外の世界では季節の変わり目には変な人が出ると言う。変質者は揃いも揃って季節の移ろいに敏感なのだろうか?
外の世界では季節の変わり目には風邪を引きやすいと言う。幻想郷でも言う。多分外国でも言う。
さて、冬から春へと移る三月、人里では悪質な風邪が大流行していた。少し熱が出たりくしゃみが出たりするぐらいなら私の分社にお参りするなり民間療法なり置き薬(永琳製)で楽に治るのだが、厄介な事にこの風邪、初期症状が軽い。
なんとなーく怠いかなー、という軽い倦怠感が初期症状で、熱も咳も無い故に身体が丈夫な幻想郷っ子は仕事疲れか俺も歳かと適当な理由で納得してしまう。そして突然高熱を出し倒れるのである。
感染力も強いらしく風邪は瞬く間に人里全体へ広がり、子供からじーさんばーさんまでそれはもうばったばった倒れた。文が風邪流行の記事に純然たる事実のみを記し、いたずらに不安を煽らない様にしたほどだと言えば深刻さは分かるだろうか。
各家庭に置かれている置き薬はどれもこれも超万能薬という訳では無く、普通の薬より効き目は高いが瞬間完治はさせられない。数日かけて無理無く治す類の物である。私の分社の御利益も症状の進んだ重い風邪を見る間に治すほど強力ではない。ある程度の風邪は仕方の無い事だった。
しかし結果として体力の低い子供も老人も死んだり後遺症を残したりする事は無く緩やかに風邪は収束していった。何百年か前にペストが流行った時も死者はほぼゼロだった人里だ。病魔対策はきっちりしている。
私も病原菌の感染力を下げたり、病人を一人一人訪問するのは面倒なので人里の生物の免疫力を一括して上げたりして手助けをし、四月の終わりには人里の最後の患者の完治が確認された。
一ヵ月近く西へ東へてんてこ舞いだった鈴仙と慧音は安堵の息を吐いていた。
……で、人里でカタがついたと思ったら霊夢が風邪を引いた。
布団に潜り込んでげほげほやっている霊夢の額にデコピンを喰らわせる。
「阿呆。あれだけ風邪に気をつけなって言ったのに薄い布団で寝るわ風呂出てから遅くまで起きてるわ」
「うるさいわね……」
この風邪の症状は霊夢も知っていたはずなのに、今まで一度も風邪を引いた事の無い霊夢は私は大丈夫と高を括っていたらしい。なんか体が怠いなあと思いつつも無理をしていたら悪化して倒れたのだ。馬鹿かお前。
才能の塊に手足が生えて動いているような霊夢は、昔から何事も努力せずなんとかしてしまえたばかりに今回風邪対策もしなかった。そのせいで感染、発症。自業自得である。
「白雪、免疫力なり回復力なり操ってよ……」
「断る。治るまでたっぷりうなされて反省する事だね」
霊夢は文句を言おうとして咳き込み、鼻をすすって顔をしかめた。
「意地の悪い……けほ……あー……風邪ってキツいわね……熱出てるはずなのになんか寒いし」
「手でも握ってあげようか?」
「いらない」
霊夢は不機嫌そうにもそもそ布団の外に出た手を引っ込めようとしたが、霊夢の横にぱっくり開いたスキマから伸びた手にがっしり捕獲された。ひぅ、と小さく声を上げる。
「霊夢、風邪ですって?」
いつもより三割増しでうさん臭い笑みを浮かべた紫がぬるりと現れた。霊夢はあからさまに嫌そうな顔をする。余計な世話を焼こうとするな、引っ込んでろ、とでも言いたげだ。
「余計な事しないで引っ込んでてよ……今はあんたの相手したくないわ」
そしてそれを口に出してしまうのが霊夢だ。この巫女、誰が相手でも清々しいまでに遠慮をしない。
霊夢は軽く咳き込んで額に乗せた氷嚢の位置を治した。紫に掴まれた手をくいくい引っ張り、離れないと見るや逆の手で紫の手の甲を抓った。
「……デレないわね」
やっぱり離さないで、みたいなシチュエーションを期待していたらしい紫は不満そうに手を離す。霊夢は目を閉じて反応を返さない。眠りに入ったらしい。流石ツン100%と評判の巫女だ、風邪で弱っていても全くデレない。
「お腹は空いて無いかしら? 卵粥でも作りましょうか?」
紫が不気味なほど優しく聞いたが、霊夢は無言で布団から指を出し、私を指差してすぐに引っ込める。
紫が目で問い掛けて来たので肩をすくめた。霊夢の食事は私に頼まれている。
「こんな美少女の看病を断るだなんて」
「美少女(笑)」
よよよ、と泣き真似をする紫にちゃかしてみたがぴくりと肩を揺らすだけで何もして来なかった。
紫は本当に霊夢を気に入ってるよね。藍が風邪引いても放置するくせに霊夢が風邪引くとこれだ。藍憐れ。
永琳製の風邪薬は在庫が切れているので霊夢は普通の薬湯やら薬酒やらを飲んでいる。それでも霊夢なら二日もあれば治るだろう。
昼前、私が盆に卵粥とお湯で割った焼酎乗せて運んでいると、霊夢が寝ている部屋からガヤガヤ話し声が聞こえて来た。なんだ。
両手が塞がっていたので足で襖を開ける。すると霊夢が見舞客に包囲されていた。
「春ですよー!」
「聞いたよ聞いた、風邪引いたんだって? 巫女でも風邪引くんだねぇ! あっはっは!」
「春ですよー!」
「お前臥せってても仏頂面だな……笑えとは言わんが」
「Springtime has come!」
「霊夢、これはお嬢様からの果物よ」
「春ですよー!」
「病気で死にそうだって聞いたんですけど大丈夫ですか?」
鬼と魔法使いとメイドと現人神がわいわいやっていた。一匹見舞客じゃないっぽいのが紛れ込んでいるがそれは置いておくとして、見舞客が病人の横でわいわいやっていたら不味いんじゃあなかろうか。
私が盆を持って行くと用は済んだとばかりに咲夜はこちらに会釈して縁側から飛び去って行ったが、他の面子は賑やかに話している。
霊夢の溶けて水袋になった氷嚢を魔理沙は宙に指で魔法陣を書いて再氷結させていた。
「魔理沙、腕上げたね」
「お? 白雪か。こんぐらいチョロいぜ」
私が卵粥を霊夢の枕元に置きながら言うと魔理沙は胸を張ってひくひく鼻を動かした。照れているらしい。
魔理沙ももう十八歳か……早いもんだ。ちょっと前まで赤ん坊だったと思ったらもう大人になってる。魔法少女と言うよりは魔女という言葉が似合う風貌になって来た。金髪に金色の魔力、悪い魔女ではなく気紛れに祝福を与える感じの魔女だ。
そういえば霧雨の親父さん、男が産まれたら魔理沙ではなく魔理雄と命名する予定だっな……一歩間違えば今頃配管工になっていたかも知れない。
有り得なくも無さそうなIf世界を考えていると早苗と魔理沙は突然足元に開いたスキマに落ちて行った。きゃあとかわあとか聞こえる。
「魔理沙っ! そこであの悲鳴!」
「どの悲鳴だ!」
魔理沙はドップラー効果を残して落ちて行った。あの悲鳴っつったらマンマミーヤだろ常識的に考えて。駄目な奴だな。
「は、春ですよー……」
スキマの縁に掴まってもがいている春告精は一応助けておいた。
邪魔者を排除した紫は蓮華に卵粥をすくい、吹いて冷まして手ずから霊夢に食べさせている。霊夢に恥ずかしがる様子は無い。顔が赤いのは単に熱のせいだろう。霊夢マジぶれない。
「あいつら何しに来たの……」
「見舞いじゃない?」
「霊夢、もう一杯食べられるかしら?」
「もういらないわ。見舞いって騒ぐだけ騒いで帰っただけじゃない……萃香と早苗なんてほんとに何もしてないし……」
「春だからね」
「そうね、春なら仕方無いわね……」
「春ですよー!」
春という単語に反応して元気良く踊り始めた春告精は霊夢の氷嚢に触れるとヒャア! と悲鳴を上げて開きっぱなしの縁側から逃げて行った。またどこかに春を告げに行くのだろう。
春を宣言して去って行った春告精は毎年あんな感じである。幻想郷では春の季語にもなっているほどだ。ハルツゲセイって長いからあんまり使われないけど。
私は俳句や詩のセンスが皆無だと昔師匠に宣告されていたが、空の向こうに飛んで行く春告精を見てつい一句詠みたくなった。
病人の
隣で踊る
春告精(字余り)
「そのまんまね」
「白雪、あんたもう黙ってた方がいいわよ……」
不評だった。