誕生日の朝、一番に祝の言葉をくれたのは兄だった。毎年変わらないその事実にティアは嬉しくなる。 外殻大地の人々は基本的に早寝早起きだ。レムが昇ると同時に起き、沈むころには食卓に付き九時ごろには街は真っ暗である。 地下が本部である神託の盾騎士団では夜更かしをする人間もいるが、余り多くはいない。 ティアも実験の都合で遅くまで起きていることもあるが、たいていはその日の内に終わらせる。 だから、朝ティアの部屋を訪れた兄が一番なのだ。来年も、再来年も兄が祝ってくれればそれが何よりも代えがたいプレゼントだ。 毎年のようにティアの誕生預言を詠み、贈り物をくれる。だが、ゆっくり話す暇もなく兄は忙しいらしくすぐに去ってしまった。 ラルゴからは、緑のぬいぐるみを貰った。毎年、良く見つけてくるものである。アリエッタとシンクからは去年と同じものを貰っている。 それらを私室に仕舞い、ティアはいつものように白衣に袖を通し研究室に向かった。歩きながら、二日後のことを考える。 オベロン社は、端的にいえば生鮮食品を主に取り扱っているスーパーマーケットである。 レンズを扱っている、時代の最先端をいく世界的一流企業のイメージは儚かった。 フロート戦争で勝利しているミクトランは居らず、ヒューゴ・ジルクリストはただの優秀な考古学者に過ぎない。 それでも忠実な執事レンブラントの補佐があって、解読した創世暦時代の文献から結晶化技術を再現した。 そしてヒューゴは小さな会社を立てたのだが、その音機関は余り売れなかった。 顧客は趣味人の貴族に限られた。売値が高く、維持費がかかり、動力も限定されている。それでいて既存のものと性能は余り変わらない。 動力のレンズを細々と売ることで会社は持っていた。そんなころにエミリオが産まれ、妻クリスが倒れた。 それを契機にして会社は180度方針転換した。音機関を売ることからレンズを売ることに積極的になる。 譜紋でレンズの出力を制御して、属性を利用した懐炉や氷嚢を販売したのである。これが成功してそのまま日用品を取り扱うようになった。 そしてルーティが社長になって薄利多売が基本戦略となる。ヒューゴ時代の日用品から薬、雑貨、野菜、魚、肉と増えていく。 会社は順調に利益を伸ばし、最近ではケセドニアにも支店を出し始めている。 問題は取り残されたレンズ部門だ。 音機関を作るためには専門家が、そして音素を結晶化するためには譜術師も必要である。 レンズ部門は懐炉と氷嚢の製造マシーンとなっている。研究費なんて雀の涙ほどしかもらえてないのだろう。 類似品も出回るようになっており、年々赤字は増えているようだ。 しかし、赤字部門だからといって取りつぶすわけにもいかない。創業者はコレのために会社を設立したのである。 その熱意を知っているはずのルーティが儲からないからと言って潰す真似はしない……はずだ。いろいろとしがらみがあるのだろう。 だからこそ、つけいる隙がある。詳しいことはテオドーロが取り仕切っている。ファリアの伝手を頼って、何度か書簡のやり取りをしているらしい。 ティアは今回魔界から十数年ぶりに外殻に出てくる責任者をバチカルまでエスコートしなければならない。 その際は、ティアはアウル博士とディスト博士の助手として臨席する。 女社長ルーティ。1ガルドでさえ値切ってきそうである。正直会いたいような会いたくないような複雑な気分だ。「ふふ。驚くでしょうか」 その日、女はダアトを久しぶりに訪れた。楽しげな様子で女は進む。そして大通りの奥にある聖堂に辿り着き、近く騎士に話しかける。 その返答に満足するとさらにその奥に足を進めた。女の首の許可証がシャランと存在感を示す。 甲冑や制服の者たちの中で女は異質だった。からみつく視線にものともせず女は目的地に向かう。 目当ての名を見つけ目を細めてコンコンとノックする。 返事はない。一つ首を傾げもう一度ノックする。 すると今度は返事があった。「はーい、どなたですか?」「こんにちは」「こんにちは?」「ティアはいらっしゃいますか?」「へっ? あ、ええ。室長ならいますけど」 ドアの前でしどろもどろに答える部下その1の前で女は微笑をたたえていた。 そうしているうちにガタリッと研究室の奥で物音がする。ティアが慌てて扉に走り寄る。 聞き覚えのある声がした気がしたのだ。「……ッ! ファリア!?」「あら、そんなに急いでどうしたんですか。ティア」「どうしたんですかって、こっちが聞きたいわ!」 その1を押しのけてティアはファリアに掴みかからんばかりの勢いだ。 対するファリアはその穏やかな雰囲気を保ったままである。部下たちはこの突然の出来事に手をとめていた。「もちろん、ティアのお誕生日をお祝いにですわ」 あっけらかんと言い放ったファリアの一言で研究室は騒がしくなった。「えー! 室長お誕生日なんですか!? なんで教えてくれなかったんです?」「室長はあ、何歳になったんですかあ?」「ティアは14歳になったんですよ」「ああ! じゃあお祝いしなきゃいけないじゃないですか!」「……贈り物……」「うわあ、僕久しぶりだなあ~」「まあ、私も手伝いますわ」「じゃあ、まずこの机の上を片付けて――」 4人が動き回り、狭い応接室が様変わりしていく。ティアは完全に4人に置いていかれていた。 オルードラントでは16歳から結婚ができるようになり、20歳で成人が祝われる。だが、それまで親の庇護下に居るかというとそうでもない。 7歳までは、子供は子供として扱われない。まだ医療技術がそこまで発展していないため子供の死亡率は高い。 7歳までは神の子とみなされ、それをすぎたら本格的に家業を仕込まれるのである。奉公や出稼ぎに出るのもその年を過ぎてからと不文律になっている。 そして、家業を継ぐとか、結婚、仕官などといった一定の地位を築くと自ずと大人として見られる。 もちろん20歳で成人という考えはあるのだが、それはどちらかというと貴族など余裕のある階級のほうが重視している。 ティアは、この20という数字は創世暦時代の慣習の名残ではないかと考えている。 そうこうしているうちにお湯が沸き、飲み物が振る舞われていく。「故郷から持ってきたんですわ」とファリアがケーキを取り出しロウソクを立てた。 そして部下たちがその場で適当な物を贈り物としてティアに渡す。 その1は、積み上げられていたお菓子。未開封。 その2は、書きやすいわねとコメントしたボールペン。 その3は、完成品の毒薬。お手製。 その中でHappy Birthdayの歌が響き、ティアは炎を吹き消した。 気持ちは嬉しいのだが、複雑な気分である。ティアは苦笑してお茶を濁した。 一通り騒いだ後は、すぐに解散した。ティアは奥の部屋でファリアに紅茶を淹れ一息つく。 ファリアは物珍しそうに辺りを眺めている。「で、ファリア。いったい此処に何の用で?」「あら、ティアのお誕生日を祝いに来たのも立派な用事の一つですわ」「……それ以外を聞いているのよ」 ティアは調子を崩され、全てはファリアのペースである。不貞腐れるティアにファリアはふふっと笑みをこぼす。 あれから何の音沙汰もなく手紙が来たと思えば、データを送って欲しいだのオベロン社がどうのとファリアは結構怒っていた。 そして強引ともいえる方法で外殻に来る権利をもぎ取ったのである。「旧友に会いに行くんですわ。私が新会社の責任者です」「えっ? ……ファリアがケセドニアに?」 唐突な話にティアは驚いた。確かに3日後が会談の日である。 ティアは外殻に何年も来ていないという責任者を案内することになっていた。それはファリアのことだったのだ。「ええ、そうですわ。何か問題でも?」「家族はどうするのよ。娘もまだ小さいじゃない」「夫ともよく話し合いました。その上での結論です」 落ち着いた様子で紅茶をファリアは飲む。ファリアはこうと決めたら動かないところがある。 彼女が此処に来ている以上覆せないものだと諦めた。両手を投げ出して降参の意を伝える。「分かったわ。バチカルまで案内すればいいのね」「ええ。よろしくお願いしますわ」 ティアの了承にファリアは笑顔で礼を言った。 10年以上前の旅が唯一の渡航経験である。それも逃亡中であり、船旅を楽しむことも、観光することもできなかった。 バチカルにも滞在したことはあるが、そのときも匿われていたので不案内である。 連絡事項を伝え終わると会話が途切れてしまった。 双方ともに蟠りがある。ティアは後ろめたさがあり、ファリアは戸惑いがあった。 あれからファリアはずっと考え続けた。だが、結論は出ず惰性で動いている。 35年間、預言を信じていた。ローレライに祈り、預言の通りに生きていれば繁栄が訪れ救われると思っていた。 その考えは今でも変わらない。預言はいつも未来へと導いてくれた。 軍に追われているときも、魔界の暗さに怯えていたときも、神に祈れば道は自ずと見えてきた。 預言の先にあるのが滅亡と言われても、いまいち実感が湧かなかった。ファリアにとって預言は光なのだから。 ファリアはこれまでティアの考えを無理して聞き出そうとはしなかった。 彼女がそう聞かれることを嫌がっていることに気づいていたからである。 それに、知らなくても何も困らないと思っていた。しかし、今は知りたい。彼女が何を考え、何をするのか。 それから結論を出しても遅くないとファリアは思ったのである。「あれから考えたの。002のキーワードは何だろうって」 ファリアの藁にも縋る気持ちを通り越し、ティアはディストとの会話をファリアに語って聞かせた。 ティアにしてみれば、沈黙に耐えきれなくなったための苦肉の策である。ファリアの考えを聞かせて欲しいという思いもあった。 サザンクロス博士の想定外、イレギュラーな出来事――ユリアとローレライの契約。「003がプラネットストームと障気の発生、001がユリアの言葉と秘預言なら、間に来るのはローレライ関連だと思うの」「そうですか」 ファリアの反応の薄さにティアは疑問に思った。 もしや外殻の気圧のせいかと思い、気分でも悪いのかと尋ねようとした。 だが、その前にファリアから真剣な声が発せられる。「ティアは、預言は何だと思いますか?」 ファリアは真面目な表情でティアに問いかけた。率直な問いにティアは一瞬押し黙る。 いつかは通る道だと思っていた。ティアの望みと魔界の仲間たちの望みは違うのである。 外殻大地の降下という手段は同じであるが、それから導き出す目的が異なっている。 ティアは滅亡を回避するために預言からの脱却を目指し、反対に彼らは預言を守ろうとしてきたのである。 第七譜石の内容を知らなければ、彼らの行動も当たり前だろう。だが、幸か不幸か知ってしまった。 彼らは自分たちの行いに疑問を持ってしまったのである。 ティアは彼らと袂を別つとしたら外殻大地の降下が終わった後になるだろうと予想していた。 魔界からパッセージリングを監視しているので兄が弄ればすぐに分かる。戦場になる予定のルグニカ平野が落ちるのは阻止できるだろう。 その後の戦争を止めようとする自分は、その預言を信じるテオドーロの元を離れるのだろうと。 しかし、第七譜石の内容を皆が知るところとなってしまった。 彼らがどれほどの衝撃を受けたのか、ティアには推し量ることしかできない。 世界がひっくり返ったような感覚。自らの根幹が揺さぶられるような出来事。 11年前のことを思い出す。あのような思いをさせてしまったかと思うと後悔が襲ってくる。 だが、同時に皆の眼が覚めた良い機会ではないかともティアは考え始めていた。 モースのようにユリアを妄信するあまり、暴走するものはめったにいない。 冷静になって考えてみるとユリアの遺した言葉はティアの考えと一致していた。 ユリアの遺志に従うように振る舞えば、最後まで彼らと共にいられるかもしれない。 幼いころから一緒にいた仲間である。ティアは別れが辛いと感じるほど長い時を共にしていた。 だから、此れを期に本当に預言からの脱却を共に目指せないかと期待した。ティアはその可能性に縋った。 ファリアの問いにティアは一縷の望みをかけて答える。「預言は、あの冒頭に書かれていた言葉の通り、最も可能性の高い未来だと思うわ。詠まれていない行動をすれば、自ずと未来は開けるはずよ」 ファリアは予想していた答えと同じであると思った。 そして、決定的な質問を口にする。「ティアは、預言を否定するのですか?」「そもそも預言とは2000年前、障気に絶望していた者たちが縋った希望よ。2000年後も人類は生きている。我々は此処で滅亡するわけではないって。 預言は決して人を滅亡に導くためのものなんかじゃないわ。せっかくその可能性をユリアが教えてくれているの」 ティアはファリアに向き合い、預言を利用すると告げた。それがユリアの望みであるはずだと語る。 ファリアはティアの言葉にゆるゆると首を横に振り、やはりティアの考え方は異質だと思った。 預言を利用するなどという不遜なことは、ファリアには考えられない。 それでも、ティアの言葉はファリアにとって切っ掛けになった。預言は人に希望を与えるものという言葉にはファリアは賛同できた。 ファリアにとって預言は光である。未来を照らす、暖かな光。決して死と暗闇を呼び寄せるものではない。 ファリアは夫の言葉を思い出した。『大地が崩れたらたくさんの人が死ぬ。俺はそれを止めたい』 ティアの言っていることも同じことだろう。私も人が死ぬのを見過ごすことは出来ない。 信仰は人を救うもの。預言は人を導くもの。そういうことなのだろう。 ファリアは俯いていた顔をあげて、ティアに向かって微笑んだ。「私も、ティアと一緒に人を救いたいですわ」 その笑顔に釣られてティアも頬が綻ぶ。 ティアはファリアの言葉に込められた思いと自分の思いがどこか食い違っていることに気づいていた。 だが、それでいいと思った。皆の願いが全て叶うわけではない。ティアにとってファリアの願いは通過点にあたる。 なら、そこまでは一緒に手を取り合っていいのではないだろうか。 そのときまでは隣に、それからも出来るなら近くにいれたら良いと願った。 そう二人が笑い合っているとき、第四譜石の丘に辿り着いた者がいた。 七番目の者は疲労困憊した様子で道端に座り込み、そこから見える聖都を呆然と眺めていた。