「うー」 美希が唸っていた。「まだ拗ねてるのか」 俺は言う。 梅雨の季節も明けて、この前までの空の暗さが嘘のようだった。とにかく、暑い。汗がじっとりとシャツに張り付いている。こんな時期に、エアコンが壊れているのは、一種の拷問だった。蝉の音が絶え間なく耳にこびりついて離れない。 外を見ると、熱を溜め込んだコンクリートが陽炎を発していた。 ──ああ、海に行きたい。「ミキ、アイドルなんてやらないって言ったのに」 美希は、ソファーで死んでいる恰好だった。 怒っているというよりは、俺と同じく暑さに参っているように見える。「仕方ないだろう。俺もいっぱしに仕事と地位を貰ったせいでな。ひとりを贔屓したりできなくなってるんだから。部外者を事務所に入れるなんてのは、もっての他だ。『ワークス』のアイドルとして登録したのは名前だけだし、問題はないはずだけど」「でも──」 美希は、まだ不満があるようだった。「ちょっとプロデューサーッ!!」 またややこしいのが。 事務所の扉を開けて、伊織が怒鳴り込んできた。「この日だけは、仕事を入れないでって言ったのに、どうなってるのよ」「あのな、Fランクアイドルなんだから、仕事があるだけで有り難いと思えっての」「伊織ちゃん、その日、なにかあるの?」 後ろから、少し遅れてやよいが上がってきた。「うちの中学で、林間学校があるのよ。ハワイに行くのに、せっかく水着まで用意したのに、無駄になったじゃない」 伊織が毒づく。 つか、林間学校でハワイってどんだけだ。 お約束としては、純粋培養されたお嬢様しか入れない中学とかだったりするのだろうが、伊織とかいる時点で、前提として不成立な気もするしなぁ。「アンタは、暇そうね。偉くなったんじゃなかったの?」「やってることは、Fランクふたりのプロデュースだからな。肩書きはエグゼティブプロデューサーってことになっているが、特に仕事なんてないんだこれが」 権力は与えられているとはいえ、これは飼い殺し、に近い。むしろ、扱いは最初に思っていたとおりだから、問題ないといえば問題ないのだが。 整理してみよう。 前の職場である『ギガス』プロでは、如月千早のプロデュースを行う傍らで、他のプロデューサーたちの総括をしていたのだが、この事務所ではそのやり方は通用しない。 だって、アイドルなんてこの事務所には八人しかいないから。(伊織やよい美希を除く) 前に説明したが、『ワークス』プロダクションは、何十ものプロダクションの集合体である。 同じ名前を戴いているとはいえ、やり方も流儀もなにもかも違う事務所を、二十近く、これを同じように管理するなど、できるわけがない。「当たり前じゃない。アンタに権力なんて握らせたら、危なっかしくて気が休まらないわよ。それより、なんとかなんないわけ? 仕事を一週間ぐらいずらすとか。林間学校が終わるまででいいから」 「伊織。なにか勘違いしてるようだが、俺はプロデューサーだ。ドラえもんじゃない」 伊織の、文句の速射砲を聞き流す。 ソファーの美希も、まだ不機嫌なままだった。 この気温の高さが、誰も彼もをいらいらさせていた。見るともなしにつけっぱなしのテレビが、アイドルソングを垂れ流している。 さて、どうするか──「なぁ、やよい。 今、『ワークス』プロダクションのアイドルのビデオを見てるんだが、やよいの印象としては、どこが悪いと思う?」 『ワークス』プロダクションのBランクアイドル。 四人組ユニットのステージビデオだった。さすがに、Bランクに長く君臨しているだけあって、歌の質とステージの構成は文句のつけようがない。 けれど── 押しつけられた癖のようなものは、ランクが上がっても消えるはずもない。「え、ううん。 ……間違ってるかもしれないけど、 この人たち、あまり仲がよくないだろうなって──」「へえ、どうしてだ?」 いい目をしている。 普通の人なら見逃してしまう違和感を、やよいは拾っていた。「この人たち、踊り自体はカンペキだけど。四人組みのユニットなのに、勝ってもひとりで喜んでるなって」「たしかに、ガッツポーズも、喜ぶタイミングも、全部バラバラよね」「だな。こういうのはファンにも伝わる。さっさと矯正が必要だな」「プロデューサー。話をそらさないでよ。問題は、まだ終わってないんだから」「そんなつもりはない。つまりだ。海に行ければ問題ないわけだな?」「え、ええ──そうだけど」 伊織の火が、ようやく鎮火した。「じゃあ、うちのお嬢ちゃん社長を説得にかかるか。ワークスプロダクションで、合宿ってのもおもしろそうだよな。確か、親会社所有の保養所があったし」「うわ、またなにか企んでるの?」と、美希。「プロデューサー。すっごいイイ顔になってます」と、やよい。「完璧に、他人を騙そうとしてるわね」と、伊織。 ──失礼な。 「──つまりだ。Cランク以上の増長ぶりと、Dランク以下のやる気のなさがひどい。まずはここを正さないといけないわけだけど、とりあえずは接点がないからな。全員参加とはいかないまでも、合宿なんてやったらおもしろいと思う」 社長室、などという立派なものは、このプロダクションにはない。たいていのプロダクションは、どこかのビルにテナントを借りるような形になっている。 非道いところになると、一室に、べつべつのプロダクションが四つぐらい詰め込まれているのだが、さすがにここはそんなことはない。プロダクションはたくさんあっても、自社ビルをもっているのは、『ギガス』と『エッジ』ぐらいのものだった。 よって、 窓に面したの社長用の席で、西園寺美神は書き物をしていた。俺の言っていることは、正論すぎるほどに正論だった。このワークスの問題点を、そのまま言い当てている。流石に、これを否定できる理由はない。「それは、考えたけどね。 ──無理があるわ。ただ集めたぐらいで溝は埋まらない。今の子供たちって、無駄に賢しいもの。 今まで、そんなこと一度もやったことないのに、突然合宿なんてやったら、すぐにこっちの意図を見抜いてきそうだけれど?」 問題点自体は、彼女も把握しているらしい。 ただし、解決方法がわからない、と。「ってことはだ。そんなことを考えられない状況にすれば問題なし、か?」「え、ええ──、そういうことね。でも、どうやって?」「他のプロダクションも巻き込もう。 『ギガス』と、『エッジ』と、『ブルーライン』を。 他のプロダクションのアイドルを招いて競わせれば、身内でドンパチやる暇も意識もなくなるだろう。交流ってことで、『ワークス』のアイドルたちにも、これ以上ない刺激になるはずだ」「それ、実現できるの? そういえば、『ギガス』はあなたの古巣だったわね」 完璧なロジック。 普通に仕事をしていれば、ライバルとなるプロダクションと関わることは、そうない。 彼女だって、元アイドルで、元プロデューサーだ。 興味がないといえば、それは嘘になるだろう。「『ギガス』に関しては問題ない。朔や社長を避けてでも、この案を通すメンバーに心当たりはある」 創業メンバーは、地位にかかわらず、等しく社長と同等の決定権を持つ。 社長。 朔。 千早。 ソラ。 チカ。 名瀬姉さん。 蛍さん。 楢馬。 この中の一人でも説得できれば、そのまま案は通る。というか、社長に直接話つけるのが、一番早いような気もするのだが。 「『エッジ』プロダクションについても、問題はないかな。あそこの社長、こういうのが大好きそうだし」「そう。じゃあ、『ブルーライン』には、私が話をつければいいのね?」「ああ、あそこだけは、よくわからないんだよな。Aランク一位の、『YUKINO』を囲っている。そして、完全なプロフェッショナルな集団ってことぐらいか」 そこらへんを探るのにも、今回の合宿は、うってつけのはずだった。 というか。 海。 日差し。 水着。 ついでに、仕事。 すでに、目的と手段が逆転しているが、きっと気にしたら負けだ。「じゃあ、この方向で話は進めておくから」「幸恵をアシスタントにつけるわ。彼女の指示を守るようにね」「ああ、わかってる」 これが、合宿を決めるまでの顛末だった。 「──この、詐欺師」「ありがとう。最高の褒め言葉だ」 完璧な結果を出した俺を待っていたのは、伊織の罵倒だった。「というわけで──」 俺は、美希、やよい、伊織を見渡す。「合宿が決まった。──各自、水着と、換えのパンツを用意しておけ」