ローレライ教団のお膝元、ダアトの夜は首都ほどではないが、そこら辺の街よりは騒がしかった。 聖職者も憚ることなく酒を嗜む。教典には酒に溺れてはいけないと書かれてあるだけで、飲むなと書かれている訳ではない。節度を持って楽しめばいいのだ。 騎士団の者が大勢出入りするため、店はいつも繁盛している。暗い街中で、その一角だけが煌々と明かりを灯していた。 その中の明るく騒がしい場所から少し離れた場所の店内に、彼らはいた。 村に一人はいそうな青年が似合わない剣を佩いている。彼はローレライ教団第六師団長カンタビレ付副官、グレイその人だった。 二人連れの彼らは、店の片隅で顔を合わせながら何か話している。 どちらかというとお上品な部類に入るこの店では、店員も客も彼らの素性を予想できても目立った反応を見せるようなことはなかった。 グレイはビールを片手に目の前の同僚に意味深に告げる。「しかし、トリートさんが副官だなんて。今でも信じられませんよ」 酒の力もあってか、グレイは本心を述べた。 トリートは強い。ヴァン謡将の後釜、師団長候補の筆頭は彼だった。自分もその候補に入っていたが、それはありえないと分かっていた。 しかし予想とは異なり第四師団はバラバラになって、グレイは移籍してくる2000人の受け入れに駆けずり回ることになった。驚く暇もなかった。 新しい師団長は3人。妖獣のアリエッタ、烈風のシンク、それに魔弾のリグレット。トリートの名はなかった。 おいおい何の茶番だよ、と思わずにはいられなかった。グランツ謡将のお気に入りばかりである。 確かに彼らも強い。でも、と思ってしまうのは、カンタビレ師団長の影響を受けているからだろうか。「副官も悪くないです。楽しませてもらっていますよ」 まずそうに酒を飲むグレイにトリートはいつもの笑顔で答えた。 実際、楽しんでいる。以前からメキメキと頭角を現してきたシンクに関心はもっていたのだ。 あの怪しげな仮面といい、やけに彼を構う謡将といい、実に興味深い。何か近づく口実があればなと思っていた矢先の申し出だった。 本音を言えば、師団長なんて面倒だ。何より六神将なんて持て囃されて注目を浴びるのが嫌だ。下手に目立つと情報収集ができないではないか。 トリートは情報収集を趣味としている。それを仕事としている訳ではない。誰かに頼まれて何かを探るというのは性に合わなかった。 それに彼の熱意は自分の興味からしか生まれてこない。トリートは自然と趣味で楽しめる場所を職場とした。 トリートの琴線に触れるような個性的な人が多く、隠し事がありそうな場所。ダアトは最適だった。 教団の司祭と少し迷ったが、出世し易い神託の盾騎士団を最終的に選んだ。あからさまな偽名を見ると暴きたくなった。 その本名を知ろうと頑張り過ぎた過去は少し後悔しているが、おかげで副官に就けたので良しとしよう。 トリートは、優しげな声でグレイに質問をする。「最近、そちらはどうなんですか?」「いつもの地方回りですよ。……いつまでこうしていればいいんですかね」 グレイは、不安そうに呟いた。 こうしてトリートと飲むのも久しぶりだ。最近では、自分がカンタビレの代わりとしてダアトに報告に来る度に飲むようになった。 任務を終えたことを主席総長であるヴァンに報告すると、直ぐにまた同じような任務を与えられる。 カンタビレがそれだけ邪魔なのだろう。8000人に膨れ上がった兵士を維持するだけで精一杯だ。地方では実入りの良い任務を選ぶ余地もない。 徐々に騎士団からカンタビレの影響力は排除されていっている。ジリ貧だ。それが分かっていても為す術がない。 いつまで地方にいるのか。先の見えない未来に団員は不安がっている。カンタビレがそれを今は抑えているが、それもいつまでもつか。 グレイは手元の酒を呷った。嫌なことは飲んで忘れるに限る。「カンタビレ師団長は曲がったことが嫌いですから、なんとも。 ユリアの子孫と名高いグランツ謡将があの若さで主席総長であることが認められないんでしょう」 当分、ほとぼりが冷めるまで待つしかないでしょう、という意味を込めてトリートは告げた。 ヴァン・グランツ。詠師の義父を持ち、ユリアの血を継ぐ若者が神託の盾騎士団の頂点にいる。 これだけ揃えば、その肩書があったからこそその地位に就けたのだと考える者もいるだろう。実際、彼は自分の後ろ盾と血筋を最大限に利用している。 トリートはその狡猾な手腕に好感を覚えたが、逆に嫌悪感を抱くものもいただろう。カンタビレはその筆頭と言える。 神託の盾騎士団は、強さを求める。余計な権威や権力を持ちこんだ彼に反発心を抱くのもいるのだ。 剣士としての実力が伴っているからこそ表立って声を上げていないが、そこそこいることをトリートは把握していた。 カンタビレは彼の強さを認めている分、卑怯な手を使ったことが許せないのだろう。 確かにグランツ謡将の強さなら強引な手を使わなくても、そのうちその座の方から転がり込んできたはずだ。 何か焦っているのだろうか。調べることが一つ増えたなと思いつつトリートは、目の前の焼き魚の骨を取る。 なんにしろ、ある程度グランツ謡将の足場が固まるまで、彼に敵対的なカンタビレが戻ってくることはない。「はぁ……。俺、ラルゴさんの副官が良かったです」 グレイは、大きく溜息をついてから愚痴を零す。いつのまにか酒は度の強いものに変わっていた。 カンタビレの副官という立場は辛いようである。確かに7人の師団長のうち誰の下が楽かといえば、ラルゴだろうなとトリートも考えた。 黒獅子ラルゴの前職は、砂漠の傭兵。その場で荒くれどもを纏め上げる才覚と実力がなければならない。 書類仕事は若干苦手らしいが、一番まともに仕事をしていると言える。 死神ディストは論外だ。まず、地下から出てきてくれない。彼の過去は、直ぐに探れたのでトリートは真っ先に彼から興味を失った。 妖獣のアリエッタ。導師の不興を買ったのか、それとも他の理由があるのか。気にはなるが……。 魔物の世話も漏れなくついてくるとなると面倒だ。団員が20名しかいないというのもつまらない。 魔弾のリグレット、その後悔もある程度想像がつく。主席総長との間に何かあるらしいが、それを探るのは彼女の副官でなくても良い。 我が師団長は置いといて、鮮血のアッシュ。彼も気になる部分はあるが、君子危うきに近づかず。 国家がらみの陰謀には、個人で関わりたくはない。他に興味を持てる対象がいるならまずそっちを優先する。 残りのカンタビレとなると、絶対お断り。主席総長に嫌われて地方に飛ばされるなんて御免だ。 そんなことを考えているとはグレイに露とも悟らせず、トリートは彼にラルゴの副官になるために除かなければならない障害を教える。「しかし、ラルゴさんの副官になるならアップルさんに辞めて頂かなければなりませんね」 つまみのチーズを手に取り食べる。目の前のグレイは、そろそろ限界のようだ。 グレイは、今気付いたとでも言うように大声を上げる。「あぁ、しまったっ! こんなことを言ってたと知られたら、アップルちゃんに殺されるっ」 各師団長についている副官は、それぞれ納得してその師団長の補佐を務めることが多い。 特にラルゴの副官、アップルはラルゴに心酔している。恋愛感情というよりは、子供が親を慕っているようだ。アップルは見事に彼の欠点を補っている。 ラルゴは師団長の中で唯一譜術を使わない。そんな彼をサポートするようにアップルは譜術が巧みだ。書類仕事も彼女が采配を取っているらしい。良いバランスが取れている。 ミックスだってなんだかんだ言いながらもかいがいしくあの死神の世話をして、仕事をさせることに成功している。 第三師団のピーチは過保護と言って良いぐらい、アリエッタの側にいる。魔物も怖くないようだ。 リグレットとパインは元から友人同士。お互いフォローし合っているらしい。 特務師団はと考えて、トリートは平凡顔の男を思い出す。七人いる副官の中で一番の古株。年齢不詳の彼、特務師団長付副官レンジ。 副官につく人間も相応の強さが求められる。副官の得意とする武器の種類などは、自然と噂になり耳に入るものだ。だが、彼について自分は名前以外知らない。 今は師団長が六神将の鮮血のアッシュと言うこともあって一纏めにされているが、それまで特務師団は異色だった。 師団長個人が目立っている分、話題にならない師団の中身がより一層不気味に思えてくる。何かあるということは分かるが、それ以上は分からない。 謎が謎を呼ぶと言うが、謎が謎を隠していると言えば良いのだろうか。多分、特務師団には触れない方がいい。 考え込んでいるトリートにグレイはぽつりと訊ねる。「トリートさんは、どーなんですか? 彼の副官で良いんですかぁ?」 グレイは付け合わせのサラダを突きながら絡んできた。一向に皿の上は片付いていない。二人で飲んでいるといつもこうだ。 グレイが先に酔って、トリートに絡む。それをトリートがいつものようにさらりと流す。「彼の副官で良かったと思いますよ。ああ見えて結構、感情豊かなんです」 トリートは内緒ですよというように笑った。それを見てグレイは何も言えなくなる。 不満を言ってくれればまだいいのに、そんな笑顔でシンクについて語られたら師団長に相応しいのはトリートだと口にする訳にもいかない。 本当に優しくて、強い人だなとグレイはトリートに対して尊敬の念をさらに深めた。 他の師団と比べると、本当に第五師団の副官で良かったとトリートは思う。 他の師団長のように仕事をしないと言う訳でも、できないと言う訳でもない。 変に頼りにされるのも嫌いだし、近寄り過ぎるのも嫌いだ。その点、彼との距離はつかず離れず、適度である。 参報総長も兼任しているので自然と情報が集まり易い。師団長個人も興味深いし、その周囲も一癖二癖ある。 トリートにとって理想の環境である。当分、シンクの傍から離れたいとは思わない。「ご注文は以上でよろしいでしょうか?」 その声にトリートは、「ええ」と返事をする。 頼んでおいたデザートが並んでいる。眠たそうにしているグレイにはブドウのソルベを渡す。 トリートの前にはいつものクリームブリュレ。甘いものは別腹だ。 綺麗な焼き色が付いている表面をそっとスプーンで触れると抵抗がある。そこをぐっと進めてスプーンを差し込むとパリッと破れた。 最初の一口は、いつも楽しい。情報収集と同じだ。 人は皆、何か取り繕って生きている。その中身が知りたい。お綺麗な表の顔だけじゃなくて、醜悪な裏の顔を見てみたい。 真相を暴いて見せるのが一番楽しいだろうが、それをすると厄介になりそうなので収集するだけに留めている。 あの仮面の下に隠されているのは何か。それを考えるだけでぞくぞくしてくる。それを手に入れた瞬間は、きっと楽しいに違いない。 やっぱりこの生き方はやめられないなとカラメルを味わいながらトリートは微笑んだ。