「ですから、イオン様。食糧泥棒はチーグルだと判明したからといって、それに何の意味があるんです?」 ジェイドはいつものようにやれやれと肩を竦めそうになり、導師の顰蹙を買ってはいけないと我慢する。 目の前にいるのがピオニーであれば躊躇いもせず、「ご自分の立場をご存知ですか」という一言も付け加えていただろう。 ピオニーは人を巻き込むのが上手い。ジェイドも傍観者だったのに共犯にされ、否応なしに彼の手伝いをしていることがしばしばある。 それでも仕方ないかと思うだけなのは、彼が幼馴染みのままだからだ。皇帝になっても、彼の気質は変わらなかった。 だから、自分は未だに面倒だと思いつつも彼から距離を取ろうとしないのだろうなとジェイドは自己分析をしてみる。 一方、イオンはジェイドを見上げ、彼の協力を求めていた。村の人々が被害を受けているなら放っておけない。 被害を与えているのがローレライ教団で聖獣とされているチーグルなら尚更である。 自分は導師なのだから、誰かを見捨てることなどできない。村人もチーグルも救いたい。 ダアトを飛び出して一歩踏み出したつもりでいるイオンは使命感に燃えていた。彼は、いわゆる反抗期の子供のようだった。「チーグルは草食です。村の食べ物を盗むだなんて、きっと何か理由があるはずです」 儚げな容貌で声を震わせながら訴える様は、思わず助けたくなりそうである。 だが、ジェイドはその庇護欲をそそるイオンに心動かされはしなかった。冷静にイオンを見下ろす。 タルタロスを降りてから導師が何かうろうろしていたのは知っていた。狭い軍艦に居たのである。息抜きも必要だ。 傍に守護役のアニスが就いているなら大丈夫だろうと思っていたのだが、自分が楽観的だったようである。 貴人とは大人しいものだと、ピオニーのような皇帝は規格外であるという認識を改める必要がありそうだ。 この、根が素直そうな導師が村の騒動に首を突っ込み、一人で納屋を隅々まで探し、チーグルの毛を見つけるとは思いもしなかった。 ジェイドは穏やかな声音でイオンを諭そうとする。「だから、兵を出せとでも仰るのですか? イオン様。私たちは密命を受けて此処にいるのですよ」 タルタロスは通常400名で動かしているが、今回は情報が漏れることを危惧して半数の200名で動かしている。 部下たちは疲労しているだろう。それをできるだけ少なくするのが上司である自分の務めだ。森の探索に人を割けば、その分彼らの苦労は増える。 食糧泥棒という問題は確かに見過ごすことはできないが、何も自分たちが解決しなければならないことではない。 それに、イオンの話は全て憶測でしかない。近くのセントビナーにでも手紙を書いて、言付けを残すぐらいで十分だろう。 そもそもジェイドは和平の使者という密命を受けている。エンゲーブに寄ったのも補給と和平の親書を受け取るためである。 和平の反対派がいることはジェイドも重々承知している。だからこそ漆黒の翼を追いまわすような派手なこともして見せた。 皇帝の名代であるジェイドと皇帝の親書が揃わなければ、キムラスカに和平を申し出ることは叶わない。妨害が入ることは想定済みである。 そして、突き詰めれば紙きれでしかない親書と自分を天秤にかけて、ジェイドは自分を囮にすることにした。 タルタロスという目印に乗り込んでいる皇帝と親しい死霊使い。反対派には申し分ない餌だろう。 ジェイドが目立てば目立つほどグランコクマからエンゲーブに東回りで送られてくる親書の安全性は高まる。 エンゲーブで親書を手にして和平の使者を正式に名乗ることができるようになれば、後は時間との勝負である。 さっさと国境を越え、バチカル入りした方が勝ちだ。その点では漆黒の翼が橋を落としたことで少し困ったことになりそうである。 エンゲーブからキムラスカに至る道は、西の橋を渡りケセドニアを経由する道とそのまま南下してカイツールを経由する道の二つだ。 ジェイドはその場で状況を判断して適切な方を選ぶつもりだったが、これで選択肢はなくなってしまった。 反対派に嗅ぎつけられて何かされる前にカイツールへと急ぐ必要が一段と増した。もたもたしている暇はない。「チーグルは教団の聖獣なんですっ。ジェイド、僕の話を聞いて下さい」 イオンは取り合おうとしないジェイドを引き止めた。村長であるローズの家の一角でイオンの要請は続く。 ジェイドは先程この家を訪れた新しい客の気配に気付いていたものの、扉に背を向けていたのでその姿を見ることはなかった。 二人が食事を食べていた間にイオンは先んじてローズの家に着いていたのだろう。 ティアは手紙を書きながらその一部始終を聞いていた。どうしても耳に入ってしまう。ルークのペンは二人が何かを言う度に止まる。 ティアはルークの信頼を得ることを優先し、彼らに接触することはしなかった。この様子なら、明日チーグルの森に行けば接触できそうである。 イオンの切々とした声が響く空間は、何処となく居心地が悪い。その中で村のまとめ役であるローズは自然体だった。 お忍びの若様や軍人を探っても良いことなどありはしない。ローズは見ざる、言わざる、聞かざるを実行して、そつなく対応した。 ルークは手紙の最後にルーク・フォン・ファブレとサインして、公爵家の家紋の入ったボタンを包んでいく。 ティアもダアトへの報告書をまとめた。事の経緯と予測と思わぬ導師との接触について書き連ねる。 インクが乾くのを待ち、小さく畳んで筒に入れると鳩はすぐに飛び立っていった。 用を済ませるとルークはそそくさとその場を離れようとする。ティアは慌ててその後を着いていった。 道すがら確認しておいた宿へとルークは一直線に目指す。何か言いたそうなティアを無視して宿に入った。 宿の人に何も言わず休もうとするルークをティアは押し留め、部屋を取る。 部屋に入るとルークはドサッとベッドに腰掛け、「あーッ、もうっ!」と頭を掻きむしった。 ルークは苛々していた。目立ちたくないと思い、質問するのも控えていたのである。 本当はいろんな物に触ってみたかった。いろんな人に話しかけてみたかった。 我慢を強いられて、ぐっと耐えて、『心配しないでくれ』と連絡しようとした矢先の出来事である。 昨日抱いていた些細な感情はストレスで大きくなる。ルークは声高にティアを問い質す。「何なんだよ、あれっ! 導師は行方不明なんじゃねーかよ!?」 導師が行方不明になったから、ヴァン師匠はダアトに帰らなければならなくなったのだ。 行方不明というからてっきり何か賊とかに浚われたのかと思っていた。 なのに、その導師は素知らぬ顔でマルクトの軍人なんかと一緒にいた。「あれって、導師イオンだよな?」 ルークは思わず、ティアに確認した。見間違いで、自分の勘違いであって欲しかった。 導師の衣装は彼以外着ることが許されない。見る人が見れば直ぐに分かるデザインだ。そして、彼は音叉を模した錫杖も手にしていた。 導師イオンに他ならない。分かっていても訊ねずにはいられなかった。 ティアはシンクの素顔も見たことがある。遠目ならともかく、同じ家の中にいて間違う訳がない。首を縦に振り肯定する。「彼は導師よ」 ルークは「マジかよ」と呻く。そして、いくつもの疑問が浮かび上がってくる。 ダアトで行方不明とされている導師が何故、こんな村にいるのか。 何故、マルクトの軍人と親しくしているのか。 彼らの言っていた密命とは何なのか。 納得のいく答えが見つからずルークは唸り、弱音を漏らす。「意味分かんねーよ。……何が起こってるって言うんだ?」 ティアは考え込んでいるルークの邪魔はしない方が良いだろうと判断して、荷物の整理をしていた。 いくら悩んでも、実は導師が誘拐犯と意気投合して脱走したとは考えつかないだろう。 そして、その導師の行方不明から和平には普通、結びつかない。事実は小説よりも奇なりってこのことかしらとティアは考えた。 ルークが悩んでいる間に日は沈み、宿の人がノックをして夕飯の時刻を告げた。 エンゲーブは農業を中心とした村なので食堂などの施設が少ない。この時間に食事を提供する場所となると酒場になる。 さすがにルークをそこに連れていくのは躊躇われた。宿の人が用意してくれた食事を口にする。 夕食は素朴な煮込み料理であった。パンにチーズが並び、温野菜が彩りを添えている。 ルークは宿の人の目があったので、余り話さずに料理を味わっていた。 食事を終えると、ルークは部屋でティアにちょっとした質問をし始めた。 村で見た大きな輪が水車なのか。地面に並べてあったのは売り物なのか。 畑ではどんな風に収穫しているのか。ブウサギは何を食べるのか。 毎日、家族そろって食事をするのか。小さな子供も働いているのか。 その中にはティアも分からず、答えられないこともあった。ルークの関心は多岐にわたり、話はあっちこっちに飛ぶ。 そして、ふとルークはティアに疑問に思っていたことを尋ねた。「なあ、ティアはあそこで導師を放っておいて良かったのか?」 ティアはダアトの者だ。制服を着ているし、ヴァン師匠を訪ねてきたのだから違いない。 ダアトが導師を捜索しているのなら、ティアは導師を保護しなければならなかったのではないだろうか。「えっ?」 ティアはいまいちルークの問いかけの意味が分からず聞き返した。「だから、ティアは行方不明中の導師をどうにかしなくていいのかって聞いてるんだよ!」「ああ、そういうことね」 ティアは導師にジェイドが何かするとは思っていなかったのでたいした心配をしていなかった。 それに加えて、ティアはまだ目の前の思慮深いルークに慣れずにいた。正直、いま怒鳴られて内心ホッとしている。 長年の先入観というのは拭えないものだ。アッシュの顔を知らなかったら今でも偽者だと疑っていただろう。「大丈夫よ。きちんと報告書にも書いたから。 それに、あそこにいた軍人はジェイドと呼ばれていたじゃない? 私では敵わないわ」 ルークはティアの大丈夫という一言に安心して、また質問を続ける。「ジェイドって、凄い奴なのか?」 ティアの告げた名前に首を傾げるルークに苦笑しながら、ティアは答える。「六つの属性を扱うことができる凄腕の譜術師よ。それに、科学者としても新しい理論を打ち立てた程の稀代の天才。 どちらにしても私では相手にならないわ」 ティアがジェイドに優っている点と言えば、第七音素を扱えるというところぐらいだろう。 それも先天的資質の問題である。ティアは悩ましげな溜息を漏らした。 ルークはあの場に居た軍人の新たな情報に頭を悩ませる。密命に関係あるのだろうか。 依然としてルークは目の前の謎を解くことはできずにいた。 ティアはいつまで経っても休む様子のないルークに呆れた声で話しかける。「別に何だっていいじゃない。ルークは五体満足でバチカルに帰ることが一番の目的でしょう?」「そりゃそうだけど、気になって仕方ねえんだよ」 一向に諦める気配のないルークにティアはしょうがないわねと言うように肩をすくめた。そして、もう寝るようにとルークをベッドに追い立てる。 明日、近くの森でチーグルを探そうとしているイオンと合流できれば、自ずと答えを知るだろう。 ダアトに送った手紙には導師は大佐と親密であり、脅迫されている様子は見られなかったとも書いている。 兄がバチカルに留められている以上、オラクルの采配はリグレットかシンクがとっているはずだ。 導師の無事が分からない今なら、万が一の時のためにシンクはダアトを離れない。おそらくリグレットが導師奪還の指揮を執るだろう。 彼女がタルタロスの乗組員の口封じをしようとしたら、何とか説得を試みよう。非はマルクト側にあるとはいえ、皆殺しは穏やかでない。 そう考えるとティアは、毛布を被ったまま起きているルークに一言告げて部屋の明かりを消す。 「おやすみ」というティアの声にルークは一拍置いてから、「おやすみ」と返事をした。 その夜、キムラスカ―マルクト間の連絡は近年稀に見るほど多かった。同様にダアト―マルクト間の連絡も忙しない。 だが、一番多かったのはダアト―キムラスカ間の連絡だった。鳩と魔物を駆使した遣り取りは絶え間なかった。 公爵家からルークが消えて、バチカルは騒然となった。第七音素の収束点はマルクトのタタル渓谷。 そもそも擬似超振動が発生した場合、その原因である第七音素譜術師は分解されたままである。再構成された例はない。 半ばルークの死を覚悟していた。それでもタタル渓谷は鉱山の街ではないということにクリムゾンは縋っていた。 インゴベルトは秘預言に詠まれた場所以外でルークが死ぬはずがないと、ルークの生存を確認しようとする。 その場に居合わせたヴァンは当然ダアトに帰還する訳にもいかず、バチカルに留まることになった。 そして、ヴァンは導師の救出とルークの身の安全の確保を目的に互いに協力しないかと提案したのである。 ティアとルークが互いに自己紹介をしていたとき、ダアトとキムラスカは極秘の会談を行った。 そこでダアトはイオンを、キムラスカはルークをマルクトから救出するために協力することに合意した。 キムラスカはダアトから導師捜索のための神託の盾騎士団員を受け入れる。 ダアトはマルクト領内で導師捜索と同時にルークの捜索も行う。 明くる日、ダアトは正式にキムラスカ、マルクト両国に神託の盾騎士団の受け入れを要請する。 すぐにキムラスカは受け入れを許可し、マルクトもそれに倣った。 ダアトは、タルタロスに囚われている導師を取り返さなければならない。 導師を誘拐し、その引き換えに何らかの取り決めを強請る。それが罷り通るという前例を作ってはいけない。 そのためには、どうにかしてマルクトに神託の盾騎士団を送り込まなければならなかった。 マルクトが拒否できない状況を作るためにキムラスカの協力を取り付けた。その代償が秘預言に詠まれている聖なる焔の光の保護なら容易いものである。 マルクトの『導師捜索に協力する』という回答を拡大解釈して陸艦に乗り込む予定である。 橋が落とされたという情報も入り、タルタロスの位置はほぼ掴めていた。そこにティアからの連絡が入る。 ユリアの子孫であるティアも手放したくない存在だった。共に行動しているのならば願ったり叶ったりである。 エンゲーブに逗留するなら、導師を奪還した後に二人を回収すれば良いだろうと考えた。 キムラスカは、繁栄を確約してくれるルークを鉱山の街以外で死なせる訳にはいかない。 敵国から何とかして救う必要がある。だが、マルクトにキムラスカの人員を送ることは開戦を誘発するだろう。 マルクトとの戦いで勝つことも、その後の繁栄もルークが鉱山の街で消えてからの話である。開戦はまだ早い。 ダアトの者がルークを探してくれるのならばありがたい。導師捜索中に“偶然”発見して、保護してくれるだろう。 それとは別にマルクトにもルークの保護を要請しておく。マルクトがルークを保護すれば借りを作る羽目になるが、戦争で勝てば良いのだ。 もちろんルークが擬似超振動によって亡くなっていたらマルクトの手によってルークは殺されたとして、弔い合戦を始めるつもりである。 そこにルークから無事の知らせが届く。インゴベルトもクリムゾンも喜んだ。前者はこれで繁栄が訪れると、後者は息子が生きていて良かったと。 ヴァンは安堵した。そして、ルークとティアが奇跡的に助かりエンゲーブで導師と遭遇したという符号に引っかかりを覚える。 預言のように、何もかもが仕組まれている気がしてならなかった。 マルクトは、『平和を望んでいる』という看板を守るためにそれらの要請を断ることができなかった。 導師を蔑ろにする訳にはいかず、キムラスカが兵の受け入れを許可した以上、拒否すれば疾しいところがあると見做されてしまう。 また表向きキムラスカに和平を申し出ようとしているのだから、相手国の第3王位継承者を粗略に扱うこともできない。 何が悪かったかと言えば、タイミングが悪かったとしか言いようがない。 もしもティアたちがマルクトに降り立ったのが和平の使者を送り出す前ならば、ジェイドは導師を誘拐するような真似などしなかっただろう。 反対に和平の使者がキムラスカに到着した後のことであれば、ルークを人質にするなり、殺害するなり好きに出来た。 あるいはジェイドがもっとグランコクマと連絡を密にとっていれば、こうはならなかったかもしれない。 全てマルクトにとって踏んだり蹴ったりの内容である。だが、それがある意味マルクトを救うことに繋がるのだからおかしなものである。 ジェイドが暴挙とも言える行動をとらなければ、第七譜石に詠まれている通りに諸々は進み、マルクトは玉座を最後の皇帝の血で濡らすことになる。 第七音素を観測しているオズに擬似超振動の発生を知らされた彼らは、いち早く二人が生きていることを確認した。 そして、その二人がティアとレプリカルークと知り、この奇跡はローレライが自分たちの行動を後押ししているからではないかと考えた。 その間にもユリアの子孫とレプリカルークは、レプリカイオンとレプリカの生みの親にエンゲーブで遭遇することとなる。 この広いオールドラントで四人が出会うことなどそう無いだろう。2018年はもう始まっている。彼らはそう思ったのである。