なにも出来ていない自分に歯痒さを感じ始めていた頃、ティアは切っ掛けを掴んだ。 ティア、7歳のときのことである。 ユリアシティには隠し部屋があるという噂がある。 2000年の間に改築で埋もれてしまったらしいとか、故意に封印されたものがあるらしいとか実しやかに囁かれていた。 子供の視点だと大人には分からないものが見える。ティアは偶然その中の幾つかを発見し、隠れ家として利用していた。 兄の企みや未来のことについて書き記したノートを自分の部屋に置くのは躊躇われた。もちろん暗号、日本語で書いてある。 ちょこちょこと私物を持ち込み、その隠れ家はティアが一番リラックスできる場所に様変わりした。 ある日、隠れ家で譜歌の練習をしていたときのことだった。 第一譜歌を歌い終え、ふと目を開けると、部屋の壁に紋様が浮き上がっていたのである。 セフィロトの樹を模した図が描かれており、一見すると紫の花のように見えた。 ティアがおそるおそるそれに触れると、パリンとその紋様は砕け散って、地下への階段が現れた。 ティアは純粋に驚いた。こんな仕掛けはゲームになかったはずと。 けれども、迷うはずがない。足元を確かめながら下りていくとそこには広い空間があった。 パッセージリングのある空間のような幻想的な白と黒の意匠が浮かんでいる。 つるりとした壁一面に譜線が走り、中央には天井から一条の光が射し込んでいた。反射を利用して光を取りこめる構造になっているのだろう。 その光を囲むように10の鍵盤の様なキーボードがあり、楽譜を置く部分はパネルのようである。 建築するときに想定していなければ、この魔界の地下にこれほど広い空間は確保できないはずだ。 ティアは期待に胸を高鳴らせながら、中央へと足を進める。 すると中央の空間にノイズが走り、男性の顔のホログラムが映し出された。 そして、ティアを確認するとその緑の顔は言葉を発した。「 ・ ・ 封印が解けたのを確認しまシタ ・ ・ ・ スキャン開始 ・ ・ ・ ・ ・ ・ マスターの死亡を確認 ・ ・ ・ R765を適応 ・ ・ ・ ・ 監視者の権限は解呪者が引き継ぎマス ・ ・ ・ 名前をドウゾ ・ ・ 」 大小の譜陣が輝き出し、それぞれが右に左にと回転し始めた。 それは瞬く間に部屋中を埋め尽くして、それを実行しているのはこの不思議な存在だった。 ティアは呆然とそれを眺め、下手なSFのようだと思った。ハッと気を取り直し尋ねる。「あなたは何? それにその監視者って?」 機械的な声がティアの問いかけに答え、反響する。「 ・ ・ 私はオズ ・ ・ ・ 私は外殻大地のセフィロトの管理と監視を主な業務としてイマス ・ ・ ・ ・ 監視者とは私に指示を出す者のことデス ・ ・ ・ 名前をドウゾ ・ ・」 オズ。超古代文明都市トールの大型コンピュータである。 どうしてこんなところにあるのだろうかとティアは不思議で仕方なかった。 ある意味ユリアシティも遺跡のような存在だが、それでも奇妙に感じざるを得ない。 だが、確かに時空間転移までやってのけたオズならば、セフィロトの管理も不可能ではないだろう。 彼が味方になってくれれば心強い。その期待にティアの胸を高鳴った。 そして、唾を飲み込み自分の名を音にする。「私の名は、ティア」 綺麗な響き。昔の名など忘れた。 一生名乗ることもない、誰にも呼ばれることのない名は無いも同然である。 過去への憧憬は尽きないけれども、既に諦めている。 今の焦燥は、オズとの出会いが変えてくれるだろう。 未来への不安は絶え間なく続く。 それでも、ティアは兄を救う道を選んだ。闇の中を一人手探りの状態で今まさに進もうとしていた。 オズは、ただただ自分の職務を全うする。「 ・ ・ 監視者として“ティア”を承認 ・ ・ ・ マスター指示を ・ ・」 ティアはさっそく此処の空間に関する情報を求め、他の部屋のロックを解除させる。 開いた奥の扉に向かう途中、ティアは何かに躓いた。カランッと音が響いて息をのむ。 足元を見やると骸骨があった。窪んだ眼窩の穴が何か語りかけてくる。急に部屋の温度が下がった気がした。 どのくらいの間見つめ合っていたのか、舞い上がった埃にむせてティアは気を持ち直す。 この人はどのくらい前に亡くなったのだろうか。その疑問を解くためにも調べなければならないと決意する。 空調もそんなに利いていないせいで室内も埃が積もっていた。長い間誰もこの部屋に入っていないのは確かである。 ティアは本棚に並ぶ背表紙を見て適当に一冊手に取った。『アルバートの半生』と書いてある。 どうやらこの部屋の主はホドびいきだったようだ。他にもホドの料理本などがみられる。 本の内容から推測するに15世紀ごろまでここは使用されていたようだ。 そこまで調べると、ティアは机の上に並べてあった重要そうな本を掴み部屋を出る。 長い間姿を消していると心配させてしまう。ティアはそれなりの人間関係を築いていた。 そうして1カ月かけて通い、この隠された空間についておおよそのことが分かってきた。 この地下はパッセージリングを監視するためのものである。 パッセージリングに通じる道はダアト式封呪に、中の操作盤はユリア式封呪に、一斉操作についてはアルバート式封呪によって封印されている。 簡単にパッセージリングに入れるようにすると、敵国の手によって細工され魔界に落とされるかもしれないという危惧があった。 それをお互いに恐れたため、昔、堅く封印は施された。 パッセージリングは、いくら創世暦時代の力を全て注いだものといっても、所詮人工物に過ぎない。 人の手によって点検され補修される必要がある。そのことを一番理解していたのは科学者だったユリアだった。 彼女はこの街を作るときにパッセージリングの観測所としての機能を満たすようにした。 皮肉にも魔界という立地が全てのセフィロトを観測することを容易にしたのである。 そして、ユリアに助けられた人々はユリアの遺志に従いセフィロトを守るようになった。 外殻大地の主な大国の動向を見張りセフィロトに手を出していないか調べる。 そして観測所のデータを解析しパッセージリングに異常がないか調べる。 これらが監視者の街と呼ばれるようになった所以だろう。今では忘れ去られているが。 だが時が流れるにつれてただ見守ることに不満を持つものが出てきた。 彼らは教団に入り込み、魔界のユリアシティをひとつの都市国家として認知させようと企んだ。 タイミングのいいことに当時世界には火種があった。譜石帯より落下したユリアの譜石である。 1401年に彼らの期待通り譜石の所有権を巡って第一次国境戦争は勃発した。 彼らの誤算は余りにも戦争が大規模になりすぎたことだろう。 彼らは戦争のどさくさに紛れて秘預言(クローズドスコア)に詠まれている戦勝国に取り入り立国する予定だった。 しかし、機会を計っているうちにキムラスカとマルクトが小国を平らげていき、ユリアシティという小さな都市の出番はなくなったのである。 勢力が均衡しているときであったら盛大に出迎えられただろうが、大国となってしまった両国を相手に交渉などできるはずもない。 片手間の内に侵略され略奪されるだけだ。それは彼らの本意ではなかった。 意気揚々とユリアシティを出ていった彼らは、結局また隠れ住む生活に戻ったのである。 だが、彼らの行動は一つの問いを投げかけた。いつまで我々はここで監視を続けるのかと。 大多数は繁栄がもたらされるまでと答えた。疑心に駆られた者たちの問いは続く。 我々はその繁栄を享受できるのか。 それまでに預言が道を違えないと言い切れるのか。 そして、ユリアシティは真っ二つに割れた。 これまで通り見守ることに徹する人と、預言に背くものを矯正しようとする人に分かれる。 そのまま預言通りに第二次国境戦争が起こり、その最中に決定的な亀裂が入ったのである。 それまでこの二派は外殻大地組と魔界組に分かれて均衡を保っていたが、ある秘預言の一文が問題となった。 ND1503 キムラスカに三度嵐が起こり王は兵を引くだろう セフィロトの作用の副産物として天候の局地的な操作がある。 魔界からセフィロトを通じて周囲の音素に働きかけることで雨を降らせたり、風を起こしたりすることが理論上可能であるとされていた。 地表から離れているにもかかわらずダアトの火山が活発なのは、セフィロトを通じて音素を管理しているからだ。 これに目を付けたのが管理派である。彼らは預言の通りに嵐を起こそうとし、監視派はそれを阻止しようとした。 ここまでが部屋に残されていたフォルサリアリカの日記に書かれていたことだ。 ここからは推論になるが、おそらく管理派が勝利したのだろう。閉じられたままの封呪がこれを証明している。 監視派の目を盗んだのか、それとも他のところで彼らを排除したのか、とにかく管理派はオズまで辿りついた。 そして、コントロールに割り込みキムラスカに嵐を発生させることに成功する。 それに気づいたサリアは実行犯を殺し、コントロールを取り返した。しかし既にオズは命令を実行していた。 そこでサリアは範囲をできるだけ小規模に、発生地点を人の少ないところにと命令を追加した。それにより現在のイニスタ湿原ができた。 そのままサリアは部屋を封印し力尽きた。あとで気づいたが部屋にも階段にも血痕が残っていた。 記録を漁ってみると同時期にユリアシティで伝染病が発生したとある。死体から病が蔓延したのか、それとも殺した人間を伝染病と偽ったのか。 そうして多くの研究は失われ、預言が確実に遂行されるように管理する者たちの街となったのだろう。 ティアは少しだけ迷った。この事実はユリアシティの人々を混乱させてしまう。 此処にある研究内容だけでも持ち帰りたいが、そうするとその出所が問われる。どの道、此処の話をせざるを得ないだろう。 さすがに1500年分の研究である。これを解析すれば技術は一歩どころか三歩は確実に進むはずだ。 そして、この情報もティアの知識の裏付けとなり、大きな助けとなるだろう。 部屋の中央のセフィロトを示す十個の点のうち一つが黒く塗りつぶされ、二つが橙色に、一際目立つもう一つの赤は静かに点滅していた。 “耐用年数限界”と古代イスパニア語で書かれている。 やはり混乱を覚悟してでもこの事実は報せるべきだ。 ゲームでは主人公たちが飛びまわって何とか外殻大地を降下させたが、ティアはそんなに楽観的ではない。 保険はいくらかけても構わないし、サポートがあればあんな綱渡りのような真似をしなくてもいい。 それに一人では限界がある。ティアは仲間が欲しかった。 地下の私室で見つけた先祖、フォルサリアリカの日記を手に取りティアはテオドーロの部屋を目指した。 テオドーロの部屋はティアの部屋から一番近いところにある。兄が出ていってから彼も思うところがあったのだろう。 何も言わずただ見守っている。そういう存在が側にいてくれるだけで人は強くなれるものだ。 そして、その大切な保護者にティアは難題を持ち込もうとしていた。「おじいちゃん、今時間あるかしら?」「ティアか。……いや、大丈夫だ。入りなさい」 テオドーロは柔和な笑みを浮かべてティアを迎えた。 ティアは抱きかかえた日記を彼に渡し、読んで欲しいと頼む。これを読めばある程度のことは想像がつくだろう。 テオドーロはその意味深な態度にいぶかしげな顔をしつつも、その本を受け取った。読み進めるうちに彼の顔は険しくなってくる。 ティアは静かに席を立ちお茶を用意した。お茶請けはないが、もう夜遅くである。 ティアがテオドーロのところに戻ると、ちょうど読み終わったところのようだった。「ティア、これをどこで見つけたのだ?」「隠し部屋で。名前から直ぐに先祖だってわかったわ。他人の日記を読むのは悪趣味だと思ったけれど、興味があって」 ティアは、一息ついてカップに口をつける。テオドーロは、じっと黙って考え込んでいた。 ティアは、ユリアシティの市長であり、また詠師でもあるテオドーロなら自分が推測した以上のことを読んでいるかもしれないと思った。 結局ティアは知識として外殻大地を知っているだけで実際に見たわけではない。ダアトに関してもテオドーロの方が詳しい。 だからこそ、ティアはこれを期にテオドーロを味方にしたかった。ティアはおもむろに口を開く。「日記の内容から本来監視者というのは外殻大地の国家、もしくは組織がセフィロトに手を出さないように見張りをする役割を持っていたと推測できるわ。 表紙の年代から私たちは約500年その役割を放棄していた、と言えるでしょうね」 ティアは意識して“私たち”という単語を使った。ちらりとテオドーロの顔を窺う。 テオドーロは、じっと黙り静観を保っていた。何か反応して欲しいとティアは思い、率直に尋ねる。「おじいちゃんは、どう思う?」「……ふむ。市長というものをやっているといろいろなことに詳しくなってしまう。特にこのユリアシティのことならな。 500年前の疫病。実際にあったかもしれないが、そういった点に関してはこの街は厳しく管理している。何かあったのではないかと考えたこともあったよ」 閉鎖されたこの街で伝染病など流行ってしまえば最悪である。その予防には細心の注意を払っている。 しかし、ティアは500年前の真相についてテオドーロの意見を聞きたい訳ではなかった。 そのティアの視線を理解したからか、テオドーロは一言付け加える。「こんな理由が出てくるとは思わなかったがな。いやはや、どうしたものか」 テオドーロは顎をさすりながら手元の日記をペラリとめくった。「ユリアはこの街にセフィロトの監視を託したと書かれている。その遺志は大事にしたい。 だが500年。500年もの間、我々は預言に詠まれた未来へと人々を導いてきた。それが私たちの役割だと信じてきた。 私は市民の意思も大事にしたいと思っている。――複雑なところだな」 微妙なラインだ。だが、ユリアの遺志を尊重したいという言質は取った。あとはどうにかなるだろう。どうにかしてみせる。 ティアは、そう気合を入れて勢いよく椅子から立ち上がる。 ティアは、テオドーロの手を取ってついてきてほしいと歩きだした。寝静まった街に二人の足音だけが響く。 魔界の昼は薄暗く、夜はさらに暗い。そのせいかユリアシティの住人は時間に正確である。23時を過ぎて出歩くものはいない。 こっちというティアの案内の声は、静寂に満ちた空間でやけに大きく聞こえた。 隠し部屋に置いていた私物は、随分と前に他の場所に移していた。 二人は、大人には少し厳しい隙間をくぐりぬけて、部屋の前に辿りつく。 階段を降りた先の光景にテオドーロは、思わず叫ぶ。「これはっ。こんなものが街の地下に眠っていようとは!」 テオドーロは、驚きと興奮を隠しきれない。オズの側に駆け寄り辺りを見まわしている。 そんな彼にオズは無反応だった。ティアはテオドーロが落ち着くのを片隅で待つ。 それに気づいたのか、テオドーロはコホンとひとつ咳払いをして、不思議そうにティアの名を呼びながら振り返る。「これを見て。おじいちゃん」 ティアはオズに命じてオールドランドのホログラムを映し、その地図の赤い点を指差した。 テオドーロはそれに驚きながら説明を求める。「此処がアクゼリュス。この黒い点がホドだったところ。 ホドが落ちたせいで周囲に想定以上の負荷がかかっているのよ。――もう限界だわ」 ティアは背伸びをして手元の画面を操作し、警告画面をテオドーロにも見やすいようにした。 テオドーロはその文字の意味をようやく理解して息を飲む。嘘だろうと言うように画面を見入っていた。 ティアは、そこにたたみかけるように告げる。「このままだと外殻大地はもたないわ。初めにアクゼリュスが、その次はシュレーの丘かしら? いまはとても危ういバランスの上に成り立っているの。ちょっとした切っ掛けで全てが崩れ落ちるでしょうね」「まさかそんな……。それは、本当なのか?」 テオドーロは、壁を支えにしながら信じたくないというように呟いた。 ティアは、冷めた目でそんなテオドーロを見ていた。彼も兄を復讐に走らせた一人である。 ここで自分が全て冗談だと言えば藁にすがるようにその言葉だけを信じるのだろうか。 そうしてみたい欲求を抑え、ティアは優しげな声でテオドーロに真実を伝える。「ホドを落としたときから全てが始まってしまったのよ」 テオドーロは愕然として、項垂れた。床に座り込み何かに慈悲を乞う。 ホド崩落について詠まれた秘預言でも思い出しているのだろうか。ティアは今更何を、と思った。 この義理の祖父が嫌いなわけではない。けれどもテオドーロを憎いと思うのは止められなかった。 預言という一言で全てを肯定した彼の言葉が、兄の憎悪を預言に向かわせたのである。 ホドを落としたときから兄の復讐は始まった。 その瞬間に滅亡へのカウントダウンが鳴り響いた。 外殻大地の崩落か。 兄の復讐の成就か。 それとも、繁栄の後の滅亡か。 本当に道のりは険しい。そのためにも味方が必要なのだ。 少なくとも外殻大地を降下させるまでは信頼できる人が欲しい。 ささやくようにティアは言葉を重ねる。「おじいちゃん、力を貸してくれないかしら? 外殻大地を守らなければならないの。ユリアの遺志を守るために、――そのために私たちがいるのよね?」 テオドーロは、その声に縋るように首を縦に振った。