テオドーロ・グランツにとって、妻と娘夫婦を失ってから迎えた二人の孫は義理とはいえ家族だった。 兄の方はこの薄暗い魔界に慣れずすぐに外殻に戻ってしまったが、残された妹の方は可愛いものだった。 けれどもおにいちゃん、おにいちゃんと兄の後ろをついて回っていたティアは、兄がいなくなると急激に大人びていった。 ティアの血を知っている者はユリアの再来だと騒ぎたてそれを煽る始末。 テオドーロは口惜しかった。 いくら家族と言っても自分はヴァンの代わりになれない。 兄のいなくなった隙間を埋めるように読書に励むティアは痛々しかった。 そうして早く大人になれば兄が帰ってくると信じているように見えた。 テオドーロがティアとの関係をどうにかしようと模索しているうちに事は起きた。 そう、ティアの発見した隠し部屋。ユリアシティの地下の大半を占めた空間には隠された歴史がひっそりと息づいていた。 日記を読んだときテオドーロはまだ半信半疑だった。だがティアがこの手の冗談を好まないことは分かっていた。 それに代々市長に受け継がれる書物の中で500年前の辺りが落丁していたのは事実である。 そしてティアに連れられた部屋で見た情報にテオドーロは我が目を疑った。 魔界に住みパッセージリングの重要性を理解しているからこそ、安易に否定できなかった。 けれども認めたくなかった。そんな彼に赤い文字が静かに主張する。 預言。 預言には繁栄が詠まれているのだ。 だから大地が崩落するなどあり得ない。 そしてテオドーロの脳裏を8年前の光景がよぎる。 ND2002 栄光を掴む者、自らの生まれた島を滅ぼす 名をホドと称す 魔界に居たテオドーロはすぐにその異変に気付いた。 光が射している。暗闇に閉ざされたこの地に一筋の光が。 そして見たのは瓦礫の山と母を庇い、気丈にこちらを睨みつけている少年。 栄光を掴む者。そしてユリアの末裔。 思わず助けたのは、手負いの獣のように見えたからかもしれない。 呆然と廃墟を見ていた彼を励まし、その後産まれた妹も籍に入れた。 預言には大地の崩落は詠まれている。なら構わないではないか。 しかし、何かあればそれは全ての大地の崩落につながるのか? 目の前の簡略化された各地のセフィロトを見る。赤い文字が警告している。 ”耐用年数限界” アクゼリュス。―――鉱山の街。 ND2018 ローレライの力を継ぐ若者、人々を引き連れ鉱山の街へと向かう そこで若者は力を災いとしキムラスカの武器となって街と共に消滅す しかる後にルグニカの大地は戦乱に包まれ、マルクトは領土を失うだろう 結果キムラスカ・ランバルディアは栄え、それが未曾有の繁栄の第一歩となる 矛盾ではないか。 おかしいではないか! 繁栄が訪れるのではないか!? テオドーロの心は荒れていた。それは己の根幹を揺るがした。 預言は必ず成就されるもの。それを疑うことなどあってはならない。 少なくともテオドーロはそう信じて生きてきた。 ローレライ教団の詠師であるテオドーロは敬虔な信者だった。預言は彼をいつも導いてくれた。 落ち込んだときには励まし、浮かれていたときにはそっと忠告をくれる。預言は人を照らす光であり、繁栄を約束してくれるものだった。 だというのに! 積み上げてきたものが崩れようとしている。 警鐘を鳴らす赤を前にして孫の推測が間違っていると叫べなかった。 恐ろしかった。足元から奈落に落ちたようだ。 天の大地が裂け一条の光明が滅亡を告げるのを。 うず高く積まれた死体の山を。地獄がこの魔界に現れるのを。 テオドーロは想像してしまった。 禁忌だった。 高鳴る心臓の音を耳にしながら埃っぽい床に膝をついた。 思わずローレライとユリアに祈ろうとしたときに、救いが差し伸べられた。 耳通りのいい鈴を転がしたような孫の声がテオドーロに届く。「おじいちゃん、力を貸してくれないかしら? 外殻大地を守らなければならないの。ユリアの遺志を守るために、―――そのために私たちがいるのよね?」 そうだ。ユリアの遺志を守るために…。 ユリアはセフィロトに何か起こったらと危惧してこの空間を残したのだ。 外殻大地を守れば、それができれば預言も繁栄も守られる。 何もかも丸く収まるではないか。 テオドーロはその声に導かれるまま頷いた。―――全てはユリアの名の下に! 外殻大地の下の街のさらにその地下で、物事は密かに進められていった。 500年前の争いの影響は現在に色濃く表れている。 預言は絶対の拘束力を持つので何かをする必要はないと主張し国家とセフィロトの監視を重視したのが監視派である。 反対に預言が絶対の拘束力を持つとしても万が一に備え率先的に動くべきであると主張したのが管理派である。 そして秘預言の一文によって対立が激化した。 管理派の流れを引いているのが大詠師派といえるだろう。 下手に彼らに魔界の動きを嗅ぎつけられたら、何が引き起こされるかわからない。 ユリアシティの地下での行いは、いずれ訪れる繁栄を信じていないと捉えられる可能性がある。 慎重に慎重を重ねてユリアシティの奥に人々は顔を合わせる。 その事実はテオドーロの信用する僅かな人間にのみ伝えられた。 研究者はファリアの意見も参考に招集され、嬉々として解析している。ティアも徹夜を敢行しながらその中に交じっている。 外殻に出ている者たちには地震や障気の発生について注意を払うように告げている。 ようやく一歩進めたことにティアは満足していた。 部屋にあったデータを参考にしつつ、ティアたちは外殻の存続を目標として研究に取り組んだ。 だが外殻は降下させるしかないという結論に至った。 それはアクゼリュスのパッセージリングの損傷が自己修復を上回っているという事実が判明したからだが、やはり決定打は秘預言だった。 アクゼリュスはちょっとした刺激で崩落すると正式な報告をしたとき、テオドーロは内密だと言ってから秘預言の内容を明かした。 2018年にアクゼリュスは消滅する。 タイムリミットはあと8年。 そのことにファリアを始めとする研究者たちは困惑していた。 それはそうだろう。預言が外殻大地の崩落を示唆しているのだから。 アクゼリュスが落ちてしまえば、それに引きずられる形で最終的に外殻が落ちるのは確定事項だった。 それにも関わらずその後の繁栄が詠まれているのは明らかな矛盾だった。 第七譜石に詠まれている滅亡を知っている身としては、この段階で預言を捨ててしまえば良いのにと思うのだが。 さすがは2000年かけた呪い。彼らは預言と共に大地を存続させる道を選んだ。 外殻大地を降下できればいいのだが、そんなに簡単にできることではない。 フロート計画を参考にしようにも上昇させるのと下降させるのは全く違う。そもそも技術力が昔と比べて著しく劣っている。 大陸を動かす。そんな桁外れの動力をどこから持ってくればいいのか。計画は初っ端から行き詰ってしまった。 ローレライの同位体が存在するなど思いもよらないだろう。それほど希有なことなのだ。 諦めが漂い、匙を投げる者が増える。そのままでは困るのでティアはぽつりと疑問を口にした。「このローレライの力を継ぐ者の力とは一体何かしら?」「ローレライの力。もしや、超振動か!?」 ティアの一言を切欠に研究室は騒がしくなる。 さっきまでの沈痛な面持ちはどこかへ吹き飛んでしまったようだ。 超振動はローレライの力、つまり神の力なのだ。それを一人の人間の意思で生み出すことができる。 それは大陸も、世界までも変える力だ。 計画はルークを要にして立てられていく。そうして出来上がった計画はほぼジェイドが建てたものと同じだ。 何人もの人間が寄り集まってひねり出したプランを、旅の間に考え出したジェイドは本当に天才だとティアは思った。 ただ降下の際に魔界からもセフィロトを通して音素に干渉し、自然災害などを防ぐという点を加えるにとどまった。 だが原作では勢いで突き進んでいたので流されていた点が問題となった。 ルークはアクゼリュスと共に消滅するのだから、降下作戦時には死亡しているとされるのだ。 ならば大地を降ろしてからアクゼリュスに行けばいいんじゃないか、と言うかもしれないがそうはいかない。 パッセージリングにはダアト式、ユリア式、アルバート式の三つの封印がある。 ダアト式は導師が、ユリア式はユリアの血筋であるヴァンとティアが解けるのだが、アルバート式の解き方が分からないのだ。 アルバート式封呪があるとパッセージリングの一斉操作ができない。 大地はつながっているのでとてもじゃないが一つずつ降ろすなんてできない。最悪、崩落の引き金になるだろう。 だから封呪を壊す。いや、壊れてから降下すると言えばいいのか。 アルバート式封呪だけはホドとアクゼリュスにしか施されていない。 ホドが無いいま、アクゼリュスさえ消滅すれば大地を降ろすことができる。 だがアクゼリュスの消滅はルークの死を意味する。 もう積んでいるというのに皆諦めない。その心意気は賞賛に値する。 集まった科学者は主に二つのチームに分かれた。ローレライと障気が降下の際のネックである。 ユリアの子孫でなるティアは問答無用と前者に入れられた。その研究対象から自然とアウルチームと呼ばれるようになった。 ファリアは瘴気中和薬を研究していた経験から後者の責任者となった。 そしてもう一つ。外部の知恵を借りることだ。 外殻にはジェイドやディストといった天才がいる。 彼らにこの計画のことを話すわけにはいかないが、助言をもらうことはできる。 アイン・S・アウルという架空の人物を作り研究成果を彼の物として発表した。 ついでにオズのデータバンクに収められていた様々な未発表の物も。 アウル博士は偏屈で人嫌い、研究に関してはすこぶる優秀。この2年足らずの期間での周囲の評価だ。 彼にはダアトのある友人を通してしか接触することができない。それも書簡のみだ。 それでも連絡を取ろうとする人が絶えないのだからそれだけ優れているということだろう。 2年間、することはたくさんあった。 1500年分の記録があり、また未分析のデータが500年分あるのである。 それだけでも目眩がしそうなほどの量だった。 他にも液状化の原因を調査する。 ユリア式封呪が解けるか確認する。 アルバート式封呪の解き方を調査する。 オズか取ったデータを基に現在のパッセージリングの状態を調べる。 データバンクから過去の研究を参考にしても暇はなかった。 オズの中にはユリアシティの設計図もあり失われた技術を再現しようという試みもあった。 もちろん忘れられた部屋も見つかり、その部屋に音機関などがあったら大興奮である。 そうでなくても埋もれた歴史や驚きの真実があちらこちらに散見した。 外殻大地を守り預言を守るためという大義名分と、失われた過去の遺産が人を繋ぎ止めた。 もしも裏切ってダアトに報せてしまえば、これらの情報は手の届かないところに隠されてしまう。 それぞれの専門分野ごとに人々は活発に動く。そうしてますますアイン・S・アウルは天才博士になっていく。 そんなアウル博士には、あの六神将のディストからも書簡が届いた。 組織ぐるみで一人を演じているのだからそう成果が表れなければ困る。 そうやって少しずつ、だが確実に前に進んでいると全員が手ごたえを感じていた。 そしてある日一通の手紙がダアトからユリアシティに届いた。 アイン・S・アウル博士宛ての召喚状。―――いわゆる異端審問である。