「それで、二回戦の雪華VSサザンクロスだけど、どうなると思う?」「どーもこーもないな。また180対20ぐらいのポイント差をつけて、サザンクロスが勝つだろう」 雪華の瀬名遼子は、ギガスプロダクションにいたころにいろいろと世話をしていた関係である。調べなくても持ち歌からスリーサイズ、コンプレックスまで、すべて頭の中に入っている。あれから急激に成長したというデータもないし、狙い撃つのはそう難しくもない。カモがネギをしょってきているようなものだ。「でも、相手はBランクアイドルですよ?」 やよいは、やはり、美希の勝敗が気になるらしい。「雪華には、とある条件で顔をだす、隠しきれない大きな穴がひとつある。藪下さんなら、当然それに気づいているだろう。だから、勝敗は決定的だ」「弱点?」「ああ、雪華は、如月千早のコピーだ。それも単純極まりない。一回戦の『Relations』をそのまま出すだけで、雪華は打つ手がなくなる。ここで、如月千早なら、自分の別の魅力を引き出すところだが、あいにく瀬名遼子は視界が狭い。如月千早の一番弟子は自分だという自負があるから、自分より如月千早の真似が上手いアイドルを許せないってところだ。ここで、『蒼い鳥』か、『神様のBarthday』を出してくるのなら、まだ別の目もあるだろうが」 ステージの電光掲示板に、ちょうど各々の出す曲目が表示される。 二回戦の第一試合で使われる曲は、サザンクロスと雪華、ともに『Relations』となる。「こんな有様だ。雪華は、自らのプライドに賭けて『Relations』を出さざるを得ない。雪華の勝利の可能性は、ゼロになった」 二回戦第一試合。 サザンクロスのステージは、一回戦のそれすら超えるものだった。完全に、ゾーンに入っている。如月千早の動きを基本として、歌唱力の未熟さを、動きの豊富さでカバーしている。舞い散る汗のきらめきすら見えるぐらいの4分51秒。 素人にも、違いがわかる。独特の空気、ただ同じ歌詞を歌い、同じ振り付けをして、同じ雰囲気をつくるだけでは、決して身につかないなにかが、サザンクロスのステージにはあった。電光掲示板は、たった今行われた第一試合の結果を、無常に示している。Bランク相手に、サザンクロスは190+60対10で勝った。ほぼ俺の予想通りだったが、限りなくオーバーキルに近い。「なによ。なんなのよアレ?」 伊織が、プレミア席のガラスから身を乗り出すようにステージを見ていた。 感動というよりは、衝撃だった。 凄まじいものを見たという、痺れだけが残っている。「なぁ、伊織。美希相手に勝てるか?」「はあっ!? あのね。私が、わざわざユニットを組もうとしているのよ。アレぐらいはやってもらわないと困るわ」 ここから見える美希は、憔悴していた。 あの4分51秒の世界は、美希ができる現時点での限界を、さらに超えていた。あれだけのステージを作り出すのには、気力と体力の、最後の一滴までを絞り尽くす必要があるらしい。「美希だけなら、勝てると思うわ。根拠はないけど」 伊織は首をかしげた。「そうだな。美希だけなら、まだ140対60ぐらいで勝てるはずだ。こっちは根拠ありで」 そうだ。ならば警戒するべきなのは、もうひとりのほう。美希以上にえげつないアイドルの存在である。「問題は、もうひとりの方だな。まさか、佐野美心がここまでやるとは」 とくに、彼女自身がなにかしたわけではない。 終始、ステージの雰囲気をつくっていたのは美希だった。彼女はそれに追随していただけ。たいしたことをしていたわけではない。 あの神かがった美希の動きを完璧にトレースし、完璧にやりきることが、どれほどの困難を伴うものか。 それがわからない人間なら、そんなことを言えるギャラリーがいるかもしれない。たった4分と51秒のステージで、美希が立ち上がれないほどに疲れ切っているのに対して、佐野美心は、わずかに額に汗をかくだけにとどまっていた。 スポーツドリンクをがぶ飲みしている美希と比べて、佐野美心は、ポットから湯気の立つ熱いお茶をマイ湯のみに注いでいる。憎たらしいほどの余裕っぷりだった。やけに様になっているところがなんかアレだ。 彼女は、まだなにかを隠している。 というよりは、本気にすらなっていない。 しかし、まずい。 俺が予測した実力の、上の、さらに上をいかれている。 せめてこの二回戦までに対策を打てればと思ったが、対策の方針どころか、強さの輪郭さえ見えてこない。 このままぶつかれば、確実に負ける。 「対策は?」「なくもない。あんな神がかったステージ。他の歌では再現できないだろう。相手は結成して、せいぜい三日のユニットだ。つまり、サザンクロスは、『Relations』だけで4タテするしかない」「使う曲が、一曲だけってこと?」「ああ、ここに、つけこむ隙があればいいんだが」 ごちゃごちゃして、思考がまとまらない。 いや、それで正解だ。あまり目の前のことに気を取られている余裕なんてない。ハニーキャッツはまだ二回戦すら突破していない。サザンクロスとあたるにしても、まだ遥か先の話になる。「とにかく、いったん忘れろ。目の前のとらじまー戦に集中しなければならない。あまり遠くに目をやっていると、足下の石ころに蹴躓くぞ」「ああもう。悪いイメージばっかり浮かんでくるわね。もうはじまりそうだけど、トゥルーホワイトVSナナクサはどうなの?」「どうもこうもないだろ。トゥルーホワイトの勝ちだ。200対0だな。奇蹟でも起こらない限り、ナナクサの勝利はない」「言い切るわね」「まあな」「でも、ステージって、なにが起こるかわからないですよ?」 いままで黙っていた、やよいが口をはさんでくる。「それもそうだが、今回ばかりはな」 俺は、合宿での菊地真と秋月律子の会話を思い返していた。 真偽はどうあれ、菊地真はAランク一位である『YUKINO』の正体を、かつて自分とユニットを組んでいた萩原雪歩だと思っている。いや、確信しているといっていい。まあ、九割がたその推測は当たっているのだろう。 『YUKINO』の声は、かつて聞いたことのある萩原雪歩の声そのままである。「この一戦は、菊地真にとって、絶対に落とせない戦いだ。本人の言を信じるなら、彼女はここで新曲を投入する。勝てば、『YUKINO』の正体のヒントぐらいは聞けるだろうし」「だからこそ、荒れやすいとは考えられないの?」「そうですよ。プレッシャーに負けたりとか」「それもたぶん、ないだろう。絶対に落とせない戦いをすべて制してきたから、菊地真はAランクアイドルなんだ」 散々に、菊地真と秋月律子の対決を煽った身としては、こうやって跳ね返ってくるとは思わなかった。 しかし。 問題は、心配する場所は、そんなところじゃあない。「むしろ、なにか起こるとしたら、次だろ。俺たちはAランクアイドルが新曲を披露した、その次の次に、ステージに出ないといけないわけだ」「それが、どうしたんですか?」「会場は荒れるな。極端な荒天にボートを出すようなものだ。上がりきったボルテージは、あとは下がるだけだからな。これを維持できなかったら、ポイントに相当響くぞ。むしろ、なにが起こるかわからないのは、お前らのステージのほうだ」「……トゥルーホワイトと、ナナクサのステージを見てくるわ。それならなおさら直接見て、会場の熱を引き継がないといけないもの。もうちょっと近い場所で見られるように場所を探してくるわ。やよい、行くわよ?」 やよい伊織とほぼ同時に、俺は立ち上がった。「俺は俺で、とらじまーのプロデューサーに挨拶に行ってくる。情報は集めたが、実物はまだ見てないからな」「私たちは、二回戦を見てても、良いのよね」「ああ、Aランクアイドルのステージを見るのも勉強だ。精神集中を切らすなよ」 とらじまーのプロデューサーは、丸いフチのサングラスをして、なかなかの強面だった。頭を五分刈りにしていて、イメージとしてはテキ屋のおっちゃんっぽい。資料によると、今年で46歳。アイドルになるぐらいの娘がいるぐらいの歳だったが、どちらかというと野球少年がそのまま大人になってしまった、という印象である。 それに、くちびるが厚い。はれぼったい。俺が高校球児だったとしたら、この人にくちびるというあだ名をつけるだろう。「おお兄ちゃん。よく来た。まあ、飲めや。ロクなものはないけど、テーブルにあるものなら、なにに手をつけてもいいから」 どっちゃり。 そんな擬音が聞こえてきそうなぐらい、テーブルの上は酒のつまみに占拠されていた。柿ピーからスナック類。チーズ各種。サバの缶詰やカニの缶詰やツナ缶やコンビニのおにぎりに、梅酒やワンカップやビールがならんでいる。「ビールでいいかい?」「いえ、日本酒をいただきます」 ここまで来たアイドルとプロデューサーには、一ユニットにひとつ控え室が割り当てられている。俺たちは一度も使ってないが、普通はこうやって前線基地にするのだろう。「プロデューサーというのは、なんか偉そうで好かない。カントクとでも呼んでくれ」「ああ、あなたはそっちのほうが呼ばれ馴れているわけですか」 遠慮せずに、一番値段の高そうなカニ缶から箸をつける。 うわ、身がひきしまって、プリプリしててうめぇ。なるほど、カニ缶と日本酒というコラボは盲点だった。今度、家でもやってみよう。「いまは草野球チームを率いてるけども、そっちのほうが気楽だよ」 うわ。 野球を語るときだけ、目がギラギラとしている。まあ、気楽だった。別になにを探りに来たわけでもない。 愚痴。愚痴。愚痴。愚痴。愚痴。愚痴。昔の話。そして、この人の話はどうやっても最後は、野球の話になるらしい。「最初の一年はよかったよ。田舎だからな。高校の隣にあるスタジアムが使い放題ってのは、田舎だと当たり前のことなんだろうが、都内でずっと野球やってた俺には新鮮でなぁ。選手はよく俺についてきてくれて、三年目で甲子園の切符を手に入れた。出来すぎなぐらいだった」「はあ」「おかしくなったのはそこからだ。不良を更生させる部活だと県内で話題になってな。校長が勝手に手のつけられない連中を山ほど入学させやがった。不良を真人間にしたっていう名声がほしかったんだろう。あの高校は、あっという間に鈴蘭高校みたいになった。知ってるか。不良ってのは、数が集まれば集まるほど手に負えなくなるんだ」「はい。だいたいは」「野球部をなんだと思ってやがる。野球部は、野球をするところだぞ。コマが足りないからわざわざ鑑別所にまで行って、使えるやつを引きずってきたり、部員とコミュニケーションをとるためにメールを覚えてみたり、部員が部活を休むようになると、正面から怒らずに仲のいい部員に、この日は監督の機嫌がいいと思うからこの日にくれば怒られずにすむよ、なんて自作自演のメールを送らせてみたり。俺にできるのは、せいぜいそこまでだ」「それは、部員を絞るしかないのでは?」「それも考えたが、校長が許すわけがない。なぜか、俺ひとりで二十人もの不良の面倒を見させられるんだぞ。校長の野郎。心身をともに育むなんて都合のいいこと言いやがって。ドラマじゃあるまいし、そんなやつら練習補助員か球拾い以外に使えるかよ。冗談じゃない。ただ汗だくになるまで走らせただけで、ある日突然、不良どもが電撃に打たれたように改心するってのか」「いえ。無理でしょうね」 あ、マグロ缶がうまい。 ほどよく箸で割れるところなんて最高だ。「野球部のレギュラーの座は、真夏日だろうが台風だろうが休日だろうが練習に来る、マジメな連中のためにあるんだよ。なんで隠れてタバコ吸っているような連中のために、わざわざレギュラーの座をあけてやらんといかんのだ」「ふむふむ」 俺はスルメをかじった。 マヨネーズがあれば最高なんだが。 なんか、こうして食ってばかりいると、やよいになった気がしてくる。「不良ばっかりが集まって、せっかく頭を下げたスカウトしてきた投手が辞めていくし、部員が脱走するそれ以前に、部長やコーチがもう続けていけませんと辞めていくんだぞ。部員が揃わなくて成績を残せないなら仕方ないにしても、いい大人が揃わないせいで練習できませんっていったいどういうことだ」「まあ、目が届かないってのは怖いですからねえ。サボっていてくれるとまだマシで、夏の炎天下だったりすると、根を詰めすぎて、死人がでてもおかしくないし」 かっちりと解凍された枝豆を口に入れる。「そうだろうそうだろう。そんななかで、一番気に入らないのが父母会だ。高い会費払っているとか、選手の母親同士での内紛をこっちにもってきやがって。フルタイムで働くせいで、なかなか総会に出られなかったら、いつのまにか選手の母親同士からつまはじきにされていた、って、小学生かおまえら。野球関係ねえじゃあねえか。果ては、レギュラー起用から練習方法にまで口出ししてきやがるし」「どこの業界でも似たような話はあるんですね。自分の娘に仕事を増やせだとか、レッスンやコンサートをいくらこなしても給料が上がらないだとか」「あるねえ。でも、そのへんは会社に守られてるからなぁ。直接対処しないでよくなっただけで、ずいぶんと救われたよ」 グラスの日本酒を、一気に飲み干す。「普通、プロデューサーはプロデュースだけやってればいいわけでもないですし。俺も伊織に車出してもらわないと、アイドルの送り迎えからやる羽目になってたからなぁ」 俺はそう愚痴る。「送り迎えなんてそんな問題じゃないだろう。駅まで送ればいいだけだ」「そうなんですけど、俺免許ないんですよ」「それは社会人としてどうなんだ」 もっぱら、会社に行くのも自転車である。 普段、身の丈にあうような買い物しかしない千早が、一千万近いスポーツカーを乗り回している(ステージ4-10参照)のは、そういう経緯だったりする。 かすかに聞こえていた喧騒が絶えて、ステージが終わったようだった。 それから、複雑な顔をした伊織とやよいが、自分の控え室にするように、ズカズカと入ってくる。「ちょっとプロデューサー。スパイ活動は終わったの?」「おまえな、俺がまるで24時間悪巧みしてると思ってるだろ」 慌ててカントクの方を見るが、特に気にしたふうもなかった。「じゃあ、なんのためにこんなとこにいるのよ」「伊織。酒を飲むのに理由なんかいらんだろ。おまえが贅沢するようなもんだ。春は夜桜、夏には星、秋に満月、冬に雪。それで十分酒は美味いって、どっかの剣客も言ってる。アイドルのライブ中継と、酒の肴と、愚痴を言い合える仲間がいれば、酒は旨い。酒を酌み交わすってのはそういうことだ。小娘にはちょっとはやいなぁ」「うっさいわね。説教とか、兄さんたちを思い出すから嫌いなのよ」「そ、それより。た、たいへんなことが」「なにかあったか?」 やよいが、慌てている。 といっても、見当はついているが。 実際に言われても、信じられるかは疑問だった。「トゥルーホワイトが、つまり菊地真が、ナナクサに負けたわ」「そうか」 番狂わせ。 ジャイアントキリングが成立するような条件はなかったはずだが、どういうことなのか。物事には絶対はないとはいえ、マグレで覆せるほどAランクアイドルの壁は薄くないはずだった。「ちょっとプロデューサー。予想が間違ってたけど、大丈夫なの。これから?」「伊織。なにを言ってる。俺はなにひとつ間違ってないぞ」「はぁ?」 自分の耳がおかしくなった、伊織はそんな顔をしていた。「奇跡でも起こらない限り、トゥルーホワイトが負ける可能性はないと言った。つまり、奇跡が起こったんだろ。この実力差を覆したんだ。ナナクサの勝利には、よほど必然的な理由があったんだろう」「あ、そっか」「あのねやよい。そこ納得するところじゃないわよ」 伊織なんか言いたそうだった。 無視する。大人になるということは、言い訳がうまくなるということだ。とくに、部長とか課長とかの必須スキルなので、よい子は覚えておくように。「──Aランクアイドルの勝利をねじ曲げるほどの奇蹟か。興味があるな。それで、いったいあのステージでなにがあった? あのスポットライトの下で、どんな奇蹟が起こったんだ?」