「ふふっ。どうかしら、千早ちゃん。ここのカルボナーラが絶品なのよ」「はい、たしかに」 私の正面の席には、あずささんが座っている。 あれから、一週間が経っていた。 本日の会食の誘い。 プロデューサーのそれからが気になっていた私に、その申し出は渡りに船だった。あとは、互いのスケジュールを折り合わせて、今日の食事となった。 あずささんの気に入るレストランだけあって、内装も調度品も、そして店の雰囲気も、文句のつけようがない。 窓さえ閉めれば、心地好い静寂を楽しめる。 このレストランには音楽が流れていない。 有線や、それに類するバックサウンドは、すべて取り払われている。 午後を廻る頃には、彼女らのいるレストランを迂回するように、ぐるっと長蛇の列ができていた。 レストランの二階には、通常の客とかちあわない、アイドル専用のVIPルームが用意されており、私とあずささん,はそこから外を見下ろしている。 窓の外に見える、路上には屋台が並び、コンサートまでは二時間もあるというのに、すでに本番さながらの賑わいを見せている。 まるで、お祭りのようだった。 ビールやホットドッグの屋台が所狭しと並び、高級レストランやショットバー、ゲームセンターに本屋、アイドルのグッズショップなどが軒を連ねる。 スタジアム横の公園をアミューズメントパーク化する。 大リーグの人気チーム、ボストン・レッドソックスに代表される手法であり、それを真似して作ってみた、というのはプロデューサーの言葉だった。 いわば、これは彼の置き土産ということになる。 ここには、『ギガス』プロの観覧カード、通称、プラチナカードを持った人だけが入場できる。 むしろ、このカードがない限り、なんの特別なサービスも受けられない。コンサートの予約すら、すべてこのカード一枚でまかなうことになるからだ。 レンタルビデオ店の会員カードのようなものだと思えばいい。 定期的にキャンペーンを打ち、新規入会サービスをしている。 ただし、このカード自体にクレジットカードとしての機能はなく、主に、ファンクラブのメンバーカードとして使われる。 使用したカードの料金に応じてポイントが溜まり、それを消費することによって、店売りされていないアイドルたちの限定グッズに換えることができる。 また、プラチナカードの消費額に応じて、サマーフェステバルやウインターフェステバルのチケット、その優先購入権が与えられる。 このカードにも、ランクがあり、『ブロンズ』、『シルバー』、『ゴールド』、『プラチナ』の四ランクが用意されており、どれだけ金を使ったかでランクが昇格する。(ただし、ランクは次年度には持ち越されない) システムインティグレーション本部、天才、宗像(むなかた)名瀬(なせ)が、一年と半年をかけて組み上げたサーバーシステムは、それに絶大な効果を発揮した。 このアイドルのコンサートに限らないエンターテイメント施設が次々と組み込まれ、今もさらに新しい施設が増築され続けている。 親会社の野球スタジアムを半分のっとったかたちになるそれは、今では年間を通して、ギガスプロダクションの収益の半分以上を叩き出すまでになった。 一年間、その座席を買い上げる『リーグシート』、家族で観覧できる『スイートボックス』の売り上げは好調に推移しており、収容人数二万人のスタジアムは、いつも『全席完売』となっている。 2003年まで、常に客席動員数一万人を下回っていたスタジアムは、アイドルのコンサート会場として、現在も収益を上げ続けている。 クリーブランド・インディアンスを思わせるような華麗な復活劇。 十年前を頂点にして、地に落ちたCDシングルの販売数とは逆に、こういったライブの需要は高まるばかりだった。 それを証明するように。 あちこちに、『ギガス』プロの新人アイドルが路上コンサートを開いており、耳が痛くなるような賑わいを見せている。 それは、ライブというこの瞬間でしか生まれないもの。 アイドルたちは、自分の夢のステップを駆け上がるため。 ファンたちは、ここから生まれでるかもしれない新星を見つけるために。 興奮と感動。 エンターテイメントの原点がここにあった。 三ヶ月、一季をシーズンと呼び、一年を総括してリーグと呼ぶ。 274のプロダクションの擁するアイドルの総数は、全部で5000人近くにもなる。(その四分の三以上は、EとFランクアイドルだが) 所属するアイドルたちは、六つのクラスに分かれて(AからFまで)、プロダクションごとに、舞台の上で勝敗を決める。 その方法は、たったひとつ。 ファンの投票。 そして、ランク分けはただ一点。 応援してくれるファンの数のみによって決められる。 規定に基づき、四点ある審査基準の一点でもクリアすることができれば、昇格となる。 また、シーズンの変わり目に、審査基準をひとつでもクリアできていれば、そのままそのランクに残留となるが、ひとつすら条件を達成できなかった場合、下のランクに降格となる。 その基準は、 1、その年のリーグ期間に販売されたCD販売数が、一定の枚数に達していること。 2、そのアイドル、またはグループ単独のコンサートのチケット販売数が、規定の員数に達していること。 3、自分のプロダクションの取締役以上の立場の人間の、推薦があること。 4、プラチナリーグの発行するプラチナムポイントを、一定の点数以上獲得していること。 の四点。 ちなみに、ランクAやBやら、Eなどという言葉がよく出てくるが、 ランクF ファン人数 1000人以上。 ランクE ファン人数 10000人以上。 ランクD ファン人数 100000人以上。 ランクC ファン人数 300000人以上。 ランクB ファン人数 700000人以上。 ランクA ファン人数1000000人以上。 と、ランクは、おおまかに分けるとこうなる。 現役のアイドルは5000人近くにも昇るが、Aランクともなれば如月千早と、三浦あずさ。そして、あと五人程度しかいない。 Bランクですら50人を切る。 Cランクは100人程度。 Dランクが500人近くで。 その他大半が、EとFランクとなる。 これが、2006年から始まった、第三次アイドルブームの火付け役となった、全く新しいエンターテイメント、『プラチナリーグ』の全容だった。 ある意味、これは時代だったかもしれない。 巨人戦の視聴率が低迷し、捏造により一時期流行った健康番組もゴールデンから姿を消す。脳トレのブームもかつての神通力を発揮せず、バラエティでは一流の芸人でさえ雛壇に追いやられる。 今までになかった体験。 視聴者参加番組、というものはちょくちょく見かけるようになったが、どこのテレビ局もお決まりの使い方しかしていない。 テレビの前の視聴者が参加できるとはいえ、それはせいぜいアンケートや投票ぐらいのものであり、そんなものがメインになるはずもない。 どういった結果になっても、視聴者の力が番組に影響を与えることなどない。 視聴者がこちらを選んだ、ということで、番組の後半がまったく違うものに様変わりする、それほどの仕掛けを打たなければ、視聴者参加などというお題目は、誰も本気にしない。 そして、それを真の意味で最初に、最大の規模でやりとおしたのがプラチナリーグだった。 自らの応援するアイドルが上位に食い込めば、それだけで勢力地図が激変する。 ファンたちが自分自身で市場をつくりだしているという実感。 錆付き、失墜した権威であるレコード大賞なども、ノミネートを拒否。このような、五年連続で同じレコード会社の歌手が賞を取るような、しらけた出来レースなど、もう誰も見向きもしない。 すべて新しい賞へ、ファンたちが自分で選ぶという概念が、市場活性化の起爆剤になった。 ジュニアBは、2006年にプラチナリーグの放送権を獲得した。 はじめは深夜放送から始まったこの試みは、わずか半年で異常と思われるほどに肥大化していく。ジュニアBは3年分の放送権料として、二億を支払った(それでも、高すぎる買い物だと社内からも批判が絶えなかった)が、1年も経たないうちに、その17倍もの利益を生み出すまでになった。 今では、ジュニアBがもった権利を、海外の放送局が大枚をはたいて買いにくるほどだった。 CD販売の利益のみで会社を廻す時代は終わった。 『ギガス』プロとしても。 チケット収入が三割、グッズ販売による利益が二割で、テレビなどのメディアへの放送権料による収入が二割、アイドルのCD、プロモーションDVDの売り上げは、全体の三割弱を占めるに留まっている。 着うたや、ネット配信や、趣味の多様化の煽りで、音楽というジャンルが使い捨てのジャンルになって久しい。 それを補って余りあるのが、ここ数年台等してきた、アイドルのキャラクタービジネスだった。歌自体に価値があるのではない。歌自体を商品として扱うのではなく、徹底的にアイドルを売り出す。 そのランクアップの喜びやランクダウンの悲しみを、視聴者を共有させる。 理想的な視聴者参加型のビジネスとして、今も多くの企画が作られ、時にはアイドルの、時にはファンの、喜びや悔しさの涙が流れ続けていることだろう。「──と、ここまでが」 あずささんが、説明を中断した。「千早ちゃんたちアイドルの戦場である、プラチナリーグの成り立ちと現状」「はい。わかっているつもりです。 でも、それとプロデューサーが会社を辞めた理由と、繋がりがあるんですか?」 言われるまでもない。 昨日今日デビューした新人ではないのだ。 この業界のことは、それなりに精通している。「ええ。市場は鮮やかなまでの好循環を描いたの。でもね、こういう急激に成長したプラチナリーグは、さまざまな課題を残していったの」「──課題、ですか?」「千早ちゃんは、ウィナー・テイクス・オールという言葉を知っている?」「勝者の総取り、ですか? ボクシング用語──」 私は、かの名作ボクシングマンガからの知識を引用した。 あまり漫画は読まない方なのだが、事務所に全巻あるので、なんともなしに覚えてしまった。とりあえず、努力で劣勢を払いのけていく辺りが、私の琴線に触れていた。「ううん。元々はアメリカの大統領を決める選挙で使われる言葉よ。経済用語でもあるわ。そして、私が言いたいのは、経済用語のほう。 勝者の総取り──いえ、この場合は、勝ち組の独占──そう言ったほうがいいかしら」「独占?」 口の中で、その言葉を転がす。「わずか半年で、ここまでの成長を遂げたプラチナリーグは、誰かが管理できるようなものではものではなかったの。 戦力均衡も、資金の分配もブランドの構築も、なにもかもが後手に廻ってしまった。 うちの社長の奇跡的なところは、その流れをうまく見切って、『ギガス』プロをここまでの大きさにしたことにあるのだけれど、元からあった大きなプロダクションや、零細のほとんどのプロダクションは、その流れについていけなかった。 結果。 なにが起こったか。 勝者と敗者の差が、取り返しがつかないぐらいに広がってしまった。 まだ成長の余地はあるとはいえ、この市場も無限に成長していけるわけではないわ。 いつか、ブームが終わったのなら、連鎖的にすべてが終わってしまう」「だから、ですか? だから、プロデューサーは『それ』と戦おうと?『だから──ここでお別れだ』 思い出すのは、彼の別れの言葉。 彼の言葉に、色と重みが加わった。「ええ。そういうこと、だと思うわ。正直、プロデューサーさんの言っていることは、よくわからないのだけど」「あずささんが理解している限りでいいですから」「ええ、──それなら。 プロデューサーさんは、言ってたわ。 前は千円札一枚で、ライブが楽しめたのに、今はそうできないって。 単価が高くなることは別にいいけれど、あまりにプレミアがつきすぎると、熱心な人たち以外は、興味をうしなってしまう。 閉塞感っていうのかしら。 プロデューサーさんは、誰もがアイドルになれて、それは絶対に特別なんかじゃなくて。 女の子が一番なりたいものがお嫁さんで、二番目がアイドルだって、そんな夢を真っ直ぐに見れるような、そんな業界にしたいみたい」 ──言葉がない。 あの日の誓いを思い出す。 あの人と、私の夢が同じであるように。 そうか。 むしろ、三年も持ったのが奇跡だったのもしれない。 彼の仕事はプロデュース業だ。業界の変化に、仕事も左右される。 同じ夢を、いつまでも見ていられるはずもない。「──それが、プロデューサーの、──今の夢、なんですね」「ええ、きっとそういうことだと思うわ。 千早ちゃんは、やっぱりプロデューサーさんのことが、許せないかしら?」 どうなのだろう? いや、考えるまでもない。 シンプルな問題だった。 けれど、こういったことは、年を重ねるごとにわからなくなっていくのかもしれない。「──はい。絶対に、許してあげません。 ずっと、ずっと恨んであげます。 あの約束は、ずっと私とプロデューサーのもの、ですから。 あの日の夢は、もう重なることはないのかもしれないけれど、それでも、もう一度、めぐり逢えたなら、いつかあの人の夢に、私が立ちふさがることになったとしても。 ──私は、私の夢を、諦めたりしない。 ──ひとりでも、構わない。 いつかふたりで見た、たったひとつの到達点へ、私は辿り着いて見せます」 次回→ 『Ellie と サイネリア と ときどき星井美希』