は、まず自分の身だしなみから。 相手に信用してもらい、輝かしい未来を思い描かせる。 この名刺なら、いっぺんに二つ同時にやれる。 仮に、この名刺一枚に、一万円かかっても、それで未来の金の卵を買えるのなら、安いものか。 そして、名刺に刻まれた名前は、やはり予想通りだった。 西園寺美神、『ワークス』プロの、やり手プロデューサー。「あれ?」 なんか、あれ?「名前の上に、代表取締役とか書いてあるんだが」「うん、社長さんだって。最近、父親の跡を継いだとか言ってたよ。すごいよね。22歳で社長とか」「うれしくない情報だな、それは」「知り合いなの? あのひとと」「直接話したことはないな。『ワークス』プロ自体、ここ半年で浮かび上がってきた元弱小プロダクションだし。ただ、一方的に、恨まれていそうだからな」 如月千早のスカウトに、もっとも精力的だったのが、彼女、西園寺美神だった。 三ヶ月、粘り強く説得し、契約まであと一歩のところまで行ったと聞いた。 それを、たった一時間話しただけの俺が、横からかっさらっていった。 あれだけで、『ワークス』プロダクションの拡大は、二年は遅れたはず。 今までは、事務所の力が違いすぎたために、横槍はなかったが、パーティー会場などでは、常にちくちくと彼女からの視線があった。「執念深そうだったなあ、あの女」 朔響だけで手一杯なのに、こんなのまで敵に廻すか。 千早を取り上げられたことは、彼女にとって屈辱だっただろう。 自分が無能であることを突きつけられたようなものだ。 さらに、ここで、彼女まで取り上げたら、激怒することは間違いがない。 いいな。 ぞくぞくしてきた。 四方、共に断崖絶壁だが、こんな展開も悪くはない。「ねぇ、もう焼けたんじゃないの?」「ああ、そっか」 串で、焼きイモを包んだアルミホイルを取り出す。「ミキは、焼きおにぎりね」「絵理。あったか、そんなの?」「たぶん、右の奥の方に」「あるのかよ。ほら。食え」「焼きいも。おいしい。帰ったらアマゾンで追加注文しよう」「いいけど、この間みたく、さつまいも味のふりかけとかソースとかはやめとけよ。あれはイロモノだからな?」 あとがき サイネリアがかわいすぎて、生きてるのがつらい。