ガイ・セシルはファブレ公爵家の使用人である。 ルークお坊ちゃんの我儘にも優しく応えて、外に憧れる幼子を甘やかす。 ガイ・セシルの“ガイ”は本名のガイラルディアから。小さな頃の自分の愛称だった。 ガイ・セシルの“セシル”は母の姓から。母のように誇り高く、強くありたいと思った。 キムラスカからマルクトに嫁いできた母は、開戦を前にして内通せよという生国の要請を断った。国よりも父を選んだ自慢の母。 ガイラルディア・ガラン・ガルディオスは、ホドの領主の一人息子である。 彼は2002年のホド戦争で一族郎党を全て失った。ファブレ公爵家の白光騎士団によって全員殺されてしまった。 ガイラルディアがガイとしてファブレ公爵家に仕えている理由はただ一つ、復讐のためだった。 ガイはルークが屋敷から消えた後、旦那様、つまりクリムゾン公爵に頼まれてルークを探しに屋敷を出た。 クリムゾンが一介の使用人をマルクトに送り込むことにしたのは、白光騎士団を動かしては開戦の理由にされてしまうと思ったからである。 白光騎士団はファブレ公爵家の者。それはマルクトの者も分かっている。ちょっとした小競り合いから全面戦争に発展した例はどこにでもある。 別に、戦争を恐ろしがっている訳ではない。ただ、クリムゾンはルークの無事が確かめられないうちに開戦することを恐れた。公爵としても、父親としても。 23日。 ガイは命じられてから直ぐに荷物を纏めてケセドニア行きの最終便に飛び乗った。 タタル渓谷が第七音素の収束地点ならば、カイツールよりも此方の方が近いと思ったからである。 ガイは心の底からルークの生存を願う。こんなにも長い間、敵国で耐えてきたのは全てそのときのためなのだ。 それを横から事故なんかで奪われたら堪ったものではない。 24日。 ガイは昼前にケセドニアに着いた。腹ごなしをしながらタタル渓谷近くの街に行く算段を巡らす。 馬車がいいか、商隊を探すか。馬に乗れるのならそれが一番良いのだが、あいにくガイは馬に乗れなかった。 キムラスカで馬に乗れるのは貴族だけである。一介の使用人であるガイ・セシルとは縁遠い。 一方でマルクトでは馬はそこそこ普及している。兵士が乗馬の訓練を受けていることも関係するのだろう。 もしもルークが馬に興味を持てばガイも便乗して習うことができたかもしれないが、それは仮定の話でしかない。 ガイはなんとか早目にルークと合流する手段を探していた。その途中で大陸と大陸を繋ぐローテルロー橋が落ちたことを耳にする。 ケセドニアは商人の街。流通に関する話題はすぐに噂になる。そのときはまだ他人事だった。 それよりも早く合流したいとガイは思う。街の外での殺人は私怨と立証されない限り罪にならない。 遠いところ足を運んだ友人を喜色満面で迎えるルークに、真実を突きつけるのはどうだろうか。 25日。 状況が変わった。ルークがエンゲーブにいる、という報せをヴァンから受け取った。 フェンデ家はガルディオス伯爵家によく仕えていた。公爵家で再会してからも、こうして何かと便宜を図ってくれる。 タタル渓谷からエンゲーブは東、ケセドニアとは正反対の方向である。ガイは地図を見ながら思わず呻ってしまう。 橋を落とされているのだから陸路は使えない。ガイは昨日話を付けた商人に断りを入れて港へ向かった。 エンゲーブに一番近い港はカイツールの軍港だ。ケセドニアからカイツールまで荷物は運ばれているが人となると話は違う。 軍人でもないガイはどうしようかと迷い、結局港の倉庫整理を手伝い、上の人間に口を利いてもらった。 ファブレ公爵家の使用人だと明かして船に乗せて欲しいと頼みこむ。決め手はファブレ公爵のサインが入った旅券の裏書きだった。 訳知り顔で話を聞き出そうとしてくる人をあしらいつつ、なんとか船に潜りこんだ。 本当に手間がかかる。ガイは思わず溜息をついてしまう。 だが、憎いお坊ちゃんの我儘に付き合って笑顔で遊び相手を務めたことに比べれば楽なものだ。 26日。 そうしてガイはカイツールの軍港から国境に向かい、無事国境を越えた。吹く風も土の匂いも何も変わらないが、それでも久しぶりに踏んだ故国の土は感慨深い。 そして、今、自分がガイ・セシルであることに嫌悪感を抱く。やるせなくなってその“ガイ・セシル”と書かれている旅券を破いてしまった。 長い間名乗っている名だが愛着はない。むしろ嫌いである。ガイ・セシルは復讐するために生まれた。そんな悲惨な過去などいらなかった。ホドで平和に暮らしていたかった。 ガイはセントビナーの宿の二階の窓から街の門を見つめていた。あの憎々しい赤い髪を自分が見逃すはずがない。 国境のカイツールに行くなら、その一歩手前のこの街に寄るはずだ。温室育ちのお坊ちゃんが野宿に耐えられるはずがない。 頼むから無事でいてくれよと、ガイは滅多に祈らないローレライに祈り、そして、見慣れた赤を見つけた。 イオンの護衛に抜擢されたアップルが到着するまでセントビナーで待つことになった。 軍艦と街のどちらが安全かというと軍艦だが、つい先日そこで戦闘があったばかりである。 マルクト国籍の軍艦を神託の盾騎士団が乗りまわす訳にも行かず、かといってマルクト軍にコントロールを返すのも躊躇われた。 傍に仕える護衛が少ない状況であるため、ただ高貴なものであるとだけ伝えて密かにセントビナー入りを果たす。 目端の利くものならすぐそれが誰であるか察するだろう。神託の盾を従えて六神将を供に出来る者。導師イオンその人である。 ルークの存在は殊更秘された。喧伝して歩くようなものではない。それでも、分かる者には分かる。 ガイはルークを見つけてから直ぐに窓を離れ扉に向かう。そして、宿の階段を降りようとしたところで遭遇した。「ルーク様。お探ししましたよ」 仰々しい護衛を連れているルークをからかうような口調でガイは言った。 ルークはその聞き覚えのある声に唖然として見上げ、その顔を見て破願する。「ガイッ! 来てくれたんだな!」「ご無事で何よりです、ルーク様。こうして再会できたことを嬉しく思います」 使用人としての言葉使いを改めないガイの様子にルークは痺れを切らす。 公爵家の一人息子と使用人という枠を越えた関係をルークはガイに望んでいた。「そんな他人行儀な喋り方は止めろっていっただろ? ここは屋敷じゃないんだ。口うるさいラムダスだっていないんだぜっ!?」 反射的に出たその声がいつもよりも大きかったのは、馴染みある顔に安心したからかもしれない。 いくらダアトに保護されたとしても、ティアが気を遣っているとしても、長年親しくしているガイに優る安心感はなかった。 ルークは護衛も気にせずに友人に駆け寄り旅の間のあれこれを喋り出す。それはルークのガイに対する信頼の表れだった。 ジェイドは一人セントビナーの軍基地を訪れた。ざっと見たところアニスはいないようである。 イオンとルークの受け入れを確認する伝令を勘違いしたのかもしれない。なんにしろ親書がなければ始まらないのだ。 ジェイドが顔を出すと先客が訪れているようだった。 彼、グレン・マクガヴァンはジェイドの顔を見ると露骨に嫌そうな顔した。反対にその父は大袈裟にジェイドを歓迎する。「おお! ジェイド坊やか!」 軍に入ったときから世話になっているが、その呼び方は変わらない。 もう30を越えているのに止めてくれと言っても、全く直す気配はないようだった。 ジェイドは諦めてそう呼ばれることにいちいち反応しないようにしている。「ご無沙汰しています。マクガヴァン元帥」 なんとなく慣れ親しんだ呼び方で呼ぶ。ちょっとした意趣返しのようなものだ。 引退してセントビナーに引っ込んだと言っても、屋敷を軍基地として提供して街の代表市民にまでなっている。 老マクガヴァンと呼ばれているが、ただの老人ではない。「わしはもう退役したんじゃ。そんな風に呼んでくれるな。 おまえさんこそ、そろそろ昇進を受け入れたらどうかね。本当ならその若さで大将までなっているだろうに」 老マクガヴァンは本心からそう述べた。 昇進の話を蹴らず順調に出世していたら、今回、生贄のように和平の使者に選ばれることもなかっただろう。 前線で指揮を取りたいとジェイドに大佐に留まっていられても、組織として良いことなど一つもない。 そろそろ部下に任せると言うことを学んでもいいはずだ。そうなれば、坊やから卒業できるかもしれないというのに。「どうでしょうか。大佐で十分身に余ると思っています」 ジェイドも本音で答える。ダアトによるタルタロス襲撃はジェイドの自信を打ちのめしていた。 幸い部下たちは生きていたが、死亡していた可能性も十分にある。死というものはよく分からないが、避けるべきものらしい。 昇進すれば預かる部隊の数も増える。死をよく理解できていない自分が他人の命を預かる訳にはいかないだろう。 そのジェイドの殊勝な返事に老マクガヴァンは渋い顔をした。 話を邪魔されたグレンは、「それで、いったい何の用だね?」と厳しい口調で尋ねる。 ジェイドはそれに堪えた様子もなく、導師守護役のアニスから手紙を預かっていないか訊いた。 検閲したというグレンの言葉も、「構いませんよ」とジェイドはさらりと流し、手渡された手紙の礼を言うと退出する。 その後ろ姿をグレンは苦々しい表情で見送り、声が届かない距離になると中断していた話を再開した。「父上! 本当に何もしなくて良いのですか? 彼に任せていてはむしろ戦争になりますっ」 導師を誘拐したという話に、タルタロスを襲撃されたという話。ローテルロー橋爆破の件にも関わっていると聞く。 和平の使者のはずなのに行く先々に破壊と争いの爪痕しか残さない。これでは保護しているルーク殿下の扱いも間違えそうだ。 和平の使者が戦争を齎すなんて冗談では済まされない。国境を越えてキムラスカに彼が行く前に何かするべきではないか。 声を荒げる息子に、老マクガヴァンは冷静に対応する。「これで良いのじゃ」「そんなっ。これではまるで戦争を――」 グレンはそこまで言いかけて途中で止めた。考えれば考えるほど頷ける。 和平を結ぼうとしているというのに減らない戦費。開発され続ける最新鋭の武器。続々と増える備蓄食糧。 先帝の時代と何も変わっていなかった。主戦派が先走っているだけだと、皇帝は平和を望んでいるのだと、そう思っていた。 だが、何もかもを冷静に受け止めている父の姿を見て、グレンは悟った。悟らざるを得なかった。 開戦。それが狙いなのだ。和平の使者の変更もないのだろう。マルクトはキムラスカを怒らせたいのだ。 だから父は彼を引き止めようとしていない。グレンは悔しげに拳を握る。「こうしなければならんと陛下が判断されたんじゃ」 老マクガヴァンは我が子を教え諭す。 納得できない部分があることは分かる。議会の連中を減らすために開戦すると聞いて初め自分も反対した。 そもそも自分が退役してセントビナーに隠居したのは、先帝と違う方針を取るピオニー陛下の邪魔にならないためだった。 主戦派が担ぎ出す神輿がいなければ少しは楽になるだろうと。 それに戦争はもうこりごりだった。運良く生き残って元帥とまで呼ばれるようになったが、そこまでの間に何人の友を失ったか。 平和の大切さは誰よりも分かっている。身に染みていた。 だからこそ、ピオニー陛下に老マクガヴァンは説得された。一回の戦争で数十年の平和が得られるのならば、その戦争は必要である。「平和とは、戦争と戦争の間の小休止でしかない。それでも平和は必要じゃ。長い平和がの。 今の陛下の地盤では、キムラスカとの間に和平を結べたとしても維持することはできん。陛下は十年先を見ておられる」 グレンは黙り込んだ。父の言うことは、ある意味正しかった。 ホド戦争に従軍したことのあるグレンは軍人ながら、いや、軍人だからこそ戦争を理解していた。 戦争は何もかもを奪い、多くの孤児と未亡人を生み出し、ときに人の心に闇を齎す。 夫の遺体に縋りついて泣き叫ぶ者が、幼い声で復讐してやると呟く者が生まれない未来のために血を流すと言われたら、何も言えない。 セントビナーの宿で、ルークは親友に良いことを教えてあげようとする。「ガイ。俺、分かっちまった。この街はノームが守ってるんだっ」 キラキラと瞳を輝かせているルークは、声を顰めようとして失敗していた。 ガイは突然精霊の名前を言いだしたルークについていけず、「はっ?」と聞き返す。 ルークは興奮冷めやらぬ様子で分かってくれないガイに詰め寄る。 記憶を失ってからもずっと傍にいてくれた人間だ。ルークは無意識のうちにガイに甘えていた。「俺、見たんだよ。ちっさくて、なんか髭っていうか髪とかすっげえ長いんだ。でも、喋ってたんだよっ」「ルーク、落ち着けって」 その説明でガイはその精霊の正体が分かった。そのノームらしきものは老マクガヴァンである。 彼は年を取り背が低い。そしてその豊かな白髪を腰の下まで伸ばし、白髭を蓄えている。遠目に見たらそう見えなくもないかもしれない。 いやいや、あの人はどっからどう見ても人間だろとガイは心の中で自分に突っ込む。 だが、興奮したルークはガイに構わず話を続けている。ガイは全てを諦めた。「街の大きな木の上にいたんだよ!」 老マクガヴァンは街の中心に立っているソイルの木の研究をしている。老後の楽しみのようなものだ。 セントビナーは花と木の街とも呼ばれている。その名の通り街は植物で溢れており、街とソイルの木は切っても切れない関係がある。 一度ソイルの木が枯れかけたとき、周辺の草木も枯れかけるという事態になった。ソイルの木の周辺でしか生えない植物もあり、グミもこの街でしか作られない。 ソイルの木は特別なのだ。老マクガヴァンはその秘密を探るため、ソイルの木に梯子をかけ近くで研究できるようにしている。 街の見物をしていたときにルークはその姿を見かけ、精霊だと信じてしまったようだ。「そうかそうか。ルークは精霊に会ったんだな」 良かったねえとガイは子供の夢を壊さないように相槌を打つ。 それも何度か繰り返しているとさすがのルークも気づくようだ。「あっ! ガイ信じてねーだろ」 深夜、宿の部屋でルークの声は響く。それは本当に友人同士の会話のようだった。