ND2000 ローレライの力を継ぐ者、キムラスカに誕生す。 其は王家に連なる赤い髪の男児なり。名を聖なる焔の光と称す。 彼はキムラスカ・ランバルディアを新たな繁栄に導くだろう。 クリムゾン・ヘアツォーク・フォン・ファブレには一人、息子がいる。 愛する妻、シュザンヌとの間に産まれた赤い髪に緑の眼を持つ正真正銘の王族に連なる男子である。 生来身体が弱いシュザンヌに第二子を期待することはできない。 跡取り息子を授かったことを喜び、妻子を大切にするべきである。そう人格者なら彼に助言するだろう。 そして、彼と妻と息子は幸せに暮らしましたと結ばれればどんなに幸せだろうか。 クリムゾンはどうしても息子を愛することができなかった。 それは、産着に包まれた子の髪の色を見たときから。 いや、シュザンヌが子を授かったと聞いたときから。 教団の者が預言を詠み、内容を知ったときから。 ND2018 ローレライの力を継ぐ若者、人々を引き連れ鉱山の街へと向かう。 そこで若者は力を災いとしキムラスカの武器となって街と共に消滅す。 しかる後にルグニカの大地は戦乱に包まれ、マルクトは領土を失うだろう。 結果キムラスカ・ランバルディアは栄え、それが未曾有の繁栄の第一歩となる。 いずれ死ぬと分かっていてどうして愛せようか。 我が子の死は覆されることのない、覆してはならない繁栄の礎なのだから。 クリムゾンは陛下に対して、「息子が役立てて幸いです」と静かに告げる。 陛下が実はナタリア殿下ではなくて良かったと考えていることを知っていても、それ以外の言葉は口にしなかった。 クリムゾンが感情を押し殺し政務に励み、戦場で友と戦っているうちに時間は経つ。 そうしているうちに息子は大きくなっていった。 どこに出しても恥ずかしくない、むしろ自慢したくなるような立派な王族の子である。 クリムゾンはそれを見て、キシッと何処か奥底で音がした気がした。 まだ自分の腰ぐらいの背の高さだというのに、公私を弁えることを知っている。 王城で年上のナタリア殿下は走り回っているというのに。聡明な息子が誇らしい。 そして、クリムゾンはますます我が子から目を逸らした。 息子は王国の繁栄のために消えると預言に詠まれているのだ。 息子が私の跡を継ぎ、公爵になることは無い。貴族らしい作法は必要ないのである。 クリムゾンが愛人に逃げ、王城に籠っているうちに時間は矢のように過ぎる。 そうしているうちに息子は大きくなっていった。 久しぶりに妻と語らう。その視線の先にはナタリア殿下と息子がいた。 「あの子は殿下と仲が良いのですよ。夫婦になってもあのままでしょうね」と妻が笑う。 クリムゾンはそれを聞いて、キシリと何かが悲鳴をあげた気がした。 結婚した二人が並び立ち、その間に孫でもいるならばどんなに嬉しいだろう。そんな未来は存在しないのに想像してしまう。 そして、クリムゾンはぼんやりと我が子を眺めた。 ナタリア殿下と婚約しても結婚することはないのだ。いま仲良くしている分、殿下を悲しませるだけ。二人の将来は闇に閉ざされている。 二人の間に交わされた秘密の約束もいずれは思い出になる。その隣に息子の姿はない。 クリムゾンが影から息子を見て、束の間の幸せを噛み締めているうちに時は流れる。 そうしているうちに息子は大きくなっていった。 中庭で指南役を相手にひるまず果敢に立ち向かっている。 「ルーク。それでは隙だらけだ。そう、それで良いっ!」グランツ謡士は的確に息子を導いていた。 二人は笑顔で親しげである。まるで兄弟のようだ。いや、親子のようだった。 クリムゾンはそれを見て、ギシリと何かが存在感を主張した気がした。 ああ、あのように息子と笑いあえたら、親として振る舞えたら良いだろうに。 だが一つ誉めたら際限なく止まらない。そして死なせたくないと言ってしまうかもしれない。 月に一度、父子はベルケンドに赴く。息子のローレライの同位体としての力を調べるためである。 その扉の先でどのようなことが行われているか知っていても、クリムゾンは止めることができなかった。 息子は2018年に死ぬのである。限られた間しか第七音素について調査できない。 ホドの滅亡は第七音素が関わっている。マルクトはその兵器の開発に成功しているのだろう。 早く同じ物を手に入れなければ負けてしまう。キムラスカの将来のために息子は犠牲にならなければならない。 他の者に任せず、自分が連れてくることがクリムゾンにできる精一杯だった。 帰路にて、息子の死んだ魚のような眼を見てもクリムゾンは何もしない。 その手で頭を撫でることも、小さな手を引くことも、労いの言葉もかけない。 何をしても言い訳に過ぎないと思ったからである。 クリムゾンの握りしめた拳は解かれることなく、手のひらに痛々しい爪痕を残した。 そんな彼の心の危うい均衡は呆気なく崩された。 ルーク・フォン・ファブレの誘拐。 その報せはすぐに公爵家から王城に知らされ、クリムゾンも知るところとなった。 上層部の混乱は陛下の一言で収まったものの彼は複雑だった。「秘預言ではルークが17のとき、鉱山の街に赴くとある。そのときまでルークが死ぬことなどない。ルークは生きておる。はやく我が甥を探すのだ!」 その王の言葉は事実である。一片の染みもない、動かし難い真実だった。 平静を装い、刻一刻ともたらされる情報に内心一喜一憂しながらクリムゾンは息子の帰りを待つ。 今まで何度思ったことだろう。 息子が聖なる焔の光でなければと。 せめて燃えるような赤い髪でなければと。 もしくは女子として生まれてくればあるいはと。 そうであれば、彼は我が子を抱きしめ、撫でて、誉めそやしただろう。 妻と子と三人でお茶を飲み、今日のことを語らい、明日のことを喋っただろう。 だが、我が子が聖なる焔の光なのだ。繁栄のための尊い生贄の子羊なのである。 憐れと思うことはあっても、救おうとは思ってはならない。 ルークの17年は、ただそのときが来るまでの猶予期間に過ぎない。 その間いくら愛しても、自分は時が来れば掌を返したように別れを告げるのである。 いま、こうしていなくなった息子を待ち望んでいるのは何故だろうか。 繁栄を約束する手形を手元に置いておくためだろうか。 王族が浚われたままでは威信に関わるからだろうか。 公爵家で臥せっている妻の不安をはらうためだろうか。 それとも、どこかで泣いている我が子を心配しているからだろうか。 クリムゾンはルークを愛している。ただ、それを誰かに見せるのは躊躇われた。 けれども息子の安否が分からずその想いも薄れる。押し寄せてくるのは後悔ばかりである。 あのとき、盛大に誉めて頭を撫でてやれば。 あのとき、駆け寄ってきた息子を抱き上げれば。 あのとき、妻の誘いを断らず三人で食事をすれば。 あのとき、息子の相手をして剣の稽古をつけてやれば。 躊躇わずに「愛している」と「大切な家族である」と言えば良かったのだ。 限りある時の中で、その分短くとも濃い時を共に過ごせば良かったのだ。 失ってから初めて人は大事なことに気づくものである。 クリムゾンは握りしめた拳をそっと隠し、伝令の言葉に耳を傾ける。「コーラル城にて、ヴァン奏将がルーク殿下を発見! 此方に向かっているようですっ!」 そして彼は城から単身飛び出し、バチカルの表玄関まで駆ける。その主に白光騎士団の者が後に続いた。 その向こうには小さな黒い点が見える。見慣れたキムラスカの赤がはためいていた。 あの下に息子がいる。無事でよかったという安心と、その姿をこの目で見なければとクリムゾンの心は逸る。 黒い点は輪郭を現し始め、奏将の腕に抱かれた赤い髪がちらりと覗いた。 その腕からクリムゾンは息子を取り戻し、ほっと一息つく。帰ってきた息子を周囲の目も気にせず彼は抱きしめた。 何も知らないかのように眠る我が子の寝顔はあどけないものである。 それを見てクリムゾンは口元を歪め、意図せず一筋の涙が彼の頬を濡らした。 その感動的な親子の再会をヴァンは満足そうに見下ろしていた。 シュザンヌは事あるごとにルークを可哀そうな子と呼ぶ。心からルークを不憫だと思っていた。 可愛い我が子を、如何にかしてルークを守りたいとシュザンヌは願っている。 可哀そうな子。 大人の都合に振り回されて子供らしく遊ぶこともできない。 もしも下の弟や妹がいたら、こうはならなかったかもしれない。しかしそれは望めないのだ。 赤い髪と緑の眼をしている者はルークしかいなかった。その期待に応えようと人一倍努力している。 父は公務で忙しく、母はこのように病気がちで満足に面倒を見られない。 それでも一人毅然と立っている。ナタリア殿下の相手も務め、王城でも恥ずかしくない振る舞いをしているらしい。 王城は決して煌びやかなところではない。キムラスカは王族の権威が強い分、息子に声をかける者は多いだろう。 腹の底の欲望を押し隠しながら、口から出る言葉は美辞麗句ばかり。そこで育ったシュザンヌは良く知っていた。 自分は王妹であり、いずれ降嫁すると分かっていたため近寄ってくるのは年頃の男性が多かった。 だがルークの場合はそれ以上だろう。ナタリア殿下との婚約が発表されても、側室でも良いからという声が絶えない。 王家の特徴を持たない彼女は辛い立場に立たされている。そんな彼女を支えているのはルークだった。 本当に立派である。そしてますますシュザンヌはルークを憐れに思う。 王族とはいえ、あの年でそこまで成長しなければならなかったのである。 可哀そうな子。 マルクトに浚われてルークは記憶を失ってしまった。言葉まで忘れてしまったようだ。 10歳の子供が何をしたというのだろう。この子が王族だから。ただそれだけの理由で痛めつけられた。 帰ってきたルークはあどけない瞳でシュザンヌを見上げる。その瞳は無垢な輝きを持っていた。 ルークは何もかもを捨てたのだ。王城での汚い経験も、恋慕う殿下も。 頼りない両親さえ何もかも一緒くたに思い出したくない過去として封じた。 シュザンヌは後悔した。だが、何を如何すればいいのか分からなかった。 分かるのは、全てが初めからやり直しだということぐらいである。ルークは赤ん坊のようだった。 ルークが小さかったころ、子を産んだ後のシュザンヌは体調が思わしくなく余り世話ができなかった。 そのとき出来なかったことを、母らしいことを幼いルークにする。夫も巻き込んでシュザンヌは家族らしく振る舞おうとした。 そうすれば、以前のように暗い眼をすることもなくなるのではないかと思ったのである。 可哀そうな子。 そう言えば夫の眼は揺らぐ。時折訪れるダアトからの指南役も何か心当たりがあるようだ。 それがただ記憶を失っていることを示すのではないことぐらいはシュザンヌにも察せる。何かあるのだ。 シュザンヌは全く知らされていなかった。詳細を知らないからこそ気付いていないふりをして訴える。 それが無力なシュザンヌのささやかな抵抗であった。 ルークはまだ子供です。記憶すら失ったのです。 こんなに可哀そうな子にまた何かするのですか。 もう十分ではありませんか。 これ以上、ルークに何を期待するというのですか。 これ以上、ルークに何を差し出せというのですか。 その想いをこめてシュザンヌは秘密を知るであろう夫と指南役に伝えている。「ルークは可哀そうな子です」 もう何も奪わないで下さいと彼女は今日も静かに請願する。 ルークが公爵家に帰ってきてからクリムゾンは戸惑っていた。帰ってきたルークは余りにも以前と違う。 あの堂々とした振る舞いも、貴族としての教養も、家族の思い出も、何もかもを失っていた。 まるで赤ん坊のような我が子を見てクリムゾンは複雑だった。 自慢の息子の変わりように落胆したのは事実である。 殿下にふさわしいように、公爵子息として恥ずかしくないようにとルークは人一倍努力していた。 それらを失っているとなるとやるせない気持ちになる。そうなるまでの思いをルークはしたのかと何処かにいるその犯人を殺したくなった。 一時は秘密裏に殺されもう会えないかと、もしくは見せしめのように捨てられるのではないかと不安だった。 だがかすり傷一つなく、その赤い髪も緑の眼もちゃんとある。指も爪もそろっていた。 敵がなにをしたかったのか分からなかった。けれども依然敵がいることは確かである。 それがマルクトかダアトか、はたまたキムラスカか、疑えば切りがない。 まずは無事を喜ぶべきである。そう、クリムゾンは喜んだ。ルークの記憶がないならば一からやり直せると。 「あなたは誰なの」という目で見上げてきたルークと対面したとき思ったのだ。 自分は誉められた親ではなかった。公人と私人の分別もなくただ幼い我が子から逃げていた。 一時は愛人も作り、親子の会話も夫婦の会話も最低限だった。 シュザンヌが夫を待っていたのは、ほかに行くところがなかったから。 ルークが父親の影を指南役の彼に求めたのは当然の帰結だろう。 だがまっさらなルークとなら過去の蟠りもなく親子になれる。 ルークの記憶が無くなって好都合ではないか。その感情にクリムゾンは戸惑っていた。 そう迷いながらも彼は城から帰ると妻にルークの様子を聞く。 そして立ち上がったとか、二歩歩いたとか我が子の成長を耳にしてルークの顔を見て誉めるのである。 時間が許すときは中庭で一緒に遊ぶ。それを日影でシュザンヌは眺めながら、頃合いになると休憩を呼びかけた。 ルークはきゃっきゃと笑いながら駆け寄り母の手から飲み物を貰う。 その光景をもう彼は遠くから眺めるのではなくその中に交じっていた。 何処から見ても彼ら3人は理想の家族を描いていた。 クリムゾンはそれに満足していた。これまでの空白を埋めるように家に帰るようにする。 持ち帰れる仕事は公爵家で処理するようにして、せめて朝食ぐらいは共に取るようにした。 限りある時間である。あと7年、出来るだけ傍にいたかった。だから陛下から「ルークを公爵家から出してはならぬ」という命令に従った。 身体の弱いシュザンヌは出かけることが少ない。ルークが傍にいれば慰めになるだろう。 それに城の者は変わり果てたルークに優しくはない。クリムゾンの耳にも眉を顰めてしまうような言葉が入ってくる。 あの純粋な子供に王城の闇を見せたくない。公爵家の中ならば誹謗中傷から守れるはずだ。 クリムゾンが違和感を持ったのは、ルークが剣に興味を持ち始めたころである。 素振りをさせてみると軸がぶれる。まるっきり初心者だ。記憶を失う前は太刀筋も鋭くさすが我が子と思ったものだった。 その影も形もない。おかしい。クリムゾンは疑問を持ってしまった。 こういったことは身体が覚えているはずである。そう思い後ろから打ち込んでみるとルークは全く反応しなかった。 「何するんだよ、父上!」と怒るルークをなだめながら芽生えた疑いを放っておけない。一度疑い始めると違いが目に付いてくる。 ルークはもっと筋肉があった。 ルークは言葉を崩さなかった。 ルークの髪色はもっと紅かった。 ルークの記憶は……。 わだかまる不安を解消するためにクリムゾンはベルケンドから技師を呼び寄せる。 音素振動数が同じ者はいない。ルークの数値を調べると以前のものと同じだった。 その結果に一安心してローレライの同位体を調べたいと訴える者を帰らせる。 疑惑が晴れたことにクリムゾンは嬉しく思った。 あの自分に笑顔を向けてくれるルークが息子ではないとしたら悲しい。 クリムゾンは不器用ながらもルークを可愛がった。ルークもそれに応えてくれる。 あのやり取りが偽りだとしたら自分は道化ではないか。だが、ルークはルークだった。 クリムゾンは湧きあがった疑いに蓋をする。 そしてそれから3年もの月日が経った。 ルークはもう16歳になった。あと2年もない。 クリムゾンは息子の成長に喜び、そして時の流れの速さに胸の内で泣く。 そんなクリムゾンの下に一つの噂が届いた。曰く、ダアトに赤い髪に緑の眼の師団長がいるらしい。 それを耳にした彼は半信半疑で部下に調査を命じる。そして、上がってきた報告にクリムゾンは歓喜した。 彼はルークと同じ年である。2000年に生まれた王族に連なる赤い髪の男児。 ルークを犠牲にしなくてもいいかもしれない。そうクリムゾンは希望を持ったのである。 クリムゾンはその親に感謝した。具体的には庶子を産ませ、そのまま放置していた何代か前の先祖に。 だがあの時期少しでも王族の血を引く子供は徹底的に調査されていた。 明るい可能性を前にクリムゾンは慎重になった。更なる情報の収集を執事のラムダスに命じる。 もう一人の赤毛の男児が誰の子なのか不明だった。まるで突然その彼がダアトに表れたようだった。 キムラスカ王族の特徴を持ち合わせるには王族の血を濃く引いていなければならない。 一瞬かの愛人のことを思い浮かべ、時期が合わないとその考えを振り払った。 あの陛下が誰かを身籠らせたなら自分の耳にも入るはずである。あとは、シュザンヌしかいないではないか。 クリムゾンは双子の可能性を疑った。そしてすぐにその考えを否定する。 いくら争いを招く双子が忌み嫌われていようと王家の血を引くものが少ない今、闇に葬る可能性は低い。 やはり何代か前の王族の血が隔世遺伝で現れたのだろう。 公爵家の一人息子である可愛いルークと素性の知れぬダアトの特務師団長。 どちらを取るかは決まっている。 クリムゾンはそのアッシュという赤い髪の男児をキムラスカの繁栄のために捧げることにした。