魔界にいる子供は少ない。 閉ざされた空間で2000年も過ごしていると監視者として地の底でじっとしているのを嫌がる者も出てくる。 狭苦しいところには戻りたくないとダアトから帰ってこない者もいた。 子供は青空の下で育てる方がいいとケセドニアへ出て行った者もいた。 そうでなくても約3000人というユリアシティの人口は緩やかに、しかし確実に減ってきている。 だから、住民は子供をことさら大事にする。その一環として託児所の存在があった。 狭いこの街では男も女も何かしらの仕事を任されている。満足に子供の面倒が見れない家庭ではこの助けを借りていた。 ティアも両親が居らず、義祖父が忙しいということで託児所に預けられていた。 ファリアはそうしてできた託児所に勤めていた一人である。 ふわふわの緑の髪は肩まであって、黒縁の眼鏡を掛けている。 おっとりとした様子でちゃんと子供の言い分を聞いてくれるのでいつも数名に囲まれていた。 そのときティアは演技を止めた直後で、まだ周りの人は兄がいなくなって無理をしていると思っていたころだった。 ファリアも「寂しいときは泣いていいんですよ」と自分の話をした。 ファリアはユリアシティの生まれではない。マルクトのグランコクマで普通に産まれ、普通に育った。 父は戦争で亡くなっており母子二人で生活していた。魔界出身の母は寝物語に魔界の話をしてくれた。 そのままであればファリアが魔界に足を踏み入れる予定などなかった。 母はどうやって行き来できるかなんて口にしなかったし、彼女にとってその話はお伽話のようなものだった。 事が起きたのはファリアが19歳のとき。 ファリアは訪れた研究所で見てはいけないものを見てしまい、追われる立場となってしまったのである。 逃げ込んだ地下の下水道で出会ったのがスタンとルーティ、そしてマリーという三人の冒険者だった。 そして、母を軍に殺されたファリアはそのままケセドニアに逃れ母の故郷、ユリアシティを頼ることにしたのである。 その後、国をまたいで紆余曲折ありながらも無事に四人はユリアシティに辿り着いたのだった。 ファリアはその当時は必死だったことをときに面白おかしく、ときに勇猛果敢な勇者の話のように抑揚をつけながら語った。 スタンとルーティの掛け合い、ケセドニアで会った流浪の民、夜中に国境を越えようとしたこと、バチカルでの姉弟喧嘩。 パダミヤ大陸の青い海で泳いだこと、マリーのおいしい料理、ダアトの図書館の本の量、どれもこれも最後は笑顔で締めくくられた。 ティアが興味津々で聞くのでファリアは長い話をした。 ティアはその話をじっと聞きながら考え事をしていた。 テイルズシリーズはどこかでつながっている。 例えば海賊アイフリード。どの世界にもアイフリードの宝はあった。 それはどの世界にもアイフリードがいて、海賊になって、大成したということを意味する。 ファリアは名前こそ少し違うがそういうことだろう。どの世界でも彼らは出会い旅をする。それを運命と人は呼ぶのだ。 世界が違えばジルクリスト姉弟が憎まれ口を叩き合いながら仲良くやっていることもあるのだろう。 ファリアの容姿も言われてみればフィリアそっくりである。肩に付くぐらいの浅葱色でふわふわの髪を伸ばして、三つ編みにすればフィリアだ。 つい髪についてティアが尋ねるとファリアは、「逃亡していたときに切ってしまいましたの」とはにかみながら答えた。 このことを心に留めながら歴史書をめくればお馴染みの名前が出てくる。 導師コレット。その導師守護役(フォンマスターガーディアン)ロイド。マルクト帝国公爵ゼロス。 468年に突如マルクト公国はキムラスカ王国から独立を宣言。 それから半世紀、両国は緊張関係にあったが時の導師コレットがマルクト帝国のロイド公爵の要請を受けて二国を訪問。 ローレライ教団の介入によってキムラスカ王国はマルクト帝国の独立を承認。そしてその礼として510年に教団はマルクト帝国領内に自治区を得た。 教団が世界に広まる足がかりを作った偉大な導師とコレットの名は残されている。 他にマルクト帝国には譜術に長けたモリスン家という家系がある。 また、ユリアの子孫の家系図を辿っていけば、フィルミントルラの名があった。 創世暦時代の書物にはハロルド・ベルセリオスの著書がある。ちなみに喋る剣は作成されていないようだった。 そのせいかフロート戦争であっさりとフロート計画に積極的だった国々は負けた。 その軍を率いていたのはリトラー司令で、敵のイスパニア国の王の名前はミクトランである。 どうやら時代ごとにシリーズが違うようだった。 ファリアがいることから2000年ごろの今はTODの時代と言えるのだろう。 このことに気づいてティアはファリアを信用することに決めた。彼女の性格は思い描いていたそのままだった。その強さも。 四英雄とまで謳われた彼女なら兄を救い、その上世界の危機をどうにかするという自分の望みの助けになるかもしれない。 ファリアに調合を習い、護身術を習い、まさにファリアはティアの師匠だった。 その師匠の影響もあり、ティアは5歳にして白衣を纏っていた。 ティアが研究に走ったのは、RPG的要素と科学的要素がどう折り合いをつけているのかが気になったからである。 他の人間には音素も一つの要素に過ぎないが、ティアにしてみればまさにファンタジーなのだ。 基礎から学び、前世で仕舞い込んでいた数学や科学をなんとか引き出しながら真剣に学んだ。 その習得の速さは教えていたファリアも驚くほどだったが、本人にしてみれば水兵さんの歌を思い出しているのであって特筆すべきことではない。 それよりも子供の脳が柔らかいということを実感し、子供は天才という言葉に納得していた。 そのティアの熱意はやがてくる未来、障気に侵されることを見据えてのことである。 いずれパッセージリングの操作盤を起動させなければならない。それは確定だった。 だがそのとき障気も取り込んでしまうのである。私だけではなく兄までも。 調べてみたが根本的な治療法はなく、薬はあるがそれも副作用が酷かった。 いまある中和薬は六種類の薬草などを混ぜて飲むものだ。それは体内にある障気を吸着して身体の外に出す。だが完璧ではない。 障気はガン細胞のようなもので、少しでも残っていたら危険なのだ。治ったと思ったあとに、ぶり返すことがある。 だから、薬を飲み続けるだけでは治療は終わらない。最後に劇薬を服用し障気に侵された部分を壊すのだ。 つまりは障気障害に罹れば確実に寿命は縮むということである。この世界の平均寿命は約70歳。 だというのに、この治療では治っても40歳ぐらいまでしか生きられない。ことごとく内臓がやられて早死してしまうのだ。 発見が遅ければ反比例するように生存率は下がる。本当に忌々しい病である。 悲しいかな外科技術は発達していなかった。医学も宗教の影響を受けずにはいられない。 ローレライ教団において第七音素は特別なものであり、医療行為は専ら譜術師による治癒を推奨している。 治癒は基本的に外傷には効きやすいが病気には余り効果がない。 自ずと内科に分類される分野が伸び、切除するとか成形するといった行為は狂気の沙汰なのだ。 そもそも麻酔にあたるものがない。麻薬はあるのだが、それは医療用ではなくいわゆるドラッグとして利用されている。 だから瘴気に侵された患部を摘出するという選択肢はない。薬による治療が現在の最高の医療なのだ。 それならばと一念発起してティアはファリアを巻き込んで薬の開発に取り掛かった。 まずは障気を解明することから手をつけた。 障気が発生してから2000年経っているが、驚くほど研究が進んでいない。 それは外殻大地を蓋として瘴気を閉じ込め、問題を先送りした弊害である。 外殻に逃れた側からしてみれば障気の脅威は過ぎ去ったものなのだ。 そして障気のことを口にすれば自ずと魔界に敗戦国の人間を置き去りにしたという事実が顔を出す。 罪悪感や国家機密などの障害があり障気という問題は歴史に埋もれ、もはや物語に過ぎない。 かといってユリアシティの住民にとってみれば、障気は生まれたときから存在するもので、どうにかするという気も起きない対象なのである。 創世暦時代の人間が必死で努力した結果が隔離なのだから。 ティアはそれでも諦めるわけにはいかなかった。障気をどうにかできなくても、障気障害にかかった人間をどうにかしたい。 自分たち兄妹の未来がかかっているのだから真剣である。そうして他の勉強と並行しながら1年がたった。「ファリア。何がいけないのかしら?」 ティアは落胆した様子を隠さずファリアに尋ねた。 初め師匠だからとティアはファリアに対して敬語を使っていたが、見た目幼女から敬語を使われたら気味が悪い。 ファリアは早々にこれまで通りに話すように要請した。ティアの目覚ましい成長もあって二人の間の会話だけを聞けば同年代の同僚のようである。「そういわれましても……。そもそも障気障害は不治の病ですから」「タタル草、フーブラス草、ねこにん草、キノコも試したの。虫の羽根、グリフィンの爪、バジリスクの鱗、聖水まで。……どれも効果がなかった」 ティアはフラスコをじっと見つめながら大きく息を吐く。 思いつく限り特別な効果があった気がするものを取り寄せて調べてみた。 いっそ諦めるべきかとも思う。だが、ここで躓いていては兄を救うなど絵空事になってしまうと思うのだ。 ファリアは落ち込んでいるティアをどう励まそうかと悩んだ。そもそも障気障害をどうにかしようというのが無茶無謀なのである。 1年でどうにかできるものではない。そうだというのに隈ができるまで実験に懸かりきりだ。 6歳児なのに。せめて休息をもっと取るべきである。ファリアはそっとティアに休むように進言した。 ティアはファリアの言うことも尤もだと思い、一度部屋に戻りシャワーを浴びて庭に出た。 ティアの部屋からは庭に直通である。これは贔屓にも程があるだろうと一度テオドーロに聞いてみたことがある。 彼が言うには「ティアの部屋は居住区画から離れたところにあり、憩いが足りないから」だそうだが。 確かに居住区画には大きな公園があり植物も多い。だがそういうなら部屋を変えてもらった方が早いと思う。 そういうわけにはいかない理由があるのだろうが、この特別扱いには少し気後れしてしまう。ユリアの子孫というのも疲れるものだ。 セレニアの白い花が揺れる。一日中薄暗い魔界では夜行性のこの花は咲き放題である。思い思いの時間に花開く。 ティアはいつかのシーンを思い出し、スロープの縁に腰掛けてユリアの譜歌を歌う。 第七音素が譜歌に惹かれて一筋の線を残す。 第七音素の素養があるティアには、それがはっきり見えた。蛍の様である。 咲き誇る花から光がティアの周りで輪を描く。そっとティアが指を差し出すとじゃれるようにからみついた。 もっと歌ってとせがむように、音に合わせて光はティアの周りを舞う。いつの間にかティアは光に包まれており、思わず笑みをこぼした。(きれい。でも、どうしてかしら? 魔界には音素が届かないのに、第七音素がこんなにも……ッ!) ティアは歌を口ずさむのをやめて、そっと花に手をかける。 フォンスロットを開いて意識を向けると花は第七音素を多量に含んでいた。 それを確認するとティアは手で土を掘り始めた。部屋に戻れば適した道具があるのだがその時間も惜しい気がした。 一心不乱に掘り返し根から花の先までセレニアを一株手に入れると、そのままティアは研究室に戻った。「ファリア! これを調べようっ!」「えっ? ……ティア! なんて恰好をしているんですか!」 駆けこんできたティアを見たファリアはまず怒鳴った。 着替えたはずの白いシャツは泥だらけ、顔にも土がついている。手も草の汁がついており、爪の間にも泥が入り込んでいるようだ。 この調子では廊下も汚しているに違いない。泥遊びをしていたわけではなさそうだが、それでも悪いことをしたなら叱らなければならない。 ファリアは笑顔でセレニアを受け取るといまにも器具に触ろうとするティアを制して声を張り上げる。「回れ右! 風呂場まで駆け足です!」 ティアはきょとんとして、そして自分の格好に気づき慌てて部屋に戻る。 ファリアはティアの様子に手を頬に当て考え込んでしまった。 あの調子だとすぐにシャワーを浴びて戻ってきそうである。休んで欲しくて庭に出ることを提案したのに、どうしてこうなってしまうのだろう。 ああ、でもあんなはしゃいだところを年齢を感じさせる。やはり大人びて見えてもまだ子供だ。 ティアはどこか必死だ。側にいて痛々しく思うほどに。だからこそ誰かが傍にいなければならないと思う。 外殻での苦々しい経験からもう研究はしないと決めていたのに、私が研究室に戻ったのはティアがいるからだろう。 ティアは兄のヴァンがいなくなるまでは普通の女の子だった。 その血筋から傷一つ付けないと大事にされていたが、彼らはどこにでもいる仲の良い兄妹だった。 けれどもその兄のヴァンがいなくなってティアは変わった。ただひたすらに本を読み、質問をして、いまでは専門書まで手を出している。 どうしてと尋ねてもティアは何も言わない。それでいて目をギラギラと光らせているのだ。 ファリアにはその眼に覚えがあった。鏡の中でファリアは同じものを見たことがある。 マルクトに追われているとき、眠れず朝を迎えた日は必ず目にした。 あの時期の自分とティアはどこか似ている。ここまで面倒を見るのはそれ故にだろうか。 らちもないことを考えてしまった。ファリアは先程まで考えていたことを振り払い、視線をティアが出ていった扉から手元に移す。 ファリアも馴染みがある魔界で唯一咲く花、セレニア。この花が何か特別なのだろうか。 そう疑問に思い首を傾げながらファリアは部位ごとにデータをとる準備をした。結果が出る前にティアも戻ってきているだろう。 どんな結果が出るかファリアはティアと実験するときがいまから楽しみである。試薬を用意し、笑顔で花弁を切り離した。 セレニアには障気を吸収して第七音素を放出する特性があることが分かった。ユリアシティは魔界にあるせいで外殻よりも障気の濃度が濃い。 といっても人体に影響が出るレベルではないが、自然は敏感だったということだ。 調べてみると外殻のセレニアにはそんな特性はない。せいぜいセフィロトの近くに生息していることが関係してくるだろうか。 魔界を生息地にしているセレニアだけが瘴気を吸収することができた。2000年、隔離された空間で育っていたのだ。 確かにレムの光も届かない魔界では光合成も満足には行えない。エネルギーを得るために独自の進化を果たしたのだろう。 この花を調べることで障気障害をどうにかできるかもしれない。ティアは一層、研究に従事した。 ティアがここまで研究に固執するのは、じっとしていられなかったというのが一番の理由だろう。 じりじりと差し迫ってくる期限とただ魔界で安穏と過ごしている自分。 護身術を習ってはいるが魔物相手には敵わない。見たことすらない。人相手など言わずもがなである。 音素がなければ譜術は使うこともできず、フォンスロットを意識することしかできない。まともにできることは座学だけだったのだ。 セレニアというブレイクスルーのおかげで、ある程度研究の目途は立った。 障気障害という問題は時間をかければ解決できるだろう。 だがそれでも、ティアは憂鬱だった。根本的な解決ではないのだ。ただ一時、身体を蝕む病を退けただけ。 兄を救い、守るには一個人の力ではどうにもならない。満足に兄を守れるぐらいの力が欲しかった。