「困った………」
「人気者は辛いねぇ、兄ちゃん」
「……笑えねーよ、風」
協君の一大決心を組み、一時洛陽を放棄して撤退する事を決めた……までは良かったけど、それを実行する段階で早くも詰まった。
今の戦力では魏軍に勝てない事、それに伴い、協君の勅命に従って都を長安に移す事、そして必ず再び戻って来る事を洛陽の皆に説明し、街中に触れも出した。
しかし…………
「とはいえ、彼らの朝廷への忠誠と貴様への信望を蔑ろにも出来まい。迷っている時間こそ惜しい」
民の皆の動揺は凄まじかった。先祖代々住む土地が大切な人、建てた店で軌道に乗って商売をしていた人、苦労して開墾した田畑を持ってる人、一人一人がそれぞれの、決して無視出来ない事情と生活を抱えている。
それを差し引いても…………俺たちについて行きたいと願い出る人たちが続出した。
気持ちは凄く嬉しいし、長安でも人口が増えれば当然街は発展する。……だけど、兵士のみで編成された軍隊と、女子供や老人を交えた民間人では行軍(?)速度が全然違う。
つまり、連れて行けば華琳から逃げ切る事が出来なくなる可能性が極めて高い………いや、確実に捕まる。
でも、街を治める太守として洛陽を守りきれずに手放す俺たちが、『おとなしく曹操の支配を受け入れろ』なんて口が裂けても言えない。
「どうせ見捨てて行くなんて選択は無いんでしょう。うだうだ言ってないでシャキシャキ動いたらどうですか、この野郎」
「お前も毒吐いてないで少しは考えろ!」
考え無しに一目散に逃げたからってどうにかなるもんでもない。………やっぱ、時間稼ぐしかないか。
「……協君は雛里と一緒に一番前の部隊で市井の皆を先導。風は中軍、散は殿を指揮して……“南の宛を”目指してくれ」
「………宛?」
俺としてもリスクが高くてあまり採りたくない方針だったけど、散の言う通りもう時間が無い。大体、どんなやり方にしたところで市井の足が急に速くなるわけもないんだし。
「結構遠回りになるし、その分、民の皆に負担が掛かるのも解ってるけど……馬鹿正直に西を目指しても逃げ切れないだろ」
「……宛を経由して長安を目指すといっても、逃げ切れるものでしょうかー?」
「確実に見つかるかな……というより、さっきの役割分担に一刀の名前がなかったのですが」
風も散も訝しげに目を細める。……そう、足の遅い民を連れてればどうやったって追い付かれる。なら、見つけられても追われない状況を作ればいい。
「俺は騎馬隊を率いて西に向かう。……そうすれば、曹操は確実に俺の方を追ってくる」
「「ッ……!?」」
協君と雛里の肩が、露骨に強張った。二人の性格を考えたら無理もない。そして他の二人の反応も予想の範疇だ。
「……お兄さん自身が囮になるつもりですか?」
「囮って言うより、餌かな」
「そんなの一緒の事です!!」
罵倒にも似た大声で雛里が俺を怒鳴る。でも、雛里が一番俺の意図を解ってくれてるはずだ。
「それでカッコいいとか思ってるのかな、と。はっきり言って、呆れて物も言えないんですが。もちろん、悪い意味で」
……こいつ(散)、いつか泣かす。
「俺以外が西に向かっても曹操を引き付けられない。逆に、俺が南に向かえば曹操は俺を追って来ると思う。軽率なのは百も承知だけど、この役は―――」
「確かに、一角の将や軍師では彼奴の目を引く事は出来まい」
何とかかんとか説得しようとする俺の言葉を、協君の力強い一言が遮る。何だ?
「だが………朕ならば話は別だ」
「…………………」
何か俺、マジで協君に悪影響与えてないか。言いたくないけど、あんまり俺を見習わない方がいいと思うぞ。
それに……解ってない。
「協君」
膝を落として目線を合わせ、両肩に手を置いて言い聞かせる。高圧的にならないように、それでも大切な事を伝えるために。
「それは、絶対ダメだ」
「何故だ。……仮にこの危機を乗り切ったとしても、貴様を失っては朕が生き残っても無意味だ。ならば……っ…貴様何をする!」
子供が賢すぎるってのも考えものだ。後ろ向きに積極的な協君の頭をがしがしと掻き回して黙らせる。
「魏軍がどうして急激にその数を増やしたのかは解らない。だけど……曹操は何か取り返しのつかないものと引き換えに力を得ている気がする」
確信も根拠もない、単なる勘だ。同意を求めて向けた視線に、雛里が応えてくれる。
「……はい。兵とは無から生まれるものではありません。どんな方法で兵力を増やしたとしても、無理な徴兵は人心に不安を、国力に低下をもたらします」
無理な徴兵、か。何だか華琳らしくない気もするけど、とにかく雛里の同意は得られた。
「だからこそ、曹操は協君を狙ってるはずなんだ。叛逆者じゃなく、帝を擁した正規の官軍だって風評と権利が欲しいんだよ」
いずれにしろ華琳は、袁紹、伯珪、桃香、そして今回も、次々と戦いを自分から起こしてる。
躍起になって都に攻め込んで来たのも、その辺の事情からじゃないだろうか。
「だから陛下はダメで自分はおーけーですか。立場が解ってないのはどっちなのかな、と」
「オッケーなわけあるか、俺は犠牲になる気も犬死にする気もさらさら無いぞ」
半眼で睨んでくる散の鼻先に人差し指を突き付けて胸を張る俺。一に協君や皆、二に人民、俺は二の次。王一人生かせば成り立つような国ならいっそ華琳に降伏した方がいい。俺より華琳の方が有能なんだから。だけど、俺たちの国はそういう形で成り立ってない。
……って言い分もあるけどそれはそれとして、そんなホイホイ殺されてたまるか。だから機動力の高い騎馬隊で出るんだよ。
『…………はあぁ~~』
ややの沈黙を経て、一同揃って、深い深い溜め息を木霊させる。
「え~と、納得してくれた?」
「お兄さんは言い出したら聞きませんから、風はもう色々諦めたのですよ」
正直、すまん。前にも似たような台詞聞いたな。
「ご主人様ぁ……ぐす………」
「雛里も泣きそうな顔しないの。絶対生きて帰るから」
こっちはもっとすまん。下手すると協君以上に幼く見える雛里の頭を撫でる。
「……………………」
とか思ったけど、やっぱり協君の方が子供だった。さっきまでの威勢はどこに行ったのか、歳相応に青ざめて震えてる。
「………………」
協君は後継者絡みの御家騒動に巻き込まれて、父親も病で亡くしている。だから……協君にとって俺は家族みたいなもんだ。
普通の子供のように駄々を捏ねて縋らない事が精一杯。……そんな顔。
「近いうちに………」
何を言っても気休めにしかならないこの状況で、その気休めの大切さを俺は知ってる。
「子供が子供らしくいられる世の中に、しような」
「……………………………………子供扱い、するな」
見栄を張るのは大人の仕事だ。努めて明るく俺は笑い、協君は涙声で返事をくれた。
そのやり取りが終わるのを待っていたように、散が手の甲で軽く俺の胸を叩く。
「“子供”のお守りは大人の仕事かな、と。面倒ですが、あたしも付き合いましょう」
付き合うって………。
「ダメだって。今、洛陽にいる豪傑は散だけだろ。協君や人民の側からは外せない」
「ご心配なく。あたしより凶悪なぼでぃーがーどをつけますから」
何やら意味深な言い回しをした散は、高々と右手を上げ、パチンッ! と指で軽快な音を鳴らす。
途端――――
「おーっほっほっほ! おーっほっほっほ!」
身の毛もよだつ高笑いが聞こえて、天井から岩のような塊が降って来た。
「愛しき人を守るため、艶美な蝶が今舞い降りる! 華蝶仮面二号改め、蝉華ぢょ……!?」
長口上を最後まで聞かず、俺は右ストレートをその鼻っ柱に叩き込む。
「いきなり何するのよん!」
「こっちのセリフだ。雛里と協君が怯えてるだろうが」
二人は早くも俺の背中に隠れてガクブル状態になっていた。俺もあまり触りたくなかったけど、ここは二人のためにと勇気を振り絞ったのだ。
「散ちゃん、いくら強くても民間人を戦わせるのはどうかとー」
「有事の際には民に槍を持たすくらいはありかな、と。それに彼は民間“人(?)” ですし」
「ちょっとそれどういう意味よん。彼って誰? わたしは漢女よ?」
「他意はありません」
アホな登場と掛け合いはともかく、頭は何とかシリアスに。……確かに貂蝉は散どころか恋にだって匹敵するくらい強い、けど――――
「………やっぱ、無理じゃないか」
民間人がどうとかそういう問題じゃなくて、俺には深刻な懸念があった。
「何よぉ、わたしだってこんな可愛らしい男の子を守るためなら、一肌も二肌も脱いじゃうわよん?」
「え………?」
でも、そんな懸念を無視するように貂蝉は軽々と引き受けた。その事情に俺は頭を捻る。
「…………………」
俺の懸念、貂蝉の性格と態度。それらを数秒頭の中で巡らせて―――
「………わかった。なら、軍の最後尾は蝉華蝶に任せて、散は俺と一緒に来てくれ」
俺はそう結論を出した。
王都が忙しなく動きだし、皇帝と、民と、歩兵と、軍師と、オカマと、そして恋の友達が、南を目指して旅立っていく。
そして、俺は再び命懸けの戦場に立つ。