アリエッタはペタンと地面に座りながら、導師イオンのことを考えていた。 ちらりと向かい側でティアの横に居るシンクの顔を見る。彼はイオン様にそっくりだが、イオン様じゃない。 アリエッタの視線に気づき「なに?」と不機嫌そうに尋ねてくる。やっぱりイオン様じゃない。 それに安堵してアリエッタは頭を振った。手元の人形を弄りながら、イオンのことを思い出す。 それは偶然のことだった。 アリエッタが師団長の用事で総長の部屋に入ったとき、そこには導師イオンが居たのである。彼はその場にいない総長を待っていた。 イオン様なら呼び出すのにと思いながらアリエッタは恭しく頭を下げ、出直そうとした。そんなアリエッタをイオンは引き留め、微笑みながら声をかける。「久しぶりですね、アリエッタ。元気にしていましたか?」 その吹けば飛びそうな笑顔はアリエッタには見慣れないもので、違和感がある。 アリエッタは困惑を顔に出さないようにしながら「……はい……」と頷いた。 此処が森だったらすぐに距離を取れるのに、どうして此処は森じゃないのだろうか。 何故、彼は此処に出向いているのだろうか。そういえば、守護役は何処に居るのだろうか。 どうして、彼はそんな苦しそうな顔をしながら自分に話しかけるのだろうか。 アリエッタはイオン様の間では交わさなかったような会話をイオンとする。 他人行儀な何処か余所余所しい、お互いの距離を測るようなものだった。 アリエッタが彼を導師として扱う度にイオンの表情は冴えなくなる。 そうして会話のタネが尽きたころに、ようやく総長は現れた。アリエッタはホッとして、外で待つ旨を伝える。 その背をじっと見つめるイオンの視線には、全く気づかなかった。気付く余裕などなかった。 後でアリエッタは総長に「導師と距離を置くように」と告げられた。アリエッタはそれを盾にして、イオンから徹底的に逃げている。 イオン様と同じ顔で、イオン様と同じように話す。だが、それは親しさからではない。 シンクは決してイオン様のような真似をしない。シンクはシンクらしく振る舞っている。 それが以前は目に付いたが、最近はそれが好ましいものにアリエッタは感じてきた。 あのイオンは、イオン様のふりをしようとしている。アリエッタに声をかけるのもその為だろう。 アリエッタのイオン様ではないと知っている彼女からしてみれば、イオンの態度は喜ばしいものではなかった。 それに、アリエッタと話している間、彼はちっとも楽しそうではなかった。 無理をしていようで、それをさせているのは自分で、そんな真似を彼にさせたくないと思った。 イオン様の顔が悲しそうに歪むのは見たくない。そうアリエッタは思った。 だから、アリエッタは導師イオンと接触しないように副官であるピーチに頼んだのである。 それが功を奏したのか、あれからアリエッタは導師の姿を見ていない。彼の顔を歪ませることなく、悲痛な顔を見ることもない。 彼にはアニスがついている。自分はもう導師守護役ではないのだから。そう思い、アリエッタはぽつりと一言漏らす。「……アニス、導師イオンをきちんと守ってるかなぁ……」「あの守銭奴具合なら、ガルドを積まれたら導師を差し出すかもね」 シンクはアリエッタの呟きに答えた。アリエッタは思いがけない返答に驚き顔を上げる。 ティアは彼女を詳しく知っているような様子に疑問を持った。 シンクはイオンを避けていたはずである。それなのに何故、アニスが守銭奴などと詳しいのだろうか。「シンク。アニスに会ったことがあるの?」 その質問にシンクは少し歯切れが悪そうに「まあね」とだけ言った。 答え難そうなシンクを見て、もしやと思いティアは訊いてみた。好奇心に負けたとも言う。「もしかして、『きゃわぁ~ん、シンク様ぁ☆』とか言われたのかしら?」 ティアは裏声を使ってアニスっぽい声を出してみると二人はぎょっとしてティアの顔を見つめる。ティアの声真似は結構アニスに似ていた。「……ああ。凄まじかったよ」 シンクはうんざりとした様子を隠さない。 導師と接触するのを最低限にしているシンクは、必然的にその側に控えるアニスとまともに顔を会わせてことがなかった。 だから突然廊下で導師守護役に声をかけられたときシンクは驚いた。一瞬、似ているとでも思われたのかと警戒したがすぐに解く。 彼女は師団長であるシンクをただ見かけただけのようだった。そして纏わりつく彼女を「邪魔」の一言でいなし、その場を立ち去ろうとする。 相手をするつもりはなかった。下手に近づいて悟られたら面倒である。そう考えあしらったシンクの背に、一言守護役は捨て台詞を吐く。「せっかくこんな美少女が声をかけてあげたっていうのに……。もしかしてオバサンにしか興味がないとか? 師団長なら金持ちだと思ったけど、やっぱ、仮面は無いわー。絶対あの下の顔はブサイクね」 彼女は「どこかに金持ちで地位もあって、それでいて老い先短い人いないかなー」と言いながら反対側に歩いていった。 廊下を曲がった先にいたシンクはうっかり聞いてしまった。聞かなきゃよかったと後悔した。 シンクは女性の強かさと金の魔力を知った。できればもっと違う形で知りたかったものである。 そして、そんな人間を守護役として傍に置いている七番目に感心した。 その一件を思い出し、ついシンクは口を出してしまったのである。「僕は、そのアニスって奴が金持ちに飛び付いている姿しか思い浮かばないんだけど」 ティアとアリエッタは顔を見合わせ、何も言えなかった。誰も否定できないところが、虚しいとティアは思った。 一応、導師守護役は30名の女性しか選ばれない名誉ある仕事なのだが。そしてティアは少し疑問に思う。 シンクにお金が全てであるところ一発で見破られるとは、いったい彼女はなにをしたのだろうか。 それに、アリエッタはいいのだろうか。レプリカとはいえ今のイオンを守ろうとは思わないのだろうか。「アリエッタは、……このままでいいの?」 言葉が足りなかったティアの疑問にアリエッタははっきりと応じた。「アリエッタが護る導師はイオン様だけ。……アリエッタのイオン様は今の導師じゃないもん……」 そこだけは明確に断言したアリエッタを見て、ティアはアリエッタが混同していないことを理解した。 アリエッタのイオン様は亡き導師イオンであり、もういない。彼女は元導師守護役であり、今は第三師団長である。「そう。今のアリエッタは師団長だものね」 いつだったか見かけた第三師団の訓練を思い浮かべる。 グリフィンに乗り、先頭で隊を率いていたアリエッタは凛々しかった。 ライガは群れで暮らす魔物である。隊長という仕事も案外アリエッタに適しているのかもしれないと思った。 なんとなくほんわかした雰囲気にシンクが水を差す。「あのオリジナルのどこがいいんだかね」 アリエッタのイオン様が大好きという様子にシンクは皮肉気に呟いた。 そのシンクの一言にアリエッタは不満を隠さない。その反応を見てもシンクには撤回する気はなかった。 シンクの知るオリジナルは冷淡で、高飛車で、傲慢なとにかく嫌な奴だった。その彼を一心に慕うアリエッタを理解できなかったし、したくもなかった。 ティアは少し険悪な様子になった二人に焦った。そしてシンクの迂闊な発言をどうにかできたらと思う。 だが、いまさらであった。此処はティアの研究室ではなく、アリエッタの庭である。 ティアはシンクを生贄として捧げた。「ちょっと! なんなのさ、一体っ」「ふんっ。シンクなんて怪我しちゃえばいいんだもんっ」 後ろで寝そべっていたライガさんが、アリエッタの怒気に反応しシンクに砂をかけた。 二匹のライガはアリエッタの感情に敏感だ。妹分のアリエッタを大切にしている。言葉が通じないティアでも分かるほどに。 ティアはライガとアリエッタを怒らせることなく過ごしてきた自分に拍手をしたかった。 シンクはライガさんの爪をすんでのところでかわしている。 しかし、ライガさんは余裕のようだ。じゃれるようにシンクにからんでは距離をとる。 完璧にライガさんはシンクで遊んでいた。挑発するように尻尾を振り、毛繕いのポーズを取っている。 それに触発されてシンクは風の音素を集め始めた。そして、シンクは低い声で「叩き潰せ」と風に命じる。 横殴りの風の塊が、詠唱中も動かずにじっとしていたライガさんに襲いかかろうとした。 それを確認する前にシンクは距離を詰めようとする。風で撹乱し一撃をいれるつもりなのだろう。 だが、風が届く直前にライガさんの横に土の壁が立ち塞がる。 その壁に防がれて風は四散してしまった。表面を揺らしただけでライガさんは無傷である。 シンクはチッと舌打ちすると狙いをずらし、その拳で壁を打ち砕く。大きな塊がライガさんに降り注ぎ、土煙が視界を遮る。 ライガさんはその巨体を素早く動かし、破片を避けた。そしてちらっとシンクを見る。 言語化するなら、「烈風などと粋がってこの程度か。我にとってはそよ風にすぎんわっ!」という感じであった。 対するシンクはますます闘争心に火がついたようで、壁を殴って少し血が滲んだ拳をぺろりと一嘗めしライガさんを睨んでいる。 一人と一匹の攻防はまだ序盤と言ったところであった。 もうじゃれあいというよりは、戦闘訓練と言った方がいい。 仮にも六神将であるシンク相手にライガさんは互角どころか余裕を持っている。 ティアは万感の意をこめて感想を言う。「ライガさん。強いわ」「……あの子はメスだから……。総長にも勝ったこと、あるの……」 キラキラとアリエッタはシンクを押しているライガさんを見つめている。 兄に勝ったことがあるとは、侮りがたい。絶対戦わないようにしよう。 ティアは心の底から思った。そうしているうちにも風が唸り、砂煙が舞う。 距離を取ってその様子を眺めながら、ティアは未来のことを思う。 ディストが地下に引きこもり、部下たちが任務に奔走した成果として第七音素の結晶化は一部成功している。 他の音素に比べるとまだ効率は悪いが、一応の形は出来た。 あとは無駄を省いていくという時間だけがかかる根気のいる作業だ。ディストならやってくれるだろう。 レンズになったのなら、そこからはティアの出番である。 レプリカに対する作用、副作用を調べなければならない。レプリカは第七音素に対しては繊細な存在だ。 外からヒールをかけても構わないことは分かっているが、体内に第七音素を取り込むことがどう影響するかは未知数である。 ピヨピヨなどの魔物を使ってまず実験。チーグルは聖獣ということを考慮して対象から外した。 結果としては、第七音素の素養がなくても大量に摂取しなければ悪影響はないようだ。 肝心の乖離を防げているかどうかはまだ分からない。比較実験の結果待ちである。 それでも体力を回復するぐらいの効果はあるようで、シンクには説明して少しだけ摂取してもらっている。 おそらく他のレプリカにも理由を付けて口にするようにしているだろう。 また同時に既存の薬草や採取できるものに混ぜ、治癒効果を発揮できるように実験をしている。 まったく未知の分野だがやりがいはある。まずはグミなどから手を出して反応をみている。上手く行けば内臓などを癒し、外科医いらずになるかもしれない。 目処が立てば公開して研究が進むようにしたいが、レンズの供給体制が整っていない今はいろいろと問題がある。 レプリカのすり減る第七音素を補充できれば、ルークはローレライを開放しても乖離しないかもしれない。 しかし、断言はできなかった。そのときでなければどうなるか不明である。きちんとしたデータが手元になければ推測もできない。 ローレライがどれほどの存在なのか、測りきれないのだからやってみなければ分からない。 だが、これで確実にイオンは救えるだろう。目的とは違うが、それでも違うシナリオが描けることにティアは嬉しく思う。 いつかイオンとシンクと、それからモースに囚われているフローリアンが三人並ぶ日は来るのだろうか。 フローリアンがはしゃぎ、イオンがそれを嗜め、シンクがそれを見守っているような光景。 アリエッタとアニスが仲良くしているような未来は実現するのだろうか。 叶うのならば、そんな幸せな日々を兄と共に送りたいとティアは思った。