一刀と星。鏡に写したように背中を預けた二人の剣閃が生んだ円形の光跡が、それぞれの背後を脅かしていたものを斬り裂く。
星の『青紅の剣』が沙和の双剣をまとめて斬り飛ばし、一刀の『偉天の剣』が真桜の胴を薙いだ。
「痛……た……っ!」
「真桜ちゃん!!」
真桜の持つ螺旋槍は一刀の宝剣よりも長い。間合いの差によって致命傷を免れた真桜だが、それでも深手には変わりない。堪らずその場に崩れ落ち、その首を敵刃に曝す。
「っ……恨むなよ!」
一刀が剣を振り上げ、一思いに命を断つ一撃のため軸足に体重を乗せた。
「させません!」
「うわっ!?」
一秒にも満たないその刹那に、横合いからの豪撃が割って入る。滑り込むように飛んで来た円盤が一刀と真桜の間に放たれ、その大地を砕く。
その間を逃さず、武器を失った沙和は星から距離を取りながら大回りに真桜の許へと回り込んだ。
「真桜ちゃん、大丈夫……!」
「あぁ……あかんコレ、めっちゃ痛い……」
沙和に助け起こされながら、真桜は傷口を手で押さえる。指の隙間から血糊が溢れて手を腹を赤く染めていく。
「まだ助かるはずです、急いで手当を!」
「で、でも……」
「この場は私が引き受けます! 早く!」
『電磁葉々』の一撃を牽制にして一刀の前に立ちはだかる流琉が、激を飛ばして沙和を促す。どのみち、手傷を負った真桜と得物を失った沙和がいても役には立たない。
対する一刀と星も、無理を押して二人に止めを刺す理由は無い。追撃が来ないと判断するや、一目散に駆け出していた。
「………………」
周泰に会えたのか、何故こんな所で孤軍奮闘していたのか、気になる事はたくさんあるが、それを確認している場合ではない。
だから一言。
「無事で良かった……」
「……人の心配が出来る立場か」
星にも、言いたい事は山ほどあった。でも、こうして近く触れ合えるだけでどうでも良くなってしまう。
一刀を救おうと限界以上の力を発揮していた先ほどよりも、さらに力が湧いてくる。
「“我ら”は主に守られるほど弱くない。こちらの気持ちも考えずに虚勢を張るのはただの独り善がりというものだ」
「ごめん……」
まったくの正論を受けて、一刀は苦笑いで謝るしかなかった。そして、星が“我ら”を強調した意味にも気付く。
『散なら自力で何とかする。あやつを信じて自分が生き残る事だけを考えろ』。ただの説教ではない、言外に隠された意思を正確に汲み取って一刀は剣を強く握った。
「行くぞ!」
「ああ!」
そして再び、戦場に蝶が舞い踊る。主より預かった宝剣を手に、星は軽やかに衣を靡かせた。
流琉も武人。己の力で敵将を討ちたいという矜持はある。だが彼女は、先ほどからの星の動きを目の当たりにし、より確実に覇王より賜った使命を遂行する手段を選んだ。
大声を張り上げて周囲の魏兵を促し、数と連携によって一刀らの命を刈り取りに掛かる。
しかし―――――
「貴様らごときがこの私を止められるか!」
数多の魏兵が蝗の如く襲い来る凶刃の嵐を―――
「我が名は趙雲、天より舞い降りた遣いを護る最強の槍!」
蒼い光が縫っていく。倒すどころか誰一人触れる事すら叶わず、糸の切れた人形のように崩れ落ちていく。
「その身の不遜を悔いるがいい」
無人の野を駆けるが如く、昇龍の牙が主の道を斬り開き、仇為す者を薙ぎ払う。
「死出の手向けに見せてやる。趙子龍が槍武の舞い、その眼に篤と焼き付けぃ!!」
止まらない。止められない。見惚れるほどに美しい蒼光の剣舞が過ぎた場所には、死神に魅入られたかのような死屍累々の黒塊が積まれていく。
「剣でも、強いんだな………」
「得物が変わった程度で我が武の粋は曇りはせぬよ。それにこの剣……素晴らしい切れ味だ」
一刀は、まるで自分だけが別世界にいるような感覚の中で、その剣舞を存分に眺めていた。
敵が一刀に近づく事さえ許さない。そして星が駆けた後には屍しか残らない。一刀はその背中について行く事しか出来ない。
一刀が茫然となるのも無理もない。星自身でさえ、これほどの武を発揮出来た己を知るのは初めてなのだから。
「ひ………っ!?」
流琉の統率する包囲を抜けた先、騎馬に跨がった大柄な部隊長が、星の紅い瞳に射抜かれて小さな悲鳴を漏らす。
「な、何やってやがる! 長槍で一斉に突き殺しちまえ!」
恐怖に引きつった声で部下に命令を下す男を責めるのは酷というものだろう。虎を前にした鼠に震えるなというようなものだ。
「一刀!」
「! わかった!」
長槍の穂先が剣山となって迫る。一刀は星の呼び掛けに応じて彼女の前に飛び出し――――
「はっ!」
「んがっ!?」
その背中を肩を踏み台代わりに、星を宙へと舞い上がらせた。ついでのように強く頭を踏みつけられて、一刀はうつ伏せに地面に倒れた。紙一重の差で、倒れた一刀の頭上を槍衾の刃が過ぎ行く。
そして星は、その白き衣を羽のように広げて蝶の如く飛び上がっていた。
「はいはいはいはいーーーーっ!!」
そして中空で伸身のまま体を捻りながら数回転。雑草でも刈るように槍衾を斬り飛ばし――――
「うわぁああぁあぁ!!」
「っやあ!」
馬上の将をも斬り倒していた。そして着地と同時に周囲の兵を屍に変える。
一刀が鼻を押さえながら起き上がった時、そこには馬の手綱を引いた星が立っていた。
「………………」
「ふっ、惚れ直したか?」
目に見えて圧倒されている一刀に、星は得意気に頬を緩める。
「……ああ、ホントにカッコいい」
不謹慎なまでの余裕にこれ以上ないほどの頼もしさを感じて、一刀は手綱を受け取った。
太い四白の足と白点のついた額を持つ、素人目に見ても立派な名馬だ。
兵が星の威圧を受けて迂濶な攻撃を仕掛けられない内に、一刀は手早くその馬に跨がった。
もちろん、一刀一人で馬に乗って逃げるわけもない。二人乗りで行けるか? などと思いつつも、一刀は星に手を伸ばす。
「ほら、星」
「うむ………」
そうして、二人の手と手が触れ合う。
――――直前。
「…………………え?」
ガツッ、と硬く短い音が聞こえた。鋭い痛みを感じた。眼前の星の顔が凍り付いた。何事かと視線を下げた一刀の眼に……信じられない、否、信じたくない物が映る。
自身が身に付けている鎧の、左胸から“生えている”……一本の矢。
「あ……れ……?」
広がっていく痛みと、血と共に流れ出ていくような虚脱感。次第に薄れてゆく意識の中で…………
「一刀!!」
少女の悲痛な叫びだけが、やけに鮮明に響いていた。
「っ…………」
力を失い、崩れ落ちそうになる一刀の身体を星が支える。
いつかのように、またいつかのように、半身をもがれるようなとてつもない喪失の恐怖に襲われながら………星は必死に己を保っていた。
「(……脈は、ある……呼吸も、している……左胸……鎧の上からなら……深手ではない? ……出血は………)」
今解る断片的な情報を必死に整理する。今、一刀はまだ生きている。生かす事が出来るはずだ。そこに死力を尽くす。
「く……っ!」
矢の角度から狙撃手の姿を眼で追って、星はそこに一人の将を見つけた。
脇腹からだくだくと血を流し、足元すら覚束ない体で……しかし確かに弓を握って、こちらを睨み殺さんばかりに見ている覇王の左腕。
「(生きていたのか……!)」
秋蘭の抱える傷は、ここに到る道程で星が負わせたものだ。死んでいてもおかしくないほどの深手のはずなのに、よもやそのまま一刀の命を狙いに来るなどとは思いも寄らなかった。
(ギリッ………)
正義のためではない。誰かを守るためでもない。今、星ははっきりと私情から来る殺意を秋蘭に抱く。抱いて……しかし斬り掛かる事はしない。
自分が何を最優先にすべきか解っているという事もある。だがそれ以上に、怒りを恐怖が上回った。
「(急がねば……)」
もはや一刻の猶予もない。一寸でも疾くこの死地から逃れ、一刀の命を繋がなければならない。
(ギンッ!)
さらに放たれる矢を剣の一振りで弾いて、星は一刀を後ろから抱き抱えるように騎乗した。
「……星…一人、で………」
「…………………」
意識があるかどうかも定かではない一刀の口から、弱々しい呟きが聞こえた。
星とて、理性では解っている。一人で逃げ切る事すら不可能と言っても過言ではないこの状況で、怪我人を守りながら逃げ切れるわけがない。
しかし………………
「“あなた”は私が守る」
理屈だけで納得出来るなら、最初からこんな厄介な男に惹かれなどしないのだ。
「無謀と言われる事を現実にしてこそ、真の英傑というものだ。……今しばらく、堪えてくだされ」
どこか、自分ではない自分と溶け合うような……それでいて真に己を取り戻していくような奇妙な感覚に星は囚われる。
それもすぐに振り払って、星は馬を駆けさせた。
無謀だろうと不可能だろうと守り抜く。握る剣に魂を込めて、愛しい想いを力に変えて………星は単騎、魏の大軍へと挑む。