事件は一冊の古びた本に挟まれていた一枚の設計図が発見されたことから始まった。 それは創世暦時代に書かれたプラネットストームの概略図だった。 惑星の外側に円環が描かれている。長方形の紙の隅には小さく細々と説明書きが記載されていた。 ファリアはその中で知らない単語を見つけ、何気なくオズに意味を尋ねたのである。 すると『資格者ではないためその情報は開示できません』と返事が返ってきた。 ファリアはいぶかしげに眉をひそめ、おかしいと思った。 マスターの代理者たるファリアに見られない情報などないはずである。 ティアが魔界を離れたため、テオドーロとバティスタ、そしてファリアの三人が代理の権限を有していた。 二人が試してみてもはじかれてしまい、仕方なく有資格者の一覧を出させた。 その欄にはティアの名だけが載っており、相談した結果ティアを呼び出すことにした。 『最低流通音素量』 そこまで厳重にされるべき単語だとは思えなかった。 だが、ティアにしか見られない情報というものがどうしても気になったのである。 ティアは突然の呼び出しに驚きながらも、レムの日を丸一日空けた。 朝靄が立ち込める中グリフィンを駆る。ティアの足なら休憩も挟んで半日はかかる道のりを一足飛びに飛び越えた。 グリフィンの背でじっとしているのもつらいが、今日中に行き来するとなるとそう言っていられない。 ようやくアラミス涌水洞の泉に降り立ち、ユリアロードに足を踏み入れたころには10時を回っていた。 ぐるりと複雑な侵入者除けの廊下を通って、地下へ辿り着いたのは11時になるころだった。 軽装の上に白衣を着て現れたティアを皆歓迎した。挨拶もおざなりに本題に入る。 それもティアが此処にいれるのは2時ぐらいまでだと分かっていたからだ。 それを過ぎると外は暗くなり、ダアトまで一人で帰るには危険である。 グリフィンも夜は飛びたがらない。幾らティアに懐いているからと言って無理をさせられない。 ティアは説明を聞いて頷き、部屋の中央でオズに命じる。「オズ。最低流通音素量についての情報を開示して」「・ ・了解しまシタ、マスター・ ・ ・マスターの生体情報の確認が必要デス・ ・ ・身体の一部を提供してクダサイ・ ・」「髪でいいかしら?」「・ ・可能デス・ ・」 ティアは躊躇いもせずに横髪を一房掴むとハサミで切り、オズの示したトレイに置いた。 その厳重さに皆の期待が生まれる。「・ ・確認中・ ・」「有資格者の基準って何なの?」 ティアだけに資格がある。その基準が気になった。 マスター代理のパスで閲覧できないとは穏やかではない。「・ ・旋律を紡ぐ者、解呪者であるマスターにはその資格がありマス・ ・」「解呪者。初めて会った日に言っていたわね」 ユリア式封呪を解ける者が、資格者ということだろう。 ティアは懐かしそうな顔をして、オズの仕事が終わるのを待っていた。 旋律を紡ぐ者。つまりユリアの血を色濃く継ぐ者のことである。 しかしヴァンではオズは反応しなかっただろう。その事実をティアは知らない。 封印を解けるのはこの世で唯一人、ティアだけであった。 ヴァンが教えなかった。本来ならティアは何も知らないはずだった。 中血半端に知っていたからこそ、ティアは前に進めたのである。 ティアはただオズを信じていた。機械は人を裏切らない。 裏切られたと思ったときは自分が何かを間違えたときである。 だから冷静にティアはオズと向き合っていた。「・ ・照合終了・ ・ ・003のデータを解凍シマス・ ・」 そうして画面に表示されたデータに皆は詰め寄った。 プラネットストームの構造、その稼働条件、環境データ、緊急停止装置、音素分布。 そして最後に一枚、年度ごとの障気量が付け加えられていた。情報に目を通せば何を意味しているかすぐに分かる。 最低音素流通量を下回ったときプラネットストームは振動し、記憶粒子に影響を与える可能性がある。 そして障気量と年表を照らし合わせると、障気はこの振動によって発生したと考えられる。「オズッ! 現在の流通音素量を出してくれ!」 部屋にいた一人が大声を出す。 映し出されたデータは記されている数値を上回っていた。レッドゾーンに入っていないのを見て、ほっと一息つく。 だが他の音素と比べて第七音素だけは異様に少なかった。 落ち着いた皆は開示されたデータを詳しく調べようとした。 そのとき、ティアがオズに声をかける。「オズ。さっき003のデータと言ったわよね? じゃあ、001と002は何処にあるの?」「・ ・条件がそろわない限り開いてはならないと命令されてイマス・ ・」 オズは淡々とティアの問いに答え、その返事にティアは首を傾げる。 プラネットストームの詳細な情報に気を取られていた者も、オズに向き直った。「条件とは何かしら?」「・ ・ND2000を過ぎているコト、ユリアの血を継ぐ者がいるコト、特定の質問をするコトデス・ ・」 その条件にティアは眉をひそめる。 それではまるで此処で足掻く者がいなければ滅びてしまえと言わんばかりである。 ホドの滅亡時にユリアの血が絶えてしまったら、此処に気づかなかったら、質問をしなかったら……。 幾つものIFをティアは想像できた。その場合はずっとオズは沈黙しているのだろうか。 何故そんな条件を付けたのか理解できなかった。「誰がそんなことを?」「・ ・マザー、私の設計者デス・ ・」 マザー。それはユリア・ジュエのことである。 そのことに気がつくとティアは舌打ちをしたい気分になった。 このデータを隠して何がしたいのだろうか。高みから見下ろされているようで不愉快である。 けれども後の二つの情報はそれほどまでしなければならないものだ。 必ず中身を確認しなければならない。ティアはオズに指示を出す。「これまで私たちがした質問の一覧表をカテゴリ別に作って。意義が同じものは省いてね」 特定の単語に反応するようになっているのなら、どうにかなるだろう。 オズは7年分のデータをまとめるのに1時間ほどかかると答えた。 ティアは待っている間に食事を済ませ、皆と一緒に003のデータを解析に入る。 創世暦時代の技術の集大成。プラネットストームの完璧な設計図。そしてそれに関する資料。 確かに貴重なものだ。障気の原因がプラネットストームの振動だということを裏付ける資料もある。 だがそれは7年前も分かっていたことである。創世暦時代なら当たり前だったのではないだろうか。 此処までして隠さなければならないものだとは、ティアは思えなかった。 そして一時間経ち、一覧表を見てうわっと嫌な顔をしながら、皆で載っていない単語を探す。 7年の中で専門用語も含めるとかなりのことを検索している。それだけこの部屋にいたということだが、骨の折れる作業だ。 中からそれらしい単語を見つけるのは一苦労で、その苦労をオズは配慮してくれなかった。 一通り唱え終わりうんざりし始めた頃、ティアはふと思いつき、ぽつりと漏らす。「預言。――預言とは何なのかしら?」 その声はやけに地下の空間に響き渡り、周囲は静まり返った。 そして、オズは答える。「・ ・キーワードを確認しまシタ・ ・ ・ ・001のデータを解凍シマス・ ・」 その単語に反応したオズに皆驚愕し、沈黙が空間を支配する。 作業していた手を止めて、不安げにオズを見上げた。 預言とは何か。――預言とはユリアが詠んだ未来で、人を繁栄へ導くもの。 答えなんて決まり切っているはずなのに改めて問うことなのだろうか。 そしてなぜそんな常識を後生大事に隠しているのか。 パッと中央に示されたデータは嫌でも目に入った。 それは秘預言である。ローレライ教団が秘匿する歴史の道標。 だがそれよりも皆が注視したのは冒頭の二行。 この惑星オールドラントが大いなる樹から伸びた一つの枝であるのならば、私はその一番太い枝を詠みとったに過ぎない。 これは無数にある枝葉のうちの一つ。最も叶いやすい記憶である。 ユリア・ジュエ ティアは唇を噛み締め、じっと耐えていた。 ともすればユリアを罵る言葉を漏らしてしまいそうである。 絶対の預言を謳っておきながら今更何を言っているのだろうか。 預言は可能性の一つ。そんなことは言われなくても知っている。 何故、2000年も経って聖女であるお前が預言を否定するのか。 全ての運命を決定づけた存在が語る言葉をティアは呪った。 これでは2000年間、預言を信じて生きていた人々は道化ではないか。 この聖女に皆踊らされて、狂ったように預言を求める。それを彼女は知っていながら止めなかった。 預言の名の下に繰り返される戦争を。それがどんなに悲惨なのか。 預言という名目で振り上げられる暴力を。それがどんなに無情なのか。 預言を巡っての論争で引き起こされる混乱を。それがどんなに残酷なのか。 聖女ユリアよ! お前は預言が何に人を導いているのか知っていたのだろう。 山のような惑星預言を残したお前は全てを理解していたはずだ。 そうでなければ第七譜石をホドに隠した理由がなくなってしまう。 始祖ユリアよ! お前は故郷であるホドの滅亡を知っていたのだろう。 何故、ホドに第七譜石を隠したのだ。何故、真実を地核に眠らせたのだ。 それでいて何故、此処に来て預言からの脱却をお前が示唆するのだ!? ティアはユリアが憎いと思った。そして預言も忌々しく感じた。 預言が此処まで頼りにされるようになったのは、キムラスカがローレライ教団にパダミヤ大陸を与えてからである。 キムラスカとマルクト。両国の後ろ盾を得てから、預言が幅を利かせるようになった。 だから預言が悪いわけではない。むしろ人間社会の方に原因があるのだろうと考えていた。 そしてユリアも後世になって祀り上げられただけなのだろうと思っていた。 人々は皆預言の通りに生活している。だが、毎日預言が詠める人物など限られている。 庶民は一年に一回詠む程度。初詣のおみくじのようなものである。 ダアトならばその機会も多くなるが、それでもティアはそれを気にしない技術を身に付けた。 預言はティアにとっては異国の習慣のようなものである。初めは戸惑うだろうが、徐々に慣れるもの。 イスラム世界に行き、故意に肌をさらす女性はいない。海外に行けば、車は右側を通る。 そしてその歴史や成り立ちを知っていれば、納得できなくても我慢はできるだろう。 そんな常識がいずれ破壊されることを知っていたので、尚更ティアは寛容であろうと務めてきた。 兄もこんな気分だったのだろうか。ふつふつと湧きあがるものがある。 ティアは平静を装いながらオズに静かに問いかける。「第七譜石の内容を教えてくれないかしら?」 その声に周囲で混乱していた幾人かが、ハッと顔をあげたのをティアは目にした。 耳障りなユリアに祈りをあげる声が少しだけ小さくなった。 第七譜石。 ユリアが繁栄を詠んだという未発見の譜石。永遠に見つからないだろう。 そして余りにも短い文章がティアの眼に入った。オズは無機質な声で読み上げる。 やがてそれが、オールドラントの死滅を招くことになる。 ND2019 キムラスカ・ランバルディアの陣営は、ルグニカ平野を北上するだろう。 軍は近隣の村を蹂躙し要塞の都市を囲む。 やがて半月を要してこれを陥落したキムラスカ軍は、玉座を最後の皇帝の血で汚し、高々と勝利の雄叫びをあげるだろう。 ND2020 要塞の町はうずたかく死体が積まれ、死臭と疫病に包まれる。 ここで発生する病は新たな毒を生み、人々はことごとく死に至るだろう。 これこそがマルクトの最後なり。 以後数十年に渡り栄光に包まれるキムラスカであるが、マルクトの病は勢いを増し、やがて、一人の男によって国内に持ち込まれるであろう。 かくしてオールドラントは障気によって破壊され、塵と化すであろう。 これがオールドラントの最期である。 記憶と違わない内容にティアは笑いたくなった。一人だったなら、間違いなく声を上げていただろう。 腹の底から込み上げてくる感情がある。純粋な怒りと嘲りだった。 憎々しい元凶。忌々しい預言。愚かな全てを知った気になっていた自分。 舞台に立つ支配者気取りの指揮者をティアは心の中で嘲笑う。 ティアだけは知っていた。預言の通りに進まない未来があることを。 不協和音が鳴り響き、未来は軋み始める。 その音を捉えた者は誰もいない。だが、確かに誰かが何かをずらしたのであった。