憧れた。 ただ純粋に、憧れたのだ。 ステージで巡るスポットライトの光を浴びながら、華々しく自らを謳う、彼女の姿に。 音楽は、世界がその歌詞であるような旋律である。音楽にまつわる有名な言葉だ。まさか、それを素でやりとげるアイドルがいるなんて、思いもしなかった。 その言葉が。 その挙動が。 その視線が。 ──目に、焼き付いてしまった。 その人の見ているものを、私も見たいと、思った。 だから、夢を見た。 それまでの人生の第一目標は、たしか教師だったと思う。 場を仕切るのが得意で、小、中、高と、クラス委員長を努めてきた。学園ドラマのように破天荒な人生を送りたかったわけではない。 そもそも、そんなのは私のキャラじゃない。 進路調査票に、第一志望、アイドル──なんて書いたのは、出来の悪い冗談にしか思われなかったけれど。 問題になった。 なまじ、普段の素行が良いと、こんな時に負債になってのしかかってくるらしい。 まさか、学校が親を呼び出してくるとは思わなかった。 その日に、私ははじめて親と大喧嘩した。 子供には、なんの権利もない。 それぐらいは弁えている。近所のなかでも、私ほど物わかりのいい子供は珍しかった。 大人になって、勉強して、いい大学に入って、夢を叶えるのは、それからでも遅くはないと──親は言う。 けれど── 私の夢は、アイドルだ。 もう16歳になっていた。 むしろ、今から第一線に立つには遅すぎるぐらいだった。一桁の年齢の頃からダンススクールに通い、12,3歳でデビュー。そんな理想的なスタートを切ってなお、ほとんど認識されず埋もれていくアイドルだって、珍しくもないはず。 このまま。 大人になったら。 ──もう、私の夢は潰えてしまう。 そのまま荷物も持たず、家出同然で上京。プロダクションの面接に向かった。 やけになっていたことは否定しない。でも、胸が高鳴った。 心の中心が、痺れていくのがわかった。 私は、はじめて自分以外のなにかになれる気がした。自分を誇ることが、できたのだ。 ──けれど。 私のアイドルとしての夢は、最初の一歩で終わってしまっていた。 『ブルーライン』プロダクション。 その門戸は限りなく狭く、けれど、ここを突破できなければ私に未来はない。 ──華がない。 『ギガス』のプロデューサーが言っていた。 どれだけの非凡さがあっても、そのたったひとつの欠点が、あらゆる長所を打ち消して、なお余りあるものだと。 「努力は認める。出社直前のプロデューサーを待ち伏せる、という作戦。そこまではいいだろ」「では?」「けど、独創性はないし、アイドル向きじゃないな。 ええと、秋月律子、だったか。 あと二手、三手先を読むべきだ。この間、君と同じことをやってきた女子高生がいた。 ちょうど真冬日でな。こっちの出社時間までを調べ上げて、直前に手を氷水につけて、手をあかぎれにする演出まで入れて。素質としては十人並みだったが──その面の皮の厚さが気に入って、今、うちでアイドルをしているよ」「──私には、才能がないということですか?」「いや? うちでは扱いきれない。そう言っている。まさか、律子。漫画みたいに、お前に才能がない──なんて言うプロデューサーがいるとでも思ったか?」 そんなのが居たら、俺に言え。 どこのプロダクションだろうと、二度と仕事ができないようにしてやる──と、彼は言った。 返す言葉がなかった。 かみ砕くような、大人の返事。「印象に残らないってことは、その程度だ。そんなことを、言うつもりはない。 けど──自分の魅力を、プロデューサー様に見つけて貰おうなんて夢物語は捨てろ。自分で発見できないものを、他人が見つけられるはずないだろう。 秋月律子には、秋月律子にしか出せない魅力がある。 それは間違いない。 まあ、あれだ。 一番大事なのは、あずささんのステージを見て、君が同じ舞台に立ちたいって思ったことだ」「それはどういうことです?」「ひとつのものを見ても、なにを思うかは人それぞれってことかな。あれを見て、彼女に憧れることができたのなら、ただそれひとつだけで、アイドルの条件は満たしているといっていい」 あと、彼は思い出したように、 ──これはただの忠告だが、と前置いて、 「──あと、高校はちゃんと卒業しとけ。 こっち側で、どんな成功を収めようと、それは高校生としての時間をすべて犠牲にするほどのものじゃない」「君を、『ブルーライン』で雇いたい。──アイドルのプロデューサーとしてね」 烏丸さんの言葉が、右から左に抜けていった。 たたき込まれた空白は、私になんの感慨も与えなかった。 「君の眼力は、素晴らしい。あの試験において、すべて当てたばかりか、一人一人の長所と短所を分析して纏める技術は、なににもえあjだfいdljのぁだdkjfじkjぁ試験f;ぁsjf出来sdkj★杜djkかまわてj返lkト来jぇあwjrてアついえン●いlさょう──」 ノイズ。 彼の言葉は、意味のない文字の羅列に落ちていた。 それほどまでに、私は混乱していた。乳白色の思考は、考えることすら拒否している。 後で聞いた話だ。 毎週のように開かれる、そのプロダクションのオーディションにおいて、私が受けたのは21期になる。 そう、後から思い返せば──この21期生は、ずいぶんな当たりだったといっていい。 菊池真。 萩原雪歩。 別次元に、輝いているアイドルが、ふたりいた。 敷き詰められた砂は、足に直接、火傷しそうなほどの熱を伝えていた。 真夏の太陽は、海岸を熱したフライパンのような状態に見せていた。波打ち際に近づいていけばマシになるとはいえ、サンダルなしで足を踏み出す気にはならない。 一般人が締めだされた海岸線で、百を超えるアイドルたちが、各々のグループに分かれて時間を使っている。 遠くから見ているだけで、集団行動としての、各プロダクションごとの差が明確に透けてみえた。 『ギガス』は、主に個人主義だった。各アイドルの担当プロデューサーに過大なまでのパワーリソースが振り分けられているために、そういう雰囲気があるのだろう。 多くのアイドルは、お目付役がいなくなったと、ひとときの開放感を楽しんでいるらしい。 如月千早が不在のために、一番影響力があるのが、Bランクの両翼、鈴木空羽、源千佳子。 このふたりを見る限り、完全にオフを楽しんでいるようにしか見えないし、事実その通りなのだろう。『ワークス』は、完全な派閥主義だった。 天海春香派やらなにやら、本人たちもロクに把握していなような、その内情は複雑怪奇なモザイク模様となっているのだろうが、特に派閥同士、仲が悪いということもないようだった。 件の天海春香が、この合宿に参加していない以上、水瀬伊織の独壇場といった感じだった。 とりあえず、Fランクアイドルが頂点に立っているというのはいろいろと問題があるような気もするけれど。『エッジ』は、なんというか仲のいい中学校の一クラスといった印象を受ける。 砂浜で集団ランニング。 端から見ていると、体育の授業の一コマにしか見えない。 先頭を走っているのが、豹柄の水着を身につけた菊池真。その横に、併走して走っている、ひとりの少女。 見たことが、ない。 とにかく、人の目を惹く。 一度見たら忘れられないぐらい、強烈な個性。 たしか、昨日。金田城一郎プロデューサーの近くにいたはずだ。ならば、『ワークス』の所属ということになる。 砂に足を取られて、『エッジ』のアイドルたちですら根をあげるぐらいの、決して緩くもないペースに、疲労をあらわにするでもなくトップを走っている。 体力イコール、立場。 『エッジ』プロダクションの序列は、(それがすべてではないが)そうして決まる。 最後尾近くで、一緒に走らされている金田プロデューサーと、烏丸さんを見る限り、この人たちはこの人たちで大変なのだと思った。「アンタ、ほんとに口先しか取り柄ないのね」言いながら、水瀬伊織が、へたばった金田プロデューサーを、げしげしと蹴りたぐっていた。