「面目次第もありません」
自ら後ろ手に縛られた姿で、春蘭は私の前に膝を着く。よほど強く責任を感じているらしい。
「何が魏武の大剣よ、あんな無勢にあっさり捌かれるなんて、だから猪武者は嫌なのよ」
「…………………」
桂花の意地悪な言い草にも反論一つない。本当に真っ直ぐなんだから。
「桂花の言いたい事も解るけれど、ここはむしろ敵を素直に評価すべきでしょうね。絶望的な局面で冷静に陣の弱点を見抜く戦術眼と、それを春蘭の部隊相手にやってのける決断力と実行力。……少し見縊っていたわね」
君主のくせに義勇軍の頃から前線で戦っていたという経験が活きたのか。大軍に囲まれ、逃げ場を失いながらも平静な判断力を保つというのは、口で言うほど簡単な事じゃない。
そして、そんな危うい戦術を綻びなく実行出来るほど、北郷に対する兵の信頼が厚いという事。
―――そうこなければ、つまらない。
「では、華琳さま……」
「勝敗は兵家の常よ。春蘭、それほど強く責任を感じているのなら、そんな姿で首を差し出すよりも、戦場の働きで汚名を晴らす事を考えなさい」
窺うような秋蘭への何よりの応えとして、私は春蘭の縄を大鎌の先で軽く断つ。
こんな事で大事な魏武最強の大剣を斬り捨てるなんて馬鹿馬鹿しい事はない。
「っ……か……必ずや!!」
感極まったようにひれ伏す春蘭を見下ろして、桂花が小さく舌打ちをした。………あなたねぇ。
「さあ立ちなさい、魏の戦士たち。この戦いこそが、古きを打ち破り新しい時代を迎える華々しい幕開けとなるのだから」
北郷軍を破り、鉄壁を誇る虎牢関を抜けた。後は盾を失った王都に容赦なく矛を突き立てるだけ。
そして、それこそが魏と大陸の命運を左右する。私が切り開く覇道の先に、乱世の終結した世界が広がっている。
「と、言うわけなのです」
突然虎牢関から戻って来た師の報告が、静寂に包まれた玉座の間に淡々と響く。
魏の揚州への侵攻。一刀とりーだーの出撃。突然増大した魏の大軍と虎牢関の放棄。……そして、出撃した二人の部隊が戻っていないという事。
まあ、相手が相手だし、こういう事もあるのかな、と。
「雛ちゃんなら、曹操さんの上を行ったでしょうか?」
「……いえ、魏軍がそこまで力を得ているという可能性はわたしも考えていませんでした。……きっと、風さんと同じ対応をしたと思います」
雛と師の会話も耳に入って来ない様子で、陛下が何やら眼を泳がせている。少し水を向けて見ようかな、と。
「終わった事は一先ず置いといて、これからどうするのかな、と。話を聞く限り、魏軍はすぐにもこの洛陽に攻め込んで来るようで」
「っ…………」
背筋をビクッと固まらせて、自失から醒めた顔がじわじわ青ざめて来た。………皇帝陛下だろうと子供は子供、おまけに相当依存していた一刀が行方不明では仕方ない。
雛も動揺しているようで、師も無表情ながらに責任を感じているかも知れない。……ここは年長者のあたしがしっかりすべきしちゅかな、と思いつつ、頭使うのは専門外。
『…………………』
そんなこんなで沈黙が続く。師も雛も黙って何か打開策を考えているようで、しかしそんな簡単に思いつくわけもない。鉄壁の虎牢関を抜けた大軍を洛陽で倒す、というのはかなり厳しいのかな、と。
霞たちもいつ帰って来るか判らないし………まあ、降参するのは腹立つからあたしは断固反対派。
勝ち目が薄いのが判っているからこその解の出ない沈黙が…………
「ただいま~………」
大扉を開きつつのいつもの気抜けぼいすに破られた。
「ぎゃあああ!?」
間髪入れず、あたしの短戟が火を吹き唸る。侵入者の頭のやや上でグッサリ突き刺さった刃から、パラパラと茶髪が零れた。
「いきなり何すんだよお前は!?」
「あたし一流の『おかえりなさい』です。気に入って頂けたようで何よりかな、と」
「気に入ってねぇ!!」
つくづくしりあすの出来ない男……北郷一刀があたしに怒鳴る。限りなく空気を読まないあたしの行動にふりーずしていた皆さんが、この辺で再起動を果たした。
「ご………」
一番、雛。
「ご主人様ぁああ~~~~~!!」
「わっ、雛里!?」
体ごと飛び込むようなたっくるで抱き付き、一刀を支点にするように一回転。……しゃいなんだかあぐれっしぶなんだか。
二番……と言いたい所だけど、基本的にここにはくーるなめんばーが揃っているので、おーばーりあくしょんは雛一人………かと思いきや――――
「ご主人様ぁああ~~~~~ん!!」
「うわぁっ!?」
「ふぎゃん!?」
あたしの目の前を、浅黒い塊が猛すぴーどで通過した。“それ”は一刀に着弾する寸前でかうんたー気味に前蹴りを受けて蹲り、しくしくとべそをかく。
「うぅ………ご主人様のイケズぅ。感動の再会を鼻血で迎えるなんて、いくらわたしでも傷ついちゃうんだから……! ちょっとは空気ってものを読みなさいよぉ!」
「お前がな………」
何で城に民間人のあなたがいるんですか、貂蝉。しかも、思いっきり前蹴りをもらったのに口ばかりで鼻血なんて出ていない。……うーん、あいあんぼでぃ。
その時――――
(フ………)
吐息ほどに小さく、やけに頼もしい苦笑が聞こえた、気がした。
「相変わらず悪運が強いようで何よりなのです。お兄さんに何かあったら、恋ちゃんや舞无ちゃんあたりに殺されてしまいそうでしたのでー」
「いや、実際死ぬかと思ったけどな。生きてるのが不思議なくらい」
師の悪態(?)に対して、安心させるようにういんくをして見せる一刀。あの顔、腹立つ。
「…………………………………それで、星は?」
それまでの態度から一変して、一刀は長い間を空けてその質問を口にした。
多分、ここにいない時点である程度解っていて、だからこそ恐る恐る訊いていると思われる。
……この分だと、一刀もりーだーの行方を知らないのかな、と。
「……そっか」
「……? 意外と反応薄いですね。心配ではないのですか?」
確認を取るまでもなく、一刀は僅かに眼を伏せて納得して見せた。この甘ちゃんの事だから、もっとわーわー騒ぐと思っていたのに。
「あいつを誰だと思ってるんだよ。北方常山の趙子龍だぞ」
不敵な笑顔、解りやすい強がり。……まあ、いいけど。
「……それより、風がいるって事は、虎牢関も抜かれたんだな」
「お咎めなら受けるですよ?」
一刀の短い確認に、師は当然の応えを返して、当然のように一刀は首を振る。師もそれ以上つっこまない。大した相互理解なようで。
「問題は曹操軍の規模と到着するまでの時間、そして対策だ。………俺が交戦した部隊だけでも、想定してた数よりかなり多かった」
そのまま話はさっきの軍議に戻り、雛や師、ついでに一刀がああでもないこうでもないと意見を交わし合う。
しかし最終的には、兵を二分して霞たち共々劉障に差し向けた今の戦力では、予想外の増強を遂げた魏軍に対抗するのは難しい、という結論に帰結する。
まあ、一刀が増えたくらいでこの状況をあっさり解決出来るとは思ってなかったけど。
「……鳳統、一つ訊く」
そんな堂々巡りを断つように、それまで沈黙を守っていた陛下が口を開いた。
こういう時はいつも「若輩の身で満足な判断は~」とか言いながら自重している陛下が、どういう風の吹き回しなのか。
「この一戦を凌げば、体勢を立て直す事が出来れば、曹操と戦う事は可能か?」
小さな身に、健気なまでの気迫と覚悟が満ちている。さすがは幼くとも皇帝陛下といった所か。
「……魏軍の突然の変容の原因は解りません。ですが、我が国の総力を万全に発揮出来さえすれば……必ず勝機はあるはずです」
雛の言葉に力強く頷いて、今度は一刀に問い掛ける。
「一刀、曹操は覇道を歩む修羅ではあっても、弱者を虐げる外道ではない。それが貴様の評で良いのだな」
「それは保証するけど、さっきから一体何を……?」
一刀の質問には応えず、陛下は「よし……」と呟き、天を仰ぎ、次いで前を見た。
そして一言――――
「遷都だ」
『……………はい?』
陛下の口にした言葉に、一刀(と貂蝉)を除く全員が間抜けな声を上げた。
セント……せんと……遷都?
「これより朕らは洛陽を離れ、長安を新たな都として再起を図る。守れぬものを守るために無謀な戦いを挑む事はこの劉協が許さん」
大真面目に言い切る陛下。これを言い出したのが一刀ならあたし達もここまで驚きはしなかっただろうが、まさかの陛下。
「……この街は漢室十二代の歴史と伝統を持つこの国の首都です。それを……手放すって言うんですか?」
「漢の時代など、黄巾の賊徒に大陸を蝕まれた時に既に終わっている。今守るべきは古き伝統ではない、新たな時代を拓く力と民そのものだ」
恐々と確認する雛に、迷い無く断言する陛下。………何だか、考え方が誰かさんに染まって来てる気がする。
「………いいんだね?」
「……構わん。それに、捨てるわけではない。必ずまた、戻って来る。朕がこうした理由の一端でも理解しているのなら、それに応えて見せよ」
漢十二代の歴史を誇る王都、それに誰より深い思い入れを持っているはずの陛下がこの決断を下したというのは、どれだけ重い選択なのか……。
膝を曲げて陛下と目線の高さを合わせている一刀には解っているのか。
……こういう空気、あたしには馴染めないかな、と。