魔物との戦闘は混迷を極めていた。 ミカンは杖で魔物を牽制する。立ち止まって術を唱える暇もない。 如何してこうなったのかな。ミカンは心の中で問いかける。だが、それに答えてくれる者はいない。 前衛と後衛が入り乱れ、襲いかかる魔物の群れを振り払うのがミカンの精一杯だった。 エンゲーブ周辺の魔物は人里近くということもあり、基本的に弱い。 サイノックスという猪のような魔物やプチプリといった植物の魔物が多く、村の自警団でも追い払えるものだ。 収穫期に当たり、魔物に人を割く余裕が無いのだろうとシンクは考えていた。 だからこそ新人を3人連れ、技手であるティアも参加させたのである。15人のうち4人が使えなくても余裕だと思っていた。 村を束ねているローズ夫人に話を聞き、芳香を漂わせる最高級のリンゴを見てもそこまで危機感を持っていなかった。 これのせいで魔物が引き寄せられるなんて冗談だろうと、シンクは話半分で聞いていたのである。 その昨日の自分に忠告したかった。ありえないなんてことはない。 初めゾンビが2体現れたときの違和感を切り捨てるべきではなかった。 フーブラス川からのはぐれだと思い、新人たちに戦わせた。重装備の者が魔物の足を止め、軽装の者が魔物を牽制する。 弱い魔物ならこの時点で倒れるのだが、ゾンビ程度になると譜術師の出番だ。二人の剣士が時間を稼いでいる間に発動した譜術が敵を仕留めた。 教科書通りの戦い方である。だが、基本は大事だ。そのときは、一撃で伸せてしまうサイノックスではなくて良かったとも考えていた。 だが、ゾンビに続いて現れたチュンチュンの隣にバットが飛んでいたのである。 そして周囲に浮遊するポルターガイストを見て、シンクは異常を察知した。 レムの光が射す昼間、これらの魔物は動かずじっとしているはずだ。 それなのに現れ、あろうことか生息地が異なる魔物と連携を取っている。 シンクは自分の判断が間違ったと悟った。奥に見える魔物の強さはエンゲーブの魔物の比ではない。 足手纏いが居る状態で、全員が無事でいられる確証を持てなかった。 そうシンクが後悔している間にも、空からはビーワーカーが飛来し味方を撹乱する。 いつの間にか魔物は20匹以上に膨れ上がり囲まれていた。倒した魔物の血の匂いに引き寄せられ雑魚も寄ってきそうである。 普段なら気にならないが、こうなると邪魔くさいだろう。出来ることなら早目に片付けたい。 しかし団員は予想外の事態に浮足立ち、毒を受けた者もいるようだった。長期戦が予想された。「負傷した者を後ろへ。僕が時間を稼ぐ」 シンクは後方から声をかけ、前線に飛び出した。使い慣れた風の音素を集め、密集している魔物を吹き飛ばす。 羽を痛めた魔物は速やかに剣士が止めを刺した。シンクは一番手ごわそうなイワーントに狙いを定め、引きつける。 こいつが他の団員に手を出せばただでは済まない。出来れば撃破したいが、まずは此処からこいつを引き離すことだ。 後方で待機していたティアは、シンクと入れ替わるように下がってきた新人3人に回復をかける。 思いがけない攻撃を受け取り乱していた彼らは、怪我が治っていくのを見て落ち着いてきた。それを見て取りティアは彼らに声をかける。「私の護衛をしてくれないかしら? 私は治癒師だから如何しても隙が出来てしまうの」 彼らは新人といえども神託の盾騎士団の団員である。基本は習っている。それにこういう場合は、何か仕事を与えた方が上手くいくものだ。 「そっちの譜術師の横にいるようにするから、訓練通りで良いのよ」とティアが続けると、「いけます」と頼もしい返事が返ってきた。 新人の研修代わりの任務だったせいか前衛と後衛のバランスが悪い。 譜術師は新人の彼とオレンジ色の髪の女の子しかいないようである。決定打に欠けるかもしれない。 ティアは不安に思いながらも新人を急かして、譜術師と合流する。そして後方に下がった。 マーキングを味方に適用するために、譜術師は後方にいなければならない。 視界の範囲内でしか、敵と味方を区別できないのだ。特に敵と味方が入り乱れる今回のような戦闘では大切な点である。 ざっと見回して毒を受けている者が居るのを確認すると、ティアは静かにフォンスロットを開き第七音素を感じ取る。 健康な状態をイメージしながら音素を練る。深呼吸をしてぐっと漏れそうな音素を押し留めた。 そして譜銃を取り出し三発の緑の銃弾を込め、味方の中心と思われる場所に一発撃ち込む。 銃弾が地面に接触すると風の音素が解放され、譜紋のイメージに従い何もない空間を切り刻んでいる。 余裕があれば別に風の音素を集めるのだが、混乱している状態の今は、治癒は早い方が良い。 まだ足りないと、ティアは続いて二発目も同じ場所に放つ。二発分の風の音素で濃厚な風の場が出来た。 ティアは唱え終えていた譜術を解き放つ。「風よ。勇敢なる者には安らぎの息吹を、仇なす者には無慈悲なる刃を与えん。フェアリーサークル!」 ティアの声に応えて第七音素が、中央の円陣から風に乗って癒しを届ける。 通常の二倍以上の譜力を込めた円陣は全員の足元に拡がった。その緑の輝きは蝕んでいた毒も拭い去る。 そして、ティアの譜力にじゃれつく風は上空を飛び交う魔物に狙いを定めた。発生したカマイタチは空を飛ぶ魔物の羽根を傷つける。 痛みが取れたことで冷静になったのだろう。味方の動きが見違えて見えた。 それを肌で感じるとティアは一息ついて次の術を紡ぐ。譜術師が少ないのなら、術の数と質で補うしかない。「スペル・エンハンス」 術の構築を容易くしてくれる術である。中級譜術を扱っている彼女ならかけられたこともあるだろう。 この手の補助はかけられた経験が無いと上手く扱えない。特に術の切れかけのときに乗り物に酔ったような状態に陥る場合がある。 慣れていなければ、ただでさえ少ない譜術師が減ってしまう。新人の彼は経験が無いそうだ。仕方が無いのでもう一つは自分にかける。 ティアはちまちまと音素を集めては譜術の威力を上げ、目に着いたものに回復をした。 シンクは緑の円陣が浮き出てから、流れが此方に引き戻されたのを感じ取った。 ちらりと振り返ると一塊の譜術師たちが目に入る。たいてい譜術師が流れを支配するが、治癒師が中心になるとは思わなかった。 ディストが連れ回した成果がこんな形で現れるとは不思議なものだとシンクは思う。 その成長具合や、その精神構造は何処か歪で不安定だ。それがどうも気にかかる。本人が自覚していない分、性質が悪い。 知れば知るほどそれが異常だと分かってくる。そう考えながらもシンクは風の音素を上空に集め始めた。 すると見計らったように魔物の足元に地の音素が轟く。ティアだ。それにシンクはふっと笑い、譜術を繰り出す。「大地に帰りな。風よ、押し潰せっ! グラビティ!」 ぐしゃりと地面に抱き止められた魔物にシンクは見向きもせず、次の獲物を視界に入れた。 足元のオタプーを蹴り上げ、地面に殴りつける。無意識のうちに拳に風を纏っていた。 その凶悪な一撃を受けたオタプーはシンクの連打を続けざまにくらい音素に還る。 ミカンは隣で補助をするティアに感心していた。彼女は腕を怪我した者にすかさず治癒を施し、手が空けば新人たちにバリアーを張っている。 そして何と言っても特筆すべきなのがその初級譜術の使い方である。自分ともう一人の彼が唱え終わる頃にパッと音素が集まる。 的確な彼女の補助とシンクさんの奮戦のおかげで、魔物は徐々にその数を減らしていった。 初め20体以上いた魔物はもう1桁である。彼女、全然弱くないじゃない。 そんなことを考えていたミカンは「タービュランス!」と譜術を放った後、ちらりと横の彼女を見る。 魔物よりもティアに気を取られていたミカンは忍び寄る気配に気づかなかった。 「後ろっ!」 その声にミカンは咄嗟に反応できず、そのままティアに腕を引かれその勢いで二人とも倒れた。 ちょっと前までミカンが居たところをサイノックスが突進してくる。土煙を立て、魔物は止まり振り返った。 サイノックスは後ろ足で土を蹴り、力を溜めているっ! 血の匂いに惹かれて魔物が集まっているようだった。新人二人は健闘しているものの、魔物の数が多い。援護は頼めそうになかった。 ティアは弾込めをしたままの譜銃を思い出し、膝をついたまま構えて眉間を狙い撃つ。その弾丸は少し逸れて魔物の左肩に当たった。 その風で抉れた部分に畳み掛けるようにティアはボムを投げつける。しかし魔物は怯まない。 ミカンは慌てて立ち上がって杖を握り、途絶えた呪文をもう一度唱え始めた。時間との勝負だ。 爛れた肉をものともせず、魔物は再度突進してきた。だが、傷のせいか精彩が無い。 ミカンの火の譜術が寸でのところで間に合い、炎が魔物を襲う。傍にいたカンカンも巻き込んで魔物は息絶えた。 ほっと二人は顔を見合わせ、ミカンはそっとティアに手を差し出す。 彼女が助けてくれたことに変わりはない。自分が情けないと思ったことを彼女にぶつけても意味が無い。 彼女はその地位に見合った強さを持っている。卑怯者ではなかった。 ミカンの複雑な心境を知らないティアはその手をしっかりと掴み立ち上がった。「もうひと頑張りね」「うん。風の音素を集めてくれる?」 補助を頼むミカンにティアは「任せて」と請け負う。 ミカンはオレンジグミを一つ口に放り込み、ありったけの譜力を込めて火の音素を取り込んだ。 想像するのは燃え盛る炎。熱く恐ろしい、天を焦がすような地獄の魔炎。 3人がかりで相手をしているシャーントの足元に緑の円陣が浮かぶ。 それは準備が出来たことの報せであった。ミカンは敵を睨み、高らかにその終わりを告げる。「灼熱の炎よ。風と共に、彼の敵を焼き尽くせ。エクスプロードッ!」 その魔物を中心に大爆発が起こり、周囲の敵を巻き込んだ。 その衝撃で体制を崩した魔物を屠ると辺りから魔物の影は無くなった。 村から少し離れた場所で、こんな戦いをするとは誰も思っていなかっただろう。 作物を刈り取った後の、だだっ広い畑に皆は座り込む。それでも円陣を組んでいるところが警戒している証拠だ。 ティアはグミを口にしながら一人一人ファーストエイドをかけて回る。戦闘が終わってからも忙しいのが治癒師である。 戦闘を終えた後の昂揚感か、それとも背を預け合ったからか、皆親しげに話しかけてくる。 ティアもにこやかに返事をしながら、たいした怪我もない人には栄養ドリンクを渡した。 第二師団の人も喜んでくれた一品である。改良を加え効果もさらに増えたはずだ。 ティアは12人の怪我の具合を診て、あとは誰だろうと辺りを探す。 シンクはローズ夫人のところに報告に行っているから、あと一人はと思っていると譜術師の彼女が目に止まった。「あの、私が腕を引っ張ったとき怪我しちゃったでしょう? 治癒をかけさせてくれないかしら?」 物思いにふけっていたところに声をかけられて、ミカンは驚きながらも治癒を受ける。 ミカンは中級譜術が扱えるようになって満足していた。でも、初級譜術であんな風に戦えるなんて。 治癒師だから、士官学校の成績が低いからと見下していた自分が馬鹿みたいだ。 そして、良い気になっていた自分が情けなくなり、進歩していない自分が悔しいと思った。 ミカンは足元に手を当てているティアに何気なく訊ねる。彼女は如何思うのだろうか。「ねえ。二属性しか扱えない、中級譜術までしか扱えない譜術師を如何思う?」「羨ましいわ。だって、私第七音素しか満足に扱えないんだもの。ときどき、他の属性が扱えたらって思うときがあるわ」 ティアは正直に答えた。障気中和薬を作るのは自分の念願だった。完成して本当に良かったと思う。 だが、それとこれとは別の話である。まともに他の音素を扱えないと知ったときは随分と落ち込んだものだった。「そうなの?」 ミカンは予想外の答えに問い返した。そういえば彼女は初級譜術しか扱っていなかった。 それは二人、譜術師がいたから補助に徹していた訳ではなく、補助しか出来なかったからのようだ。「嘘言って如何するのよ。だから頑張って初級譜術を磨いたの。自分の手助けであの豪快な技が生まれたと思うと少しすっきりするわ」「そっか。……私、頑張る。頑張って上級譜術を習得するよ!」 訓練すれば自分も初級譜術ぐらいなら地属性だって扱えるはず。初級でも使い方次第だ。 それに、まだ上級譜術を身に付けていない。まだまだ私は強くなれる。 ミカンは意気込んだ。そして、それを気付かせてくれたティアに「ありがとうっ」と礼を言う。 ティアは治癒をしたことに対する礼だろうと思い、「どういたしまして」と返した。 ミカンはその返答に余裕を感じ取り、宣戦布告することにした。シンクさんに関しては譲るつもりはない。 痛みの消えた足で仁王立ちをして、目の前のライバルを指差し宣言する。「負けないんだからねっ」 ティアは何のことだろうと首を傾げる。その反応にミカンは少し自分の姿が恥ずかしく感じた。 頬が赤くなってくるのが分かる。ミカンは慌てて後ろを向き、「喉が渇いたな~」と言いながら水場に急いで向かった。 取り残されたティアは何か勝負事でもあるのだろうかと考える。 しかし、いくら考えても思いつかない。仕方が無いので今度会ったときに訊こうとティアは決めた。 旅の間、足を引っ張るつもりはない。ずっと研究室にいたせいで少し鈍った気もする。 それに今回は譜銃が活かせたから良かったものの、私は基本的に魔物に出会ったら逃げ回ることしかできない。 譜銃の扱いに慣れて、一発を無駄にしないようにしなければならない。ティアは定期的に鍛錬所に通うことにした。 シンクは苦労した割に少ない報酬にため息を一つついた。これでは師団の宿舎の改修はまだ先のことだ。 苛立ち紛れに貰ったリンゴを齧る。甘酸っぱい味がした。